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Liar  作者: 貴堂水樹
第二章 捜査
12/39

3-2

「遺体発見現場は市営地下鉄水津(すいづ)駅近くの小さな公園。発見者は近所に住む老人で、その公園は朝の散歩で立ち寄るのが日課になっていたそうだ。十六日の午前七時頃、いつものように散歩の途中で当該公園に立ち寄ったところ、美姫ちゃんが血を流して倒れており、警察に通報。発見当時仰向けに倒れていた美姫ちゃんの胸には、刃物が突き立てられていた」


 ゾクリ、と背中に悪寒が走った。美姫が胸を刺されて死んだことは聞かされていたけれど、具体的な事件現場を想像すると途端に恐怖が込み上げてくる。


「実際には胸というより鳩尾みぞおちから上に突き上げるような形でななめに刺されていたんだけどね。肋骨や胸骨を避けるようにしてうまく刺さった刃は心臓に届いていたそうだ。遺体には胸の刺し傷以外に目立った外傷はなく、犯人と争った形跡はなし。財布もスマホも現場に残されていたため、物取りの可能性は極めて低い。司法解剖の結果、レイプの痕跡もなかったことがわかっている」

「てことは、顔見知りの犯行でほぼ間違いなさそうだな」

「あぁ。僕たちもその線で捜査を進めているところだよ」

「ほらな、池月」


 唐突に話を振られ、戸惑いながらも「何が」と返す。


「言ったろ? おまえの考えた第三の可能性が一番最初に消えるって」

「あぁ……」


 なるほど、確かにそうだ。犯人と争った形跡がないということは、美姫のほうから犯人を殺そうとして、もみ合いの末に犯人が美姫を刺し殺す結果になってしまったという説はほぼあり得ないと言っていい。

 垣内さんが不思議そうな顔で俺たちを見ていたけれど、百瀬は何事もなかったかのように話を先へ進めた。


「事件が起きた時間は?」

「死亡推定時刻は十五日の午後九時から十一時の間。美姫ちゃんの姿はもちろん、その時間帯の不審者の目撃情報も今のところ上がっていない。その公園はいわゆるちびっこ広場で、面積がかなり小さい上に、背の高い草が生い茂っていて中の様子が見えづらいんだ。場所自体が住宅街の中でも比較的人通りの少ない一角だったこともあって、目撃者探しが難航しているんだよ」

「なるほどな。そんな時間にそんな場所へ行く用事っつったら……」

「うん。十中八九、誰かと隠れて会うつもりだったんだろうね。刺し傷以外に外傷がなかったことを勘案しても、誰かに追われて公園へ逃げ込んだ結果刺し殺されてしまった、なんていう線も考えにくい」

「だな。水津っつったら美姫の家からは結構離れてるし、意味もなくひとりで出歩くような魅力のある場所でもない。人気ひとけのない場所をわざわざ選んだと考えたほうが自然だ」

「美姫ちゃんが犯人に呼び出されたか、あるいは……」

「美姫が犯人を呼び出したか」


 テンポよく進んでいくふたりの会話に、俺はただ黙って耳を傾けることしかできなかった。さっきまでの険悪ムードはどこへやら。今のふたりは、刑事ドラマさながらの名コンビにしか見えない。


「凶器は?」

「市販の三徳包丁。万能包丁って言うと馴染みがあるかな? 一般に広く出回っているもので、購入ルートの特定は難しい」

「三年前の事件の時と同じものだったのか?」


 百瀬の問いに、垣内さんは「ほう」と言って少し目を大きくした。


「その辺りは聞いているんだね」

「詳しくは知らねぇよ。俺が聞いたのは、三年前に殺された警官が美姫の親父さんだったことと、胸を刺されたってことだけだ」

「なるほどね。……まぁ、どちらの事件も当時は報道規制が敷かれていたし、その程度の情報しか知りようがないか」


 独り言をぽつりと挟む垣内さん。百瀬は「ふぅん」とだけ相槌を打った。


「凶器に関しては、三年前の事件でも被害者である美姫ちゃんのお父さんの胸には万能包丁が刺さったままだった。同一犯の可能性を疑うには十分だね」

「手口も同じだしな」


 あぁ、と垣内さんは相づちを打つ。ここで百瀬は垣内さんを質問攻めにしていた口を閉じ、黙考体勢に入った。垣内さんも黙ってその様子を眺め始めて、なんだか俺ひとりだけが取り残されているようで居心地が悪い。


