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Liar  作者: 貴堂水樹
第三章 融和
21/39

3-2

 さっきまで熊さんを見てニヤついていた百瀬はもういない。そこには真剣な面差しだけがある。俺の気持ちも自然と引き締まった。


「どうって……わかんないよ、俺には」

「んだよその返事は。ちったぁ自分の頭で考えてみたのかよ」

「考えたってわかんないって!」

「そういうのを考えてねぇっつーんだよ!」

「じゃあおまえはどう考えてんだよ?」

「オレか?」


 スッと静かに視線を外し、一呼吸置いてから百瀬は再び口を開いた。


「一番気になってるのは、あの空きテナントでおまえが言ってたことだ」

「俺が?」


 空きテナントというのは垣内さんと三人で話をした場所のことだとすぐに察した。どの件についてだろうと首を捻ると、百瀬の視線が戻ってくる。


「おまえ、言ってたろ? どうやって美姫は父親殺しの容疑者を三人にまで絞ることができたのかって」

「あぁ……」


 そのことか。それなら俺自身、今でもずっとひっかかっている。


「確かにおかしな話なんだよな。警察にわからなかったネタを素人の女子高生がそう簡単に掴めるはずがない。そもそも美姫は、どうやって親父さんが担当した事件の情報を知った? 覚醒剤ヤクでパクられた木ノ前隼人はともかく、矢田静馬に関してはどうやったって知りようがねぇはずだろ?」

「だよな……矢田は万引き常習犯だったけど、当時小学生だったから事件にはしなかったって話だもんな」


 あぁ、と百瀬は右腕で頬杖をつきながら相づちを打ち、空いた左手の人差し指でテーブルの端をトントンと叩き始めた。何かを真剣に考えている顔だ。


「おまえと同じやり方をしたんじゃないか?」

「あ?」


 覗き込むようにしてそう言ってやると、むすっとした不機嫌な表情が返ってきた。


「ほら、お父さんの事件のことをよく知ってる刑事を捕まえてさ、おまえみたいに何か脅迫材料を突きつけて」


 あぁ、と小さく言った百瀬は、何かを考えるように少し視線を泳がせた。そのまま黙ってしまったので俺は続ける。


「美姫はうまいよ、そういうの。あいつは昔から自分の願いを叶えるためなら手段を選ばないやつで……」


 言いかけて、ふと脳裏に碧衣の顔が過った。

 美姫の通夜で久々に集まった俺たち六人の幼馴染みは、なぜ美姫が殺されるようなことになったのかという点について真剣に議論を交わしていた。美姫が三人の男と同時に付き合うような真似をしていたこともその時あきらかになったのだ。

 けれどあの時、碧衣だけが会話に入ってこようとしなかった。口を開けば『通夜の席でする話じゃない』とか『もう聞きたくない』とか言って、とにかく事件の話に耳を塞ごうとしていた。しまいには泣き崩れてしまって、その姿は母ひとり子ひとりという苦しい環境の中をたくましく生き抜いてきた普段の碧衣からはあまりにもかけ離れていたように見えたことが、今でもはっきりと思い出せる。


 あの日の碧衣は、あきらかに普通じゃなかった。幼馴染みを突然失って普通でいられる人なんていないんだろうけど、そういう意味ではなくて。何かひどく取り乱してしまうような理由を、碧衣は抱えていたんじゃないだろうか。そう思えてならない。


 もしもその理由というのが、美姫が殺された事件と関係のあることだったら?

 さらに踏み込んで、三年前に美姫のお父さんが殺された事件にも関わることだったとしたらどうだろう。


 もしかして碧衣は、三年前の事件について何か大事な情報を握っていたのか? それを美姫にしゃべったせいで美姫が殺されてしまったのだと思い込んでいるんじゃないだろうか。


 ……あり得る。


 もしもそうなら、碧衣が俺たちと一緒に事件の話をしたがらなかった理由にも説明がつく。美姫の死の真相がわかった時、自分が責められることになると思ったからだ。それが怖くて、事件の話をすることを拒んだ。十分考えられる。


 通夜の時だけじゃない。

 圭が見かけたという、夏休み明けの夜の話。オシャレをし、彼氏と思われる人物に会いに夜のコンビニへと向かったらしい碧衣は、いつもと様子が違ってどこかおどおどした感じだったという。圭にバレては困るような相手が来ていたから動揺した? まさかとは思うけれど、その人物こそが三年前の事件の関係者?


 それに、一昨日俺が見た、黒いワンボックスの後部座席にいた女の子。もしあの子が本当に碧衣だったとしたら、圭と出くわした時にコンビニで待っていたというのはあの車の運転手? 後部座席に気をとられて運転席を見ていなかったけれど、免許を持っているのだから俺たちよりいくつか年上の相手だろう。


 そもそもあの場所は『大人の遊び場』と呼ばれる夜の繁華街だ。夕暮れ時のあんなところに、一体なぜ……?


