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Liar  作者: 貴堂水樹
第二章 捜査
16/39

3-6

 へぇ、と垣内さんは小さく相づちを打つだけでそれ以上深く掘り下げることはせず、「入院先の病院を教えてもらえる?」と百瀬に尋ねた。「西金末にしかねすえ病院」と百瀬が答えた時、ちょうど垣内さんのスマホが着信を知らせる音を鳴らした。


「もしもし…………はい……」


 彼は電話に応答しながら一度部屋を出て行った。仕事の話をするのだろう。


「……お姉さん、病気なの?」


 百瀬にお姉さんがいることは今はじめて知った。百瀬のことを散々調べたであろう垣内さんが入院先の病院を尋ねたということは、今もまだ入院生活が続いているわけではなく、三年前の事件当時は入院していたということだ。もしかしたら、なんて悪い予感が脳裏を過る。


「まぁ、病気っちゃ病気だな。ここの」


 そう言って百瀬は立てた人差し指で自らの胸をトントンと叩く。


「心臓?」

「いいや。ココロだよ」

「心」

「そ。姉貴は心をんだんだ」


差し込む光を失くした窓が、暗い影の落ちる百瀬の顔を反射して、その表情を鏡のように映し出す。


「半分は姉貴自身の問題。もう半分は……オレのせいでな」


 すぅっと細められた百瀬の目には、深い悲しみと、今もなお続く苦しみの色が宿っていた。


 自分で訊いておきながら、何と言葉をかけていいのかわからなかった。

 お姉さんの心の病について、半分は自分のせいだと百瀬は言う。やはり百瀬が今のような生活を送っているのには何か理由があるに違いない。


 こいつは一体、どんな苦しみを抱えて生きているのか。どのような過去が、今の百瀬を作り上げたのか。


「おいおい、おまえがそんな顔すんなって」


 からりとした声で百瀬は言った。


「今じゃすっかり元気だぜ? 姉貴は」


 窓に映る俺と目が合い、百瀬が困ったような笑みを浮かべて振り返ってくる。そこにはもう、ついさっきまで見せていた悲しみの色はなかった。俺はいつの間にか入っていた肩の力をふっと抜く。


「そっか……大変だったんだな」

「まぁな。けど、生きてりゃ誰にだっていろいろあんだろ。おまえにだってさ」

「そりゃあ、まぁ……そうだけど」

「とにかく、今は美姫を殺したヤツを捜すことに集中しようぜ」


 しんみりとしてしまった空気を変えようとしている百瀬に倣い、俺も暗い顔をするのはやめた。


「どうするつもりなんだ? これから」

「そうだな。とりあえず木ノ前と矢田のふたりから話を聞く」

「話を聞くって……警察じゃあるまいし、そう簡単に接触できるものなのか?」

「オレは無理だ。サツに追われてる。ヘタに動いて足がついちゃ意味がねぇ」


 わざとらしく両手を広げ、悪巧みしていることがバレバレな顔でニヤリと笑う百瀬。はぁ、と俺は盛大にため息をついた。


「……俺に行けって?」

「さっすが池月クン! キミは本当に察しがよくて助かるねぇ」


 ニシシと歯を見せて笑う百瀬をきつく睨み返したが、そんなものは何の効果もないことを俺はここ数日で嫌というほど学んだ。


「見てたぜ? 通夜の時。おまえ、旭と泉習館に連れがいるだろ?」


 まさか、と俺は目を見開いた。

 美姫の通夜の会場で百瀬が俺たち六人の前を通り過ぎたのはほんの一瞬だったはずだ。確かに全員が制服を着ていたし、樹里の通う旭ヶ原も優作の通っている泉習館も少し珍しい色味の制服ではあるけれど、あの一瞬で俺がどの高校の生徒と面識があるということまで正確に把握したというのか。


