3-4 出先でおもらしの危機。それからちょっとうまくいく
コーヒーを買ってから
駐車場へと戻ってきた。
もちろんお手洗いにも寄っている。
大丈夫。
「それじゃ出発するよ」
乗り遅れがないことをテラダが確認し、
早速エンジンを掛けた。
するとエンジンの揺れが伝わったように
ソソグの体が震える。
(やばいトイレ行きたい)
だが車は動き出し、
早々に駐車場を出てしまった。
(出発したばっかりだから、
言いづらい」
そう思ってソソグは口元を固くした。
さらに買った箱を抱きかかえるように、
股を押させるように膝の上におく。
「ソソグくん、
よっぽど嬉しいんだねー」
動きを見ていたナミが、
ニヤニヤとしながら見てきた。
ソソグは思わず体をそらしてドアにぶつかる。
「な、なんで?」
「だって、買った道具を抱きかかえるように
膝の上に置いちゃってー、
かわいいー」
(さっきナミさんも
似たようなことしてたじゃねーか)
とは思ったものの、
「そ、そうだな
……嬉しいぜ」
ナミのいつもの軽口に適当に答えた。
今、力んで言い返すと漏れてしまいそうな気がする。
「おやおや、いつもなら反論するところなのに、
素直じゃないか」
テラダもバックミラー越しに見てきた。
ソソグの様子をテラダも不思議に思ったようだ。
「たまにはそういう日もありますって」
(言い返す余裕がない。
さっき買ったコーヒーが効いてる)
ソソグは力を入れながら
ボトルホルダーを見つめた。
まだまだコーヒーは残っているが、
当然口をつけられない。
「テラダさんも
『自分子供っぽいな』って
思うことあります?」
「もちろんあるよ。
おもちゃとか、ゲームとか、
仕事でも新しいパソコンとか
ソフトとか買うとワクワクするんだ」
「かわいいところあるんですねー」
何故かソソグの胃がむっとした。
ナミが何気なくテラダに言ったことがひっかかった。
(ナミさんが俺以外の相手に
『かわいい』って言葉を使ってる)
それが気になった。
どうしてかは分からない。
なので黙ってふたりの話を聞く。
「褒め言葉として受け取っておくよ。
僕はそんなふうに言われるようなヤツじゃないけどね。
この場にリイがいたらプンプン言って、
否定すると思うよ」
「ありそうありそう」
(ってそんなこと考えてる場合じゃない。
なんとかお手洗いに行けるタイミングを作らないと)
ふたりの話を聞き流しながら思考を切り替えた。
まだ車は川崎の街を走っている。
コンビニの看板を見つけて、
何気なく声をかければいい。
(だけど、さっきトイレ行ったばかりなのに、
また行きたいって言って変に思われないか?)
そう考えてしまい、
コンビニを一件見逃した。
(なにか買う用事があればいいか。
だが、なにを買う?
車酔いするからガムとかアメ?
でも行きが平気だったし、
それは不自然だ。じゃあ飲み物?
目の前にコーヒーあるだろ)
だんだんと落ち着かなくなってきたのか、
足が動き始めた。
よいよ膀胱が悲鳴をあげだしたのかもしれない。
ナミがそれをちらりと見ると、
「テラダさーん、
ナミちゃんお手洗いいきたいんだけど、
コンビニ寄れますか?」
前触れもなく、そんなことを言い出した。
こころなしか『ナミちゃん』というところが
強調された気がする。
(あれ、ナミさんもさっきトイレ行ってたはずだが?)
