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Liar  作者: 貴堂水樹
第四章 深愛
36/39

2-2

 一歩たりとも譲ることなく、ゆるぎない絶対的な自信を全身で見せつけた百瀬の姿に、俺はただただ唖然とするばかりだった。


 ――すごい。


 素直に、すごいと思った。

 こんなにも頭がよくて、自分の推理に自信を持っていて、殺人犯を前にまったく動じない男が高校の同級生だなんて、どうしたら信じることができるだろう。


 今日まで俺も一緒になって美姫の事件を追ってはきたけれど、今の百瀬はこれまでのどの瞬間よりもずば抜けてすごい。他にもっと彼を形容する適切な言葉があるはずなのに、見事に語彙ごいが吹っ飛んで〝すごい〟以外に何も出てこない。それほどまでに俺は、目の前に立つ百瀬龍輝という男に圧倒されていた。


「どうする、志水? まだたまがあるってんなら、もうちょっとだけ言い訳合戦に付き合ってやってもいいぜ?」


 何度やってもオレの勝ちだとその目で雄弁に語る百瀬は、少しだけ面倒くさそうな雰囲気も醸しつつ、優作に問いかけた。


 ついに優作は、固く結んでいた口もとを緩めた。


「いいや、やめておくよ」

「へぇ、意外と諦めがいいんだな?」

「それ」


 優作は百瀬のパーカーのポケットをさして言った。


「ボイスレコーダー。盗聴器が仕掛けてあるって言ってたよね? きっと今もどこかでこの会話を拾って録音しているんだろう? なら、僕がこの先どれだけ言い訳を並べて立てても意味がない。一度口走ってしまった言葉は二度と取り返せないんだから」

「はん、ようやく冷静に状況判断ができるようになったみてぇだな?」


 おかげさまで、と優作は肩をすくめる。百瀬は満足げに口角を上げた。


「ご明察。実はこの公園のすぐ近くにレシーバーと録音用のボイスレコーダーを設置してある。この手の自白は裁判でも使える明確な証拠になるからな。あとになって言った言わないでもめると面倒だろ?」


 そのとおりだね、と優作は答えた。ちなみにレシーバーは設置しているのではなく、現在公園の外で待機している垣内さんが車内でそれらを構えて俺たちの会話を録音する役目を担っていた。ついてくるなと言っておきながらちゃっかりその存在を利用している百瀬の図々しさは、もはや尊敬に値する。


「しかし大したものだな、百瀬くん。泉習館でも君ほど賢い子にはなかなかお目にかかれないよ」

「んなこたぁねぇだろ。おまえがヒントをくれなかったら、真犯人にたどり着くまでもうちょっと時間がかかってただろうしな」

「それでも君は、いずれ僕にたどり着いていた?」

「当たり前だ。オレもおまえと同じで手段を選ばないタイプなんでな」

「……ずいぶんと嫌味な言い方だね」

「事実だろ。ふたりも殺しておいて文句が言える立場かよ、おまえは」


 確かに、と言いながら優作は眼鏡のブリッジを押し上げ、小さく息を吐き出した。


「百瀬くん……君、下の名前は?」


 改めて百瀬のことを見た優作が静かに尋ねる。「てめぇに教えてやる必要がどこにある?」と百瀬が冷ややかに答えると、優作は俺に視線を投げてきた。同時に百瀬が俺を睨みつけてきたけれど、なぜ優作がそんなことを尋ねたのか、その意図を知りたい気持ちがまさり、百瀬に代わって俺は優作の問いに答えた。


