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異世界恋愛短編

転生したらメガネが無くて、公爵令嬢サンリは絶望した

作者: 白澤 睡蓮

 ルシカイニー公爵家に生まれたサンリには、物心ついた時から前世の記憶があった。


 前世のサンリは日本で生まれ、二十代半ばで暴走車に轢かれて事故死した。名前は平凡、可もなく不可もなくな人生だった。


 転生したこの世界は、前世で読んだネット小説の世界だろうと、サンリはすぐに当たりをつけていた。ただサンリ・ルシカイニーという名前を聞いても、サンリに覚えは無かった。おそらくサンリはメインキャラではなくモブキャラだ。


 そこまで考えると、サンリは一気にどうでも良くなった。メインキャラならざまぁされるかされないかの死活問題があるが、モブキャラなら状況に流されて生きるしかない。それに似たような話が多すぎて、どれに転生しているのか判断することも、サンリには出来なかった。


 そんな無駄なことに頭を悩ませるよりも、サンリにとっては大切なことが他にあった。しかしこの世界で成長するにつれて、サンリは絶望していった。この世界には前世のサンリが大好きだった物が存在しないと分かったからだ。


 この世界には魔法があり、魔法で視力の低下は簡単に治せてしまう。魔眼を封じるための物や、認識を阻害する物もまた、この世界には存在しなかった。この世界でレンズを使った道具といえば、ルーペが精々だ。


 何が言いたいのかというと、つまりサンリの愛すべきメガネは、転生後の世界には存在しなかったのだ。


 前世のサンリは筋金入りのメガネ好きだった。好きになるキャラは必ずメガネ、好きになる人も必ずメガネ。メガネなら何でも来いと胸を張って言えるぐらい、サンリはメガネが大好きだった。



 絶望から時は流れて、サンリは十五歳になった。美人ではあるが絶妙にモブ感が拭えない令嬢に育ったサンリは、貴族学院に入学を果たした。十五歳の春から三年間、この国の貴族は学院に通うことが義務になっている。


 学院入学前に絶望から立ち直っていたサンリは、何事もなく学院生活を送っていた。イベントらしいイベントが起きることも無く、自分はやはりモブキャラなのだと、サンリは改めて確信した。


 学院入学から二カ月が経ったある日、その日はサンリにとって記念するべき日となった。魔法を使って何度も何度も試行錯誤した末に、自作のメガネがついに完成したのだ。


 サンリが絶望から立ち直れたのは、メガネが無いのなら作ればいいじゃない! とある意味真理に至ったからだった。


 メガネが完成した翌日、サンリは自作のメガネを携え、獲物を求めて放課後の学院内を歩いていた。


 屋敷の使用人たちには完成前から試着を頼んでいたので、サンリは別の人に試着をお願いしたかったのだ。幼馴染の令息がいれば即刻試着してもらったのに、サンリには幼馴染の令嬢はいても、幼馴染の令息はいなかった。


 またサンリには婚約者もまだいなかった。この国では恋愛結婚と政略結婚が半々程であり、王族ならまだしも、貴族なら学院に入学してから婚約者を探すのが通例だ。サンリが遅れているわけではない。


 廊下をうろついていても目ぼしい人を見つけられなかったサンリは、人が集まっていそうなカフェテリアに向かうことにした。


「殿下、あまり彼女と親しくし過ぎるのは問題となります」

「彼女はまだこの学院に不慣れなのだ。上の者が困ってる者を率先して助けて何が悪い!」

「ですが、殿下」


 サンリがやって来たカフェテリアの中央では、上級生達が何やら修羅場を引き起こしている。


 サンリは修羅場なんて関係ないと、そんな修羅場を気にも留めずに、カフェテリアに一人でいた令息に目を付けた。サンリと同じクラスのソラン・ベラップ伯爵令息だ。


 ソランは絶世の美男子とまではいかないけれども、どちらかと言えば整った顔立ちをしている。だがモブ感がどうしても否めず、サンリの同類と言えた。


 サンリの中でイケメンの判断基準の九割は、メガネの有無にかかっている。なので絶世の美男子もモブ顔イケメンも、サンリの中での扱いは大体同じだ。さすがに圧倒的ブサイクはメガネでもリカバリーできないけれども。


