1-1 そして少年はもらした
ソソグは必死に自転車を漕いでいる。
顔は真剣でまじめなことを考えていた。
自分は特に将来のことも考えずに高校生になった。
母の転勤に合わせて今日から鎌倉の高校に通っている。
こうして環境が変わってようやく将来のこと、
自分はおとなになったらなにがしたいのか。
大切なことを今ようやく考えるようになった。
好きなことといえばコーヒーを飲んだり、
カフェを巡ったりすること。
今日も学校が終わるなり、
自転車で街をぶらぶらと走ってカフェをはしごした。
そうしているうちに海まで出てきて今に至る。
海沿いのカフェなんて
ちょっと憧れるシチュエーションにめぐりあいたくて、
自転車を漕いだ。
趣味は楽しくても、
将来役に立つとは思っていない。
だから自分も、
仕事につながることをする必要が
あるかもしれない。
そんな今まで考えもしなかったことを
考えて気を紛らわすほど、
ソソグは今、重大な危機に襲われていた。
「超・トイレ行きたい」
鬼気迫る表情でつぶやいても、
海風がその声を散らした。
カフェを見つけられれば、
あるいは公園などがあればと思った。
それもまったく見つからない。
さっきまで並んでいたレストランもなく、
海沿いには民家ばかり。
さらに今足を止めて姿勢を直したら
出てしまうかもしれない。
今決壊を押さえているのは、
自転車のサドルと内股でペダルを漕ぐ足だ。
そんな状態ではスマホの操作もままならない。
おまけにひともいない。
つまりトイレについて情報が引き出せないでいた。
薄っすらと海の向こうに江ノ島が見えてきた。
右手には江ノ電も車道に並んで走っている。
「もしかしたら駅があるかもしれない」
希望を口にして自転車を漕いだ。
内股で走りづらい。
だが走るしかない。
海沿いを、風を切って自転車が走る。
「サーファーだ」
まるで壊滅した街で生存者を見つけたような声を上げた。
いや、ソソグにとっては救助の手かもしれない。
サーファーのいる方へと目を向けて足を動かし続ける。
近くなるとそれが女の子だと分かる。
彼女は堤防を降りた砂浜に居た。
歳は自分よりも下だろう。
ビキニを着る小さな体で、
抱えるように大きなサーフボードを持っている。
日焼けなのか、
褐色なのかは分からないが肌が小麦色だ。
白っぽい髪が肌とは真逆でとても映える。
彼女はボードを持って海に向かう。
波に乗ろうとしてはひっくり返り、
もう一度海に向かって
ひっくり返りを繰り返していた。
(練習中か。
じゃましちゃって申し訳ないが、助けてほしい)
堤防の階段に近づくと、
ソソグはすぐに自転車を止めた。
(よし、まだ出ないな)
確認。それから、
膀胱を刺激しないようゆっくりと自転車を降りた。
まだ出ない。
女の子はちょうど波打ち際に戻ってきてた。
うまくいってないようで足取りは重そうだ。
あまり声をかけられる雰囲気に見えない。
だがソソグには気を使う余裕はなかった。
階段を降りて声を出す。
「あの! このへんにトイレ――」
ありませんかという言葉がでてこなかった。
違うものが出てきてしまったからだ。
膀胱決壊。
まるで映画のタイトルになりそうな四文字が
ソソグの頭に浮かぶ。
だがそんなかっこいいものではない。
ようは『おもらし』だ。
「あああああああああああああああああああああああああああああああ」
今までもコーヒーの飲み過ぎでトイレに駆け込むことはたくさんあった。
それでもちゃんと間に合っていた。
人前で恥をかくようなこと、
服を汚してしまうようなことはなかった。
それはちゃんとトイレがどこにあるのか分かっていたから。
ここは引越し先の街で、
どこにトイレがあるなんて分からない。
だから間に合わなかった。
ソソグは思わずしゃがみこむ。
「ちょっと大丈夫!?」
ただならぬ様子に女の子は
ソソグのいるところまで駆け寄り、
声をかけてくれた。
ソソグはそれでもショックで座ったまま。
股からはポタポタと液体が溢れる。
さらにアンモニア臭が漂い始めた。
匂いがおもらしを
した事実をより突きつけてくる。
高校生にもなっておもらしなんてしてしまったこと。
この様子からはすぐにそれが分かってしまうだろう。
なんて言われるだろうか?