「いいよ。バイパス乗る前でよかったね」
ソソグの疑問をよそに、
テラダはあっさりとOKした。
次に見えた看板で車は曲がっていく。
「お、俺も行きます。
やっぱりコーヒー飲んでたら近くって」
乾いた笑いを見せながら言った。
車が停まると、ソソグもナミも足早に車を出る。
「ありがと、ナミさん」
店内に入ってから、
ソソグはナミに短く礼を言った。
だがナミはとぼけたような表情と
棒読みの演技で言う。
「ん~、ナミちゃん『が』
お手洗いに行きたかったんだよ~。
なんでソソグくんがお礼を言うのかな?」
「うっ!?」
言い返す言葉は見つからず、
それでいて考える余裕はなかった。
ソソグは逃げるように個室へ入っていく。
ちらりとナミも
反対側の個室に入っていくのが見えた。
なのでナミもウソは言ってなさそうだ。
そう思うことにする。
#
その後は無事に店に戻ってくることができた。
ソソグとナミは揃って挨拶をする。
「ただいまー」「ただいま」
「おう、おかえり。
テラダ、ありがとうな」
ショウはふたりの挨拶に答えると、
テラダにも目を向けた。
「いやいや、ふたりとの
ドライブとか楽しかったよ」
「それでどんなの買ってきたんだ?」
「これです」
聞かれてソソグはすぐに買った箱を見せた。
ショウは口を丸くして、関心の目を向ける。
「ほー。良さそうなもんだな。
いい買い物したんじゃないか?」
「はい!」
褒められた気がしたソソグは
元気に返事ができた。
それには皆にっこりと笑顔になる。
「それじゃ僕はこれで」
テラダはそう言ってクールに去った。
カッコつけなのかもしれないが、
良い年上のお兄さん感がある。
「ありがとうございました」
「また車乗せてくださいねー」
そんなテラダの背中を見送った後、
ナミは大きく伸びをしながら、
「じゃ、ナミちゃんも
今日の練習始めようかなー」
と言って奥に向かって歩き始めた。
「でかけたのに疲れてないのか?」
「ちょっとだけねー。
でもテンション高いから
やりたくなっちゃってー」
「俺も見ていくぜ!」
アクティブに動くナミを見て、
ソソグも元気に言った。
良い買い物をしたからか、
買い物を褒められたからか、
勢いがついている気がする。
「やーん、ソソグくんが
ナミちゃんの着替え覗こうとしてるー!」
「そんなわけあるか!
ナミさんのサーフィンが見たいって言ってるの!」
「分かってるよー。
でもせっかく買った道具を使いたくないのかなって」
「そりゃ使ってみたいけど、
それは帰ってからでもできる。
でも、ナミさんの『今日の練習』は
今しか見れないからな」
するとナミはボーッと少しソソグの顔を見ていた。
(なんだ? 俺変なこと言ったか?)
と思っていたが、
「うん、じゃあ待っててね」
ナミは嬉しそうに駆け出した。
#
「ソソグくん、
今日はやってみないの?」
着替え終わって元気に歩くナミにそんなことを聞かれた。
「いいや、また見てるだけにするぜ。
疲れたしやっぱり俺は向いてないかもしれない」
「テラダさんの車で
危うくおもらししそうになったもんね~」
「やっぱり分かってたじゃねーか」
ソソグはいつものように言い返した。
本当ならフォローされたことを
感謝するべきところかもしれない。
だがそれも恥ずかしくてできなかった。
それでもナミはイタズラな笑みを浮かべて言う。
「いっつも見てるから分かるようになっちゃった」
「いっつも見てる?」
やや難しい顔でナミの顔を見ながら考える。
(それって、
俺のことよく見てるってことだよな……。
いくらだいたい毎日いっしょだからって、
そんなにひとを注意深く見るようなことあるか?)
