5話 手に入れたかった場所には…〈sideミリー〉
「は? マリエッタの結婚式!?」
ウルフル伯爵家に届いた1つの手紙により、屋敷中が騒めいた。
それは、トム=ウルフルの元婚約者、マリエッタ=ホールデンの結婚式の招待状だった。
あのデブが!? 結婚!?
ミリーは驚愕していた。
ガリだとトムに振られて、今度は異様に丸くなったマリエッタが、まさか結婚出来るなんて思わなかったのだ。
相手はどこの奇特な人? 爵位は? 顔は?
ミリーはトムから奪うように、その招待状に目を通した。
結婚する旨や良くある招待の言葉は、ミリーの目には微塵も入らなかった。
ただただ、"マリエッタが結婚する"その文字しか目に入らなかったのである。
ミリーはドクドクと早鐘を打つ心臓を押さえ、相手は何処の誰か、それだけを目で探していた。
婚約を破棄した女なのだから、相手の身分は低いハズ。
いや、身分は高くても後妻か妾。あるいは、名も知らない商家だろう。
冷静に考えれば、マリエッタの母がそんな相手を見繕う訳がないのに、ミリーはそうあって欲しいそうでなければオカシイと、招待状を食い入る様に見ていた。
だが、真っ先に目に飛び込んで来た名前に息が止まる。
【ジルベール=ルーベンス】
その文字を見つけ、ミリーの身体には雷にでも打たれた様な衝撃が走った。嫌な位に頭や心臓がキリキリと締め付けてきた。
ミリーの知るジルベールとは、高嶺の花、雲の上の人、王族に続いて憧れる存在だったのだ。
見る者を魅了する美貌の人。ミリーは過去に幾度となく夜会で見かけたものの、他の女性に阻まれ近寄れもしなかった人だ。
いつも、遠巻きで見ているしか出来なかった憧れの人。
そのジルベールの事だとは、どうしても信じられなかった。いや、絶対に信じたくなかった。
「はぁぁぁぁーーっ!?」
ミリーは頭では『同名の誰かか、書き損じだ。落ち着け』と言い聞かせていた。
だが、こんな大事な招待状を間違える筈はないし、封蝋にも厳かな家紋が押されている。偽物を使う意味はないのだから、本物だ。
そして、なにより……自分が長年憧れている男性の名を、見間違える訳はない。
痛くなる胸を押さえ、何度も何度も招待状を舐める様に読んだ。
しかし、目が乾くくらいに目を通しても、気のせいでも見間違いでもなく、"ジルベール=ルーベンス"と書いてあった。
ジルベール=ルーベンスはあり得ない。
あり得ない!!
絶対にあり得ない!!
ミリーは頭の中で叫んでいた。
ジルベール=ルーベンスって、あのジルベール=ルーベンス!?
嘘よ!! ウソ!! 絶対に嘘だわ!!
あの女性憧れのジルベールの訳がない。
だって、デブリッタの相手よ!? 似た名前のブッサイクな男でしょ!? そうじゃなきゃオカシイわ!!
