3-2 急に給与が来たので
常連たちが帰ってバイトの終わりの時間。
ソソグがトイレから戻ってくる。
すると、メモ帳を見ながら
コーヒーミルを回しているナミがいた。
サーフィンをしてるときでも楽しそうにしていた。
なのに今の表情は真剣。
その後はソソグが
普段しているのと同じ手順で動き出す。
温めていたカップのお湯を捨てて、
ドリッパーを置く。
フィルターと豆を入れて、
こちらも別に用意してたポットからお湯を注ぐ。
ややおっかなびっくりな動きだが、
おかしなことはなにもしていない。
一連の動きが終わって、
コーヒーのいい匂いが漂ってくるころに
ソソグは声をかける。
「ナミさんもコーヒー淹れられるじゃん」
「ソソグくんが一生懸命なの見て、
なんだかやりたくなっちゃって。
でもソソグくんみたいに上手には淹れられないよ」
ナミはそう言って出来上がったコーヒーを自信なさげに見た。
「誰が淹れても手順がいっしょなら
同じだと思うけどなぁ」
「じゃあ飲んでみてよ」
言われたとおりソソグはコーヒーに口をつけた。
「確かに違うな」
具体的には風味が違った。
温度調整が違うのだろうかと思う。
ナミはソソグのつぶやきを聞くと、
ずいっと顔を近づけてきた。
まるでおねだりをしてくるような顔になる。
「でしょ~。
ナミちゃんたちに教えてないコツとかあるでしょ?」
「ないって、
あったら教えてるだろう?」
「ん~、じゃあなんで違うんだろう。
分からないなぁ」
ナミは顔を離してから、
頬を膨らませて考えた。
答えが書いてないかメモ帳を睨む。
「サーフィンといっしょだな。
どうしてできないのか分からないって感じが――」
ソソグがはそうつぶやいたところで声と息を止めた。
それから店内をキョロキョロする。
「あ……誰も聞いてないな?」
「大丈夫だよ~。もう閉店時間だし」
ナミの言葉を聞いてソソグはホッとした。
止まっていた分と吐いた分、
深呼吸で酸素を入れ直す。
「ナミちゃんのこと心配してくれるんだ~」
「そりゃそうだ。
秘密をバラしたら、
恥をかくのはナミさんだし」
「そっか~」
なんだかナミは嬉しそうに顔を緩ませた。
それでいて上目遣いでソソグを見てくる。
「もしかしたら愛情がこもってるのかもね」
「あ、愛情!?
な、なんのことだよ!?」
首を引いて大声をあげてしまった。
もしかしたらショウに不思議がられると思って、
家へつながる入り口に目を向ける。
だがもう
『いつものこと』
『ナミがからかってるだけ』と
思われてしまっているのか、
何事もない。
もう一度ナミに目を向ける。
「コーヒーに~、
ナミちゃんへの愛情が入ってるのかなぁって」
「そ、そんなの意識したことねーし!」
やや大きめの声で言い返した。
反抗していることが分かるようにそっぽを向く。
ナミは思った通りのリアクションを
してくれたからかくすくす笑って、
「ふふっ、ナミちゃんへの愛情じゃなくて、
多分ソソグくんのお母さんへの愛情かも」
少し残念そうな口ぶりで言った。
ソソグはそれに首を傾げる。
「母さんへの?
でも母さんにコーヒー淹れたの、
店に来たときが久しぶりだったし」
「コーヒーを上手に淹れられるようになりたいって思ったのは、
お母さんの仕事を手伝いたいって思った。
そんなこと前に言ってたよね?」
「あ、ああ、うろ覚えだけど、
そんなことを思った覚えがあるぜ」
「だから、コーヒーを淹れるときは
『お母さんのため』なんて
無意識にも思ってるのかも?
