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日常乙女4

「これって運命?」

ぺろり、と悪戯っぽく舌を覗かせる陽気そうな男は、見れば随分と細身だった。

服装は一見して町によく溶け込んでいるが、深山には違和感が明け透けになっているように思える。

余裕そうな狂気に歪む顔、具合よく弛緩した腰や肩。

この男は一端の町人なんかじゃあない。おそらく……

————殺しの、玄人だ。

深山は八重へと伸ばしかけていた左手を、手早く右腰に差した愛刀の柄へと軌道修正させた。

滑らかに鯉口を切り、八重を庇うように自身の背中へ隠す。

八重もまた、深山の警戒心とこの場に張り詰めた緊張を敏感に感じ取り、不安そうに瞳を曇らせる。

「なんだ貴様は」

深山の低く鋭い声が仇敵を見つけた獅子のごとく呻る。

自慢の愛刀も、持ち主の感情に呼応するように煌めいた。

「アンタがお姫様の『守護役』?随分とお人形さんみたいでキレーだネ」

などと軽口でへらへらと笑う男に対して怒りを覚えた深山は、腰を落として斬り込む素振りを見せる。

「そういきりなさんな」

と男は相変わらずへらへらと宥めるが、かえって火に油を注いでいるようにしか、八重には感じられなかった。

心なしか深山の背中から、青い炎のような怒りが浮かんでいるような……。

しかし男はあくまで自分の歩みで、八重へ向けて丁寧に一礼。

「お初にお目にかかります、八重サマ。ご主人よりお言付け賜り、僭越ながらワタクシがお迎えにあがりました」

「……本多の隠者か」

深山の瞳と愛刀に、更なる光が灯る。光といっても、どこか仄暗さのある色味。

殿との話にもあった可能性が、いま現実のものとなったのだろう、という推論からのひと言だった。

しかしあながち間違っていないのかもしれない、そう予感できる。

「オニーサン、こっちにも守秘義務ってもんがあるんだヨ。ペラペラしゃべくれないんだってば」

けらけら笑う男の煮え切らない答えが、しかし暗に示している。

男も本気で隠す気はないようなのが、余裕ぶりを感じた。

「まぁ、ご主人から頂戴した自慢の二つ名だけでも、ここらで紹介しとくかね」

男の気まぐれが発動し、大仰に腰を折って名乗りをあげる。

「オレは【青い燕】。燕のように軽い身のこなしで、諜報活動はお手の物ってとこさ」

————【青い燕】……だと!?