 サンリは目を付けたソランの元へと歩いて行く。ソランの視線は修羅場に釘付けとなっており、近寄って来たサンリの存在には気付いていないようだった。


「こんにちは。向かいの席をよろしくて?」

「あぁ、はい」


 おそらくソランはサンリの話を聞いていない。条件反射で返事しているだけだ。これはむしろ好都合なのではないかと、サンリはソランの向かいの席に座る。


「これは私が作ったメガネというものなの。良かったらかけてもらえないかしら?」

「あぁ、はい」


 生返事でも同意は同意だ。よし言質は取ったぞと、サンリは手を伸ばして、ソランにメガネをかけた。上級生の修羅場に気を取られていたソランは、急にメガネをかけられて驚いたそぶりを見せた。


「急に何ですか!?」


 このままではまるでサンリが悪いみたいだ。サンリはさっき了承をとったのだとアピールする。


「さっきメガネをかけていいか訊いたら、貴方ははいって言ったじゃないの」

「……言ったかもしれません」


 ソランは思い返せば返事をした覚えがあったらしい。


 クラスメイト同士なので気軽に話しかけたが、クラスメイトだと認識されてなかったらどうしよう。サンリは今更不安になったが、心配は杞憂に終わった。


「それでこれは何ですか?」


 メガネに軽く触れながら、ソランがサンリに尋ねた。


「これはメガネというものなの」


 よくぞ聞いてくれましたと、サンリは満面の笑みになった。


「私はこのメガネを新たなファッションアイテムとして、ゆくゆくは貴族社会全体で流行らせたいの!」


 前世のサンリは伊達メガネを許すことはできなかった。だが背に腹は代えられない。この際伊達でも何でも良いと、サンリは妥協した。


 サンリにかけられたメガネをいったん外して、ソランはまじまじとメガネを観察した。


「左右非対称なのは仕様でしょうか?」


 左右のレンズの大きさと形は微妙に違い、耳にかける部分は左右で長さが異なっている。片方のテンプルはねじれており、もう片方はまっすぐで、どう見てもメガネ全体が歪んでいた。


「私の加工技術ではこれが限界だったの」


 サンリはしょぼんとした。これでも出来が良い物を持ってきたのだ。サンリの自室には、ぐにゃぐにゃした失敗作が大量に転がっている。


「商会で抱えている職人に協力してもらえば、クオリティを上げることは可能です。うん? それが目的で俺に話しかけたのではないのですか?」


 ソランにそう言われてサンリは思い出す。ソランの実家ベラップ伯爵家は、国で一番の規模の商会を経営している。その商会に所属している職人なら、腕は確かなのは疑う余地も無い。


 またサンリはソランに言われて初めて、誰かに作ってもらえば良かったことに気が付いた。


「いいえ、ただ貴方が一人でいて目についたからよ。せっかく作ったから、見目が良い方にかけてもらいたかったの」


 サンリは何も深いことは考えていなかった。ソランに向かって遠回しに『貴方はかっこいい』と言っていることにも、考えが及んでいなかった。


 少し照れたソランは、誤魔化すように咳払いした。一度外したメガネをかけ直してから、ソランはサンリに尋ねた。


「これを流行らせたいとは、どうしてなのでしょうか?」

「私はこの世界にメガネ男子を増やしたいの!」


 サンリはかねてよりの野望を堂々と宣言した。


「メガネ男子?」

「それをかけている男性のことよ」

「ということは、今の俺はメガネ男子ですか」


 視界にメガネ男子がいるので、サンリは幸せに浸っていた。メガネがグニャグニャしていて、某時計が溶けている系画伯の絵を思わせるが、十数年ぶりのメガネ男子にサンリは感無量だ。


 浮かれるサンリの一方で、ソランは考え込むそぶりをしていた。考え込むメガネ男子に、サンリのテンションがますます上がる。


「良ければこれを流行らせるのに協力しましょうか?」


 それはサンリにとって願ってもみない申し出だった。でもうまい話には裏があるのが、貴族社会では普通だ。サンリはすぐに返事ができなかった。


 サンリの考えを察したのか、ソランはどうして協力を申し出たのか理由を話し出した。


「俺の実家ベラップ家がベラップ商会を営んでいるのは、貴方もご存知かと思います。俺は商会長である父から課題を出されていまして、新しい商品を売り出して利益を出すというものです。今俺は何を売れば利益を出せるかと、ここでリサーチ活動をしていました」


