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Liar  作者: 貴堂水樹
第二章 捜査
13/39

3-3

 少年係、という単語が飛び出すと、百瀬はやや顔色を変えた。しかしすぐに意味ありげな笑みを湛えて「なるほどな」とつぶやいた。


「過去に世話してやったガキに逆恨みされたっていう線か」

「そういうこと。目撃証言で上がった『知り合いらしき人物』というのが警察官として付き合いのあった若者だとする筋が当時の捜査線上では最有力視されていたんだ。池月くんたちにも捜査の手が及んだのは、美姫ちゃんの同級生かつ当時同じ町内に住んでいて村越さんとも顔見知りだったからだよ。特に美姫ちゃんは両親の離婚話が進んでいたこともあって、精神的に不安定になり凶行に及んだのではないかと推測されていたんだ」


 そういうことだったのか。しかし、疑われた理由はわかったものの、非行少年と同列の扱いを受けたことはやっぱり納得がいかない。あの頃抱えていた憂鬱を、垣内さんはどれくらい理解してくれているのだろう。


「犯人の身長の低さについては、目撃証言の他にも根拠となり得る事実があってね」


 なり得る、なんてひどく曖昧な表現をする垣内さんに、俺も百瀬も眉をひそめた。


「凶器は美姫ちゃんの事件と同じく万能包丁。刃渡り約十八センチのそれは根元まで深く刺さっていたため明確な殺意があったと断定された。百瀬くん」

「ん」

「君、身長は?」

「一七二」

「中学二年生の頃は今よりもう少し低かっただろう?」

「まぁ、そうだな。具体的には覚えてねぇけど、たぶん一六〇くらいしか……って、あんたまだオレのこと疑ってんのかよ!?」

「まだって、君ねぇ。僕に言わせれば、君の容疑は少しも晴れていないんだけど?」


 くそ、と吐き捨てながら百瀬は短い金髪をぐしゃぐしゃと乱暴にかいた。


 確かに、現状では百瀬への疑いを完全に無視することはできないだろう。美姫のお父さんと百瀬との間に直接的なつながりがあったかは今のところわからないが、補導歴のある百瀬ならどこかで顔を合わせていてもおかしくない。ちょうど今しがた「村越」とその名をつぶやきながら思案するような素振りを見せていたし、本当は『村越陽一』という名前に聞き覚えがあって、面識があることを隠すためにわざと黙っているということも十分考えられる。


「まぁいい。質問を変えるよ、百瀬くん」


 この状況がひどく気に入らないという気持ちを前面に押し出した顔で、百瀬は垣内さんを睨むように見る。


「たとえば君が刃物で人を刺し殺すことと考えたとしよう。確実に殺すために狙う場所として最初に思い浮かぶのは?」

「心臓」


 即答。「だよね」と垣内さんは大きくうなずく。


「もしくは首を掻っ切るかだな。けど、美姫の親父さんを殺した犯人は人通りの多い場所を選んで事に及んでる。つまりは通り魔的犯行に見せかけようと画策したわけだ。うまく逃げ切るためには犯行の瞬間における目撃者をなるべく減らし、通行人に紛れてその場からひっそりと立ち去ることが条件。なら、首を切ることによって血しぶきが上がることは心理的に避けるはず。犯人が低身長であったことと、相手が現役の警察官であったことを加味すれば、確実な死を得るために狙うべき場所は自然と絞られてくる」


 いい推理だ、と垣内さんは何度も首を縦に振った。


「腹を刺しても、内臓が傷ついたり出血がひどかったりすると命が助かる可能性はかなり低いそうだけど、君の言うとおり、明確な殺意をもって刃物を向けるとしたら人はまず心臓を狙おうとする。循環機能を司る心臓を突くほうが腹を刺すよりも確実に死ぬだろうと考えるからだ。しかし実際には肋骨や胸骨が邪魔になって、正面から心臓を一突きにすることはかなり難しい。ただし、素人がこれから人を殺そうという時にそんなことをいちいち考えるだろうか?」


条件反射よろしく首を横に振った俺に、垣内さんは小さくうなずき返してくれた。


「答えはノー。きちんと刺さろうが刺さらなかろうが、明確な殺意がある人間ほど真正面から心臓を狙いにいくのが普通だ。仮に心臓に到達しなかったとしても、肺が損傷を受けるとまず助からないらしいしね」