コーヒー好きなのも、
お母さんとのつながりだったりするんじゃない?」
ほんわかする話の感想をつぶやくような口ぶりで、
ナミは問いかけた。
その言葉になんとなく納得がいったのか、
ソソグは首をまっすぐにする。
「分からんが、そうなのかもな」
「うん、ナミちゃんも
ソソグくんを見習ってがんばらないと!」
ナミは元気にうなずいてから、
ガッツポーズのように腕を前に出した。
リイとテラダいわく『ぞいの構え』というやつだ。
ソソグはそんなナミが眩しかったからか、なんとなくそっぽを向いてつぶやく。
「俺だってナミさんのサーフィン見て、
なんかやらないとって思ったのに」
「うん? なんて?」
「なんでもねーよ」
そっぽを向いたまま声を上げた。
するとバックヤードからショウが出てくる。
「ソソグ、給与明細だ」
すぐにふたつに折られた小さな紙が渡された。
ソソグはまるでいきなり大金を見せられたように目を見開く。
「きゅ、給与?」
「初任給じゃん、やったね」
楽しげなナミの口調が聞こえた。
だがソソグは賞状でも受け取ったように、
明細を受け取る。
ゆっくりと開くとお小遣いの何倍もの金額が印字されている。
「なにに使おう。
お金もらえること考えてなかった」
「なんでもいいじゃん。
おかしでも、コーヒーでも」
「いや、そういうわけにはいかないだろ。
初任給だぜ。
いい加減な使い方とか、
遊びに使うとかできないって」
ソソグは焦ったような口ぶりでナミに言い返した。
ナミはソソグの言うことが分からないように首を傾ける。
(そこは分かってくれよ)
「いいんだぞ。遊びに使ったって」
「いいんですか!?」
考えていると、
ショウからも思わぬ言葉が出てきてまた声を上げた。
「俺は初めてもらったバイト代で
音楽CD買ったぞ。
それくらいでいいんだ」
「はぁ……」
「まあ考えてる時間に減るもんじゃないし、
考えてみるといいさ」
そう言われるが、
ソソグは明細を呆然と見つめていた。
#
「あらあら、おめでとう」
給与をもらったことを母に話すと、
誕生日を祝われるような口ぶりで言われた。
「いや、めでたいのかこれ?」
「そうよ。ソソグが自分で手に入れた初めてのお金だもの」
そう言われるがやっぱりピンとこなかった。
ソソグは明細を見直してから、
もう一度母に顔を向ける。
「母さんは初めてもらったバイト代とか、
給与でなにか買ったのか?」
「そうねぇ。
確か親になにか買ってあげた気がするわ」
遠い思い出を振り返るような口ぶりだ。
やぱり初任給というものは印象に残るものらしい。
「プレゼントかー」
母に習って同じ用意使おうかと思ったが、
「でも母さんにはそういうことしなくていいわよ」
「いいのかよ」
またまた思わぬことを言われた。
この紙をもらってから、
ソソグの考えの及ばない言葉が
いろいろ出てくる気がする。
「そういう時代じゃないもの。
欲しいものは自分で買うし、
親に変な気を使う必要はないわ」
「なんだか、
お店の大人たちも似たようなことを言うぜ。
時代は変わったって」
「自分で考えて、
自分のために買うの。
それが思い出に残るし、
お母さんも嬉しいわ」
「……っても使いみちが
余計に分からなくなってきた」
「いずれ見つかるわよ。
ソソグにだって好きなものがあるものね」
母は悟ったように言うが、
結局その晩も使いみちは決まらなかった。
#
「ソソグくん、お給与はどうしたの?」
次の日も悩んでいると
ナミにそんなことを聞かれた。
顔に出ていたようだ。
ソソグは肩をすくめて、一息つく。
「まだ手つかずだ。
だいたいのひとはお金欲しいって思うけど、
いざお金をもらったら使いみちに困るもんなんだな」
「結構無欲なんだね」
「そんなことないと
自分は思ってたんだけどなぁ。
カフェ巡りとかしなくても、
ここでコーヒーもらえるから満足してるのかも」
「そっかー。