 ソランにつられてサンリが辺りを見渡せば、カフェテリアのテーブルの半分ほどは埋まっていた。話に夢中な人が多い中で、ソランは気兼ねなく人間観察に勤しんでいたらしい。


「このメガネという代物は既存の物とは全く違う。十分商品になり得ると俺は考えます。発案者である貴方から許可をいただき、うちの商会で製造販売をさせてもらえればと」

「貴方の役にも立つのなら、私は構わないよ」


 この世にメガネ男子が増え、ソランの役にも立てるのなら、決して悪い話ではない。加えてたとえメガネがぐにゃぐにゃしていたとしても、メガネ男子にお願いされて、サンリが断れるはずがなかった。


「では交渉成立で。権利関係と売り上げからの配当の契約書はこちらで準備しておきます。改めて後日書面での契約を」

「えっと、これは趣味みたいなものだからお金はいいの。私はこの世界にメガネ男子が増えればそれで満足よ」


 サンリからしてみれば、メガネ男子の増加が何よりもの報酬だ。というか他には何もいらない。


「いいえ、俺の課題も兼ねているので、そのあたりはきっちりお願いします。ご心配なく。公爵家のご令嬢相手に、悪どいまねはしません。ご心配でしたら、ルシカイニー公爵にも契約書を確認してもらってから、サインして頂ければ」


 ソランはサンリが作ったぐにゃぐにゃのメガネを外して、大事に持ち帰って行った。ソランのメガネを外す仕草が堪らなすぎたせいで、カフェテリアに残ったサンリは一人でしばらく悶絶していた。



 サンリがソランにメガネのようなものを渡してから二週間後。放課後にカフェテリアで試作品を見せたいと、サンリはソランから声をかけられた。


 かくして向かった放課後のカフェテリア。


「殿下、私は節度を守った行動をしていただきたいと、申し上げているだけですわ」

「わたし怖いです~」

「そうやってお前はまた彼女をいじめるのか!?」


 カフェテリアの中央では、またもや修羅場が催されていた。


 そんな修羅場など眼中にないサンリの視線の先にあるのは、テーブルの上に置かれた二つのメガネだった。それらのメガネ以外に、ソランの顔にもメガネが装着されている。


 久しぶりのメガネ男子は刺激が強すぎて、サンリはソランを直視できなかった。メガネがぐにゃついていた前回はノーカンだ。あれをメガネ男子と称してはいけないと、今なら胸を張って言える。


 サンリが作ったメガネは、あんなものは子供の落書きだったのだ。プロの金属とガラスの加工技術は、すごいの一言に尽きた。試作品はサンリが作った物より格段に良くなっており、前世のメガネに近づいた。


 でも理想にはまだ遠い。目指せるものなら、上を目指したくなるのが人情だ。サンリは何も間違っていない。


「実は改良したいところがたくさんあるの!」


 サンリが身を乗り出して、ソランに詰め寄った。


「分かりました。今メモを取るので、しばしお待ちを」


 鼻当てがない、テンプルが折りたためない等々、サンリは次々とメガネの改良点をあげていった。その都度ソランは丁寧に改良点を書き留めていく。


 全て終わる頃には、カフェテリア内の人影はまばらになっていた。カフェテリア中央の修羅場もとっくの昔に終わっていた。


 ソランがメモした改善案を持ち帰り、サンリは次の試作品が今から楽しみだった。別れ際にメガネを外すソランを見て、前回のようにサンリはしばらく悶絶していた。



 それから三カ月後。


「まさかあんたも転生者だったとはね!」

「その言葉、私からもそっくりそのままお返しいたしますわ!」


 カフェテリアの中央では、恒例行事の修羅場が催されている。


 一方でサンリとソランが囲むカフェテリアのテーブルの上には、いくつかのメガネの試作品と、飲み物が置かれていた。サンリが試作品を確認するのは、かれこれ通算五度目だ。


 サンリがぐにゃぐにゃのメガネもどきをソランに渡して以降、二人は教室で挨拶を交わすようになり、メガネ以外の他愛のない話をすることもあった。


 ここで話は変わるが、サンリはそれなりにモテる。モブ感が否めなくても、公爵令嬢は公爵令嬢だ。お近づきになりたいと思っている令息は多くいる。


 でもソランがサンリと仲良くしようとも、他の令息達から横やりが入ることは全く無かった。ソランには実家が経営する国一番の商会という後ろ盾がある。もしソランの邪魔をしようものなら、後が怖い。怖すぎる。


