6話 トムの誤算 〈sideトム〉
あの、マリエッタが結婚した。
それも、侯爵家の長子と。
トムは、愕然としていた。
マリエッタは自分の事が好きな筈。婚約を破棄されて泣き暮らし、挙句に過食になる程に自分を好きだった筈だろう?
なのに、結婚だと?
ガリガリで貧相だったマリエッタが、今度は太ったと聞いた時は、そんなになる程に自分の事が好きなのかと、笑いが止まらない程に優越感を感じた。
そこまで好きなら、愛人くらいにしてやらなくもない。
慰謝料を払うハメになったが、援助金をくれるなら抱いてやらない事もない。そんな事すら考えていたのに、結婚。
トムは愕然としたのである。
だが、それもしばらくすれば、憐れだと鼻で笑っていた。
どういう縁か分からないが、ジルベール殿は慈善事業か同情、或いはデブ専だろうと思い始めたのだ。
マリエッタも、他に結婚相手も見つからずやっと見つかったので、侯爵の息子がどんなヤツだとしても、仕方がないと諦めて決めた結婚なのだろうと。
周りに聞けば、女癖の悪い侯爵家の長子というではないか。
どうせ他に女がいるに違いない。マリエッタは憐れで悲しい女なのだ。
なら、今度会った時にでも慰めてやれば、すぐに絆され金を貢いでくれるだろう。それも、侯爵家という後ろ盾まで出来るのだ。
上層貴族も紹介して貰い顧客に出来れば、口煩い父も黙るに違いない。
トムは、マリエッタの結婚式の後、披露宴でコッソリとミリーの事を謝ってやろうと考えていた。
そして、自分のせいで好きでもない男との結婚を、盛大に憐んで慰めてやろう。なんなら、ミリーに騙されたと涙を演出してもイイ。
そうすれば、自分を好きなマリエッタはコロッと騙されて、縋るに違いない。
だが、トムはミリーと末席に座ると、口が開いたままだった。
初めて入った大聖堂が、想像以上に煌びやかで口が塞がらなかったのだ。
自分とは比べる自体がおこがましい程の盛大な結婚式。噂でしか聞いた事のない上層階級の貴族達。主席の近くには、パレードでしか見た事のなかった王族がいるではないか。
トムは自分との格の違いに、震えてしまっていた。
賓客や絢爛豪華な大聖堂に圧巻していると、幻想的なパイプオルガンの音色が流れ始めた。
結婚式の主役の登場である。
見知った男性の腕に引かれ、新郎に向う女性。
それは、マリエッタの筈だった。
だが、スラリとした装いに、マリエッタではなく別人じゃないかと嘲笑う。なんだあの招待状の名前は嘘だったのかと。
ジルベールの相手がマリエッタでなければ、トムは呼ばれる事もないのだが、それすら頭に浮かばなかったのだ。
「マ、マリエッタ?」
しかし、純白のドレスを纏った女性がバージンロードを通った時、ふわりとベールが揺れれば、見知った顔がチラッと見え、トムは息が止まった。
マリエッタだが、自分の知っている姿ではなかったのだ。
バージンロードを父親に引かれ、優雅に歩くその女性は、ガリガリでもデブでもない。胸もふっくらしていて、ウエストはキュッと細かった。
背は相変わらず低いが、その小さな背さえ可愛らしく見える。まさに、天から舞い降りた可憐な天使の様だ。
顔を確認しようにも、ベールで表情すら見えなかったが、それがまた神秘的で美しい。トムの心は一瞬にして奪われていた。
誓いの言葉で新婦のベールが捲られると、周りからはさらに感嘆の声が上がったのが、惚けたトムの耳にも聞こえる。
美しい。
ただただ、その一言に尽きる。
すっかり健康的な身体を取り戻したマリエッタは、元より整っていた顔がさらに磨きかかって見えた。
いつも卑屈で大人しかった彼女はいない。そこに立つ女性は凛としていて、自信に溢れ神々しささえ感じる。
トムが嫌っていた薄い青い顔も、今は程よく血色が良い。ジルベールに何か話し掛けられ、頬を赤く染めた姿には心がときめいた。
あれは俺の知るマリエッタな訳がないと、頭に言い聞かせながらも、自分の知る彼女の面影に心が震えた。
あの女は、俺の物なのに!! と。
あんな風になるのだったら、ミリーなんかに現を抜かさなかったのに。
どうして、自分に振られたアイツが、あんなに綺麗に輝いているんだ。
どうして自分が隣にいないんだ。
トムは拳を強く握っていた。
自分が婚約者だった時に、しっかり磨いてくれればフラなかったのに……!
泣き暮らしていた筈のマリエッタが、微笑んでいるのかさえ納得出来なかった。
トムはあまりの悔しさに目を逸らし、反対側の客席を見れば、一緒になってマリエッタを馬鹿にしていた元友人達が、惚けているではないか。
アイツ等も招待されていたのかと、舌打ちしかけたが、その表情に胸がチリついた。
マリエッタを捨てなければ、驚愕したアイツ等の姿を見るのは、参列者の席なんかではなく、新郎の席からだった筈。
ガリだ不細工だと罵っていた奴らに、ひと泡を吹かせてやれたのだ。
お前等が馬鹿にしていたマリエッタは、こんなにも美しいのに、お前等は見る目がなかった。残念だったなと鼻で笑い返せたのである。
だが、その機会を、永遠に失ってしまった。
「……クソッ!」
思わずトムは、口から舌打ちが漏れていた。
マリエッタがあんなに綺麗になるのなら、こんな女とーー。
トムはそう思い、隣にいる妻ミリーを見て、今度は違う意味で驚愕した。
マリエッタを見るミリーの顔は、妬みや嫉みで溢れ、酷く歪んでいたのだ。
トムが今まで見た事もない形相で、主役のマリエッタを睨んでいる。その姿は、今まさに殺さんとする鋭い目付き。口元は、ギリギリと噛み締め血が滲んでいる。
怒りか妬みか、小刻みに震える身体。その全てが、トムには酷く醜く見えた。
この時、やっとトムは悟ったのである。
自分は選択を……誤ったのだと。