表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/21

2-2 ナミちゃんのイ・イ・ト・コ・ロ

「この時期なら生地厚三ミリが

 いいと思いますよ。

 寒がりなひとは五ミリを選びますけどね」


今日はサーフィンを始めたいという

二十代くらいの男性が来ていた。

椅子に座り、

買おうとしている

ウェットスーツについての話をしているのだろう。

ナミの解説にコクコクとうなずいている。


ソソグはその客に

振る舞うためのコーヒーを淹れていた。

そうしている間も

ナミの様子をチラチラと見ている。


普段ベタベタと自分たちに接していたナミが、

とてもていねいにひとと話している。


(母さんもそうだが、

 そんな接客どこで習うんだ?

 学校じゃ教わらないだろ)

と不思議そうにソソグは思いながら見ていた。


「どうぞ、コーヒーです」


ソソグはそんな話し方に引けを取らないかと

ヒヤヒヤしていた。

恐る恐る、

緊張した口ぶりでコーヒーを差し出す。


「ありがとう」


お客はそんな様子や言葉遣いについて

特に気にしていないようだ。

自然な口ぶりで礼を言って

コーヒーに口をつける。


カウンターに戻って見えないように、

聞こえないようにため息をついて、

お客とナミの話を聞いていた。

ていねいではあるが、

難しい言葉や

サーフィンの用語みたいなのを

使っていないのでソソグにも話が分かる。


そうしているうちに

コーヒーカップは空になり、

話も終わったようだ。

お客はごきげんな表情で店を出る。


「では、入荷しましたら

 ご連絡します。

 ありがとうございました」


「あ、ありがとうございました」


ナミに習って、

ソソグも慌てて頭を下げた。


「ふぅ、ナミさんすげーな。

 普通の大人にもちゃんと対応してて」


お客の背中が見えなくなると、

ソソグは遠慮なくため息をついた。

それからコーヒーカップを

下げながら感想を口にする。


「ありがとー。

 ソソグくんもトイレ我慢してない?」


「いや、今は大丈夫って。

 そうじゃなくて、

 ナミさんが大人みたいな

 仕事しててすげーなって」


「ソソグくんだって、

 コーヒー淹れるの職人さんみたいだよ。

 コーヒーの場合はバリスタかな」


「そんなかっこよくないって」


「じゃあ、お互いすごいすごいで」


「あ、ああ」

ソソグはなんだかうまく丸め込まれた気がしたが、

とりあえず納得することにした。

それでもナミに対する尊敬のような

関心のような気持ちは残る。


「だが、ナミさんならすぐにでも

 社会に出られるんだろうな。

 俺にはもっと経験が必要そうだ。

 そう考えると店主のような

 大人ってすごいんだなって」


「大人なんてすごくないよ。

 お父さん未だに下着とか買うのを

 ナミちゃんに頼むんだよ。

 おかげで通販のおすすめが

 ボクサーパンツで埋まっちゃったこともあるし」


言いながらナミは、

苦すぎるコーヒーを口にしたような、

しょっぱい海水を飲んでしまったような顔をした。


「別に家族だから、

 ついでなんだろう?」


「でもソソグくんは自分で買うでしょ?」

「そ、そりゃそうだ」


「だから、ナミちゃんも

 大人だからカッコつけなくてもいいのかなって、

 思うようになっちゃった。

 このお店の常連さんも変なひとばっかりだし」


「えっと、リイさんは大学生で、

 それ以外はみんな大人か。確かに」


ソソグは目を細めてうなずいた。


今まで母の

『立派な大人の背中』を見てきた。

だがこのバイトを始めるようになり

価値観の変動を感じる。

本当は良いことなんだろうが、

ソソグとしては複雑な気持ちになり、

眉をひそめた。


「でも俺はそれなりに

 かっこよくありたいがな」


「やっぱり男の子だねぇ。

 かわいい」


「かわいくねーし。

 カッコいいって言えよそこは」


「打ち合わせはイヤだー。

 Javaとジャバスクリプトの

 違いくらい勉強してほしい」


「あーしも研修疲れたっす……。

 アニメショップの研修なんて

 流行ってるアニメ見せればいいんっすよ」


立派な大人みたいになナミを見たあと、

立派じゃなさそうな大人が店にやってきた。

リイもテラダもいつもより遅い来店だ。

お店に入るなり椅子に座りでろーんと溶ける。


「疲れたー。ソソグくん、

 コーヒー頼めるかな。

 ブラックで」


「あ~しにも」


「はい、分かりました」

(ふたりとも今日は言い合いするほど

 体力なさそうだな)


苦笑いをしながらソソグは、

すぐにコーヒーの準備を始めた。

それでもリイはぐったりとしつつも口を開く。


「テラダさん。

 昨日の『絶対生存マジンキ』見たっすか?」


「見たよ。

 僕がロボットアニメを

 見逃すわけがないだろう」


「ロボットアニメって

 おもらしするシーン多いんっすか?」


その単語にソソグの手が止まった。

テラダがすぐに質問に答えると思ったが、

それが聞こえない。

時間まで止まったような気がしてくる。


(いやいや、

 俺の話をしてるわけじゃないって)


そう言い聞かせて手を再び動かした。

すると時間が止まったような感覚もなくなる。


「でかい声でそういう話をするな」


「今はあーしたちだけ

 だからいいんっすよ」


「ナミちゃんも興味あるなー。

 男子のおしっこ事情」


本来止めるべき立場のナミが話に乗っかった。


(いや、ロボットアニメの話だろ。

 誰も『男子の』とは言ってないだろ!)