好きなことしてお金もらえてるなら、
満足しちゃうかもね」
「ナミさんは初めて給与もらったとき
なにか買ったのか?」
「水着をいっぱい買っちゃった」
「それで毎日服みたいに違うのを着てるのか」
ナミが見せびらかすようにくるくる回ってみせた。
「いいでしょ~」
今日はフリフリのついたピンクのビキニだ。
くるくる回るとフリルもエプロンといっしょに揺れる。
高校生にしては子供っぽいと思われるかもしれないが、
小さいナミにはちょうどいいのかもしれない。
それにナミは体型を気にしていないだろう。
「俺はもっとちゃんとした服着てもいいと思うけどな」
だとしてもソソグとしては
まじまじと見るのは恥ずかしかった。
歳の近い女の子の肌が見えるのは興味を感じつつも、
見て良いものなのかためらったりする。
「やっぱり肌がいっぱい見えてると恥ずかしい?」
「見てるこっちがな」
ちらちらと目線を合わせたりそらしたりを繰り返した。
「戻ったぞ。
ソソグ、今日もお疲れさん」
「いえ、お疲れ様です」
店主のショウと、
常連のミチオが店に入ってきた――戻ってきた。
大きな体だふたり分も入ってきたからか、
店が狭く感じるようになる。
「戦友ショウは遊んでたんだ。
お疲れ様は労い過ぎだぜ、はっはっは」
ミチオがコントでも見たように豪快に笑った。
店の前を走るバイクより声が大きい。
「まだ決まらねーのか。
珍しいな、こんなに無欲な男がいたとは」
煮え切らない顔のソソグに、
ショウは声をかけた。
指で顎をこするようにソソグを見る。
「自分でも驚いてますよ」
「どうした少年。文字通り迷ってるな」
コントの続きが気になるような顔で
ミチオが聞いてきた。
ソソグの代わりに店主が勝手に答える。
「ソソグが初めてもらったバイト代で、
なに買うか悩んでるんだとよ」
「ミチオさんは初任給とかで何買ったんです?」
「当然サーフボードだぜ。
そのためにバイトしてたんだし」
そう言って自分のボードを叩いた。
壊れないか心配だが、
そんなやわなものじゃないだろう。
「そんなに高そうなのを?」
「いいや、中古のやつだ。
今はもう壊しちまったが、
買ってよかったって思ったぜ」
「サーフボードって壊れるんだ」
壊れそうないと思ったらすぐに、
それを打ち消すような事実が出てきた。
ソソグは興味ありげにミチオのボードを見る。
なぜかロボットの絵柄のロゴが入っていた。
これを見ると頑丈そうな印象があるのだが、
「そりゃもうタイタニックみたいに折れちまった」
ミチオは手でその様子を再現してくれた。
古い映画だが見たことがあったのでなんとなく分かる。
「いや、戦艦武蔵みたいだったかな」
そう言って別の動きも見せた。
こっちは分からないので首をかしげる。
「ま、いいや。
ボードが折れたのはショックだったが、
それでもサーフィンしたくてな。
すぐに新しいの買ったぜ」
再度ミチオはボードを見せてきた。
おそらく新しく買ったボードというのがこれなのだろう。
「ソソグはなんか難しく考えてるかもしれねーな」
「そうかもですね」
「親にプレゼントとかどうだ?
定番だが喜ぶかもしれないぜ」
「母に自分のことに使えって言われちゃいました」
「ソソグのお母様は立派ですごい方だからな。
その程度は先読みされてたか」
ショウはやや怖がったような顔を見せた。
(店主って母さんのこと怖がってるのか?)
そんなふうに思うがあまり聞けなかった。
もしかしたら昔の仕事で似たようなひとと出会って、
怒られたのだろう。
自分も怒られるのは怖いし、
怒られないようバイトをしたいものだ。
「コーヒーは冷めちゃうけど、
お金はすぐになくならないからね。
コーヒー飲んでゆっくり考えよう」
ナミはそう言って
いつの間にか作っていたコーヒーを差し出してくれた。
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