思考を巡らせているとナミは
ニンマリとした笑顔になって言う。
「だって、ナミちゃんが見てないと
ソソグくん漏らしそうなんだもん」
ソソグはずっこけてから、
「漏らさねーよ」
と強気で言い返した。
ナミはそれでも疑うようにわざとらしく首を傾げる。
「ホントかな?」
「確かに助けられることだってあるが……。
今日だってサービスエリアとか見つけたら、
寄って欲しいって頼んだし――」
「なかったじゃん。
長い高速道路とかと違うんだよ?」
「うっ」
「やっぱりソソグくんは、
ナミちゃんがいっしょじゃないとダメかもねー」
そう言いながら海に向かって
ごきげんに駆け出した。
ソソグはその場で足を止めて顔をしかめる。
(べ、別にナミさんがいなくたって
俺は漏らしたりしねーって。
そりゃ、あの日は鎌倉に来て日が浅かったからで、
今ならそんなことはない――)
「ほらー、ちゃんとナミちゃんのこと見ててー」
目をそらしていたことに気が付かれたのか、
ナミが大声で呼んだ。
ソソグはスープの来ないところまで近づいて、
ナミのサーフィンを見学する。
今日のナミはとても調子が良さそうに見えた。
もちろんひっくり返ってばっかりなのだが、
それでも笑顔はまったく崩れない。
難しい顔をせずただひたすら波に向かう。
失敗しても失敗しても疲れた様子は見せない。
何度でも波に向かっていく。すると、
「おおっ!?」
思わず声を上げた。
ナミのフォームがとてもキレイだ。
スープの勢いもある。
そしてなにより、ナミの表情がとてもいい。
あとは足をあげることができればと思ったが、
「あっ……」
残念ながら膝を伸ばそうとしたところで
ナミは後ろにひっくり返った。
尻もちをついた姿勢のまま、
呆然と砂浜に流れるボードを見ている。
「ナミさん、少し乗れたんじゃないか?」
ソソグはすぐに駆け寄りながら声をかけた。
「うん、ナミちゃんもそんな気がする」
ナミは起き上がらないまま答えた。
ソソグは興奮気味に話を続ける。
「やったじゃん。
今まで秒でひっくり返ってたのに、
少し進んだぞ!」
「そうかも」
「なんだ? 嬉しくないのか?」
「わかんない。嬉しいというより、不思議な感じ」
「不思議?」
「自分の足で前に進んだんじゃなくて、
波がナミちゃんを押したの」
『なみ』という言葉が
ゲシュタルト崩壊を起こしそうだが、
感動は伝わった。
ソソグはナミの話をただただ黙って聞いている。
「なんだかサーフィンが分かってきたかもしれない」
そうして自分の感じたことをまとめた。
するとナミの表情がだんだんと明るくなっていく。
「やったぁ! ソソグくん! ありがとう!」
大声を上げてソソグに抱きついた。
急な出来事でソソグは何もできず突っ立っている。
抱きつかれるとナミの体の細さが分かった。
か細いというには肉付きがいい。
何年もサーフィンの練習をしているだけあって、
筋肉がほどよくついているのだろう。
さらに胸が柔らかい。
これはエプロンや水着越しでは分からなかった。
当たり前だが、直に見たり触ったりしなければ分からないこと。
一気に情報が押し込まれて
ソソグの脳は焼き切れそうになっていた。
それでもなんとか、
豆を粗挽きする言葉を探す。
「お、おう……。でも俺はなにもしてない」
「してるよ!
ソソグくんと出会って、
ナミちゃん変わったの!」
ナミはそれでも嬉しそうに今度は頭をくりくりと、
ソソグの胸にすりつけた。
まるで猫が甘えてくるような仕草だ。
揺れ動く髪からいい匂いがしてくる。
潮の香りと、シャンプーの香りが程よく混じった匂い。
気を抜くと顔が惚けてしまいそうになった。
それほど心地が良い。
だとしても気が抜けなかった。
そんなスキを見せてしまったら、
ナミはどんな顔で
ソソグをからかってくるか分からないから。
気を紛らわすように、
ナミに言い返すように緩む口を開く。
「お、俺だってナミさんのおかげで
バイト始められたし、
コーヒーにより興味持ったし」
「うんうん、いいことばっかりだね」
そうしてナミは見上げた顔でにっこりと笑った。
あまりの愛らしさに、
思わず手がビクリと動く。
自分も腕を回して
ナミを抱き返したいと思ってしまう。
そんなことをしたら大変だ。
ナミと『既成事実』なるものを作られて、
相模湾に沈められるか、
常連からからかわれるか……。
そしてなによりも
恥ずかしさに耐えられない。
恥ずかしさのあまり、
鎌倉高校前駅の近くにある小動岬で、
太宰治と同じ行動をするところまで考えられる。
そんなことを考えていると、
ソソグの顔から汗が垂れた。
「あ、ソソグくん濡らしちゃった」
垂れた汗がナミの頬に落ちたところで、
ナミが離れる。
ちょっと名残惜しい気もしてしまった。
それでもホッとしたように自分の濡れたシャツを見つめる。
「いいよ、今日は帰るだけだし。
前に突き落とされたときよりは濡れてないし」
いつもの調子だったら怒ったのかもしれない。
なんだかそんな気になれず、許してしまった。
「風邪引いちゃうよ。また服借りよう」
ナミに引っ張られてまたお店へと戻った。
起こったことをショウに話すと、大笑いされた。
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