甘い誘惑
結月の真剣な質問に答える声、その声の主のとる行動……。
結月が放ったイブへの質問にしばしの沈黙が訪れている。イブと結月の互いを見つめ合った目が、周囲の入り込む隙を与えずに拒むように映り、紀子と陽菜もそんな二人を押し黙って見つめている。
「私が説明しよう」と、唐突にどこからともなく声が聞こえた。
――誰? イブ以外の三人は唐突な声のありかを求めて周りを見渡すが、誰もいない事に気づき困惑していると、再び同じ声が聞こえてくる。よくよく耳を傾けると女性のようだった。
「イブ、皆を歓迎する。戻っておいで」
「ふう、OK」と、その声にイブは目を閉じて頷き、やれやれといった顔で返答をすると私達に声をかけた。
「うちのボスがお呼び。僕はさっきので疲れたから気をつけて」
「まって、イブ何の事? 説明っていったいだれが……」
私があわてて声をかけると同時に、Gap roomの白い空間が一転しブラックアウトした。急に真っ暗な闇に変化した事に驚く暇もなく、地の底が抜けたかのように空間に浮かんでいた全員が、足元へ落ちていく感覚を味わったのだ。
「なんで――!」
「ちょっと待ってくれ――!」
「はわわわ!」
「だから、気をつけてって言ったのに」
イブ以外は驚きの声を上げたがイブだけは冷静だ。一瞬の出来事の次に待ち受けていたのは暗闇の中を落下する感覚だった。ほんの一瞬のことだが、私達三人は大騒ぎをしながら落ちて行く。
ドフッ ドサドサッ 全員何かの上に落ちたようだ。そこは柔らかな感触の場所だった。赤い照明の中、折り重なって落ちた三人とひょうひょうとそこへ降り立つイブにちょっと腹が立った。
「ふぎゃ! 痛た!」
「おお――っ!」
「もういや――!」
「うるさいなもう」
「お尻さわらないで!」
「私は知らんぞ!」
「重いからどいて~!」
「ほんと五月蠅い」
皆が、口々に声を上げると明かりが灯った。
「ここは何処だ?」昼光色の灯りに陽菜が口を開くと同時に、寝そべったまま私と紀子は周りをキョロキョロと見渡すと壁の一つにドアらしきモノを見つけた。落ちた場所の床の手触りもあり、4人に居る場所は20㎡程の部屋で床や壁、そして天井までが柔らかいクッションで覆われていると気づいたようだが呆れ顔のイブが説明を始めた。
「ここは月面基地のエアロックと同じ。Gap roomからのアウトスペースの一つだ。重力の低い月面では、歩行時が不安定で転びやすいからゲルクッションで覆ってあり、ムーンマニュピレータの格納庫と同じ構造でもある。落下してたどり着くにはとても安全な場所」
「月面基地!? そんなとこに来ちゃったの!」
「かっこいい……」と陽菜。
「なに、馬鹿な事いってるのよ。怖いよ」と驚きの隠せない紀子。
三人はゆっくり立ち上がると思い思いの言葉を口にしていた。
「早合点しすぎ。月面じゃない。ここは日本」
「イブ、じゃあ此処はどこなの?」
「ボスが説明する。皆ついて来て」同時に飛びだしていた床クッションの緩衝ゲルが抜けでこぼこが平らになり、やはりここはとんでもない所だと思い直した。
「ボスって……」さすがの陽菜も不安げな顔を見せていたが、私は踵を返すように歩き始めたイブの後を躊躇なく付き従っていた。顔を見合わせた紀子と陽菜だったが、「行くしかないよね」と後を追いかけてくる。
キキ、パシュッ、プッシ――――ン
大人一人がどうにか通れる小さなエアロックが開き、外に出るとアウトスペースよりさらに狭いステンレスで出来たような無機質な部屋があり、4人が揃うと先ほどのエアロックが閉まり、その部屋の中に閉じ込められてしまった。
「ちょっと、大丈夫なのイブ?」イブの背中越しで話しかけると壁のモニターが作動し、ピピピピピピピッと警告音も発し出した。
『Are you ready, |Start sterilization.《滅菌開始》』
モニターが機械的な音声案内をすると、四方からなにやらガスが勢いよく吹き出てきた!
