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Liar  作者: 貴堂水樹
第三章 融和
25/39

3-6

 矢田を先に帰し、俺は百瀬の待つ熊さんの車へと戻った。


「お疲れさん」

「あぁ、本当に疲れた……」


 ぼやきながらワイヤレスヘッドセットを外して手渡すと、百瀬は俺の顔をほとんど見ることなく「おい」と熊さんに呼びかけた。


「こいつを家まで送ってやってくれ」

「うす」

「え?」


 熊さんが答えるのと同時に、百瀬は静かに車から外へと降り立った。


「おい、百瀬!?」


 俺と熊さんを残し、ひとり車から離れていく百瀬。その背中を追いかけようと慌てて車から降りるも、すぐに後ろから手首を掴まれてしまって走り出すことは叶わなかった。


「ちょっと! 何するんですか!」


 言うまでもなく、俺の手首を掴んだのは熊さんだ。


「ダメっす」

「は?」

「追いかけちゃダメっす」

「なんで!?」


 真剣な目をして、熊さんは俺を諭すように言った。


「たぶん、お姉さんのところに行くっす」


 お姉さん、の一言に俺は目を見開いた。「アニキが黙ってひとりになる時はいつもそうっす」と熊さんは静かに補足する。


「追いかけたら、殺される」


 デカい図体の割につぶらな瞳をわずかに揺らし、熊さんはどんどん小さくなっていく百瀬の背中をじっと見つめていた。その視線をなぞるように、俺も百瀬に目を向ける。熊さんに手首を掴まれたまま、ぐっと拳を握りしめた。


「百瀬!」


 距離にして十メートルほど。夕焼け空に溶け込む金髪の背中めがけて、俺は声を張り上げた。ぴたりと百瀬は立ち止まり、ゆっくりとこちらを振り返る。

 俺の手首を掴む熊さんの手の力が緩んだ。その一瞬の隙を逃すことなく、俺は強引に熊さんの手を自分の腕から引き離し、百瀬に向かってまっすぐに走った。


「なに」


 ほんの少しの距離を走っただけで息を切らしている俺を、百瀬は鋭い眼光で睨みつけてくる。こうして改めて対峙するとやっぱり目つきの悪さにビビってしまうけれど、乱れた呼吸を整えてから、俺は百瀬に言葉をかけた。


「大丈夫?」


 百瀬は一瞬、驚いたように目を大きくした。


「……なんでてめぇに心配されなきゃなんねぇんだよ」

「心配するよ。……さっきの、見てたから」


 ぐっと百瀬の眉間にしわが寄る。そのまま目を逸らしてしまった百瀬の横顔に、俺は静かに語り続けた。


「これは俺の勘でしかない話だけど……お姉さんが昔入院してたのって、自殺未遂が原因だったんじゃない?」


 ぐらり、と百瀬の瞳が揺れた。吐き出す息もいくらか震えて聞こえる。

 さっき百瀬は、矢田の自傷行為の話を聞いて俺たちから目を背けた。口もとを押さえていたし、遠目にもあきらかに取り乱しているとわかった。

 そして、俺たちがまだ中学生だった三年前、お姉さん――エミリさんが入院していたと、一昨日百瀬は自ら俺に話して聞かせてくれた。その原因が精神的なものであったということを合わせて考えれば、答えは自ずと見えてくる。


 三年前、百瀬のお姉さんは自らの意思で手首を切り、その命を絶とうとした。


 そして百瀬はおそらく、真っ赤な血に染まるお姉さんの腕をの当たりにしたのだろう。先ほどの矢田の話からその時の映像が蘇り、矢田から目を逸らしてしまったと考えれば納得がいく。百瀬にとってお姉さんの自殺未遂は、三年が経ってもなお癒えることのない、大きな心の傷となってしまっているのだ。