「おい」


 百瀬に声をかけられ、はっとして顔を上げた。


「言え。何に気づいた?」


 ごくりと生唾をのみ込む。この鋭い眼光で睨まれるのは久しぶりだ。こうなると百瀬は、何と言おうと俺から言葉を引き出すまで俺を追い詰め続ける。それこそ垣内さんのように、警察署の取調室で被疑者と対峙する刑事みたいな顔をして。


「…………美姫は中二の時に引っ越しちゃったけど」


 観念した犯人よろしく、俺はゆっくりと口を開いた。


「俺には同じ東松町ってところに住んでる幼馴染みが美姫を含めて六人いる。そのうちのひとりに新山碧衣っていう女の子がいるんだけど……」


 俺は碧衣について知っている限りの情報をすべて百瀬に伝えた。

 俺と同じ地元の公立中学出身で、現在は県立里野台(さとのだい)高校に通っていること。母子家庭で、母親は看護師をしていること。母親が夜勤の日に、オシャレをして誰かとこっそり会っていた様子だったこと。美姫の通夜の時、ただひとり事件の話をしたがらなかったこと。百瀬と垣内さんの三人で事件についての話をした時、あのビルの下で碧衣らしき女の子を見かけたこと。


「ずっと気になってたんだ。もしかしたら美姫が死んだことと何か関係あるのかもってさ。碧衣って、勉強はからっきしだけどスポーツが得意で、確か高校もテニスの実力を買われて入ったんじゃなかったかな? いつも楽しそうに笑ってて、俺たちの前で泣いたり取り乱したりすることなんて全然なかったから、らしくないよなぁと思って……」


 一通り話終えると、百瀬はニヤリと意味ありげに口角を上げて「里野台か」とつぶやいた。


「池月」

「うん?」

「この前会った垣内って刑事の連絡先、オレのスマホに送っとけ」

「え?」


 言い終えないうちに百瀬は立ち上がり、スタスタと俺の横を通り過ぎて勢いよく障子戸を開けた。熊さんも百瀬のすぐあとに続き、ふたりして俺を残してこの座敷の個室を出て行った。


「お、おい! 百瀬!」


 ようやく事態を把握して呼び止めたが、百瀬はすでに履いているジーパンのおしりのポケットから財布を取り出してミサオさんとお勘定のやりとりを始めていた。慌てて靴を履いて自分の食べた分を払おうとしたけれど、「いらねぇ」と百瀬は俺から一銭たりとも取ろうとしなかった。熊さんのも合わせて三人分、たっぷり四千円を何のためらいもなく払う不登校気味の高校生。学校に来ていない間、一体何をしているのかと気になって仕方がなかった。


「じゃあな、ミサオちゃん。カツヒコさんも、ごちそうさま」

「おう、またいつでも寄ってってな」


 ニカッと白い歯を見せて百瀬に笑いかけるカツヒコさん。百瀬もにこやかに片手を上げている。すごく仲がいいみたいだ。


「龍輝」


 厨房に背を向けようかという百瀬を呼び止めたのはミサオさんだ。ふっと百瀬は声の主を振り返る。


「この前、エミリが来たよ」


 ぴくり、と百瀬の眉が動いた。


「……何か言ってた?」

「いいや。司法試験の勉強が大変だって愚痴ってたくらいだね」


 そうか、と言って、百瀬はやや顔をうつむける。


「……あのさ、ミサオちゃん」

「伝言ならお断りだよ」


 びしっと放たれた一言に、百瀬はちらりと視線を上げる。


「言いたいことがあるなら自分の口で伝えな。おまえが昔、エミリにそう言ってやったんじゃなかったのかい」


 ふてくされたような顔をして、百瀬はスッとミサオさんから目を逸らした。


「…………また来る」

「あぁ、いつでもおいで」


 大きな優しさと包容力を感じさせる笑みを浮かべてそう答えたミサオさんに背を向け、今度こそ百瀬は店を出て行った。俺もカツヒコさんとミサオさんに「ごちそうさまでした」と頭を下げて、百瀬のあとに続いた熊さんの影を追った。


「おい池月! 連絡先は!?」


 店の外に出た途端、百瀬から怒号を浴びせられた。いやいや、さっきの今で送る時間なんてなかったのに。

 不機嫌な理由はわかっている。エミリというのはおそらく百瀬のお姉さんの名だ。百瀬とお姉さんとの間に何があったのかなんて知りようもないけれど、無関係な俺に苛立ちをぶつけるのはやめてほしい。


 そんなことを思いながら、言われるがままに垣内さんの連絡先を百瀬のスマホ宛てに送った。「先に乗ってろ」と百瀬は俺と熊さんを車に向かわせ、自分は少し離れたところで電話をかけ始めた。相手は言うまでもなく垣内さんだろう。碧衣の話をした直後に垣内さんの連絡先を知りたがったということは、何か碧衣に関して垣内さんに調べてもらうつもりか。伝えた情報のほとんどは俺と圭の直感みたいなものだったのに、百瀬は一体あの話の中からどんな事実を掴み取ったというのだろう。


 熊さんとともに車に乗り込んだ俺は、後部座席の窓からスマホを耳に押し当てる百瀬の姿をじっと眺めていた。

 午後二時を回り、車窓から差し込む陽の光が少し眩しかった。


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