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Liar  作者: 貴堂水樹
第四章 深愛

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2-3

 思わぬ一言に、僕はうっかり声を上げそうになった。


 今、彼女は何と言っただろう。

 愛していると、そう言わなかったか。


 僕が戸惑った顔をしていると、美姫はやっぱり自信満々な顔で笑った。


『あたしね、小さい頃からずっと祥ちゃんのことが好きだったの。でも、それと同じくらい龍輝のことも好きになった。……あ、龍輝っていうのは高校の同級生で、今のあたしの彼氏ね?』

『彼氏って……君、隼人先輩は……?』

『やだなぁ、さっき言ったでしょ? 隼人くんと付き合ってるフリをしていたのは、キミをおびき出すためだよ』


 バカな。僕という真犯人をあぶり出すためだけに、美姫は好きでもない男の恋人のフリをしていたというのか!


 うろたえる僕に向かって、美姫はぺろりと舌を出した。なんていう子だ。肌が粟立った。


『もともと龍輝に近づいたのはお父さんの事件について調べるためだったんだけど、龍輝という人を知れば知るほど、彼の魅力に惹かれていったんだ。なんとなくあたしに似てたんだよね、龍輝って。ほんとは人一倍寂しがり屋のくせに、ヘンに強がってみせたりしてて』


 ふふ、と楽しそうに彼氏のことを聞かせてくれる美姫。どんな顔をして彼女の話に耳を傾ければいいのかわからなかったけれど、美姫は一向に話をやめようとしない。


『祥ちゃんはいつまで経ってもあたしに告白してくれないし、このままずっと龍輝だけを愛していこうかなーなんて思ってみたりもしたんだけど、考えるたびにやっぱり祥ちゃんのことも同じくらい好きなんだってことに気づかされてさ。……龍輝と付き合ってることを話したときの祥ちゃんの顔が忘れられないんだよね。すっごく悲しそうだった』


 その場面は僕にもしっかりと想像できた。祥太朗が美姫を想っていたことは、僕も圭もずっと前から気づいていたから。


『龍輝を選べば、祥ちゃんが悲しむ。かといって、祥ちゃんを選べば今度は龍輝を悲しませちゃう。龍輝はきっと強がるだろうけど、本当はひとりになるのを怖いと思ってる子だからね。あたしが離れていったらきっと冷静じゃいられなくなる……下手をすれば祥ちゃんを攻撃しちゃうかもしれない。そんな未来になるかもって考えたら、どちらかを選ぶなんて無理だって思った』


 わかるでしょ? と美姫は言う。


『あたしがいなくなれば、祥ちゃんも龍輝も悲しむ結果になる未来は永遠に訪れないし、事件解決に向けて協力することでふたりの間に絆が生まれる日が来るかもしれない。……ふたりの悲しむ顔を見ずに済むなら、あたしは死んだって構わない』


 それに、と美姫はやや顔つきを怖くする。


『自分が殺されることよりも、キミがあたしのお父さんを殺したことに罪の意識を覚えないままのうのうと暮らしていくことのほうが、あたしはよっぽど悔しいから。あのふたりなら、きっとキミを正しい道へと連れ戻してくれる……あたしはそう信じてるの』


 だから殺して、と美姫は言った。

 あたしはキミを逃がさない、とも。


『…………めちゃくちゃだ』


 そう。美姫の言っていることはめちゃくちゃだ。


 愛しているから、信じられる?

 訪れないかもしれない未来に、なぜそこまで自信を持つことができる?

 僕に償いをさせるためだけに、どうして己の命をそう易々(やすやす)と差し出せる?


 彼女は本当に、何を考えているのだろう。


『めちゃくちゃだよ、美姫』

『そう思うなら自首してよ。それですべて終わるんだから』


 美姫は怒った声色で言う。当たり前だ。今の僕はどうしようもなく、優柔不断な男なのだから。


 けれど、僕にだって自信はある。龍輝というのがどのような人物なのかはわからないが、もうひとりの相手はあの祥太朗だ。龍輝という男はともかく、祥太朗なら僕のほうがずっと上手うわて。うまくやれば、彼が僕にたどり着くことは一生ない。


