異世界
「――ふむ……魔力が著しく低下している……のですか」
萌恵の様子から只事ではないと察したリュミエールは、全馬車を大神官に停止してもらった。
大神官が言った『魔力が著しく低下している』こと。これはリュミエールが気づいた訳ではない。萌恵自身がこの異常に気がついたのだ。
「はい……本当は最初からいつもと違うと感じていたんですけど……別に支障をきたすほどではないって思って……」
「そしたら、変身が解けなかったというわけです」
怯えきってしまっている萌恵は上手く滑舌が回らないので、リュミエールが代弁をする。
普段呑気な萌恵がこうなってしまうのも当然。その理由は、魔法少女は変身中に魔力を放出し続けてしまうことにある。
魔法少女にとって魔力は血肉、即ち『命』。今の状態は常人の視点に置いて換言すると、寿命がどんどん減っていくと同義。
今の萌恵には、落ちたら即死の池にはっている氷の上を歩いているようなものだ。
「ふぅむ……類い希れなケースですね。それは多分、《魔力漏洩》ですね」
「りーけーじ……?」
零れ落ちそうな涙をグッと堪えながら、頭をコテンと傾ける。
「確か……この世界の魔力濃度に適していないと、魔力が永劫に漏れ続けるという原因不明の現象ですよね……」
この世界は、人や魔物が体内に秘めている《自己形成系魔力》と、酸素や窒素のように空気中に充満している《自然発生系魔力》という魔力が存在している。
自己形成系魔力は持っている生物が、魔法やスキルを使う際に消費される。減った分は食事や睡眠など、生きるのに必要不可欠な行動をしていれば自然に貯まっていく。
自然発生系魔力は、これを体内に所有している生物はおらず。体内に取り入れたら自己形成系魔力によって自然分解される。
これだけ聞けば自然発生系魔力は必要ないと思える。しかし、自己形成系魔力は流動的であり、ほおっておくと外部へ漏洩してしまう。
その漏洩を阻止するのが自然発生系魔力である。これを分解した自己形成系魔力は非活性化して動きを止め、外部に漏洩しなくなるのだ。この原理によって世界の生物の魔力は平衡に保たれている。
リュミエールのお手本のような解説に感心するように、大神官は大きく頷く。
「そうです。なので、勇者様は体内に秘めている自己形成系魔力の濃度が高すぎて、自然発生系魔力の力が足りずに、外部に漏洩し続けて変身を解除するための魔力が不安定になっている……ということでしょう」
「……でしたら、やることはただ一つですね」
そう言うと、リュミエールは黙り込んでいる萌恵の頭を優しく撫でる。
目端から涙が零れかけていた萌恵は顔を見上げる。優しく微笑むリュミエールを見ると、不思議と表情が和らいだ。
「大神官殿……」
「うむ……」
目線を大神官に向けると大神官は馬車から飛び降り、チェスや雑談を交わしている兵達を見渡せるような大岩の上に立った。
そして息を大きく吸込み、
『全兵に告げる!! 我らの希望が潰えようとしている今!! 立ち上がれる者は我らしかいない!!」
空気すらも振動する大声。当然その声に気づかぬ者はおらず、全兵大神官を注目した。
『突然のドラゴンの襲撃! その時我々は何をしていた!? 怖気づいた者も、宴を楽しんだ者もいたであろう!』
後者がほとんどだろう。なんて、つっこみを入れている場合ではない。
『そんな無様な失態を、挽回するチャンスが訪れた! 我ら無敵の聖騎士団! さぁ、全兵彼方へ飛び立とう!!』
その瞬間、周りは火の消えたように静まり返り、兵達は真摯な顔つきになった。
兵達はぞろぞろと馬車の内部へと入っていき、大神官も萌恵が乗っている御者台に乗って手綱を力強く握った。
『さぁ! 綺麗な虹を描き上げよう! 飛翔!!』
高声を辺りに響かせ、馬に発進の合図を送った。
大神官が掴んでいる手綱が付いている馬が、凛々しい雄たけびを上げると、その馬の体色が茶色から白色へと変化した。
その雄たけびに呼応するかのように、他の馬も同じように白色へと変化した。
萌恵は口を押さえて驚いたが、これだけではなかった。なんと、白馬達の背中に鷹のように美麗な翼が生えたのだ。
「凄い……『ペガサス』だ!!」
「ヒヒーン! ヒヒーン!」
「忘れていました。この子は訓練を受けていませんでしたね」
リュミエールが連れてきた馬はどうやら翼が生えなかったようで、急に姿が変わった同胞を見て驚いてしまったようだ。
リュミエールはその馬の腹部を優しく両手で掴み、怪力で持ち上げて馬車の中に入れた。
『全騎……飛べ!!』
大神官が飛び立つ合図を送ると、次々とペガサスは翼を大きく広げて大空へと飛び立っていく。
重力の関係で馬車に何かしらの不具合が生じるかと思ったが、傾きさえも生じていなかった。正に「人馬一体」という四字熟語を的確に表しているかのようだ。
「……勇者様! リュミエール卿! 離陸しますので、振り落とされないように注意してください!」
全ての馬車を見届けてから大神官がそう言うと、萌恵の乗っていた馬車も空へと飛び立ったようで、少しだけ体が軽くなったような気がした。
不安がっていたので目をつぶったが、リュミエールは心配ないと言うように萌恵の手を握った。
恐る恐る目を開けると……。
「――!」
目の前には茫々とした雲海が、馬車の下で奔流のように広がっていた。太陽に手が届きそうな距離、萌恵は思わず手を伸ばして握ろうとしてしまった。
その光景に見入っていると、ときおり吹く寒風が萌恵の髪を翻した。
雲海に心を奪われ、呆然と立ち尽くしている萌恵にリュミエールが翅の形容をしたペンダントを差し出してくる。
「これが私達、大空を統べるレグルノ聖騎士団、またの名を……《天馬の瞳》です」
そのペンダントは淡い緑色の光を放ち、萌恵の瞳を独占した。