 こんな理由から横やりは入らず、普段はほのぼのとしたサンリとソランの二人の時間。だが今日のサンリとソランは難しい顔で、テーブルの上を眺めていた。


「貴方の言葉を正確に伝えているつもりなのですが、上手く伝わっていないのかもしれません」

「これ以上何て言えばいいの?」


 テーブルの上に並べられたメガネの試作品は、記憶の中の前世のメガネとは微妙に違う。言葉にできないが、何かが違うのだ。サンリはメガネに妥協したくない。


 テーブルから顔を上げたソランが、サンリにある提案をしてきた。


「いっそうちの商会に来るのはどうでしょうか? 職人達と直接やりとりした方が、貴方の理想に近付けられるはずです」


 確かにソランが言う通り職人に直接会えば、言葉にできないニュアンスも伝えられるかもしれない。


「次の休日は何か予定がありますか?」

「何もないよ」


 サンリは次の休日にベラップ商会を訪問することが決まった。これにてメガネの製作に関する話は一段落だ。


 正面に座るソランを見つめて、飲み物を飲みながらサンリが尋ねた。


「そういえば私と約束がある時は、貴方は毎回メガネね」


 今もソランは試作品のメガネをかけている。最高すぎて心がふわふわするのは相変わらずだったが、サンリは最近ソランを直視できるぐらいに慣れてきた。ただかけているのは試作品なので、かけ心地はあまり良くないのではないかと、サンリは思う。


「俺がメガネを着けていると、目に見えて貴方が嬉しそうになるので。人に会っただけで嬉しそうにしてもらったことが今まで無かったので、俺はそれが嬉しいんだと思います」

「メガネ抜きにしても、私は貴方と話すのが結構好きよ」


 にこにこし続けるサンリを見ていて、何かに気付いたソランが微かに頬を染めた。ソランが何かに気付いても、サンリは何も気付かないままだった。



 サンリとソランが約束をした休日はすぐに訪れた。


 メガネの打ち合わせではあるものの、遊びに行くような気分でサンリは大いに浮かれていた。前日に着ていく服を悩みに悩み、午後からの外出にも関わらず朝は普段より早く起きてしまった。


 サンリが冷静になって考えてみると、転生して以降、貴族学院以外で外に出掛けたことは数えるほどしかなかった。サンリは時間があれば自室に引きこもって、メガネの試作ばかりしていたからだ。


 それだけの時間をかけておきながら、子供の落書きのようなあのクオリティ……。こんがらがった金属線が大量に転がっていた以前の自室を思い出して、サンリは若干悲しくなった。


 昼食を食べ終えると屋敷を出発する時間になり、ルシカイニー公爵家の馬車に揺られて、サンリは最低限の護衛と共にベラップ商会に到着した。


「ようこそお越しくださいました」


 商店が立ち並ぶ一角の一際大きな建物の前で、サンリはソランに出迎えられた。サンリが出迎えられている横でも、建物の人の出入りは激しく、さすがは国内一の規模を誇る商会だ。


 商会の中へと入る前に、サンリはきょろきょろと周囲の様子が気になってしまう。


「この近辺なら慣れているので案内できます。職人達との打ち合わせが終わったら、俺が案内しましょうか?」


 なんとすばらしいソランからの提案か。しかもメガネ装着中。


「いいの? 迷惑じゃない?」

「迷惑ではありません」


 ならばありがたくお言葉に甘えさせてもらおう。嬉しさを隠しきれないサンリとソランの目が合うと、レンズの向こうの瞳が優しく細められた。


 商会の中に入ってすぐに、職人達と互いに軽く自己紹介をしてから、メガネについての打ち合わせが始まった。打ち合わせは熱い議論となり、時に言葉になっていない議論を交えつつ進んだ。最終的にサンリと職人たちの間で、固い握手が交わされた。


 職人達との打ち合わせは、サンリにとって有意義な時間だった。言葉にならないような微妙なニュアンスでも、職人達は的確にサンリの考えを酌んでくれた。


 この打ち合わせの間、ソランは完全に蚊帳の外だった。熱すぎる熱量についていけなかったのは、言うまでも無い。


 ちなみに熱い議論の背景では、部屋の中に入って来た人々が、何か一言呟いては去っていくことが繰り返されていた。


「ついに若に春が来た……」

「あの令嬢、若にはもったいなくないか……?」


 部屋の人の出入りがやけに多くても、サンリは全く気にしていなかった。メガネ完成の目途が立ったことと、この後のソランによる街案内が楽しみなことの前には、些細な問題だった。