『ねぇ、美姫』

『なに』

『君が死んでしまうことで、ふたりともが悲しむっていう考えはないのかい?』

『何言ってるの。それはあたしが決められることじゃないでしょ』

『……というと?』

『あたしが死ぬことで祥ちゃんと龍輝が悲しむかどうかなんて、そんなのあたしにはわからないよ。ふたりが本当はあたしのことをどう思ってるのかがわからないんだから。けど、仮にふたりともが悲しんでくれたとして、あたしを取り合ってケンカになるよりはマシでしょ? あたしがいなくなったってふたりにはまだまだ未来があるし、あたしよりもずっと素敵な女性なんていくらでもいる。あたしを巡ってふたりの関係が壊れちゃうくらいなら、あたしなんていないほうが幸せになれるはずだと思わない? あの子たちって性格は真逆だけど、仲よくなったらとことん相性がいい気がするんだよね』


 ふふふっ、と美姫は楽しそうに笑う。本当に彼女は、ふたりのことが好きなのだ。


 しかし、とんでもない暴論だ。間違ってはいないかもしれないが、かなり偏った考え方だ。


 そういえば、美姫はいつもそうだったなぁと思う。

 自分が正しいと信じた道を、脇目も振らずとことん突き進む。己の願いを叶えるためならば、嫌いな相手にだってためらうことなく笑みを向ける。

 そんな彼女は、僕の罪を暴くために自らの命をなげうつことさえ厭わない。

 美姫という女の子は、そういう子だ。


『それが君の答えなんだね』


 さっきのセリフをそっくりそのまま返すと、『そうだよ』と美姫はうなずいた。


『キミには絶対、罪を償ってほしいからね』


 天国でお父さんが待っててくれてるし、と美姫は嬉しそうに笑った。僕が美姫の父親なら、こんな末路を選ぶ娘を決して歓迎しないだろう。


『あたしの勝ちだよ、優作』


 美姫の瞳が鋭く光った。


『あたしは、龍輝と祥ちゃんを信じてる。あたしが信じることをやめない限り、キミは絶対に捕まるから』


 真っ向から煽ってくる美姫。包丁を握る手に力が入った。


『それはどうかな』


 一歩、僕は美姫に近づいた。


『こう見えて僕、結構運がいいほうなんだ』

『へぇ、奇遇だね。あたしもどちらかというと強運の持ち主だよ』


 もしかしたら死なないかもね、なんて言って、美姫はやっぱり力強く笑う。湛えられたその笑みに、僕の迷いは消えた。


『最後に言い残しておきたいことはあるかい? 機会があれば伝えよう』

『へぇ、優しいじゃん。そうだなぁ……じゃあ、龍輝と祥ちゃんに「無茶してごめんね。愛してる」って伝えてくれる?』

『わかった。間違いなく伝えるよ』

『あ、あと祥ちゃんには「いつまでも泣きべそかいてちゃダメだよ」って言ってあげて。あたしが死んだら絶対しばらくは立ち直れないだろうから』

『そうだね。僕も祥太朗が一番最後まで引きずっていると思う』

『あー待って! あとこれも! ――「祥ちゃんなら大丈夫、ちゃんと自分に自信を持ってね。祥ちゃんの言葉を待ってる人はたくさんいるんだから」って』


 わかった、と僕は答えた。本当に、これで最後だ。


 僕と美姫との距離は、包丁の柄の長さ分だけに縮まった。

 最後に美姫は、僕の耳もとで二つの名前をつぶやいた。


 頼むね、龍輝、祥ちゃん――と。




「これでわかったろう?」


 美姫とのやりとりを語り終えた優作は、静かにそう口にした。


「僕と君たちは同じなんだよ……僕らは三人とも、美姫の手のひらの上でいいように踊らされていたというわけさ」


 優作の言うとおりだった。

 今回の事件は、すべて美姫の思惑どおりに進んだ。美姫の望むままに、俺と百瀬は優作を追い詰めた。命を賭けた大勝負は、命を落とした美姫に軍配が上がったのだ。


 けれど俺には、美姫の思惑なんてどうでもよかった。


「…………ッ」


 頬が、冷たい。

 泣いている場合じゃないのに、涙があふれて止まらない。


「なんでだよ」


 ふら、と吸い寄せられるように、俺は優作に近づいた。


「どうしてだよ、優作」


 がしっと両手で胸ぐらを掴む。人の胸ぐらを掴んだのはこれがはじめてだ。


「なんで美姫を殺した!? どうして自首しなかったんだよ!?」


 涙のおかげで視界がぼやけ、優作の顔がよく見えない。けれど眼鏡の奥で、優作の瞳が揺れたような気がした。


「答えろよ! 優作ッ!!」


 優作は唾をのみ込み、黙って俺から目を逸らす。

 心の隅で、ぷつんと糸が切れる音がした。


 ドンッ!


