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Liar  作者: 貴堂水樹
第二章 捜査
9/39

1-3

 百瀬の眉間に深くしわが刻まれる。運転席の熊さんも、今の俺の一言にぴくりと肩を震わせていた。


「なるほどな」


 腕を組み、足も組んだ百瀬は深くシートに背を預けた。


「美姫のやつ……最初からそれが狙いだったってわけか」


 驚いた。

 たったこれだけの情報で、自分の置かれている状況を理解したというのか……?


「百瀬」


 もはや、黙っていることはできなかった。


「おまえ……どこまで気づいてる?」


 ゆっくりと、百瀬の視線が戻ってくる。


「というかおまえ、美姫の事件についてどこまで掴んでるんだ?」


 続けざまに問うと、百瀬は再び車の進行方向に目を向けてから口を開いた。


「美姫はオレの他に、ふたりの男と関係を持ってた。殺されてからそのことを知ったオレも相当なマヌケだが、このオレに気づかせなかったとは大したタマだ。……あそこまでオレを真剣にさせた女は、あいつがはじめてだった」


 どくん、と心臓が跳ねた。

 苦しみをにじませた声で百瀬は言う。込められた怒りは犯人に向かっているように見えて、おそらくは百瀬自身に突き刺さっているのだろう。


 百瀬は本気で、美姫のことが好きだった。

 心から信頼し、愛していた女の子を守れなかったことへの怒りが、悔しさが、百瀬の心身をむしばんでいる。


 また一つ、どくんと心臓が鼓動する。

 美姫もまた、百瀬のことが好きだったのだろうか。


「オレは、オレ以外の男のどっちかが美姫を殺ったと思ってる」


 俺の動揺など一切気にする素振りは見せず、百瀬は淡々と語り続ける。


「今のおまえの話から察するに、美姫は親父おやじさんが殺された事件の犯人を追っていたんだろうな。で、どういう手順を踏んだか知らねぇが、オレを含む三人の男を最有力候補と断定。それぞれがどんな人間なのかを探るため、好意があるフリをして近づいた」


 俺や優作が考えていたこととだいたい同じだ。狭い車内で、百瀬は足を組み替える。


「犯人が美姫を殺した理由は次の二択。殺人犯だと名指しされ、発覚を恐れての口封じか、単純に三股をかけられたことが気に入らなくて殺したか」


 前者の場合、口封じという具体的な言葉は出なかったものの、実質的には俺や優作の見解と同じだ。後者は樹里の推理と一致する。


「……美姫のほうが先に犯人を殺そうとして、もみ合った末に犯人が美姫を殺してしまったっていう可能性は?」


 咄嗟に思いついた可能性だが、百瀬も「あー、なるほど」と納得した風でうなずいた。


「なら選択肢は三つか。今おまえの言った最後の一つが一番最初に消えそうだけどな」

「なんでだよ」

「は? 普通にわかんだろ。おまえ、美姫の幼馴染みなんじゃねぇの?」


 むっとして百瀬を睨むと、百瀬はどこか馬鹿にしたような顔で俺を見る。


「あの美姫が考えると思うか? 父親の復讐なんて」


 反論の余地などまるでないド直球な正論に、俺は何も言えなかった。

 百瀬の言うとおりだ。美姫に限って、自ら人を殺すようなことを考えるとは思えない。

 警察官を父に持つせいか、生来の性格か、美姫は正義感の強い女の子だ。だからこそお父さんを殺した犯人が捕まらないことが気に入らなくて自ら犯人捜しを始めたと考えれば納得もいくし、犯人が見つかれば美姫ならまず間違いなく自首をすすめるだろう。ただ、人間の心なんてどうやっても正確に読み解くことはできないのだから、俺の思いついた第三の可能性が百パーセント間違っているとは言えない気もする。