「なぁ、百瀬」


 黙ったままその場を動かない百瀬に、俺はまた一歩近づいた。


「おまえとお姉さんとの間に何があったのか、俺には訊く権利なんてないけどさ。でも……やっぱり俺、心配だよ。おまえのこと」


 西の空をくれないに染める夕陽が、百瀬の横顔に愁いを帯びた陰影を作り出す。


「だって……だってさ。こういうのって、きっとひとりで抱えてちゃいけないものだと思うから」


 そう言うと、百瀬の視線がわずかに上がった。俺の話が、百瀬の心に響いている。

 手のひらいっぱいに汗が噴き出した。口の中がカラカラだ。伝えたいことがあるのに、舌がうまく動かない。


「だからなんだよ」


 うつむき加減で、百瀬は言った。


「てめぇには関係ねぇことだろ」


 怒っているような声色に、出かかっていた言葉が引っ込んだ。


 ――あぁ、もう。


 またなのか。ここでも俺は、何も言えないままなのかよ。


「黙ってるだけなら、もう行くぞ」


 視線を下げてしまった俺に、百瀬は冷ややかに言い放つ。けれどそこには、もう怒りの色はなかった。


 百瀬を見る。言いたいことがあるなら言えと、その目が優しく訴えかけてきた。


 汗まみれの手をぎゅっと握る。


 ここで何も言えなかったら、いつまで経っても変われない。臆病なままじゃ、前になんて進めない。


 百瀬はチャンスを与えてくれたんだ。俺が一歩、前に進むためのチャンス。


 ――祥ちゃんはさ、もっと自分に自信を持ったほうがいいよ。


 美姫の言葉が蘇る。

 そうだ。いつまでも逃げていちゃいけない。この機会を逃したら、俺は一生弱虫のままだ。


 ――大丈夫。ちゃんと、言える。


 しっかりと顔を上げ、俺は百瀬と向き合った。


「俺もそうだった。美姫が殺されて、全然納得できなくてさ。警察も頼りないし、かといってひとりじゃ何をすることもできなくて。けど、おまえが俺の前に現れて、一緒に事件を調べることになって……まぁ実際のところ俺はおまえの使いっ走りにされてるだけだけど、それでもひとりで鬱々としてるよりずっとマシだって思ってる。ひとりでいると、どんどんどんどん悪いほうに考えが流れていくんだよ。美姫が死んだのは俺のせいなんじゃないかって思った時もあった。でも、これが不思議なもので、おまえと一緒にいる時は普段と大して変わらない気持ちでいられるんだ。驚いたよ、ひとりじゃないってわかるだけでこんなにも落ち着いていられるんだ、こんなにも楽になれるんだって。だから……」


 くそ、だんだん何が言いたいのかわからなくなってきた。でも、伝えたい想いはきちんと心の中にある。

 一呼吸入れ、改めて百瀬に向かって言葉を紡いだ。


「おまえにも、楽になってほしいんだ」


 百瀬の顔がふと上がる。柔らかな秋の風が吹いた。

 ふたつの視線がゆっくりと、俺たちの間で交わった。


「確かに俺は腰抜けだし、大したアドバイスなんてしてやれる自信もない。でも、話を聞くくらいならしてやれると思う。そりゃおまえからしたら俺なんて聞き役としても未熟かもしれないけど、それでもおまえが話して楽になれるなら、ひとりじゃないって思ってもらえるなら……俺、いくらでも聞くよ、おまえの話」


 それは中井がいつも俺に言ってくれる言葉だった。

 中井もまた、俺が自分の話をするのが苦手だってことを理解してくれている。『ゆっくりでいい、ちゃんと気持ちの整理をつけてから話せ』と、中井はいつだって俺の言葉をじっくりと聞き届けようとしてくれた。


 俺にとっての中井のように、百瀬にとっての俺がそんな存在になれたら。

 そうしたら百瀬はきっと、もう少しだけ楽に呼吸をすることが許されるようになるはずだ。時折見せていた苦しそうな表情だって、いくらか和らぐに違いない。もちろん、百瀬が俺なんかを頼ってくれればの話だけど。


「…………ははっ」

「え?」


 しばらく黙って俺のことを見つめていた百瀬だったが、なぜか突然、声を上げて笑い出した。


「ちょっ、え!? な、何で笑うんだよ!?」

「や、だってよ……! おまえ、必死すぎるから……!」

「な」


 ゲラゲラと腹を抱えて笑い続ける百瀬。頬が紅潮するのが自分でもわかったけれど、西日のせいにしておくことにした。


「やめろよ、もう笑うなって」

「やー、わりぃわりぃ。……でも」


 ひとしきり笑い終えた百瀬は、改まった様子で俺と視線を重ねた。


「さんきゅーな。ちょっと元気出た」


 そこにあったのは、今までに見たことのないほど綺麗で、柔らかな微笑み。一週間前の俺に、百瀬龍輝という男がこんな風に笑えるんだと説明してもきっと信じないだろう。

 俺が微笑み返すと同時に、百瀬のスマホが着信を知らせる単調な機械音を響かせた。


「もしもし? ……あぁ、どうも。…………はっ、やっぱりか。で、今日の夜は?」


 誰と話をしているんだろう。百瀬の言葉からは話の内容が見えてこない。


「オーケイ、じゃあ今晩九時に現地で」


 通話を終えた百瀬は、ニヤリと勝ち誇ったような笑みを向けてきた。


「ビンゴだぜ、池月」

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