 生まれてはじめて、人を殴った。

 その相手がまさか優作とは、夢にも思っていなかった。握った右手がじんと痛む。


「…………俺は」


 涙とともに、言葉が自然とこぼれ落ちた。


「俺は、美姫のことが好きだったんだよ」


 何年も、何年も、言えずに抱え続けてきた想い。

 今、ようやく言葉にすることができた。


「『あたしよりも素敵な女性がいる』だって? ふざけるな! 俺には……俺には美姫しかいなかったんだ! 俺はずっと、美姫の隣にいたかったのに……ッ!」


 言ってしまえば、こんなにも簡単なことだったのかと思う。

 たったこれだけを口にすることが、どうしてあの頃の俺にはできなかったんだろう。


 悔しい。

 おまえのことが好きだって、きちんと美姫に伝えていれば。

 そうすれば、こんなことにはならなかったかもしれないのに。


「美姫の笑った顔が好きだった。しゃべる声だって、ずっとずっと聞いていたかった。なのに……美姫はもう…………!」


 もう二度と、美姫の笑顔に出逢うことは叶わない。

 もう二度と、美姫と言葉を交わすことは叶わない。


 俺が心から愛した、ただひとりの女の子。

 何一つ満足に伝えられないまま、美姫はこの世界から、俺の前からいなくなってしまった。


「返せよ」


 立っていられるだけの力が出せなくて、俺はその場で膝を折った。


「美姫を……返してくれよ……ッ!」


 ちゃんと目を見て伝えたい。

 ほんの一瞬でいい。美姫の前に立って、おまえが好きだと言ってやりたい。

 たったそれだけの願いなのに、どうして叶わないのだろう。


 砂まみれになっていることなどお構いなしに、俺は地面に崩れ落ちて泣いた。優作を見上げる気力はもうない。今はただ、怒りと悲しみと悔しさのすべてを声に乗せて、泣き続けることしかできそうになかった。


「志水」


 不意に、百瀬の声が聞こえてきた。その声でようやく顔を上げることができた俺は、目に飛び込んできた光景に息をのんだ。


 ドンッ!


 俺が殴ったほうの頬とは反対側。百瀬は優作の顔面を、左手でおもいきり殴りつけた。俺よりもずっと強い力で殴ったらしく、優作は軽く吹っ飛んで地面に倒れ込んだ。


「オレの当初の目的は、美姫を殺した人間……つまり、おまえを殺すことだった」


 殺人犯よりもなお冷たい目をして、百瀬は優作のことを見下ろした。


「だが、オレがおまえを殺すことは美姫の遺志に反する。あいつの望みは、おまえに償いをさせることだ。本当は今すぐ美姫と同じ殺し方であの世へ送ってやりたいところだけどな、それじゃ美姫がすすんでおまえに殺されてやった意味がない」


 そう言って、百瀬は公園の外へと視線を投げた。一つうなずくと、すぐに垣内さんが車から降りて姿を見せた。


「償え、志水――おまえの負けだ」


 駆け寄ってきた垣内さんは、抱きかかえるようにして優作を連行していった。百瀬と何か二言三言話をしていたようだったけれど、俺の耳にはよく聞こえてこなかった。


「おい」


 未だに泣き続けている俺の正面に、百瀬はどかっとあぐらをかいて座り込んだ。


「いつまで泣いてるつもりなんだよ、おまえは」

「……だって……っ!」


 これで泣かずにいられるほうがおかしい。幼馴染みを殺したのが幼馴染みだったんだ。ちょっとくらい泣かせてほしい。


「よかったなぁ、池月」

「え?」


 顔を上げると、百瀬は凜々しい笑みを湛えて言った。


「自分の気持ちに正直になれて」


 はっとした。白い歯を見せて百瀬は笑う。


「気分がいいだろ? ずっと心に秘めてた想いを、ようやく口にできたんだから」


 美姫にも届いてると思うぜ、と百瀬は空を見上げて言った。その瞳にもうっすらと、涙がにじんでいるように見える。


 しばらくの間俺たちは、誰もいない公園の真ん中で静かに美姫のことを想った。


 ――愛してる。


 優作から伝えられた美姫の言葉が、頭の中で何度も何度もリフレインしていた。

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