「龍輝だよ」

「あぁ、やっぱりね」

「やっぱり? それどういう意味?」

「美姫に言われたのさ……『龍輝と祥ちゃんなら、必ずキミにたどり着くから』って」


 えっ、と声を上げた俺と、わずかに眉を寄せる百瀬。俺たちが目を見合わせると、優作はどこか諦めたような口調で話し始めた。


「美姫が隼人先輩と連れ立って歩いている姿を学校の近くで見かけたとき、すぐに美姫の意図に気づいたよ……あぁ、きっと三年前の事件を独自に調べ直しているんだって。学校を辞めてしまったとはいえ、隼人先輩は中等部時代に僕と直接関わりのあった先輩だ。美姫は僕のことを疑っているに違いないと即座に思った。そんなことを思ってしまったばっかりに、僕は美姫の術中にはまってまんまと誘い出されてしまったというわけさ」




『本当のことを教えてほしいの』


 気がつけば僕たちは、水津駅近くの小さな公園にたどり着いていた。秋の夜風が、キンと冷たく頬をかすめる。


 美姫が隼人先輩と付き合っていることを知った僕は、その日のうちに美姫と連絡を取った。そして数日が経った今日、美姫ははるばる僕のもとへと会いに来てくれた。


 時刻は午後九時を少し過ぎたところ。僕の通っている医学部受験専門予備校からおよそ一駅分、星のない夜道を、簡単な近況報告以外にほとんど言葉のないままふたりきりで歩いた。


『本当のこと?』


 美姫に問われたことを、そっくりそのまま口にする。『とぼけないでよ』と美姫はふくれた。


『優作なんでしょ? ――あたしのお父さんを殺したの』


 別に驚きはしなかった。はじめて隼人先輩と美姫が一緒にいるところを見た日から、いつかこうして僕を訪ねてくるだろうと予想していたから。


『何か根拠があって言っているのかい?』

『ないよ。あるならとっくに警察が見つけてるはずでしょ』

『じゃあどうして君は、僕がお父さんを殺したと?』


 一呼吸置いた美姫は、少しだけ声のトーンを下げた。


『お父さんが教えてくれたの』

『え?』

『ねぇ、優作……キミ、クスリの売人やってるよね?』


 まさか、と僕はここではじめて息をのんだ。


『……調べたのか』

『ごめんね。ここ数日の間、キミのことを尾行させてもらったよ。そうしたらビックリ! キミみたいな優等生がクスリを流す仕事に手を染めていたなんて』


 気づかなかった。仕事をするときはいつも以上に気を張っていたはずなのに。やはり美姫は刑事の娘、さすがといったところか。


『大丈夫だとは思うけど、一応聞いておくね。優作……まさか自分では使ってないよね?』

『……あぁ、その心配はないよ』


 よかった、とつぶやいた美姫の心から安堵した表情を、たった一ヶ所だけ設置されている外灯の青白い光が照らした。


『しかしわからないな。君が僕に疑いをかけたきっかけって何だったんだ?』

『あぁ、それはね』


 ピン、と美姫は人差し指を顔の横で立てた。


『お父さんとの会話を思い出したからだよ』

『会話?』

『そう。はっきり誰とは言わなかったけど、お父さん、あたしの友達の中の誰かが罪を犯した現場をわざと見逃したことをすごく悔やんでた。そんな会話を交わしたことを思い出したのは高校に入ってからだけど、お父さんが認識してるあたしの友達って東松町に住んでるみんなくらいだったから、きっとその中の誰かなんだろうなと思って』

『なるほど、それでか』


 うん、と美姫はうなずいた。


『祥ちゃんはビビりだから絶対ないなって思ったし、圭もあのまっすぐすぎる性格じゃどんな小さな犯罪にも手を出しそうにないでしょ? 碧衣は何かやらかしてるかもなーと思ったけど、何せあの子はバカだからね。仮にお父さんを殺せたとしても警察の捜査網からうまく逃れられたとは思えない。残るは優作か樹里か冴香……この三人のうちの誰かってことまではどうしてもうまく絞れなかった。かといって、あたしひとりが改めて調べたところでお父さんを殺したっていう確実な証拠が今更出てくるとは思えない。だったら何か他の手段で犯人をあぶり出すしかないでしょ?』