ミリーは震える手を必死に押さえながら、どこかおかしな所はないか、見間違いはないかと、再び招待状の隅々まで見た。
だが、いくら読んでも、否定する言葉は書かれていなかったのだ。
むしろ、読めば読む程に確信させられるばかりで、頭が沸騰しそうなくらいに熱くなり苛ついてくるだけ。
何故、あの女は常に自分の上をウロチョロするのか。
何故、落ちないのか。
何故、運まであの女を味方にするのか。
ミリーの口の中は悔しさと妬みで、血が滲み始めていた。
招待状に書かれている事を信じたくないミリーは、自分が今やマリエッタの家での立場など何もないのに、本人や家族にこの招待状の真偽を本人に確かめたかった。
だが、当然、以前の様に先触れもなくマリエッタの家には入れなかったし、先触れを出した所で本人に会う事は出来る筈もない。
怒りで周りが見えていないミリーは、何故自分が中に入れないのかすら理解出来なかったのであった。
「アイツが結婚かよ」
その隣では、トムが愕然としている。
自分に振られたショックで過食になったと、噂で聞いていた。
だから、マリエッタはまだ自分の事が好きなのだと、ずっと思っていたのだ。ミリーと結婚しようが、マリエッタは自分の事を好きでいるだろうと、勝手に思い込んでいた。
……なのに、結婚。
しかも、相手は雲の上の存在、侯爵家の長子である。
だが、この時のトムはまだ、都合の良い解釈をしていた。
きっとアイツは自分を忘れるために、仕方なく結婚するのだ。可哀想な事をした。貰われる方もデブで可愛くもない女で、哀れな男だと。
「とにかく、お前達。その結婚式に出席して、色々な人に我が家の事を知って貰って来るんだ」
ウルフル伯爵は興奮した様子で言った。
正直言えば、息子のせいで苦渋を飲まされたあのホールデン家からの招待状など、無視したい。
だが、この結婚式で、あんな事があったもののホールデン家とは、今も良好な関係でいるのだと、皆に知らせる良い機会だと考えた。
そして、マリエッタの嫁ぐ侯爵家は勿論、その周りとのツテまで出来る可能性すらある。それは、商売をするウルフル家にとって、またとない好機であった。
呼んだのはアチラなのだから、それを最大限利用してやるのだと、解釈を変えれば、苦渋を飲まされた過去などないに等しい。
事実、そんな事を気にしている程、家の経営状況は芳しくなかったのである。
「どうせ、噂は噂。皆が言う程の男じゃないに決まってる。それにあのデブリッタが笑われるなんて見ものだわ」
遠くからでしか見た事のないミリーは、ジルベールが本当は不細工なのだと、自分に言い聞かせていた。
周りの女性が大袈裟に吹聴し、知らずと尾ヒレ背ビレが沢山くっ付いて、あんな噂になったのだと。
万が一噂の美丈夫だったとしても、隣にはあのデブリッタだ。イイ見せ物になるに違いないと、考えを変えほくそ笑んでいた。
「アイツは俺が忘れられなくて、あんな男に引っ掛かったんだ。デブがイイ笑いモノになって可哀想に」
一方でトムは自分が捨てたせいで可哀想にと、あくまでも高みの見物気分で行く事にしていた。
ーーこの時。
ウルフル伯爵が「顔を覚えてもらい、次の仕事に繋げろ」と強く言っている事など、自分達の事しか頭にない2人の耳には、一切入っていなかったのである。
◆*◆
ーーそれから、数ヶ月後。
マリエッタとジルベールの結婚式となった。
2人の結婚式は、豪華絢爛で王族に勝るとも劣らない程に盛大だ。
それもそうである。ルーベンス家は侯爵家でも、四大侯爵と掲げられる家なのだ。
遡れば王家の血筋が混じる侯爵家長子の結婚式は、王族にも使われてる大聖堂で厳かに行われた。
マリエッタが断らなかったら、王族同様に馬車で街を周るお披露目もあったと言われているくらいだ。
その結婚式の最後尾で参列していたミリーは、愕然、呆然とする。
あのマリエッタが、こんな豪華な結婚式をするなんて、信じられなかったのだ。
王族が使う大聖堂。天井や壁には煌びやかなステンドグラスや壁画。入場にはパイプオルガンによる厳かな生演奏。
大司教による誓約。美貌のパートナーや爵位の高い参列者達。
どれ一つを取っても、王族と並ぶくらいに最上であり、全てが最高級品である。
感動か怒りか、はたまた嘆きか分からない。しかし、ミリーの身体は自然と、小刻みに震えていた。
ミリーの憧れた世界が、目の前にある。
だが、その舞台に立っているのは自分でない。
トムに振られ、惨めに泣いて走り去った、あの……マリエッタが手に入れたのだ。
ミリーは自分との圧倒的な差に、愕然とし唇を噛み締めていた。
許せない。
許せない!
