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4-1 コーヒーの試飲に注意

コーヒーミルやドリッパーを買った後、

ソソグは家でもコーヒーを淹れていた。


自分で飲みたいというのもあるが、

もっとコーヒーを美味しく淹れたい。

そう思うようになっている。


豆の挽き方はこれでいいか?

荒いほうが常連の好みだろうか?

ちゃんと一定のスピードで回せているか?

カップはちゃんと温まっているか?

注ぎ方はあっているか?

お湯の温度は本当にこれでいいか?


インターネットや図書館にある本、

あるいは本屋に行って教材を探して練習した。


カフェ巡りも研究になりつつある。

楽しくて、暇さえあれば

コーヒーのことを考えていた。

その結果、

「ふあぁ……」


「大きなあくびー。

 どしたの?

 夜遅くまでえっちな動画見てた?」


「俺のことなんだと思ってるんだよ。

 最近寝付きが悪いだけだ」

ソソグはいつもどおりの軽口で返した。


「ってことは悩み事?

 ナミちゃんなんでも聞いちゃうよ。

 解決するかは別だけど」


「単なるコーヒーの飲みすぎ。

 どうやったら、

 おいしくコーヒー淹れられるか考えてるんだ」


「勉強熱心だね~。

 でもトイレ大丈夫?」


「行く回数は増えたな。

 だが漏らしたりはしてないぞ」


「残念」

「なんで残念がったんだよ?

 どう考えてももらさないほうがいいだろ」


「ソソグ、新しい仕事を頼んでいいか?」


そんなやりとりをしていると、

奥からショウがやってきた。

『新しい仕事』という言葉を聞いて、

一気に背筋を伸ばし、


「はい!」

ソソグは大きな返事をした。

ショウも満足げにうなずく。


「新しいコーヒー豆を

 仕入れてきてほしい。

 予算はこれで」


そう言って茶封筒を渡された。

津田梅子の顔が薄っすらと見える。


「俺が決めるんですか?」


「俺よりも舌が肥えてるんだ。

 この店の常連に合いそうなやつを頼むぞ。

 もし迷うようだったら予算内で複数種類買ってもいい」


「はい!」

またハキハキした返事をできた。

なんだかワクワクしてくる。


自分がこのお店のコーヒーを

決めることになった。

もちろん店主のショウに

大きめの仕事を任されたということもある。

同時に自分が店を動かすことになる気がしてきた。


リイやテラダふうに例えるなら、

軍隊の指揮官に任命されたような、

映画監督を任されたような気分だ。


責任重大という緊張感がより気分をあげてくる。


「あと領収書も店の名前でもらってきてくれ。

 そこらへんはナミのほうが詳しい。

 ナミもついていけ」


「はーい」

ナミも機嫌が良さそうに

手を上げて返事をした。

それから急にソソグに接近してくる。


「デートだね」

「いや、仕事だろ」

ソソグは目を細めてあしらった。

からかってるのがすぐに分かる。


「ICカードチャージしたら

 領収書貰えよ。

 あとナミは着替えてこい」


「はーい」

ナミは残念そうな口ぶりで

奥へと入っていった。



お店を出てから

七里ヶ浜駅の方へと

ふたりは歩き出した。


江ノ電の線路沿いに歩く。

なんとなく昔の映画のような、

古いゲームのワンシーンのような感じがした。


さすがに手をつないだりはしない。

恥ずかしくてできない。


「元気に返事をして

お店を出てきちゃったけど、

ソソグくん宛はある?」


並んで少し歩いたところで

ナミがこちらに顔を向けた。


「由比ヶ浜から鎌倉駅あたりの間だな。

 カフェとかあったりして、

 豆で売ってるお店も結構あるのを覚えてる」


「じゃあ江ノ電乗って移動だねー」

そう言ったところで、

風景が線路と住宅に変わった。

たまに家と家の間から海が見える。


人通りは多くないが、

たまに階段の写真を取っているひとがいた。

空気的にリイやテラダと同じ匂いを感じる。

マンガの単行本やスマホを確認しながら何枚も取っていた。


そんなひとたちを見ているうちに駅についた。

駅はそれなりにひとが出入りしている。


ICカードに行き帰りの電車賃をチャージして、

しっかり領収書も出した。


「領収書ボタンとか初めて触ったわ」


「こういう仕事するなら、

 クセづけたほうがいいって

 お父さん言ってたよ。

 だから慣れちゃったな」


そんなふうに笑うナミと改札を通った。

横の窓口にはなぜか振り袖を来て、

鳴子を持つ女の子のフィギュアがある。


「もしかして七里ヶ浜って

 いろんなアニメに出てるのか?」


ソソグは気になって聞いてみた。


「ナミちゃんは、

 リイちゃんやテラダさんみたいに詳しくないけど、

 結構出てきてるみたいだよ?