『他の手段?』

『そう。だからあたしは隼人くんと付き合うことにしたの……自らの罪をひた隠しにするために人ひとり殺せてしまうような人間をおびき出すには、その人をもう一度、罪を暴かれる危険に晒せばいい。そうすればその人はきっと、今度はあたしを殺すため近づいてくるはずだと思ってね』


 なんということだ。まさか美姫が、そこまで先を読んで隼人先輩と交際していたなんて。

 とんでもなく恐ろしいことをさらりと口にする美姫が、この世の闇をすべて集めてその身にまとっている妖艶な魔女のように見えた。

 ドラッグの売買に手を染め、我が身の可愛さゆえに殺人まで犯した僕を前に、彼女は微塵も怯えていない。それどころか彼女は、自ら進んで僕に近づくような真似を平然と成し遂げている。


 わからない。僕に殺されるかもしれないというのに、どうしてこんなにも余裕をかましていられるのだろう。彼女は一体、その腹に何を抱えているというのか。


 ふふっ、と美姫は少しだけ声に出して笑った。


『ほんとビックリ。こんなにもうまくいくとは思わなかった。優作って、結構わかりやすい性格してるよね』

『……そう?』

『そうだよ。キミは昔から自分のことが大好きだった。頭のよさを鼻にかけたりしないから嫌味な感じがないし、他人に対しての当たりも強くないからみんなともうまくやってこられてたけどね』

『それでも、キミの目に映る僕は自己愛に満ちていたと?』

『うん。あたしみたいなひとりっ子と違って、三人兄弟の末っ子はいろいろと苦労が多いんだろうなぁって思ってたよ。家族の目がお兄ちゃんやお姉ちゃんにばかり向いてるから、自分で自分を可愛がるしかなかったのかなぁ、とかさ』


 うっかり図星丸出しの顔をしてしまったら、美姫はやっぱり少しだけ声を上げて笑った。


『……まいったね。すべてお見通しってわけか』

『家族から愛情を注がれていないと感じている子どもが非行に走ってしまうことは多いんだって、お父さんが言ってたから』

『へぇ、さすがは現役刑事。僕の心情もすっかり読み解かれていたんだ?』

『さぁ、そこまでは』


 美姫は肩をすくめた。それはそうだろう、お父さんから直接僕の話を聞いたのではないのだから。我ながら愚問だった。


『自首してよ、優作』


 改めて、美姫は僕の目をまっすぐに見て言った。


『お願い……これ以上罪を重ねないで。お父さんを殺したことは許せないけど、ちゃんと自分の罪と向き合ってくれるなら、許せるように努力するから』


 真摯に訴えかけてくる美姫の姿に、僕の心は揺れた。

 このまま自首してしまえば、三年前の出来事はすべて無駄になってしまう。何のために幼馴染みの父親を手にかけたのか。その意味は、僕自身が一番よく理解している。


 僕は、僕の未来を守るために美姫のお父さんを殺した。


 ドラッグの売買は、うまくやれると言いようのない万能感に浸れて気分がよかった。薬物による高揚感を、僕は売買行為にすり替えて味わっていたのだ。


 あの人は――美姫のお父さんは、僕が薬物を流している現場を目撃したと言い、僕に自首を勧めてきた。それこそ、今の美姫と同じように。

 仕事と仕事の間は一定期間あけるようにしていたから、美姫の父親が改めて僕を訪ねてきたのは僕が仕事をしている瞬間ではなかった。現行犯なら諦めていただろうに、僕はていよく言い訳をしてその場を凌ぐことができてしまった。


 それこそが、そもそもの間違いだった。素直に自首しておけばよかったものを、逃げてしまったことで余計不安になってしまったのだ。

 一度バレているのだから、僕は間違いなく警察にマークされることになる。次に現場を押さえられれば確実に逮捕されてしまうだろう。


 捕まれば、すべてを失うことになる。

 それだけはどうしても許せなかった。


 だから僕は、美姫のお父さんを殺した。

 そして今日も、目の前にいる幼馴染みを、今まさに手にかけようとしている。


 ――どうする?