許せない!!
自分より劣るあの女が、こんな豪華な結婚式を挙げるなんて、ミリーは絶対に許せなかった。
しかも、相手はあの女性の憧れ、ジルベール=ルーベンスである。
ミリーの矜持は木っ端微塵である。
だが、僅かに優越感が残っていたミリーは、震える身体を自ら抱き締めて口端を上げた。
そうだ。マリエッタはデブリエッタだ。
あのマリエッタは、こんな大勢の人達の前で恥をかくのだ……と。
見目麗しい参列者の前にあのデブリッタが現れれば、さぞかし嗤われるに違いない。
ジルベールとしても、その現状を目の当たりにすれば、やはりマリエッタと結婚なんてない、と破談になるだろう。
そこを、自分がマリエッタの友人として近付き、慰めて後妻という可能性も……ゼロではない。
ミリーはさらに口角を上げ、睨む様にマリエッタの入場を待っていた。
来なさい、デブリッタ。
早く来なさい。デブリッタ!!
そう願っていると、大聖堂の重厚な扉がゆっくりと開いた。
さぁ、皆、笑いなさい!!
マリエッタの滑稽な姿を見て、盛大に笑いなさい!!
ミリーの顔が、歪みに歪んだその瞬間。
感嘆の声が聞こえ漏れていた。
どういう事?
何故、笑わないの!?
笑いなさいよ!!
ミリーがそう思って顔を上げた瞬間、驚愕の表情で固まってしまった。
大聖堂に、ホールデン伯爵と入場して来たマリエッタはーー。
ミリーが見た事もない様な、華やかなデザインのドレスを着こなした可憐で美しい美少女に変わっていたのだ。
身体はスラリと細かったが、決して以前の様に痩せてはおらず、胸やお尻にはしっかりと肉もあり、女性らしい優しい丸みがあった。
ガリガリでもデブでもない。誰もが息を飲み、羨む様な美しく愛らしい女性が、そこにいたのだ。
背は低く変わりはない様だったが、スラリと背の高いジルベールと並ぶと、庇護欲を唆る様な可憐で可愛らしい女性に見えた。
皆の見守る中「誓います」と言った声さえも、緊張感が相まって愛らしく聞こえる。
ミリーは余りの衝撃に目眩がし、足はガクガク震え、立っていられなくなってしまった。
馬鹿にしていたマリエッタが、自分の知っているマリエッタとは全く違うのだ。
それが、醜く変化を遂げたのなら、手を叩いて笑ってやっただろう。
だが、彼女はまるで毛虫から羽化した蝶の様に、煌びやかで華やかな女性に変わっていた。
その身に纏ったウェディングドレスは、マリエッタに合わせて作られた最新のデザイン。頭には、キラキラと輝くダイヤモンドが、数え切れないくらいに散りばめられたティアラが乗っていた。
痩せて細くなった華奢な首には、遠くからも見えるくらいの煌びやかで大粒のサファイアと、ダイヤモンドのネックレス。
誰もが目を奪われた美貌のパートナーから指に填めて貰ったのは、稀少なブルーダイヤモンドの結婚指輪。
ーー悔しい。
ーー悔しい!
ーー悔しい!!
自分がずっと手に入れたかった世界を、その全てを……あのマリエッタが手にしている。
ミリーはギリギリと無意識に拳を握り、唇はさらに深く噛んでいた。
長く伸ばした爪が手のひらに刺さっても、その手は決して緩む事はなかった。
あの女より、この私が劣る訳がない。
劣るハズがない!
劣ってはいけないのだ。
ーーなのに。
あの女は、自分がずっと欲しくて欲しくて堪らなかった世界を、すんなりと手に入れた。
ミリーは、今初めてーー。
ーーマリエッタは死ねば良かったのにと、思った。
【お知らせ】
改稿をしつつ、最後まで、頑張って執筆する所存なので、ゆったりとお待ち下さいませ。
( ´ ▽ ` )