と思うが、ソソグは口に出せないでいた。


ここで反応したら、

自意識過剰と思われる。

そこから自分が漏らしたことが

バレてしまうかもしれない。

それでもソソグの手は止まっている。


「やれやれ……。

えっと僕の知ってる限り少ない。

描かれている場合、

パイロットはおむつをしてたり、

ロボットにトイレがついてたりする。

レアケースだとその

……管を入れたり」


さすがのテラダも言いにくそうだった。

あるいは肝が冷える、

股間が縮こまったような言い方をする。


「わー。それって痛いってお父さん言ってたよ」


「ってことはおもらしは前提

 ……知らなかったっす」


ナミもリイも信じられないと口元を抑えた。

ソソグも聞いているだけで背筋が凍るような、

股を抑えたくなるような気分になってくる。

もちろんそんなことしたら不潔で、

それでいておもらしが

バレることにつながるかもしれない。

なので真剣にコーヒーを

淹れているふうを装う。

もちろん手は動いていない。


「知らなくて当然だろう。

 描いてるアニメのほうが珍しい。

 でも、ナミちゃんもやけに食いついてくるね。

 いつもはニコニコして聞いてるだけなのに」


「お年頃の女の子だから」

ナミはもっと話してほしいといいたげに答えた。


「あーしも。

 テラダっちがいつまで

 おもらししてたか気になるっす」


「なんだそれ。

 そんなの遅くとも小学生までだろ」


リイの質問にテラダは呆れたように答えた。

細い目をさらに細めて、

質問を切り捨てるような口ぶり。


(そ、そうだよな……。普通は)


だが切り捨てられたのはリイではなく、

ソソグだった。

段々と顔を繕えなくなってくる。


小学生どころか、

高校生にもなっておもらしをした。

それがとても恥ずかしいことだと言われてる気がしてくる。


「分からないよー?

 体質とかそういうので

 いつも大人用おむつつけてるかもしれないじゃん。

 うちのお父さんみたいに」


「ナミちゃん、

 それ言っていいのかい?」


ケロッと言ったナミに、

テラダが眉をひそめながら聞いた。

だがナミは父親をバカにするように笑っている。


「いいのいいの」


「あーし、こういうとき

 どんな顔をすればいいのか分からないっす」


さすがのリイも、

店主のイメージが壊れたことに困った顔をしていた。

ソソグでも聞いたことのある

アニメの有名なセリフがでてくる。


「笑えばいいんじゃないか?」

対してテラダもシーンと同じ答えを返した。

当然リイは笑えるはずもない。


(ナミさん、

 俺のフォローするためにそんなことを言ったのか?

 だとしたら店主は俺の代わりに恥を……?

 でもナミさん本当にそこまで考えてるか?)


ソソグはそう思いながらぽかんとしていた。

「どうしたっすかソソグくん、

 手が止まっちゃって」


「あ、いや」

ようやくリイがソソグに声をかけた。

コーヒー豆の入った袋を片手に、

その姿勢のまま停止しているのだから、

不思議がって当然だ。

リイとテラダにコーヒーを

頼まれてからそこそこの時間が経っている。


「気になるっすか?

 女の子のおもらし経験」


「そんなわけあるか。

 ってか店主のおむつの話から

 どうしてそうなるんだよ!」


「男の子はそっちのほうがいいかなぁって」


「そうかもねー。

 女の子のおしっこの匂いに

 惹かれるのは自然なことらしいし~」


「なんだよそれ」

ソソグは進んで話を

振ってくる女子たちに目を細めた。

そしてようやく手を動かせる。



「戻ったぞ」


ショウが帰ってきたのはバイトの終わる時間だった。

それまでおもらしの話題で盛り上がっていたが、

リイとテラダが帰るとウソのように静まり返っている。


「おかえりなさいー」

「おかえりなさい」


おかげでソソグも落ち着いて店主の戻りに挨拶ができた。


「ほら、こんなの買ってきたぞ。

 こういうのでいいか」


「えっ!?

 温度計とドリップポット?