「えっ! ゴホッ」「なに~い!」「ゴホッ!」
「また、うるさい。すぐ慣れる」
後で聞くと、振り撒かれた薄茶色いガスは、滅菌用のヨード系化合物で、一般的なウィルスへも効果を発揮し人体に対しては優しいそうだが、慣れない私達はむせ込んでしまった。
『|Sterilization《滅菌 》 completed.』そのまま、15分程が過ぎてやっとガスを真空チャンバーが吸い込み滅菌は終了。
「はあ、死ぬかと思った」
「同じく、ゴホッ!」
「もうやだよ」
「今回はパラレルワールドへ渡っていないから簡易。もし渡ったら、この後に医療ポッド行き」
その様にイブは説明を加える。別の地球とはいえ、環境が違う世界だ。間違っても新種のウィルスなど持ち込む訳にはいかない。私も昨日の初戦後にここへ連れられた後に病院へ移送されたらしい。もうこれが二回目とは……信じられないよ、ハア。
パシュッ、プッシ――――ン 音と共に前方のエアロックが解除され、やっと解放された。恐る恐るドアをくぐると、待ち受けていたのは殺風景な通路と強面の大人達だ。
5人ほどが、エアロックの外で待ち構えており、男性二人は見るからに護衛と言わんばかりのサングラス風キュレットに黒のスーツ姿。残る三人も同様に顔にキュレットを掛けており表情が読めない。容貌は白衣を着た男女二人とスラっと背の高い女性が一人。
私達三人は、急に緊張の度合いを増してしまった。確かに映画の世界じゃあるまいが、目の前にいる人物らの姿には驚いてしまう。
イブは、そんな三人を横目に中央にいる背の高い女性と一言二言会話を行うと、私達に向かって「See You.」と話すと、手を少し振りながらその場を離れていった。
――あっ、待ってよイブ。
私は、内心まだイブに別の地球の事を訊ねたいと思っていたし、落ち着いて考えるとまだ礼を言えてない事を思い出していたし、もう一つ聞きたい事もあった。
イブが離れると中央に立っていた背の高い女性が私を目指して歩みだした。
――なに、私に向かってくる。もしかして、この人がボスって人?
深紅の派手なスーツを着込んだ女性は、問答無用とばかりに無遠慮に近づいて来る。身長は高く175cm程、長髪をアッシュブラウンに染め、鼻筋の通った細面だ。目元は、ブラックに色変わりしているキュレットのグラスのせいで掴めないが、大人の美女といっても間違はいないと思う。しかも肩幅の張ったスーツの下の体は近付くに連れて女性離れしたがっしりとしたその体躯が伺える。私はあわてて、側にいた紀子と陽菜を見渡すと二人の表情もこの様子に目が点になっていた。
私を見下ろすように近づく彼女の姿に圧倒されて、ごくんと生唾をのんだ。腋の下になんだか嫌な汗も感じた。まるでネコの睨まれたネズミのように身動きが出来なくなる。
――なになに、この女性いったいなに!? まるで獣のよう!
アッシュブラウンのその女性は、キュレットを片手に取り、その両手で私の両腕をむんずと掴むと、やや吊り上がった瞳とピンク色のルージュで染めた唇を顔に近づけてくる。甘い香水の匂いと半ば強制的に見つめ合う私達がいて、心臓が次第に高鳴って自分の顔が赤くなるのがわかる。
「ようこそ結月。――I Love You.」
彼女はハスキーボイスでそう言うと、唐突に私の唇を奪おうとした。
――ひえええええっ!
5/6 プロローグ 崩壊した街の追加と半分ほどの改稿をしました。ジャンルもローファンタジーへ変更です。これからもよろしくお願いします。
次話:「電脳指令室」