13話 愛人との対立…?
侯爵家の敷地は実に広大だ。
本邸の他に、愛人がいる別邸。その他にも客人用の別邸が2つ程あるらしい。
これ程までに広大なのには色々と理由がある。
まず第一に、ルーベンス侯爵家は代々王家に仕えていて、信頼も厚い。第二にその伝手をフル活用出来る上に、領地経営が上手いのだ。
そして、一番の理由。
それは、ルーベンス家は血を遠く遡ると王家の血が入っているらしく、その名残りが多々あるとか。
だが、これだけ人の住まない別邸があると、維持費が高い。なので、何回か別邸を取り潰す事も視野に入れていたのだが、歴史ある屋敷で価値や評価が高く、個人で好き勝手に壊せないとか。
なら、国が管理及び費用を出して欲しいと、ボヤく侯爵家の声が聞こえそうだった。
「こんにちは」
愛人宅を訪ねたら、良く知る侍女が驚いた表情で固まっていた。
まさか、正妻であるマリエッタが愛人宅に来る未来を、想像した事もなかったのだろう。
口を開けたまま固まる侍女を横目に、マリエッタは普段と変わらず笑顔で訊いた。
「ジルベール様の愛人様は、今どちらに?」
いないのであれば、侍女は本邸に集結しているハズ。
だが、ここに数人いるのだから、世話をする愛人がいる証拠だ。ならば、どこにいるのかと訪ねたのである。
そんな事を聞いてどうするのですか? と言いたかった侍女だったが、マリエッタの半歩後ろに控えているシュマ達に目配せされ押し黙った。
「ひ、東側のテラスでお茶を……」
「そう。ありがとうナナリー」
いる場所を聞いたマリエッタは、ニコリと笑ってお礼を言った。
唖然呆然の侍女ナナリー。一体どういう事だと、マリエッタが連れた同僚を見たが、苦笑いされ首を横に振られた。
彼女達もマリエッタの意図は分からないのだ。
だが、形が歪とはいえ、妻VS愛人である。はたから見れば面白い案件ではあるが、侍女達には他人事ではない。
どうなってしまうのか、内心ヒヤヒヤしていた。
マリエッタがテラスに着けば、愛人Aは紅茶を飲みながら寛いでいた。
ふわふわロングの金髪、ジルベールよりいくつか年上に見えたが、とても綺麗な女性である。
この方は、何番目の愛人なのかしら? とマリエッタはボンヤリ考えながら歩み寄った。
「こんにちは」
「え?」
「お初にお目にかかります。ジルベールの妻マリエッタ=ルーベンスですわ」
「……っ!?」
マリエッタが満面の笑みを浮かべ、スカートの裾を持ち上げて挨拶をすれば、愛人Aは目を見張り絶句した。
人間って、驚き過ぎると固まるって本当の様だ。
「マ、マリエッタ=ルーベンス。え、あ、ジルベールの奥様!!」
愛人はガチャンと落とす様にティーカップをテーブルに置き、反射的に立ち上がっていた。
「名前を教えて頂けますか?」
それを気にもしないマリエッタは、向かいに座り侍女に紅茶を淹れ直す様に視線を促した。
「え? あ、名前?」
「えぇ、旦那様。私が把握出来ないくらい愛人をお持ちなので、教えて頂けますか?」
何と呼べば良いのか分かりませんし、とマリエッタ。
アンナで宜しければ、そう勝手に呼びますけどと付け加える。
正直言って、これから他の愛人にも会う予定だし、興味があまりないので聞いても覚えられるか自信がない。
「サリーよ」
愛人サリーはぶっきらぼうに答えた。
マリエッタにその気はないのだろうが、愛人からしたらマリエッタの笑みは余裕があり過ぎて気分が悪いのだ。
だが、舐められたくはない。自分の方がジルベールに愛されているのだと強気である。
「サリー。何処のサリーさんなのでしょう?」
「うるさいわね」
「侯爵家より上でしたら、さすがの私も顔は知っておりますもの。下でしたら、名乗れば色々と問題が起きますわよね?」
ジルベールが愛人に選ぶのであれば、後腐れなく面倒のない人だろう。
となれば、平民だとしても身元がハッキリしていて、遊びと本気をある程度分かる人物となる。彼女は雰囲気が平民とは違った。
なのに、名前だけ名乗るのだから、家名は伏せたいのだろうなと思い、マリエッタはのんびり侍女の淹れてくれた紅茶を一口飲んだ。
「な、脅す気!?」
マリエッタの言動が、脅しだと判断した愛人サリーはテーブルを拳で叩いた。
マリエッタにその気がなくても、上下関係を口にしたのだから当然としてそう思ったのだ。
いくら侯爵家当主のジルベールが許そうが、妻マリエッタが口や手を挟めば無傷では済まない。
愛されていなかろうと、マリエッタは事実ジルベールの妻なのだ。
「脅し? いいえ、そんなつもりは一切ございません。それに脅しなら、人を使ってもっと姑息にやりますわよ。これはただの事実確認みたいなモノですわ」
「……っ!!」
愛人サリーの額に嫌な汗が流れた。
ジルベールの話では、自分に興味はなく愛人を容認してくれる女だと言っていた。おまけに、ちょっとポヤッとした人だから、安心してイイと言われていたのだ。