 ありがとございます」


ソソグは貴重品でも扱うような手付きで受け取った。

コーヒーや紅茶に使う用の

そこそこの値段がするものだ。


「仕事に使うんだから経費だ。

 礼を言うことじゃないが、

 嬉しそうでなによりだ」


「これでコーヒーづくりがまた捗るねー」


ふたりに言われて、

ソソグは自分が

機嫌のいい表情をしていたことに気がついた。

空いている手で顔を触ると、

頬が緩んでいるのが分かる。


「ソソグくん楽しそう」

「そうか?」


「男はこういうの好きだからな。

 道具を揃えたり、

 自分の思うように仕事したりできるのは、

 楽しいもんだ」


「自分の思うように仕事を?」


「そうだ。

 俺はどこかに所属して仕事をするのが

 下手くそだったんだ」


ショウは少し顔を緩ませて言った。

自分をバカにするような、

かつて勤めていた会社をバカにするような口ぶり。


「じゃあお父さんは

 自分の店のほうが向いてたから、

 お店作ったってこと?」


「普通の会社務めがイヤになっただけさ。

 サーフィンはうまくいったが、

 コーヒーはまだまだ俺らは素人だ。

 他に必要だと思ったものがあれば遠慮なく言ってくれ」


それからソソグを励ますような笑みを見せて言った。


「はい」

強くうなずいた。


まるで男として期待されているような気がする。

ソソグにはそれが名誉あることのように思えた。

仕事も終わりの時間なのにワクワクするような、

まだまだ仕事を続けられるような気分になってくる。


そんなソソグの気持ちが伝わったのか、

ショウも満足げな顔を見せる。


「いい返事だ。

 店のことはあと俺がやるから、

 ふたりは自由にしていいぞ」


「じゃあ、ナミちゃん

 またサーフィンしてくる。

 ソソグくんもおいで」


「お、おう」

なんだか断れずナミに手を引かれた。

そのまま連れさらわれるようにソソグは店を出た。



今日もナミは

ひっくり返ってばかりだった。


接客ができる程度の知識を持っていながら、

実際にやってみると全然できない。


それはソソグも

不思議でしょうがなかった。

腕を組んでひっくり返るナミを

注意深く見る。


「ソソグくん、

 今日はナミちゃんのことずっと見てるね」

「そ、そうか?」


「お客さんに案内をしてるときも、

 ナミちゃんのことずっと見てたじゃん」


「そりゃ、珍しいというか、

 すごい様子を見せられたからな。

 そんなナミさんと今のナミさんの違いが

 不思議でしょうがないんだよ」


「つまり、サーフィンのこと

 こんなに詳しいのに、

 うまくいかないのが不思議ってこと?」


「そうだな」

「でも詳しいからといって

 できるとは限らないじゃん。

 魔法とか詳しくても

 魔法使いになれないのといっしょだよ」


「すげー極端な例だな。

 だとしても分かることのほうが多いだろう。

 自分がなんでうまくいかないのか分からないのか?」


「うん~。バランス感覚かなぁ?

 それとも力の使い方とか?」


ナミは首を傾げて、

暗くなりつつある空を見上げた。

ほおけたような表情になっているということは、

思い当たることがないのだろう。


「バランス感覚って、

 自転車は乗れるだろう?」


「乗れないよ」

「は?」


「ナミちゃん自転車も乗れないよ。

 小学生のころから練習してたけど、

 こっちは諦めちゃった」


まるで小さい頃の失敗談を

話すような口ぶりで言われた。

ソソグは開いた口を塞がないまま

思い当たることを聞く。


「こう……いいづらいんだが、

 病気とか持ってないか?」


「ないよ。

 さすがに自転車乗れないって分かると、

 お父さんも心配しちゃったね。

 病院で退屈な検査したよ。

 もちろん異常なしだったから、

 安心して」


「そっか……」

ソソグがため息交じりの安心した声を出すと、


「だから波には乗れると思うんだ」

すぐにナミは希望に満ちた声でつぶやいた。


その表情はとても真剣で、

ドキュメンタリー番組に出てくる

アスリートのような雰囲気だ。

どれだけ試合に負け続けても

どれだけケガをしても、

希望を捨てず諦めない。

改めて聞くまでもなくそれが伝わる。


同時にとてもキレイだと感じた。

凛とした顔が夕日に照らされ、

影がくっきりとしている。


接客をしているときとは

また違ったすごさが感じられた。


「だからナミちゃんのこと、

 見ててほしいの。

 いいかな?」


ソソグがそんなナミを呆然と見ていると、

ナミの方から声をかけられた。

少し驚いて首を引きつつも、


「あ、ああ。

 俺もナミさんのこと、

 見ていたいからな」


なんとか応援したいという意思を口にできた。


「そっかー、

 ナミちゃんのこと気になるんだー?」


だがソソグの言葉が足りなかったのか、

ナミが都合よくとったからか、

ニヤリとした笑みを見せられた。


「い、いやらしい意味じゃねーぞ。

 サーフィンしてるナミさんが

 気になるだけだからな」


ソソグは腕を組んで

ぷいっとそっぽを向いた。


「分かってる分かってる。

ナミはソソグくんのお姉ちゃんだもん。

お姉ちゃんのこといやらしい目で見ないもんね」


「いや、姉でもね~し」


そっぽを向いたまま言うが、

ナミはケタケタと笑うばかりだった。

お読みくださいましてありがとうございます。

良ければこのページの下側にある(☆☆☆☆☆)でご評価を、

続きが気になりましたらブックマーク、

誤字脱字が気になりましたら誤字脱字報告、

とても良いと思いましたら一言でも感想をいただけると

嬉しいです。


雨竜三斗ツイッター:https://twitter.com/ryu3to

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