「ソラン様、逃したら大きい魚っす!」

「言われなくても分かっている!」


 ソランが商会の従業員の一人と何か言い合っていることも、些細な問題だった。


 打ち合わせの間中座りっぱなしだったこともあり、外に出たサンリは大きく伸びをした。サンリの横にいるソランは、メガネをかけたままでいる。


 午後の休日の街は買い物客で溢れていた。先程よりも増えている人出に、サンリが目を丸くした。サンリが知っている場所は、屋敷の中と貴族学院がほとんどで、今まではそれ以外を知ろうともしなかった。


「こうして街に出たことは初めてね」


 ぽつりとサンリが呟いた。


「初めてですか?」


 ソランは怪訝そうだ。


 いくら箱入りだったとしても、この歳まで街に出たことがない令嬢はそういるものではない。サンリはルシカイニー公爵家の令嬢だ。公爵令嬢ならもしかしたら? いやそうだとしても、やはり普通ではない。


「時間がある時はいつもメガネを作っていたの」


 サンリが遠い目になる。


「あ……」


 ソランはサンリの一言で全て察したようだ。二人の間に流れる空気は一気に重くなった。


「今日は張り切って、貴方を案内させていただきます」


 沈んだ空気を払拭するためか、ソランがわざとらしく明るい声を出す。護衛には後ろから付いて来てもらい、二人は街の中へと歩き出した。


 西洋風の街並みは、サンリの前世の記憶の中にあるテーマパークのようだった。物心ついてから今まで、異世界に転生してしまったのだと実感することは多々あった。ソランと一緒に歩いていて、サンリは改めてそれを強く感じていた。


 そんな見慣れない街並みの中で、サンリの目を引く店があった。ガラスケース内に積まれたいくつもの茶色い塊は、サンリにとってどこかで見た覚えがあるものだ。


「最近人気のシュークリーム屋です。注文するとその場で、中にクリームを入れてくれます」


 サンリの前世でもそういうお店はあった。もしかしたらサンリ以外にも、この世界には転生者がいるのかもしれない。その誰かはきっとシュークリームが大好きだったのだ。サンリがメガネを求めたように、その誰かもシュークリームを追い求めてきっと。


 サンリは妙に感慨深くシュークリーム屋を見つめていた。


「買って帰って一緒に食べましょうか」

「ええ」


 ソランの提案にサンリは笑顔で頷いた。シュークリームを買った後、一通りの場所を見て回ってから、二人はベラップ商会へと戻った。


 帰ってきたサンリ達は、商会の二階の一室を借りて、買ったシュークリームを食べることになった。用意してもらった紅茶に口を付け、サンリはほっと一息つく。


 慌ただしかった打ち合わせの時とは一転して、部屋に出入りする人は誰もいない。静かな室内でソランと二人で食べるシュークリームは、普段食べるシュークリームの数倍美味しく感じられた。口の中に広がる前世のあの味、でもそれ以上に美味しく感じる理由があるように、サンリには思えた。


 シュークリームを食べ終え、二人で話している内に、迎えの馬車が来る時間になっていた。楽しい時間はいつだってあっという間だ。


 玄関まで見送りに来たソランに、サンリが手を振る。


「また明日」

「はい、また明日」


 はしゃぎすぎて疲れたサンリは、朝早かったこともあり馬車の中で眠ってしまった。


 屋敷に着いてサンリは起こされた。眠っていたサンリは幸せな夢を見ていた。でも夢の内容は全く思い出せない。夢といえば今日のソランとの街歩きは、夢にまで見たメガネ男子とのデートだったのではないかと、サンリは馬車を降りながらふと思った。



 サンリが商会に行った一週間後、ついにメガネが完成したと知らせが入った。お披露目はいつも通りに放課後だ。


 放課後のカフェテリアの中央では。


「わたしは同担拒否なのよ!」

「奇遇ですわね、私もですわ!」


 毎度おなじみ修羅場である。


「早く見せてよ」


 カフェテリアの隅のテーブルでは、もったいぶるソランをサンリが急かしていた。


「今出します」


 ソランが最初に出したのは、オーソドックスなオーバル型のフレームだった。スクエア型、ラウンド型、リムレス、アンダーリム等々と、ソランがメガネを出す度に、サンリの瞳は輝いていく。


