稽古
「さあ、結月君かかってこい」
「はい、お願いします!」
検査を終えた後に三枝さんに案内されたのは武道場だった。待っていたのは、もちろん火野一等海佐。運動がてらに稽古をしようと言われたんだけど、私が剣道を学んでいるのも既に把握済み。個人情報の保護なんてやっぱりないよね。
まあ急な事で少し動揺もしたんだけど、俎板の鯉の立場に拒否権なんてないか。
あきらめて着替えを済まし道場中央で私達は向き合うと、お互いに一礼を済ませて火野一等海佐と乱取り稽古にのぞんだ。
剣道五段の火野さんが竹刀を握る平正眼の構えは、一見穏やかそうに見えたけど、いざ剣先を交えると凄い威圧感が伝わって来た。面金の奥にある火野さんの眼は氷のように冷静に思えて、一瞬の隙も逃さずに打たれるに違いない。
その穏やかな湖面を揺れる落ち葉のような静かな切っ先は、時にゆらゆらしながらも確実に私の喉元を捉えている。寄らば斬るぞと言わんばかりの見事な構えに私は既に気圧されていた。
やばいな格が違いすぎるよ。
幼稚園から両親に勧められて始めた剣道だったけど、こんなのは道場の先生達からも感じたことがない。なんだろうこれは。高段位者が発するただの威圧感ではなく、冷たく熱い相反するものが入り混じったような異質な何かを直感的に感じる。
「どうした結月。かかってこんのか」
「うっ」
火野さんの声は穏やかだったが、彼女が全身に帯びる熱量が上がった気がする。なんだこれ、初対面の時と全く同じじゃない。猫に睨まれたネズミ……それが私だ。
でも気持ちのどこかで、この強敵に挑みたい思いも湧いている。この人から一本を取りたい、窮鼠ネコを噛む。そんな言葉だってある。面の中で唾を飲み込み、竹刀を握る手に力が入った。
……いやダメだ、もっと力を抜いて優しく竹刀を握れ。小指だけだ。
すり足で間合いを詰める。一歩二歩と。それに呼応して火野さんもするすると詰めて来た。竹刀の切っ先が交わり後少し……。いっそう圧が強まって、心臓の鼓動が大きくなり頭までかっとしてきた。自分の体が緊張でこわばっていくのが判る。
ダメだもっと冷静にならなきゃと考えた瞬間に、火野さんの竹刀が私の頭頂を捉えていた。
「面!!!」 スパ――――ン!
火野さんのしなやか体から打ち出された一刀は、重く鋭く伸びてきて全く反応が出来なかった。しこたま脳天に鈍痛が走り、くらっとする。竹刀の軌道さえ追えなかったが、打ち据えられた後に見た彼女の目は見開かれ、獲物を睨む獣のようにさえ感じた。
「つうううっ……」
痛みを堪えて構え直し、間合いを取り再度対峙すると、火野さんからの威圧が更に大きくなったのを感じる。殺気!? いや違う! そんなもんじゃない。よく判らないけどもっと次元の上のものだ!
でも、悔しいがなんか楽しいぞ。こんな事に高揚するなんて変だけど、どこかで覚えがある。そうだ、あの時クリーチャーと対峙した時だ。自分に生きるか死ぬかを突きつけられた感じと少し似ている気がする。
気を取り直して竹刀を火野さんに向け間合いを詰める。
駆け引きがこの人に通じるわけない、真っすぐに行くだけだ。
あと少しだと思った矢先に火野さんはこう言った。
「ほら、打ってこい。これならいいだろう」
火野さんは言葉と同時に右手で竹刀を肩に担ぐと、左手を伸ばしてこっちに来いと隙だらけで手招きしたんだ。
舐められてる!? 頭に血が上った!
その瞬間に私は一足飛びで、間合いに飛んだ。狙いはがら空きの左胴だ。振りかぶった竹刀を打ち込むために踏み込んだ。が、目の前の火野さんが消えた! いや違う私の右側に移動したんだ。
私の竹刀が空を切って、たじろいだところで振り向こうとしたが、すでに背後まで回り込まれた火野さんの竹刀に私の右肩が打ち据えられた。
パア――――ン!