 うちの店はそのひとつみたい」


「ほぉ……」

口を丸くしながら答えた。

するとすぐに電車が江ノ島方面からやってくる。


電車に乗るとかなりのひとが乗っていた。

ほとんどは観光客だろう。

様々な肌の色や、言語が見聞きできる。


そこから四駅。由比ヶ浜で降りた。

似たような名前の七里ヶ浜と違い

とても静かな雰囲気だ。


「こっちかな」

キョロキョロと周囲を見てから、

ソソグは文学館の案内がある方向へを指差した。


「ソソグくん、鎌倉結構なれたんだね?」

「どうしてだ?」


「土地勘?

 みたいなのができてるよ」


「この辺はカフェ巡りで来たしな。

 お店の場所と味はだいたい覚える」


「すごいねー。

 言葉にしづらいものを覚えてるって才能だよ」


「そんなことない」

ソソグはそっぽを向いた。

まっすぐ言われて照れくさい。


二車線の通りに出ると、

早速お店をひとつ見つけた。

看板には『コーヒー豆あります』

という立て看板もある。


「いらっしゃいませ」

「コーヒー豆を買いに来たんですけど、

 いいですか?」


「はい、もちろんです。

 試飲もありますので、

 よければお声がけください」


店員さんは笑顔で言ってくれた。

ソソグはうなずいてから、

プラスチックの箱に入れられた

たくさんの豆を見つめる。


「すごいいっぱいあるねー。

 お菓子売り場みたい」


「知らない人が見たら、

 全部同じに見えるけどな」


「かもね~。

 でもちゃんと違いがあるんでしょ?

 だからお父さんは

 ソソグくんに任せたんだよね?」


ナミはニヤリとした笑みを見せた。

まるで煽っているようにも思えるが、

ソソグは褒め言葉として受け取る。

シャキッとした顔で豆を見つめ始めた。


(う~む。

 任されたからには

 いい加減なものは買えない。


 とは言っても店主やナミさん、

 お客さんの好みもあるからなぁ。

 俺の好きなものを選んでもしょうがない)


「最初にお店にあったのは

 どういうのか分かる?」


ソソグがうなりながら見ていると、

ナミがひょっこりと視界に入ってきた。


「前にちょっと説明したかもしれないが、

 あれはエメラルドマウンテンだな。

 香りが良くて甘みのバランスもいい。

 よく缶コーヒーにも使われてるブレンドだ」


説明をしながら

エメラルドマウンテンの豆を指差した。

売れているのだろう、

他よりも少なめだ。


「それで見覚えあってお父さんが選んだのかも」

「かもな」


「飲んで見ますか?」

店員さんがそう割って入ってきた。

言葉といっしょにコーヒーの香りも、

ソソグとナミの間に入ってくる。


「確かにお店のコーヒーと

 似たような香りがする~」


ナミは目をつぶって

香りを深呼吸するように楽しんでいた。

ソソグも紙コップを口に運ぶ。


「ところで、

 エメラルドマウンテンってなに?

 そういう山があるの?」


「さすがにそんな山はないな。

 コロンビア産のコーヒーのブランド名だ」


「でも地名が付いてるのが多いよね~。

 ヨーロピアンとかどう?

 ヨーロッパぽい味がするのかな?」


「ただいまお持ちしますね」

また店員さんが口を挟んで奥に行った。

まるで試飲を差し出すタイミングを

見計らっているように見える。


そしてまたあっという間に出てきた。

ふたりで揃って口に持っていく。


「ん~、うちのお店で出すには苦いかも」


「ならキリマンジャロはどうでしょうか?

