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「嘘だッ!!」
こんな話、黙って聞いていられるわけがない。
「俺たちの誰かが犯人!? バカなこと言うなよ! あり得ないってそんなの!!」
「落ち着けよ池月」
「落ち着け!? この状況でどうやって落ち着けって言うんだよ!?」
「うるせぇな! 黙れっつってんだよ! ぎゃーぎゃー騒いだところで現実は変わらねぇだろうがっ!」
はっとした。
今この瞬間、松本刑事に聞かされた美姫の推理に動揺しているのは俺だけだ。百瀬は声を荒げたものの、話の内容に心を乱している様子はない。つまり百瀬は、最初からこの答えにたどり着くことを知っていたということだ。
「……百瀬」
そう。俺と学校のすぐ近くではじめて鉢合わせた時こそ木ノ前隼人と矢田静馬を疑っていた百瀬だったが、今はもうそんな風には考えていない。
「おまえ、気づいてたのか……?」
いつから、どのタイミングでなど、詳しいことはわからない。しかし百瀬は今、俺たち六人の中に美姫と美姫のお父さんを殺した犯人がいるのではないかと考えている。そういうことだ。
俺の問いかけに、百瀬は黙ったまま目を逸らした。言葉を探しているのか、百瀬が押し黙るなんて珍しい。
「最初から疑ってたわけじゃねぇ」
少し間を置いてから、百瀬はゆっくりと口を開いた。
「おまえら六人は三年前の事件で警察から聴取を受けたんだろ? その時警察がシロだと判断したなら、今回美姫が殺された事件についておまえらを疑う要素がない。三年前の親父さんの事件と今回の美姫の事件とが無関係だっていうのなら話は変わってくるが、それならなおさら容疑者をおまえら六人の幼馴染みに絞るなんてことにはなり得ない。美姫の交友関係は警察も広く当たるはずだからな」
「だったらどうして? 俺のことはともかく、いつから俺以外の五人のことも疑い始めた?」
百瀬はスッとパーカーのポケットに両手を突っ込んだ。
「前に言っただろ? 美姫がどうして木ノ前と矢田、それからオレの三人を親父さんの事件の容疑者だって断定できたのか、それが一番の疑問だって。そしたら案の定、木ノ前も矢田も美姫からは親父さんのことを聞かされていなかったと証言した。もちろんオレもだ。つまり美姫は、オレたち三人を親父さん殺しの容疑者だと確信して近づいてきたわけじゃなかった……何か別の目的があって三人同時に付き合うような真似をしたってことだ」
「別の目的?」
百瀬はかすかにうなずいた。
「さっきこのおっさんが聞かせてくれた美姫の推理、オレも全面的に同意する。美姫の親父さんが殺されたのは犯罪行為の隠蔽……口封じのため。今回の犯人は相当自分に自信のあるやつだ。いいことも悪いことも、すべて自分の思いどおりになると思ってやがる。自分という存在を貫き、それを否定するものを徹底的に排除する。そのためには殺人さえ厭わない……そんな人間だ」
信じられない。そんな卑劣な考えを持つ人物が、本当に俺たち六人の中にいるというのか。
「ただし、美姫が求めていたのは三年前の警察の捜査で明らかにならなかった事件の真相だ。素人の女子高生ごときに解決できるとは思えないし、美姫自身もそう思ってただろうな。何より問題なのは、事件から三年も経っているせいで明確な証拠が今になって見つかる可能性が極めて低いということ。こればかりは美姫だろうが警察だろうがどうすることもできない。そこで美姫は考えた。今回の犯人は自らの身を守るためならどんな手段にでも打って出るような人間だ。事件から三年が経って、世間はすっかり事件のことなんて忘れちまってる。そんなタイミングでもう一度事件のことを引っかき回そうと目論む人物が現れたとしたら?」
「ちょっと待てよ」
まさか、そんな。
「じゃあ、美姫は……?」
わずかに目を細め、百瀬は静かに言った。
「美姫は父親殺しの犯人をおびき寄せるため、自らを餌にする計画を立てた……つまり、事件について嗅ぎ回られることをおそれた犯人が、今度は美姫の口を封じるために近づいてくるよう仕向けたってわけだ。木ノ前と矢田、そしてオレは、犯人に美姫が三年前の事件の真相を追っていると悟らせるための道具だったんだよ」
俺は言葉を失った。悪い夢を見ているみたいだ。だけど俺にも、今の百瀬の推理が正しいものだということはなんとなくわかる。