だから、絶対にココに来る事もないと思っていたし、これからもないと思っていた。なのに、出向いて来るなんて想定外だ。
全然、話と違う女ではないか。どこが、ポヤッとしているのだと愛人サリーは内心ジルベールに文句を言っていた。
「今後のご予定をお聞かせ願えればと、思いまして」
「は? 今後の予定?」
「ジルベール様との子供はいつ、作るおつもりなのでしょうか?」
「……」
愛人サリー、絶句である。
てっきり出て行けとか、2度と夫に会うなとか、そう言う言葉を想像していたのだ。
だから、鼻であしらってやろうと構えていた。なのに、まさかの"子供"である。
何処の世界に、愛人に子供を作れと言う妻がいるのか。いや、ココにいた。
侍女達は、もう無心を貫いていた。
マリエッタの言動にいちいち驚いていたら、心臓が保たない。
「こ、子供!?」
愛人サリーの目は、先程から開きっぱなしである。
「だって……貴女はココで、旦那様と子作りするためにいらっしゃっているのでしょう?」
「「「……」」」
またしても全員、絶句である。
赤裸々、あからさま、馬鹿正直。どの言葉を当てはめれば良いのか。
しかし、どれもハマりそうで当て嵌まらない気もする。
「旦那様との子作り計画はどうなっていますか?」
「…………こ、子作り……け、計画……」
愛人サリーは、絶句を通り越して唖然である。
浮気相手の妻に、子作り計画を聞かれる日が来るとは思わなかった。
だが、唖然呆然としている愛人そっちのけで、マリエッタは話を続けた。
「義母から、そろそろと言われていますの。ですので、真面目に考えて頂けると嬉しいのですが」
「あ、貴女、例えば私に子供が出来て、愛人の子供を後継ぎとして育てられるの!?」
愛人サリーは思わず立ち上がってしまった。
自分がマリエッタの立場なら、絶対に有り得ない。愛人も容認出来ないのに、その女と夫の子供なんて、育てる云々以前に存在を許せない。
自分の事は棚上げだが、愛人なんて矜持が許せないのだ。
「はい」
なのに、マリエッタはニコリと笑って頷いたのである。
「はぁぁァァァァーーッ!?」
愛人サリーは、絶叫にも似た声を上げてしまっていた。
妻としての矜持からの嘘だとしても、そんな良い笑顔では言えない。
自分だったら、嘘でも言えないし、まして笑顔なんて出来ない。目の前にいる愛人の首を絞めるだろう。
「サリー様はお綺麗ですから、ジルベール様との子は美形が生まれるでしょうねぇ?」
暢気にマリエッタは、ニコニコと愛人サリーを見ていた。
きっと可愛らしい子供に違いないと。それはもう嬉しそうにである。
「ば、馬鹿じゃ……馬鹿じゃないの!?」
愛人サリーがやっと反論出来たのは、たったその一言であった。
この笑顔に偽りは感じられない。
ならば、完全敗北な様な気がしてならない。
いや、もう反撃しようと考えていたサリーの心は、出鼻からポッキリと折られてしまった。戦う気力が沸かなかったのである。
自分の存在を許容しているマリエッタに何を言っても、勝てる気がしない。愛人そのものを容認し、しかもその間に子供が生まれたら、その存在さえも受け入れるつもりでいるのだ。
何をどう反論していいのかが、分からない。サリーからしたら、彼女はまさに聖母の様だった。
絶対に勝てる気がしない。
心がそう感じてしまえば、反撃の狼煙なんて上がらなかった。
嫌味なんて言った所で、マリエッタは瞬時に吸収して笑顔で消し去るだろう。そうなれば、こちらが疲れるだけである。
「"ルーベンス侯爵"に頂いた宝石類は、貴女との結婚前の物がほとんどだから返さないわよ」
「え? えぇ? どうぞ?」
「はぁ……貴女と彼が結婚したのが、ちょうど潮時だったのかもしれないわね。もう、2度とココになんて来ないから安心して」
愛人サリーは立ち上がり、頭を抑える様に部屋に戻って行った。
簡単な荷物を纏めるのだろう。
しかし、急な展開でマリエッタの頭はハテナが付いていた。
何故、出て行く話になってしまったのだろうか。
「え? 2度と? え、子供は?」
全く理解出来ていないマリエッタは、部屋に戻る愛人サリーの背に疑問をぶつけた。
「作らないわよ!!」
愛人サリーは一瞬振り返ると、何故か声を荒げてマリエッタに言ったのだった。
「……」
マリエッタは怒鳴られた原因が分からず、しばらく呆然としていたが、まぁ良いかとテーブルの片付けを始めていた。
侍女達は、慌てて片付け作業を交代する様に促しながら、愛人の1人であるサリーがマリエッタに追い出され、顔を見合わせ笑っていた。
マリエッタはそんなつもりはないのだろうが、侍女達は愛人を良く思っていなかった。
なので、いなくなりもの凄く気分が良かったのである。
醜い言い争いにでもなったら、なんて少しでも考えていた自分達が恥ずかしかった。おっとりしたマリエッタが、言い争いなどする訳がないのだ。
侍女達は、この事により、ますますマリエッタの株を上げ慕う様になったのであった。