 美姫の狙いどおり、今この場で彼女を殺してしまうか。


 もちろん、リスクはある。美姫が今日僕と会うことを誰かに話してしまっていたらアウトだ。間違いなく僕に容疑がかかる。だが、今からでもアリバイを作ろうと思えば作れるし、証拠を残さないよううまく動けばあるいは言い逃れることも可能だろう。


 ――どうする。


『やっぱり、ダメかな』


 迷いためらっていると、美姫は困ったような目をして言った。僕らの間を、すぅっと夜風が吹き抜ける。


 しばらく黙考したのち、僕は黒い皮手袋をはめ、鞄の底から一本の包丁を取り出した。美姫の狙いを知った時から、いつも持ち歩いていたものだ。


『……そっか。それがキミの答えなんだね』

『悪いね。そう簡単には自分を曲げられないよ』


 だよね、と美姫はつぶやいた。


『本当にいいんだね? あたしを殺しちゃっても』


 なぜか自信たっぷりでそう言った美姫の瞳に、僕はとてつもない不安に駆られた。


『僕と会う予定だということを誰かに話してきたのか?』

『ううん、誰にも言ってないよ。話したところで証拠が出なくちゃキミの犯行を裏づけることはできないだろうし、賢いキミのことだから、疑われるとわかった状況で証拠を残しておくとも思えないしね。うまく言い逃れられたり、雲隠れされたりしたら意味がないでしょ?』

『だったら……』


 なぜだ? なぜそんなにも強くいられる?

 命の危険に瀕したこの状況で、どうして笑っていられるんだ……?


『よく考えてみて、優作』


 美姫は言った。


『どうしてあたしがこんな風に、自信満々で自分を犠牲にするような真似をするのか』

『どうして……』


 わからなかった。理解不能だ。

 僕の罪を暴くためだけに、これほど破滅的な行動が取れるものか? 彼女の真の目的とは、一体……?


『あたし、信じてる人たちがいるの』


 うまく答えられずにいると、美姫はそっと口を開いた。


『もしもあたしが殺されたら、絶対に黙っていない人がいる。もしもあたしが殺されたら、絶対に自分を責める人がいる。あのふたりならきっと、あたしを殺した犯人を捜し出そうとするはず。何があっても、どんな手を使っても、必ずキミという存在を捜査線上に浮かび上がらせる』


 大丈夫、と美姫は、祈るようにそっと胸に手を当てた。


『龍輝は見かけによらずめちゃくちゃ賢い。ズル賢いとも言えるけど、まぁそれはそれとして。とにかく龍輝は、必ず祥ちゃんに近づいて犯人捜しに利用しようとするはず。受け身な祥ちゃんのことだから最初は嫌がるだろうけど、祥ちゃんもきっと最後には龍輝の意図を正しく理解して、事件解決に協力する。祥ちゃんだって、いつまでも自分を責め続ける人生なんて嫌だと思うはずだから』


 顔を上げた美姫は、強い光を宿した瞳で僕の姿をとらえた。


『龍輝と祥ちゃんなら、必ずキミにたどり着く――それでもキミは、あたしを殺す?』


 そこには、少しの迷いもなかった。あまりにもまっすぐな彼女を前に、僕のほうが迷ってしまう。


 僕はこのまま、彼女を殺してしまっていいのだろうか。

 僕の罪は、いずれ暴かれてしまうのだろうか。


『……その自信は一体どこから湧いてくるんだ? 美姫』


 無意識のうちに問うてしまう。すると、美姫は凜々しい笑みを湛えて答えた。


『そんなの、ふたりを愛してるからに決まってるじゃん』

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