この推理が真実なら、木ノ前隼人と矢田静馬、それから百瀬が、美姫からお父さんの事件について何一つ聞かされていなかったことにも納得できる。美姫にとって三人はただの道具。ならば、父親が殺されたなんていう話をして何かしらの情報を引き出そうとする必要はない。
そして、百瀬以外のふたりが美姫と関係を持ち始めたのは今からおよそ三ヶ月前……美姫がお父さんの事件についての詳細を訊き出すために、碧衣を使って松本刑事を脅した時期と一致する。木ノ前と矢田、このふたりの情報は松本刑事から得たものだったというわけだ。
「オレが美姫と付き合い始めたのは今年の四月。美姫は去年早坂に入学して池月と再会したことで親父さんの事件ともう一度向き合う気になったっていう話だった。なら、あいつがオレに近づいた理由も親父さん殺しの関係と考えて間違いない」
「でも美姫はおまえにお父さんの事件の話をしなかった……だとしたら美姫の目的は、おまえを容疑者だと考え、事件の話をすることで心理的な揺さぶりをかけるためじゃなかった」
「あぁ。おそらくおまえを疑っていたわけでもない」
「じゃあ、冴香を……?」
「冴香?」
「音楽科にひとりいるんだ。俺たちと同じ東松町に住んでる幼馴染みの女の子が」
ふぅん、と百瀬は唇を撫でた。
「その可能性も考えられるが、俺の予想じゃ、たぶん美姫は何かきっかけを探してたんだ」
「きっかけ?」
「そう。いくら刑事の娘とはいえ、美姫は犯罪捜査に関してずぶの素人だ。たとえ被害者の身内であっても詳細な捜査情報は決して伝えられないはずで、おそらく美姫もほんの限られた情報しか知らされていなかった。それこそおまえが、警察がなぜ親父さん殺しの容疑者を子どもだと判断したのかを知らなかったように」
「俺と同じで、美姫も知らなかった?」
たぶんな、と百瀬はうなずいた。
「おそらく美姫は改めて事件と向き合うにあたって誰かしら警察関係者を訪ねたはずだ。事件の情報を訊き出すためにな。しかし当然捜査情報は教えてもらえず、何の手がかりも持ち合わせていない状態ではどこから手をつければいいのかさえわからなかった。だからオレに近づいたんだ。オレは学校内で悪い噂ばかり流されてたし、たとえオレに補導歴があったことを知らなくても、カミイチ……ヤクザやチンピラが平然とうろついているような場所に出入りしてるっていう話を聞けば、オレが一度くらいは警察の厄介になったことがあるんじゃないかって思う可能性は十分ある。事件解決のためにどうしても捜査情報を手に入れたかった美姫は、オレなら警察との付き合い方を知ってるんじゃないかと考え、オレと仲よくなることで突破口を探り出そうとした……そんなところだろうな」
そこまで言って、百瀬は少し言葉を切った。その表情には悲壮の色が浮かび、これまでしっかりと上がっていた顔も今はやや下がっている。その理由は、おそらく。
「百瀬……おまえ、実際美姫に何かそれらしいことを話したのか? 突破口になりそうなことを」
下がったままの顔で、百瀬はちらりとだけ俺を睨んだ。そして小さく息をついて、再びゆっくりと語り始めた。
「『口の固い人からうまく情報を引き出す方法って、何かないかな?』……オレが美姫から訊かれたのはそれだけだ」
まさか、と俺は息をのんだ。
その問いに対して百瀬が答えたであろう内容は、嫌でも想像できた。なぜなら俺は数日前、百瀬が美姫に教えたことを実際にやられていたから。
百瀬は俺から目を逸らしたまま、罪を告白するような声で言った。
「『相手の弱みを握れ。脅迫材料さえ手に入れば、相手を意のままに操ることができる』……オレはそう答えた。そして美姫はオレの言葉どおり、親父さんの相棒だったこのおっさんの弱みにつけ込んで事件に関する情報を手に入れることに成功した」
色も光も宿らない百瀬の双眸が、俺の姿をまっすぐにとらえた。
「これでわかったろ? 池月……美姫を死に追いやったのは何もおまえだけのせいじゃねぇ。あいつに無茶をさせるきっかけを与えたのはオレの助言だ。オレとおまえは同じ穴のムジナ……同罪なんだよ、オレたちは」
時の止まった世界の中で、俺たちはただ視線を重ね、しんとその場に立ち尽くした。
この世のどこかに、美姫のお父さんを殺した犯人がいる。
その犯人を追いかけたことで、美姫まで殺されることになってしまった。
美姫が犯人を追うきっかけを作ったのは、進学先に早坂高校を選んだ俺。
そして、走り出した美姫の背中を押したのは、他人をうまく操る方法を指南した百瀬。
――俺たちだったんだ。
美姫を殺したのは、俺と、百瀬だ。