 こちらも定番ですので、

 試してください」


店員さんはスキもなく

新しい紙コップを差し出した。

驚きながらも素直に受け取る。


「それも聞いたことあるー。

 キリマンジャロは

 アニメのキャラクターの名前じゃなくて、

 山の名前だよね?」


「なんでアニメのキャラが出てきたんだ?

 ってそういうアニメがあるんだったな……。

 リイさんとかが話してたのを聞いたことある」


リイが呆けた顔で妙なことを

言っていたのを思い出しながら、

紙コップに口をつけた。

キリマンジャロは何度もちびちび飲むのがいい。

少しずつ口に入れていく。


「真剣に考えてるときのソソグくんかっこいいなぁ」


「いや、怖い顔をしてるだけだろ」


「そんなことないよ。

 なんだか楽しそうでいいなって」


ナミは羨ましそうな目を向けて言った。

まるで『自分も才能がほしい』

と言いたげだとも感じる。

その顔のまま続けて、


「こんなに飲んでも飽きないんだから、

 本当に好きなんだね」


「ナミさんだっていっしょだろう。

 バイトの時間も含めて

 ずっとサーフィンのこと考えたり、

 やったりしてるんだから。


 あ、ごめん、あまり言わないほうがいいか?」


「大丈夫だよ。誰も聞いてないし」


優しげな笑顔で答えてくれた。

さっきから試飲を差し出すタイミングを見ていた店員さんも、

空気を読んだようにいない。


「そうか」

ソソグはホッと一息ついて、

紙コップに残ったコーヒーを飲み干した。


「山といえばブルーマウンテンって

 コーヒーもあったよね?」


「高いんだよなぁ。

 同じ量でだいたい普通のコーヒー豆の倍くらい。

 ここもそうだな」


言いながら豆を指差した。

他の豆とは違うケースに入れられ、

当然値段も倍近く高い。


「さすがにそれじゃお父さん怒るかも」


「だなぁ……いや待てよ」

ソソグはふと思い出して

並ぶ豆に再度目を向けた。

目を細めて目的のものを探す。


「おっ、あった。

 このドミニカのふたつ試飲ってできます?」


いつの間にか戻ってきた店員さんに声をかけた。

店員さんは嬉しそうに笑顔になる。


「はい、少々お待ち下さい」

「なにかあるの?」


「俺の記憶が確かなら、

 だけど。結構おいしいはずだ」


予め準備してあったのかと思うほどすぐに出てきた。

ソソグはすぐに手にとって飲み比べる。


目をつぶって少し考えてから、

「うん、やっぱり。

 このドミニカのやつにしよう」

「どうして?」


「こっちのドミニカのコーヒー豆って、

高いブルーマウンテンと同じくらい

日本人の舌に合うんだ。


それでいて値段も安い。

弱気に思われるかもしれないが、

お店のひとたちはうちの店でしか

コーヒーを飲んでなさそうなんだ。

だからそういうのがいいかなって」


「へぇ……」

ナミは目の前にある

自分の顔を写した紙コップを見つめた。


それから口をつけてみる。

いまいち分かってない顔だ。

ソソグは構わず続ける。


「それに日本には

 あまり輸入されてないって話も聞くし、

 レアなのもそそられた」


「やっぱり男の子は珍しいもの好きなんだね」


「あとこっちも買う」

「こっちはどういうお豆なの?」


ナミの言い方がいやらしい。

ソソグは反応するか迷ったが無視して答える。


「こっちのは後味がスッキリしてたやつだ。

 それでいてフルーティーっていうか、

 甘みがある。

 多分ナミさんが好きそうだなって」


「ふ~ん、ナミちゃんに淹れたいんだ~」


「だから、いやらしく言葉を省略するなって。

 いつもお世話になってるし、

 ナミさんがコーヒー淹れる練習するなら、

 好きそうな味のほうがモチベあがるかなって」


「ありがと、ナミちゃんのこと考えてくれて」


「お礼を言われるようなことはしてない」


「それじゃこれを。

 こっちは五〇〇グラム、こっちは二〇〇グラムで」



「お店巡る予定だったのに、

 一軒目でいいのを見つけちゃったね~」


お店を出てふたりは来た道を戻っていた。

これならお店に戻って

早速新しいコーヒーを振る舞うことができそう。


そう思ってコーヒー豆の袋に顔を近づけた。

とてもいい匂い。