 あるいは百瀬は、あの時すでに美姫の事件の真相を追い始めていた? 俺が美姫の幼馴染みだってことも知っていたし、もしかしてこいつは……。


「百瀬」

「あん?」

「おまえ、俺のことを疑ってたな?」


 そう思ったら一気に憂鬱が込み上げてきて、訊かなくてもいいことをつい尋ねてしまった。フン、と百瀬は鼻で笑う。


「当たり前だろ。知ってるか? 美姫のやつ、オレの前でおまえの話ばっかりしてたんだぜ?」

「え?」

「おまえだって、本当は美姫に惚れてたんだろ?」


 目を見開いた。息が詰まる。冴香の言葉が、脳裏を駆けた。

 ふっ、と百瀬は目を伏せて小さく笑った。


「まぁ、今となっちゃおまえを疑うなんてバカげたことはしてねぇさ」

「……?」

「おまえみたいな腰抜けに、人なんて殺せねぇよ」


 どこか蔑むような目と、絶対零度の声色で放たれた『腰抜け』という言葉に、俺の弱くて脆い心はいとも簡単に砕かれ、音を立てて崩れていった。


 そうだ。俺は腰抜けなんだ。

 想いを口にすることのできない、救いようのない弱虫だ。


 その場に冷え固まり、うつむいたまま何も言い返せないでいると、垣内さんが電話を終えて戻ってきた。


「ごめんね。ふたりとも、家まで送ろう」

「いや、オレはいい。連れが戻るまでここで待つ。この部屋の鍵も返さなきゃなんねぇしな」

「そうかい。じゃあ、池月くんだけ」


 俺と目を合わせてから、今一度垣内さんは百瀬と向き合った。


「いいかい? 百瀬くん。ここで僕から聞いた話は他言無用だよ?」

「あぁ、わかってる。あんたこそ、俺のことは黙っててくれるんだよな?」

「もちろんさ。君と話をしてみてわかったよ……君のことは、信用してよさそうだ」

「何だよそれ、刑事の勘ってやつか」


 そんなところかな、と言って垣内さんは肩をすくめた。


「止めたって無駄なのはわかっているけれど、一応言っておくよ。危ない真似は絶対にしないこと」

「はいはい、ご忠告どうも」

「何かわかったり、困ったりしたらいつでも連絡してくれ。僕でよければ力になろう」

「あれ、言わなかったか? サツは嫌いだって」


 最後まで減らず口を叩く百瀬に、垣内さんは小さく息を吐き出した。「車を回してくるよ」と俺に告げて、彼は一足先に部屋を出て行った。


「おまえさ、百瀬」

「あん?」

「そのデカい態度はなんとかならないのか」


 振り返ってむっとした顔を向けた俺に、百瀬は口角を上げるだけで何も答えずスマホをいじり始めた。はぁ、とため息がこぼれ出る。


「……俺はどうすればいい?」

「また連絡する。それまではいつもどおり過ごしてろ。余計なことは誰にも言うな、妹がどうなってもしらねぇぞ」


 しれっと恐ろしいことを口にする百瀬を反射的に睨みつける。この男が自らの望みを叶えるために手段を選ばない人間だと知った今、無意味に逆らうことは利口な選択じゃない。この件を誰かにしゃべったことがバレれば、百瀬は必ず愛菜に手を出す。悔しいけれど、ここは大人しく百瀬の指示に従っておくしかない。


 わかった、と答え、俺は百瀬ひとりを残して部屋を出た。灯りのない階段を下りて地上に出ると、すでに垣内さんのプリウスがハザードを焚いて路肩で待機していた。急がないと、と車に向かって一歩踏み出したその時。


「…………?」


 一台の黒いワンボックスカーが、俺の目の前を通り過ぎていった。立ち止まって、その車の走り去る後ろ姿を見えなくなるまで目で追う。


「碧衣……?」


 後部座席に、長い髪の女の子が乗っていた。

 その子の横顔が、幼馴染みのひとり――新山にいやま碧衣にとてもよく似ていた気がした。

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