笑われるだろうか?
それとも次の日学校で噂にしてしまうだろうか?
SNSで話題にしてしまうだろうか?
どれにしても笑われものだ。
「あら……やっちゃったんだ。
この辺トイレないからしょうがないよ」
思わぬ言葉がかけられた。
自分をバカにしたような口ぶりではない。
声は幼くも優しかった。
ソソグはそんな声に思わず顔を上げる。
小麦色の優しいタレ目がソソグを見ていた。
慈愛に満ちた目だ。
無条件で誰でも優しくしてくれる聖母のような印象もある。
自分よりも小さいのに姉、
あるいは母にも感じ始めた。
「えっと、俺」
「大丈夫大丈夫、
ナミちゃん以外誰も見てないよ」
自分のことを『ナミちゃん』と呼んだ女の子は、
手を差し伸べてくれた。
小麦色の小さな手だが、
これから自分を救ってくれる手に見える。
ソソグはその手を取った。
「ポケットの中、全部出して」
「あ、ああ」
そう言われてスマホや鍵を出した。
自転車の籠にあるバッグにしまう。
するとすぐにナミはソソグの手をとって駆け出す。
「こっちだよ」
「どうするんだ?」
「いいから、ナミちゃんに任せて」
ナミに手を引かれて堤防の階段を降りた。
砂浜をふたりで走り海に向かう。
この先になにかあるとは思えない。
なのにナミは夕日に向かっていった。
波打ち際までやってきても、足を止めない。
ソソグの足も海に浸かる。
すると急にナミはソソグの体を引き寄せた。
強引に抱きつかれるのか?
だがナミは自分の体をそらし、
「えい」
ナミが無邪気な声とともに背中を押した。
盛大な音とともに
ソソグは仰向けに海に沈んだ。
体中水浸しになってしまった。
当然パンツの中までぐちゃぐちゃになる。
腕で杖をついて
上半身だけ海から上がった。
それでもナミは
ニコニコしながらソソグを見下ろしている。
「こうすれば海に落ちたってことで済むでしょ」
ソソグが質問を口にする前に、
ナミが答えを出した。
「あ、ああ……。確かに」
ナミの言う通りかもしれなかった。
先程までしていたアンモニア臭はまったくしない。
その代わり潮の香りが鼻をくすぐる。
そいえば海に入るのは初めてかもしれない。
そんなことを思っていると、
ナミは顔を赤くして
こちらを見ているのに気がつく。
「秘密ができたし、お互い様」
「秘密?
俺もなにか見ちゃったのか?」
「ナミちゃんがサーフィンの練習してること。
サーフィンショップの娘が、
サーフィンできないなんて恥ずかしいでしょ?」
「そういうもんなのか?」
「そういうもんなの。
みんなにはないしょだよ?」
そう言って唇に人差し指を当てた。
夕日や、陽の光を反射させる海からの光が
ストロボになっている。
ナミの小麦色の肌や、白い髪がとてもキレイだ。
まるでアイドルのグラビア写真か、
流行ったアニメ映画のワンシーン。
ソソグはしばらく海に浸かったまま、
そんなナミを見ていた。
「自己紹介してなかったね。
ナミだよ。
あっちのサーフィンショップの看板娘。
高校二年生」
そう言いながらもう一度手を差し伸べてくれた。
ハツラツな自己紹介のおかげか、
さっきとは違う雰囲気に思える。
「お、俺はソソグ。
最近鎌倉に越してきた。
今日から高校生」
自己紹介を返しながら、
ナミの手を取り置き上がった。
上下ともに服が重い。
「ふふっ、やっぱりナミちゃんがお姉ちゃんだ」
「あ、敬語」
言われて気がついた。
小さくても年上。
見知らぬ先輩だった。
「いいのいいの。
お姉ちゃんに敬語使う弟がいる?」
「いや、俺は弟じゃないし」
「使いづらい言葉は使わないの。
大人じゃないんだし、
お父さんもそういう時代じゃないって
ナミに教えてきたんだよ」
言いながらナミはまたソソグの手を引いた。
今度は海から離れていく。
「さ、うちは近くだから来て。
シャワー浴びて着替えないと風邪引いちゃうよ」
またサーフィンもの(https://ncode.syosetu.com/n6977ec/)ですが、あちらのパラレルワールド的な感じで書きました。
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