 最後にサングラスと鼻付きメガネを出して、ソランがサンリにお披露目するメガネは終了だ。最後の二つはメガネハイに陥っていたサンリの悪乗りの賜物だった。サンリは反省……していない。


「これよ!」


 サンリから満面の笑みがこぼれた。前世と同じメガネだ。念願のメガネがついにこの手に。ここまであまりに長かった。


 本当に長かった。


「メガネ、メガネだよ。うへへへ」


 ニヤニヤしながら、サンリはメガネの縁を愛でている。普通の人なら引きそうな光景でも、ソランは引かなかった。サンリがひとしきり満足するまで、ソランはずっとサンリを優しいまなざしで見守っていた。


 自分の世界に浸っていたサンリは、目の前にソランがいたことを思い出して、はっと顔を上げた。涎を垂らしていなかったか、一応確認する。大丈夫だった。


「では、貴方はこちらのメガネを着けてください。俺の独断と偏見で、貴方に似合いそうなデザインで作ってもらいました」


 テーブルの上に置いていた物とは別のメガネを、ソランはサンリに差し出した。


「私もかけるの?」


 サンリはメガネが好きでも、自分でかけたいわけではなかった。あくまでかけている人を見るのが好きなのだ。


「メガネを流行らせるための宣伝です。公爵令嬢である貴方は、広告塔と言っても過言ではありません」


 なるほどとサンリは納得した。渡されたメガネをかけながら、サンリは何気なく言った。


「二人でメガネだとお揃いみたいね」

「デ、デザインは違いますし、こ、これからメガネを着けている人は、ふ、増えていく予定なので」


 動揺したソランの声が裏返る。


「深い意味は無い。無いのよ」


 何気ない一言で動揺されて、サンリは慌てて声を上げた。



 しばらくしてベラップ商会で新たに売り出されたメガネは、すぐに新しい物好きの貴族の目に留まった。新たなファッションアイテムとして、メガネは貴族社会で徐々に確実に広まることとなった。


 メガネが完成した後も、サンリとソランのカフェテリアでの逢瀬は未だに続いていた。ソランがサンリにメガネの売り上げを報告するためだ。


 ソランから定期的に売り上げを聞くことが、サンリは楽しみになっていた。売り上げが伸びれば、それだけメガネがこの世界に広がっていることを意味している。


 今では著名なデザイナーたちが、メガネのデザインを行うようになった。この世界のメガネの発案者であるサンリに、できることはもう何もない。サンリとソランはもとよりただのクラスメイトだ。売り上げの報告が無ければ、接点ゼロとまではいかないだろうが、接点はがくっと減ってしまう。


 このつながりはいつまで続くのか。いつか終わることを思うと、サンリは少し寂しくなっていた。


「サンリ、後で話がある」


 ある日の夕食の席で、サンリは公爵である父に声をかけられた。サンリが夕食の後に父の執務室に顔を出すと、まどろっこしい前置きなしに本題を切り出された。


「最近ベラップ家の嫡男と仲良くしているだろう?」


 怒られるのかとサンリは一瞬考えた。常識の範囲内で、体裁が悪くなるようなことはしていないはずだ。


「婚約したらどうだ。相手がベラップ商会なら悪くない」


 父が悪くないと言うときは、良いの意味だとサンリは知っている。暗に『逃がすな』と言われているような気もしてきた。サンリが考えすぎていなければの話だが。


「次に会う機会は?」

「明日約束があるよ」

「さっそく聞いてみなさい」


 これはきっと家同士の正式な打診の前に、内々で行う根回しの一環だ。有無を言わせぬ口調で父に言われ、サンリの返事は『はい』以外許されなかった。


 学院の課題を済ませて、寝る支度をした後、ベッドの中でサンリは悩む。父にあそこまで言われれば、ソランに婚約の話を言わないわけにはいかない。


 サンリは公爵家で、ソランは伯爵家だ。家格を考えると断られる可能性はかなり低そうだが、その分断られた場合のダメージが大きい。またダメージが大きくなる理由は、それだけでなかった。


 サンリがソランのことを特別に思っているのは、自分でも薄々分かっていた。だから断られて、今まで通りに過ごせなくなってしまえば、とても辛い。でもいつかは切れてしまう縁ならば、今玉砕するのもありだろうか。