コーヒーを淹れるのが今から楽しみだ。


と思った直後、

ソソグに体が震えるような感覚が襲う。


「あ、ああ」

かろうじてナミに

事をしたがぎこちなかった。

ナミは不思議そうに顔を覗かせる。


「どうしたの?」

「やばい、トイレ行きたい」


ナミになら素直に答えられた。

当然、素直に言えたとしても、

すぐにお手洗いに行くことができるかは別問題だ。


「さっきのお店で行っておけばよかったね。

 コンビニ寄ろうか」


「この辺なぜかコンビニもない。

 多分駅の方が近いな」


「駅まで走ろうか?」

「走ると出そう」


「そんなに我慢してたの?」

「急に出そうになったんだよ。

 男子と女子じゃ違うんだ」


「だよね~」

「俺にツッコミをさせるようなこと言うな。

 っていうかどこかに公園とか神社とかないか調べてくれ」


「歩きスマホが危ないよ~。

 それにソソグくんの言う通り、

 駅が最短かな」

「うう~」


ソソグが顔をしかめたところで信号が点滅した。

走って渡ろうにも車に轢かれるより

漏らす可能性の方が高い。

そばにある手押し信号を連打。


「最近、リイちゃんやテラダさんの言うこと

 分かってきちゃった」


危機感を持つソソグに対し、

ナミは余裕のある表情を見せた。

無視してもよかったが、

どうしても反応しないといけない気がして聞く。


「どっ、どういうことだ?」

「トイレ我慢してる子はかわいいってこと」


「そういうの分からなくていいから。

 あと俺はかわいくないっ」


そう言い放つと同時に信号は青になった。

ソソグは競歩のような足取りで歩きはじめ、

ナミはスキップするような足取りでついてくる。


この住宅街を超えたら駅だ。

小さくても、無人駅でも

お手洗いは必ずついているはず。


来るときに確認しておけばよかった。

今更後悔しても遅い。


「駅見えてきた」

「ソソグくん荷物持つよ。

 のカードタッチしておくから、先に行って」


「おう!」

ソソグは投げるようにコーヒー豆の袋と財布を渡した。


改札は簡易的なもの。

タッチせずとも止められることはない。

それに感謝しながら、

通路の真ん中に立つ改札を無視して、

奥のお手洗いへと進む。

後ろからピピッという電子音が二回鳴った。


お手洗いは当然ホームの奥の方にあった。

一分一秒を争うこのときに

どうしてあんな場所にと思ってしまう。

だが足を止めず、

すぐにお手洗いへ。

ジッパーを下ろす。


「間に合った……」

ソソグは心底安心して声を出した。


原因はどう考えてもコーヒーの試飲だ。

今後は調子に乗ったり、

迷って飲みすぎないようにしたい。

あと店員さんの試飲も少し断らないと膀胱に悪い。


水を流して手を洗って、

ゆっくりとホームへと戻ってきた。

ナミは時刻表を見つめている。


「間に合ってよかったね」

ソソグが戻ってきたのを見るなり、

優しげな笑みを見せた。

ソソグもその言葉には同意してうなずく。


「ああ……また大恥かくところだった」


「前のはナミちゃんしか見てないから大丈夫だよ」


「大丈夫じゃないんだよ」


「それに前にも言ったけど、

 万が一のことがあっても

 ナミちゃんが助けてあげるし、

 守ってあげるからね」


「普通逆じゃないのか?

 ナミさんが変なのに絡まれたりしたら俺が守る方だろ?」


「ソソグくんが守ってくれるんだー、頼もしー」


「全然そう思ってないだろ」

「ううん、嬉しいよ。

 これからもよろしくね」


「なんだよ、まるでこれからなにかあるみたいな感じじゃんか」


ソソグはそっぽを向いた。

向いた先にはこの駅と同じ名前のついた、

ライトノベルのキャラクターが微笑んでいる。

それがさらに照れくさくなって逆方向を向いた。


手を差し出す。

「ほれ、荷物持つよ」


「ありがとー」

ナミは嬉しそうに袋を渡し、いっしょに財布を返した。

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雨竜三斗ツイッター:https://twitter.com/ryu3to

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