8話 頑張って下さいませ
ジルベールの義父母は、息子がマリエッタと結婚すると同時に、郊外の別邸へ引っ越した。
ただ、公務や政務を全て息子夫婦に丸投げした訳ではなく、半分だけ隠居する形にし、本邸は新婚の息子に明け渡したのである。
その別邸に行った義母が久々に来訪した時に、ポロッと愚痴を溢したのだ。
「急かしちゃダメなのは分かっているのだけど……孫の顔が早く見たいわ」
「コラコラ、それはジルベール達に……自然に任せるしかないだろう」
夫である侯爵家当主が、妻をやんわりと諫めた。
こればかりは、急かしてはダメだと知っているからだ。
「マリエッタちゃん。今度、ジルベールとダイナにある温泉に行ったらどうかしら? あそこに仲良く入ると子宝に恵まれるらしいの」
「マリエッタちゃん。この果物を食べると子供が出来やすいんですってよ?」
「仲違いして……る訳ではないのよね?」
「あぁ。早く孫の顔が見たいわ」
だが、孫の顔が見たい義母は、話しを聞いてはいなかった。
悪気がないから余計にタチが悪い。これが本当の新妻なら、プレッシャーで押し潰された事だろう。しかし、マリエッタは偽物なので、右から左だ。
なにせ、この結婚が白いモノだと知っているのは、当人達だけな訳だから、子供の出来ない事を知っているし、それを考えるのはマリエッタの仕事ではない。
むしろ、何もしてないのに、妊娠の兆候があったら逆に恐怖である。妖精さんの仕業で済む話ではないだろう。
だが、義母はそんな契約を結んだ結婚なんて知らない。だから、いつまでも気配がなければ必然的にそうなる訳で。
マリエッタの両親は一応配慮してあまり言わないが、跡目が欲しい侯爵家からはちょくちょくせっつかれていたのだ。
「えぇ、えぇ、分かっております。"毎夜" の様に励んでいるのですが……ねぇ?」
マリエッタは同意を求める様に、旦那〈仮〉の顔を覗いた。
勿論、毎夜の様に励んでいる相手は私ではない。愛人様達である。どうして出来ませんの? とマリエッタは強い思いと圧力という名の視線を向ける。
「え? あ、あぁ?」
そんな視線を向けるなと云わんばかりに、顔を大きく逸らしたジルベール。
仮とはいえ "妻"に、愛人と早く子供を作れと圧力をかけられる日が来るとは思わなかった。
結婚後に万が一でも彼女が、自分に惚れた時どう対処して避けるか……そんな事を考えていた時間が、アホらしく思える。
「まぁ、毎夜!? ジル。少しはマリエッタちゃんの事も考えて! 身体を酷使しすぎても良くないのよ!?」
確かに急かしたのは自分だが、そんな話を聞きたかった訳ではないのだ。
シレッと夜の事を語った義理の娘マリエッタに、義母の方が頬を赤らませていた。
まさかそれが、妻マリエッタの話ではないとは思わない侯爵夫人〈お義母様〉は、堪らず息子のジルベールを叱った。
「え、あ、すみません?」
マリエッタの身体を酷使した覚え等1ミリもないが、謝罪するしかないので色々な意味を含ませ苦笑していた。
まさか、妻とは形式上なので、結婚式以外では口付けさえもしていません、とは言えない。
「まぁ、若いのだから仕方がない」
「そういう問題ではありません!!」
義父の侯爵が場を和ませる為、適当に笑えば、夫人にピシャリと切られていた。
「とにかく、いいわねジルベール。程々に!」
「はぁ」
作れだの程々にだの実母に次々と言われれば、ジルベールはもう笑うしかなかったであった。
◆*◆
「という事で、旦那様。今宵も子作りに励んで来て下さい」
ジルベールの両親が帰って早々、マリエッタが眩しい笑顔でそう言った。
仮でも何でも、妻にである。実に奇妙でオカシイ。
「あのねぇ、キミ」
「子供を作る気はありますのでしょう?」
「うん? まぁ」
「強壮剤でも媚薬でも何でもお使いになられて、どんどん子作りに励んで下さいませ」
「強壮……媚薬ってキミ」
ジルベールはその訳の分からない迫力に、タジタジである。
飾りでイイと言ったのは自分だが、親にも妻にも子を迫られる羽目になるとは。
そんな会話を初めて目の前で聞いた執事長、侍女頭を含め使用人は唖然呆然だ。
皆は主に愛人がいるのは当然知ってる。日々隠す事に心を痛めながらも、マリエッタにはバレない様に細心の注意を払っていた。なのに、配慮していた彼女が、初めから知っていたからである。
「あの、奥様……」
侍女頭のアリアが、恐る恐る訊ねた。
「何かしら?」
「ジルベール様に、その……あ、愛人が」
「えぇ、勿論知ってますわ」
「「「……っ!!」」」
マリエッタが満面の笑みで答えれば、執事長以下全員は驚愕し、床に膝を折り始めていた。
「「「今まで謀る様な真似をした事、深くお詫び申し上げます!!」」」
使用人達全員がマリエッタに深く陳謝していた。
マリエッタのためにと思い、使用人達は口裏を合わせ愛人の存在を隠し黙っていたのだ。
いくら彼女のためとは云え、謀っていた事は変わりないと皆は謝罪していた。
「まぁ皆様、顔を上げて下さい。謝るのは私の方だわ。初めから偽装結婚だったんだもの、ゴメンナサイ」
頭を下げ続ける皆に、マリエッタも頭を下げた。
使用人達にそんな気苦労を掛けるくらいなら、初めから偽装結婚だと言っておけば良かったと謝罪したのだ。
「「「え!?」」」
そんな事になっていたと知らない使用人達は、驚愕していた。
そんな馬鹿な契約が交わされたなんて、寝耳に水だったのだ。
「旦那様は愛人達とズンドコやりたい。私は結婚に興味がない。利害が一致致しましたので、この茶番の様な結婚を承諾致しましたの」
マリエッタはもう隠し事はやめようと、全て包み隠さず事情を話した。
騙していたのはお互い様であると。
「「「ズン……ドコ」」」
そんなマリエッタの事情より、マリエッタの言い方しか頭に入らない一同。
可愛らしい顔から、そんな堂々とそんな事を言って欲しくなかったのである。
この日からしばらく、皆の頭には"ズンドコ" という言葉が離れなかっあたのだった。