「……あの、垣内さん」


 沈黙に耐え切れず、ついに俺は口を挟む決心をした。


「なんだい」

「ずっと気になってたことがあるんですけど」

「うん、何かな?」

「三年前の、美姫のお父さんが殺された事件……犯人が子どもだっていう見立ての根拠って何だったんですか?」

「あぁ、それはね」


 答えながら垣内さんは適度に整えられた髪を軽くかき上げた。本当に何気ない仕草がいちいち男前な人だ。


「理由はいくつかあるんだけど、一番は目撃証言かな」

「目撃証言?」

「そう。せっかくだから、事件現場の様子を詳しく説明しようか」


 お願いします、と軽く頭を下げる。何やら深く考え込んでいるようだった百瀬も俺たちのほうへと意識を向けてきた。


「犯行現場は地下鉄新桜井(しんさくらい)駅前の大通り。知っていると思うけど、あの辺りは商業ビルが多く立ち並んでいて、自転車用通路を色分けできるほど歩道が広く作られている。事件が起きたのは三年前の十月七日。平日のランチタイムで人通りは多かった。新桜井の駅前には村越むらこしさん行きつけの中華料理屋があって、その日も彼は……」

「ちょっと待て」


 快調に説明していた垣内さんを遮り、百瀬はおもいきり眉間にしわを寄せた顔で尋ねた。


「村越って誰だ? 美姫の親父さんの話をしてんじゃねぇのかよ?」


 俺と垣内さんは思わず顔を見合わせてしまった。そうか、百瀬のヤツ……そんなことも知らされていなかったか。

 一つ、垣内さんが息をついた。


「三年前に殺された警察官の名前は村越陽一(よういち)。美姫ちゃんは、村越さんと別れた奥さんとの間に生まれた子なんだ」


 つまり、會田というのはお母さんの旧姓で、俺たちの住む東松町で暮らしていた頃の美姫は『村越美姫』と名乗っていた。高校で再会した時、出席番号が一つ前だった彼女の存在に気づくのが遅れたのは、『會田美姫』という字面だけを見てまるでピンと来なかったからだ。まさか俺らが中二になった頃から離婚話が進んでいたなんて、美姫が言わない限り外野の俺が知る機会はない。


 配偶者が死亡した場合、離婚ではなく〝婚姻関係の終了〟という法的手続きを取ることになるらしい。事件のあと、美姫のお母さんはすぐに手続きをして姓を村越から會田に戻し、美姫の姓も自分のものに合わせると、美姫とふたりで東松町を離れた。事件のこともあって、俺は美姫とまともに言葉を交わすことなく別れることになってしまい、苗字が変わることも知らされなかったのだ。


 あの時はまだ、高校で再会することになるなんて夢にも思っていなかった。

 運命だったのか、単なる偶然か、それは今もわからない。


 ふぅん、と百瀬は不服そうに相づちを打ったあと、「村越」ともう一度その名を口にし、また何か考えを巡らせるような顔になる。


「話を続けても?」


 垣内さんが問うと、百瀬は「あぁ」と短く答えた。


「えーと、どこまで話したっけ。そうそう、あの日村越さんは行きつけの中華料理屋で同僚の刑事と落ち合う約束をしていて、ひとりで通りを歩いていた。目撃証言によると、村越さんは知り合いらしき人物に話しかけているような素振りを見せた直後、突然その場に倒れ込んだらしい。見れば胸に刃物が刺さっていて、すぐに救急車で緊急搬送されたけれど、処置の甲斐なく」


 目を伏せて、垣内さんは静かに首を横に振る。しん、と室内の温度が下がった。


「知り合いらしき人物っていうのは?」


 俺が問うと、「人相がはっきりしなくてね」と垣内さんは表情を曇らせる。


「確実性の高い情報は、身長一八〇センチと長身な村越さんよりかなり背が低かったことと、黒いパーカーを着てフードで顔を隠していたということだけ……ちょうど君がいま身につけているような、ね」


 おもいきり悪意を込めた言い方で垣内さんは百瀬に目を向ける。対する百瀬は売られた喧嘩を買う風でもなくしれっと聞き流していて、思わずどっちが大人なのかと問いたくなった。


「わからねぇな」


 眉間に刻まれているしわをさらに深くして百瀬は言う。


「背が低いってだけで犯人を子どもと断定したのか? 暴論だろ、そんなの」

「もちろん、理由はそれだけじゃない」


 すらりと長い右腕を軽く広げ、垣内さんは百瀬の疑問に答えた。


「村越さんの当時の所属は所轄の生活安全課。中でも彼は少年事件を専門に扱う『少年係』という部署の刑事だったんだ」

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