二つ名を聴いて息を呑む深山に向けて、男は満足そうに微笑んだ。

「その様子じゃ、聴き覚えがあるみたいだネ、オニーサン」

【青い燕】の名は、おそらくここ最近ではもっとも有名なものだろう。

特定の人物に付くことはない流れ者で、実力はもちろん折り紙つき。二つ名の最たる由来はその軽やかな身のこなしで、とにかく素早いときく。

任務の依頼をしようにも、その人物像はまるで雲のように変幻自在。

しかも任務の内容はかなり選ぶらしく、うまく接触できたとしても断られる場合があるらしい。

受ける条件や基準、或いは断る理由は誰にも解明できていない。

変わり者揃いの隠者のなかでも、群を抜いた変人……という噂だ。

そんな隠者と敵対することになるとは……。

向こうの動きが予想よりもいささか早すぎたと、思わず舌打ちする。焦らず構えて相手の出方を窺うつもりが、不覚にも出し抜かれたようだ。

「なら喋りやすいようにしてやろう」

こうなれば、男をこの場でひっ捕らえて多少の強引なやり方でもいいから、情報を吐かせるべきだ。

相手がどこまで此方のことを調べ上げているのか。

どこまで知っていて、どこまで知らないのか。

此方が動くための手蔓が欲しい。

————必要とあらば……殺す。

「アララ、血の気が多いオニーサンだね」

深山の瞳に宿った殺気にも似た闘気を、男は鋭敏に感じ取ったようだ。

「喧嘩は痛いから嫌いなんだよネ」などと、あくまで軽い態度を崩さなかった男の瞳が、しかしここで初めて確固たる鋭利さを見せた。

「んでもオレたちのお仕事は、お侍さんとは違うんだよな。理解してネ」

そういって男が構えた手のなかには、太くて長い針のような暗器が数本ばかり握られていた。

深山の愛刀もやる気満々とばかりに、ちゃり、と高めの金属音を響かせる。

「よく理解してるつもりさ……貴様らのやり口はな」

両者の間に風が唸り、殺気が殺気と鬩ぎ合う。

深山の刀と男の暗器が、陽の光を受けて輝きを増す。

瞬間。

太刀の刀身と針が衝突し、きぃんと澄んだ音と激しい火花を生み出した。

男の暗器が宙を舞い、深山の太刀がそれを漏らさずなぎ落とす。

常人には決して目で追えない、圧倒的な強さを見せつけ合う戦いは、その場にいる八重の肌をひりつかせるほど殺伐としていた。

目まぐるしい男の攻撃に、しかし深山も引けを取らず防御、から転じる反撃。

武器の違いを抜きにしても、深山の一撃一撃には確かな重みを感じる。

しかも深山は八重を庇いながら戦っているはずで、男は容赦なく八重を狙い続けているというのに。

深山の戦いぶりに、男は息を呑んだ。

————まるで隙がねぇ……!