 確かに心臓とか肺とかって急所っぽいイメージだよな、と素人の俺にもなんとなく納得のいく話だった。「でも」と垣内さんは続ける。


「村越さんを刺した包丁は確かに心臓に到達していたけれど、刃が刺さっていた場所はちょうど胃のあたりだったんだ」


 なるほどな、と相づちを打ったのは百瀬だ。


「美姫の時と同じで、腹から突き上げるようにして刺さってたってわけか」

「そのとおり。腹を刺すつもりだったのなら体に対して垂直に刺せばいいはずなのに、刃はまっすぐ心臓に向かっていた」

「もともとは心臓を狙うつもりだったが、身長の低さゆえに腹から刃を刺し込んで心臓に到達させる方法しか取り得なかった……そう言いたいんだろ?」

「ご名答」


 パチパチ、と垣内さんは乾いた拍手を贈った。チッ、と百瀬の舌打ちがこちらもひどく乾いた音を響かせる。


「そんなの、親父さんが少年事件専門の刑事だってことが念頭にあるからそういう見方になるだけじゃねぇか。一発で心臓を突く方法なんてネットで検索すりゃいくらでも出てくる。犯人は最初から肋骨を避けて包丁を突き刺すつもりだったかもしんねぇだろ」

「もちろんさ。それでも現場から離れていった黒パーカーの人物が低身長だったという目撃証言は無視できない。僕たちが犯人を子どもだと結論づけたことだってそれなりの理由があったんだよ」


 百瀬の意見ももっともだと思うし、垣内さんの言っていることも理解できる。何が正しいことなのかは、犯人が捕まるまでわからない。


「で? そんだけ豪語するからにはある程度容疑者を絞れたんだろうな?」


 百瀬がきつめの口調で問う。垣内さんは表情を曇らせた。


「村越さんが過去に担当した少年事件の関係者はすべて当たった。中には鑑別所や少年院に入っている子もいたりしたんだけど、それでも数が多すぎる。目撃証言に沿って身長や人相で絞り込んでみたものの、明確にこいつだと名指しできる者はいなかった」

「犯行時刻は平日の真っ昼間だったんだろ? だったら大半は学校か仕事に行ってたんじゃねぇか?」

「あぁ、そのとおりだ。今の指摘どおりアリバイのない者のほうが少なかったけど、不自然な挙動を取るなど怪しいところのある人物は見当たらなかったんだよ」

「で、結局真相は闇の中、ってか」


 情けないことにね、と垣内さんは肩を落とした。推理小説なんかだと犯人につながる何らかの手がかりが現場なり凶器なり被害者の周辺なりに残されているものなんだろうけれど、実際の事件となるとそう簡単にはいかないということか。


 そういえば美姫が言ってたっけ。お父さんはいつも仕事ばかりで家にはあまり帰ってこないって。それだけ大変な仕事を毎日毎日こなしていたということなんだろう。家に帰ることも忘れて仕事に没頭するってどんな気持ちなのかな、と俺はそんなことをぼんやり考え始めていたのだが。


「……ん?」


 ふと、ある疑問が脳裏を過って小さく声が漏れてしまった。俺のもとへ、百瀬と垣内さん、ふたりの視線が同時に降り注ぐ。


「どうした? 池月」

「あ、いや……」

「なんだよ、気持ちわりぃな。さっさと言えって」

「うん……どうして美姫はおまえたち三人に的を絞れたのかなって」

「あ?」


 百瀬の眉間にしわが寄る。


「だってさ、おかしいと思わないか? 警察が三年もかけて捜査してわからなかった犯人なんだぞ? いくら刑事の娘だからって美姫はずぶの素人だ。そう簡単に容疑者を特定して接触することなんてできるものなのかなぁ……?」


 首を捻りながら腕組みをする。百瀬と垣内さんは顔を見合わせ、百瀬が先に口を開いた。


「言われてみりゃそうだな」

「うん、確かに池月くんの言うとおりだ」

「さっきからずっと考えてたんだが、オレの記憶違いじゃなきゃ、オレが過去に『村越』って名前の刑事とやり合ったことはねぇはずなんだ。向こうが勝手にオレのことを把握してて、それを何らかの方法で美姫が知って近づいてきた可能性もあるっちゃあるが……」