 悶々と考えている内に、サンリはいつの間にか眠っていた。


 翌日の放課後、ちらほらと視界に入るメガネ男子とメガネ女子を見ながら、サンリはうきうきと廊下を歩いていた。今は少しの時間だけでも現実逃避だ。


 メガネを流行らせることには成功した。後はこれが定着するかどうかだが、一部の人には強烈に刺さっているので、ファッションアイテムとして定着するだろう。ソランがそう分析していたので、サンリはあまり心配していない。


 そうだ、ソランだ。今日はソランに言わなければいけないことがある。サンリは考えるだけで緊張が襲ってきた。朝から放課後の今まで、思い出す度に緊張している。


 そうこうしている内に着いたカフェテリアで、サンリは目的の姿を探した。


「「そのメガネは解釈違い!」」

「流行に乗ってメガネを着けただけでどうして!? 待ってくれ! 二人とも!」


 カフェテリアの中央では、今日も元気に修羅場が開催されている。


 サンリは修羅場を気にせず、カフェテリアの端の方にいたソランの元へと向かった。歩くサンリは、何やら動きがぎこちなくなっていく。ソランがいるテーブルの前まで来た頃には、サンリは右手と右足が同時に前に出ていた。


 落ち着くように自分に言い聞かせながら、サンリはソランの向かいの椅子に腰かけた。


「メガネの話の前に大事な話があるの」


 サンリはそう話を切り出した。


「貴方がメガネより大事なことですか? メガネより? 大丈夫ですか?」


 ソランが信じられなさそうに聞き返した。挙句の果てに、サンリの体調を心配してくる始末だ。


 ソランのリアクションが、サンリは不服だった。本音を言えばソランが心配してくれるのは嬉しかったが、それでも不服だった。サンリにとってメガネは何より大事で好きなものだが、もちろん時と場合による。


 いや、ソランにそう思われても仕方ないことを、サンリはしてきたかもしれない。


 ソランの前でサンリは幾度となく、メガネおよびメガネ男子について熱く語った。


 ある時は、ソランにくいっとメガネを上げるようにお願いし、サンリは腰が抜けて立てなくなった。またある時は、ソランのメガネを曇らせるために、サンリはこっそり冷却魔法を放ち続けた。結局最後まで曇らせることは出来ずに、空気を読んだソランが自主的にメガネを曇らせた。


 他にも床に落ちそうになったメガネを死守するために、サンリは躊躇なく床に顔面ダイブした。これはさすがに危ないからとソランに怒られた。


 己の行動を反省したサンリは、少し冷静になった。


「とってもとっても大事な話よ。お父様が言い出したこと、なんだけど……」


 ちらちらとソランの様子をうかがいながら、サンリは口ごもる。


「えっと……その……」


 ソランは何も言わずに、辛抱強くサンリの言葉を待っていた。


「私と貴方が仲良くしているなら、婚約したらどうかってお父様が……」


 ソランは唖然として黙ったままだ。お互いの家の政略としても悪くないよねと、慌ててサンリが付け足した。家柄も含めてアピールできるものはアピールして、断られる可能性を減らそうという魂胆だ。


 前世を含めても、サンリの恋愛経験は多くない。サンリはソランのことが好きだとは言えなかった。言って振られれば、間違いなくサンリは立ち直れない。


 ソランは目を閉じ一度息を吐いてから、目を再び開いた。メガネをかけたソランにじっと見つめられて、サンリの鼓動が自然と早くなる。


「貴方はメガネ男子なら誰でもかっこよく見えると前に言っていました。誰でも良いなら、俺を選んでもらえませんか?」


 メガネさえあれば、誰だってかっこよく見えてしまうのは事実だ。でもソランがメガネをかけている姿が、サンリは一番好きだった。サンリが口を開きかけて。


「俺は貴方のことが好きなので、婚約するなら他の誰よりも貴方が良いです」


 照れを一切表に出さずに、ソランからしれっと衝撃の発言だ。急な展開にサンリの理解は追いつかない。しばらくして理解が追いついたサンリは、なんとか声を出した。


「へ? え? よ、よろしくお願いします…………。私も貴方が一番良いから……」


 ぷしゅーと音が出そうなほどに真っ赤になったサンリにつられて、ソランの顔も赤くなった。



 その後公爵令嬢であるサンリを狙って、派手にふられた修羅場王子から横やりが入ったものの、サンリとソランの婚約は無事に成立した。

メガネはざまあを阻止しました。

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