一見して防戦一方かと思いきや、しっかりと確実な反撃を繰り出す。

しかもその一撃一撃は決して強くはないものの、じわじわと着実に男の体力を奪い続ける『手応え』があるのだ。

男はあちこちから血を流して消耗しているのに、お荷物がいるはずの深山は息ひとつ乱れていない。

集中力も欠くことなく、男の連撃を風のようにいなす。

圧倒的な実力、そして経験の差を感じた。

ときには目くらましで砂利を投げ、必要あらば空いている拳と脚が飛ぶ。男が投擲した暗器でさえ、深山にとっては手慣れた武器となる。

この場で使えるものは、なんであろうと遠慮なく使う。

規律とくだらない矜持を重んじる武士は、決して選ばないであろう“汚い”戦い方。

侍というよりは、むしろ……。

深山の太刀はとうとう男の首筋を捉えて……だが、寸前でぴたりと止める。男の浅黒い皮膚から、ひと筋の血が流れ落ちた。

殺す気はない、知っていることを洗いざらい吐いてくれれば、それでいい。

そう脅しにかかっているような眼差しだった。

女性のように睫毛が長く美しく、しかしその眼差しは冷酷な青に彩られている。

血生臭い戦場のなかにあって、彼の周りだけは絶海のように涼しげな空気が流れていた。

対して男の額には脂汗がひと筋流れ、余裕がない様子を浮き彫りにしている。

「噂に聴いたことがある……女みてぇに綺麗な顔立ちで、冷酷無比に多勢の敵を屠る元隠者の侍がいると……」

息があがった男が、思い出して呻いた。

————そうか……てめぇが……。

「《万緑の美姫》」

風になびく、長く美しい翡翠色の髪と切れ長の瞳。

その神にも喩えられる美しさが、まるで人の命を刈り取る鎌のように。彼の手が貴き武士の生命に、凄惨なるとどめを刺す。

自ら惨虐に捥いだ敵の手から、敵味方問わず死体の手から武器を奪い戦う、修羅の姫君。

二つ名は忌み名であり、そして称賛の声でもあり、深山の闇そのものだった。

数多の血に濡れたその手、その愛刀。

戦さ場に舞い降りた凄絶なる美姫は、ほかの誰よりもその手を穢した。

透明感すら感じられる白い刀身が、ぷつりと男の首筋を切り始める。つう、と流れる血に、男の脂汗がじとりと混じり合う。

ひと呼吸する前に、きっと彼は躊躇なく男の首を刎ねるだろう。

「うへ……おっそろしー」

深山の瞳に映るもの、それは男の【死】の瞬間。

降参の意を示すため、男は手に持っていた暗器をすべて地面へ投げた。

このまま素直に捕まるのかと思いきや。

しかし男は深山の刀に臆することなく、暗器をすべて捨てて立ち上がった。

「今日はもうやめとくよ。わかってんだろ、隠者は『主人』に懐かない」

肩をすかしてそう笑う男の殺気がすっかり引いたことを、深山だけでなく八重も気づいている。

だから深山も素直に刀を納め、警戒を解いた。

隠者は主人への忠誠心ごときでは、自らの命まで賭すことはしない。

猫みたいに気まぐれで、自分勝手を貫き通す。なによりも『自分』というものを大事にする。

自由を重んじる気ままな傭兵とも表現できよう。

その身を一度は男と同じ場所へ落とした深山だからこそ、男が感じた退き際をよく理解できた。

そして……この先に広がる深い陰謀も。

「『主人』に伝えておけ。八重を狙うならこの守護役深山が、全力でお相手する」

戦いで乱れた着物を正して、深山は名も知らぬ男へ握手を求める。男の戦いぶりと、判断力に賞賛を与えるために。

しかし男がその手に応えるつもりは、『いまは』ない。

「気が向いたらね。そんじゃあお姫様」

すっかり警戒を解いた八重に寄って、友人のように砕けた態度で接する。

「またお会いしましょーネ」

男の顔がやけに近くて、だが逃れる隙は与えられなかった。

八重の頬に、柔らかくて温かい感触がほんの一瞬だけ。

それが口づけという、町の女子が憧れる御伽草子ではお馴染みの行為だと八重が気づいた時には、すでに遅かった。

「なっ……な!?」

初心にも言葉にならない八重の代わりに、深山が再び刀を抜いた。

「貴様やっぱり殺す!!」

気のせいなのか。先ほどの戦いよりも、深山の炎は烈火のごとく激しさを増している。

————こいつら、面白いかも?

男の口端が面白そうに笑んだことは、深山も八重も気づいていない。

揶揄いがいがありそうだ。だが。

火の粉が降り注ぐ前にと、男は去っていった。

「アッハハ、ばいばーい!」

男がいたという証明が不可能なくらい、霧のように綺麗に姿を消した。いつのまにか、ばら撒いた暗器も余さず回収済みだ。

まさに隠者。

あとに残された深山と八重は、狐につままれた感覚をどうにも拭えない。

ひとりでなにを考えているのか、手足をばたつかせたり百面相したりと忙しない八重を放って、深山もひとり思考にふけっていた。

男が本多家に雇われたことは、ほぼ間違いないだろう。

あの男ははっきりと答えない代わりに、嘘を吐いている様子ではなかった。根は悪い奴ではないのかもしれない。

一見して茶化すような言葉遣いとは裏腹に、内面は実直な青年のようだ。

しかし全面的に心を許すには、油断ならない相手だろう。

あの男の前に追いかけてきた集団も、決して油断してはならない。

奴らの腕は大したことないが、あれだけの人数を集めてまで八重を欲する奴がいる、ということだ。

隠者の男の口ぶりから、おそらく今日の二件は別件だろう。

今日が終わる前に、殿へ報告せねばなるまい。

今日は無事に乗り切ったとしても、早急に対策を練らねば、遅れをとって痛い目を見るのは間違いない。

「八重、町に戻ろう」

という深山の声に我を取り戻し、彼に続いて八重も歩き出す。

「さっきの連中がまだいるんじゃないの?」

「騒ぎを聞きつけたお奉行が、まとめてひっ捕らえているさ」

あれだけの騒動になれば、無視はできないだろう。

まだ仲間が町に潜伏している可能性も捨てきれないが、城郭に入ってしまえば多くの人目があるので、安全を確保できる。

長閑な道のりを町へ向けて並んで歩くと、あの幼い頃がほんのり思い出された。

満開の桜の木のしたで過ごした、『少女』だった頃の日々。

嬉しいことばかりではなかったけれど、八重と一緒にいればそれだけでひと時の幸せを感じられた。

隣に立つのは、まだ幼い八重。

しかし重なって八重の先刻の言葉が横顔が、脳裏に反芻される。

————「わたしが、守りたい……この景色ぜんぶ、失くしたくない」

八重が見る景色のなかに、『高嶺』がいたら嬉しい。

この先もずっと、隣で同じ景色を感じていたい。

なんでもないある日に、木陰で寄り添って昼寝でもするように。

願ってしまうのは、罪だろうか。

姉さんの代わりに生きることは、罪だろうか。

呪いのようなこの力を振るうことは、罪だろうか。

否。

不思議なことに深山のなかで、燻っていた決意と覚悟がしっかりと固まった。

左手はそっと、刀の柄に触れていた。

繰り返し人の命を奪ってきた、簒奪者の証であるこの刀。本来の持ち主は誰だったのか、もう忘れてしまった愛刀。

『その通りだ』と、右腰の愛刀が伝えようとしているのか。

僅かな熱を感じてまた、深山は微笑んだ。

「————そうだな、俺も……」

深く深く、考えるまでもなく。あの日から、決まっていたじゃないか。

『八重の命を守るため』に戦いたい。あの日々の中で光をくれた彼女のために。

その為に俺は、剣を振るう。

たとえ罪に汚れた刀だろうと、この先を見据えるは暗闇ではない。

君が隣にいる、桜が満開の景色。

童心の日々のなかで芽生えた淡い感情は、いまを生きるための道しるべ。

嘘と罪科に塗れた汚い俺を、優しく包み込んでくれるのは君が隣にいる景色。

君といるこの景色を、壊したくないよ。

俺が願うのは、たったひとつ。


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