「もう少し美姫が死んだ時の状況が詳しくわかれば、おまえの考えた線を論理的に否定することもできるんだけどなぁ」


 含みのある言い方をして、百瀬はちらりと俺の横顔を覗き見た。


「…………なに」

「おまえ、あの刑事と知り合いなんだよな?」


 ジト、と百瀬の目が細くなる。嫌な予感しかしない。


「……俺に何をさせようってんだ?」

「さすが。話が早くて助かるぜ」


 ニヤリと意地悪な笑みを浮かべ、百瀬は改めて俺をまっすぐに見た。


「あの刑事から事件の情報をき出してこい。美姫の事件だけじゃねぇぞ? 三年前に美姫の親父さんが殺された事件のことも全部だ」

「はぁ?」


 だいたい何を言われるかは想像できていたけれど、どうしてこうも命令的なんだこいつは。訊き出してこい? それが人にモノを頼むときの態度かよ。


「……イヤだって言ったら?」

「バカ言ってんじゃねぇよ。おまえに選択権なんか与えられると思ってんのか?」

「どういう意味だよ?」


 百瀬の湛える笑みがどんどん悪に染まっていって、嫌な予感は加速するばかりだ。


「池月……おまえ、中学生の妹がいるよなぁ?」


 はっ、と俺は腰を浮かせた。


「やめろ! 愛菜あいなには手を出すな!!」

「ほおぅ……よくわかってるじゃねぇか」


 車窓の際に肘を乗せ、左手で頬杖をついた百瀬が嫌らしく口角を上げる。


「妹を守りたいなら、オレの言うことを素直に聞いておくんだな。オレに逆らわない限り、大事な妹チャンの無事は約束してやるよ」


 くそ、と無意識のうちに吐き出していた。首筋にひんやりと、ナイフを突きつけられた時の感覚が蘇る。


 こいつはただ俺に話を聞きたくて近づいてきたわけじゃなかった。最初から俺を利用するつもりで、俺の家族関係まできっちり調べてから接触を図っている。


 バカだと思って油断していた。

 百瀬龍輝――こいつは相当の策士だ。


「……卑怯だぞ、愛菜を人質に取るなんて」


 苦し紛れの小さな文句を漏らしたけれど、選択権のない俺の言葉など百瀬に届くはずもない。


 前言撤回。

 百瀬はいいやつなんかじゃない。悪魔だ。


 俺の心境を知ってか知らずか、当の百瀬は涼しい顔でパーカーのポケットからスマートフォンを取り出していた。


「オレをえさにするといい。どうせ警察はオレを犯人だって決めつけてんだ。捜査情報と引き換えにオレの居場所を教えるとでも言えば多少の揺さぶりにはなる。何なら、警察の掴み切れてない覚醒剤の売買ルートの一つや二つ、教えてやっても構わないしな。それも取引材料に使っていいぞ」


 スマホの画面をタップしながら、世間話をするかのような口調で百瀬は俺に指示を出した。「教えろよ、連絡先」と言われ、しぶしぶ応じる。電話番号を登録すると、メッセージアプリから自動的に〝友達追加〟した旨の通知が届いた。

 ほぼ同時に、「ははっ」と百瀬が小さく笑い声を立てた。


「面白ぇのな、おまえの名前」

「は?」

「名前に漢字の『月』が二つも入ってやがる」


 けらけらと笑い続ける百瀬の横顔を、俺はおもいきり睨みつけた。


 池月祥太朗。

 祥太朗の『朗』の字は桃太郎の『郎』じゃない。生まれたのがたまたま中秋の名月に当たる日で、綺麗な月の見える良く晴れた真夜中に生まれたことから名付けられたと聞かされた。何の因果か、苗字にまで『月』が含まれているせいで名前全体に『月』の字が二つも入ることになってしまった。今の百瀬みたいに、ごくたまにそのことを指摘してくる人がいるけれど、笑われたのはずいぶんと久しぶりな気がする。


「……おまえ、クスリやってんの?」


 どうにかして話題を変えたくて、さっきちらりと名前の挙がった覚醒剤の話を選んだ。まさかとは思ったが、今後の付き合いを考えれば確認しておくに越したことはない。


「いいや。そっち関係はてんで興味がねぇよ。あんなものは正真正銘のバカがやるこった。ドラッグキメてハイになって、何が楽しいんだ? 自分がどうしようもねぇバカだってことを自分から世間に吹聴ふいちょうして回ってるようなもんだろ」


 くだらねぇ、と百瀬は吐き捨てるように言う。本当にそう思っているらしいことは伝わってきた。


 小さく息をつき、流れゆく外の景色に目を向ける。気がつけば、すっかり夜のとばりが下りていた。


 先行きはまったくの不透明で、見上げれば空には暗雲が立ち込めている。けれど、もはや俺には逃げ道など用意されていなかった。


 ――なぁ、美姫。


 つい、心の中でその名を呼ぶ。


 教えてくれよ。

 どうして俺は、こんな厄介なことに巻き込まれてるんだ――?


 答えてくれる声はなかった。

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