「ちょっと無理があるような気はするね」


 垣内さんは小さく首を振った。百瀬も渋い顔でうなずいている。


「じゃあ、どうして……」


 深まる謎を前に、俺は頭を抱えざるを得なくなった。


「どうして美姫は、三人の男と同時に付き合うような真似を……?」


 そのうちのひとりである百瀬は目を逸らし、垣内さんは困ったような顔をしてその場に立ち尽くしていた。


「意図自体は、親父さんの事件の解決だと考えていい」


 しばらく沈黙が続いたのち、低く、自分に言い聞かせるような声で百瀬は言った。


「前提は正しい。けど、見方は間違ってるかもしんねぇ」

「見方?」


 俺が問うた。そう、と百瀬が続ける。


「美姫が三股をかけていたのは、俺たち三人を容疑者だと考えていたからじゃなかったかもしれないってことだ」


 ――百瀬たちが、容疑者じゃない?


 どういう意味だ。美姫はお父さんの事件を追っていたんじゃないのか? 容疑者でもないのに、どうして百瀬たちと付き合う必要がある?

 ダメだ。頭が混乱してきた。美姫の行動に意味を求めようとすればするほど、その心がわからなくなっていって。


「前提が間違っているという可能性も現状では捨て切れないよね」


 スッとポケットに両手を突っ込み、垣内さんがそよ風のような爽やかさで指摘する。


「そもそも美姫ちゃんは村越さんの事件なんて追っていなかった。三股をかけていたのは、単純に男関係が派手だっただけの話で……」

「違うッ!!」


 反射的に俺は声を荒げた。


「あんた何言ってんだ! 美姫に限ってそんなことあるはずがない! あいつは男に対して理想の高いやつだったんだ! 中学の時だってかなりモテてたのに誰とも付き合ったことなかったんだぞ!? あんたは美姫のことを知らないからそんな適当なことが言えるんだ!!」

「おい池月」

「なんだよ!?」


 垣内さんに向かってひとしきり吠えた俺に声をかけてきた百瀬をキッと睨むと、百瀬も同じように鋭い目つきで俺を見た。


「だったらおまえは、美姫の何を知ってんだ?」

「え?」

「おまえは美姫の何を知ってるのかって訊いてんだよ」


 何もかもを見透かすような目をして、百瀬は俺に言葉だけで詰め寄ってくる。

 切れ味鋭い真理の刃ので、まっすぐ俺を突き刺すように。


 ――美姫の、何を。


 その問いに、俺は即座に答えることができなかった。


 小学校に上がる前からの付き合いで、小さい頃は毎日のように同じ時間を過ごしてきた。その経験は俺の中に確かな存在として息づいていて、美姫のことなら誰よりも知っていると自信を持って言える証だったはずだ。


 それなのに、改めて百瀬から問われると、何と答えていいのかわからない。


 美姫のを知っているのか。

 もしかしたら俺は、何一つ知らないのかもしれない。

 美姫が何を考えていて、誰のことを想っていて、どんな未来を描いていたのか。


 ――美姫ちゃんは、祥太朗くんのことが好きだったよ。


 不意に冴香の言葉が蘇る。やり場のない気持ちを抱え、ぎゅっと拳を握りしめる。


 もしも冴香の言うことが正しかったのなら。

 俺は本当に、美姫のことなど、何も――。


「あのなぁ、池月」


 ひとりで勝手に取り乱している俺に、百瀬はもう一度声をかけてきた。


「今刑事さんが言ったことは単なる可能性の一つに過ぎない。おまえの先入観で可能性を潰すな。そうやって自分に都合のいいように目を瞑ってると、真実を見失うぞ」


 冷め切った表情をした百瀬から、俺はおもいきり視線を逸らしてしまった。


 まっとうな答えを真正面からぶつけられたことはわかっている。わかっているからこそ、恥ずかしさや悔しさが次々と込み上げてくる。

 やり場のない自分への怒りが静まるまで、しばらくは顔を上げられそうになかった。


「今の話はともかくとして」


 俺と百瀬の間を取り持つように、垣内さんが静かに声を上げた。


「君以外のふたりの彼氏について、少し教えておこうか」


 主に百瀬に向かってそう話しかける垣内さんに、「あぁ、頼む」と百瀬は落ち着いた口調で答えた。

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