「痛っつ――!」マジで痛い! 本当に竹刀なの? 木刀で打たれたんじゃないかと思うほどの激痛が肩に走ったよ。あまりの痛みについ左手を竹刀から肩に添えてしまうほどだったし、後ろからだなんて。これはもう、剣道の稽古じゃなくない!?
「なんだ? 何を痛がっている。そんなのでよくあそこから生きて帰って来たな。剣から手を放すとはまだ真剣みが足りんと見えるな」
火野さんはそう私に告げると、自分の竹刀を床に置き、続いて防具を外しだした。あれよと言う間に白い道着のみになり、今度は私を目指してズカズカと目の前に迫って来た。胸をはり歩く火野さんの道着のすき間から、その豊満な胸の谷間の汗が光り、つい目が行ってしまったけど、私を見下ろすようなその目がなんか怖い。私に顔を近づけるとまたあの腕力で両腕を鷲掴みにされてしまった。
「結月君、お前も防具を外せ」
「えっ? 火野さんなんでそんなことを。あっちょっと~!」
そういうが早いか、面やら小手やら垂まであっという間に火野さんに外されてしまう。私は防具なしの道着だけになっちゃったが、更にこんな事まで。
「そうだな、その道着も脱ぐか?」
「冗談ですよね!? いやですよ~!」
「私は脱いでも構わんがな。ふっ、私の悪い癖さ。ははははははは」
火野さんは豪快に笑うと、神棚に向かって歩き出した。なにをするのかと見ていると、壁に手を伸ばしている。えっ、それって木刀じゃないの。いや間違いない、火野さんが壁から手にしたのは2本の木刀だった。まさかそれで……。
「さあ、これを持て結月。君との稽古ならこれが良かろう。残念だがここには真剣が置いてないんでな」
「ちょっと待ってください!? それでやるんですか? 防具も無しに」
「ああ、そうだ」
「木刀なんて使ったら怪我じゃ済まない……」
この提案は普通じゃ考えられないことだ。ましてや先ほどから手合わせで彼女の剣は尋常じゃないと身に染みている。その腕から振るわれる木刀なんて、凶器以外の何物でもない。打ち所が悪けりゃ即死するかもしれない……。
「はっ、君に本気を出して貰うには、これぐらいのリスクは必要だと思っただけさ。お遊びはここまでだ。そうだろう、星剣使いの結月君」
「うっ、そうか全部お見通しですもんね。でも私の剣道は火野さんには遠く及ばないし、そんな覚悟なんて持てませんが……」
「だからさ、追い込んでやるさ、私がな」
「…………」
目が笑ってない。マジか。でもやっと火野さんとの稽古の意味がなんとなく判った。私の力量や異能を図るつもりなんだな。
でもどうすればあんな鋭い剣を振るう彼女に対応ができるんだ? あのスピードとパワーなんて私には無い……。
「さあ、始めるぞ」
火野さんから有無を言わさずに突き出された木刀……。海佐にだって立場や色んなリスクがあるのは重々承知の上で戦るって事だよね。そんな考えや心意気が判ら無いほど私は馬鹿じゃないけど。やばいな。考えれば考える程冷や汗がでそうになる。
「本気ですよね火野さん」
「私を殺すつもりでこいよ。つまらん剣なら骨の一本でもへし折ってやる」
「か弱い女子高生にかける言葉じゃないですよ、それ」
「はははは、そうだったな。忘れていたぞ」
口で笑いながらも彼女の目は私に熱い視線をくれている。やっぱり本気だ。どうしよう。いや、大怪我とか考えるな結月。今は集中しろ。腹を括れ。海佐に一太刀浴びせるんだろ。……これもきっと運命に従えだよねイブ。
私は目を閉じてトントンとその場で軽くジャンプをして体を揺すりリラックスさせた。
そして自分を鼓舞するように、気持ちの整理を済ませて道場の中央へ立った。
眼前の敵を倒したい。ようやく集中できた私の頭はただそれだけだ。




