戦場乙女5
その一部始終を傍観していたのは、他でもない【青い燕】。
誰にも気づかれないよう気配を殺し、木の上に身を潜めていた。
戦の前に主人から受けていた密命をいま果たすべく、漁夫の利を求めて待機していたわけだが。
————どうにも……気が乗らないなァ。
このまま深山を主人に差し出して終われば、自分が彼に手出しすることは許されないだろう。
なにせ深山は主人の『お気に入り』。
一度でも手のうちに閉じ込めた花弁は、腐るまで絶対に手放したくないという、歪んだ性分の男だ。
主人の手に渡る前に、遊んでおきたい気持ちが大いにある。
主人からの命よりも己の衝動を大切にする……それが自身の性分だと自負していた。
————もうちょい……様子見とこっと。
【青い燕】は鼻歌交じりに、すっかり荒れ果てた警戒域を駆け抜け、主人の目を逃れるように姿を消す。
深山の活躍により、本多陣営はかなり大きな痛手を受けた。ここから巻き返すのは難しいとさえ、あくまで傍観者の【青い燕】が思えるほどに甚大なる被害だ。
対して小田原藩は作戦の成功により士気向上、有り余るほどに盛り返し、加賀藩は圧倒されている。
結果がどちらにせよ、じきに終わりは見えるだろう。
重傷のなかで本陣へと向かっていた深山は、途中で味方の兵に保護されて無事に帰った。
彼を一番最初に出迎えたのは、他の誰でもない八重。
身につけている甲冑はあちこち壊れ、体じゅう泥だらけで、口の端には血の跡がある深山の姿を目にして。
目の端にうっすらと涙が滲んできたと思いきや。
「ばか!ほんっとばか!小田原一ばか!日本一ばか!」
「痛い痛い、痛いってば」
『ばか』の度にぽかすかと小さな拳で叩かれ、ちょっとした衝撃でも傷に響く深山にとっては、口にした言葉以上に痛かった。
「————届いた?」
拳の嵐が止んだと思ったその直後、不安そうに尋ねるいじらしい瞳。
なにが、とは訊かずともわかっていた。
「あぁ……ちゃんとみたよ」
ありがとう、と想いを込めて八重の頬を撫でてやる。八重は満開の桜にも負けない、嫋やかな笑みを深山に向けた。
「まったく……あの無茶な作戦を、よもや単独でやり遂げようとは」
戯れ合う深山と八重の姿を横目に眺め、瀬戸は安堵の溜息を漏らした。
もっとも正確に表現するなら、作戦は半分成功、半分失敗したと言える。
深山が引きつけた兵数は予測の半分以下で、依然として加賀藩の陣形を崩しきれてはいない。
しかしそれでも絶大な成果をあげたと評価できるほどに、彼が起こした奇跡は小田原藩の絶望を救ってくれた。
「面白い奴であろう?」
そう言って微笑む、忠愨公の温かい視線の先。深山と八重のふたりをまるで我が子として愛おしんでいるように、瀬戸には感じられる。
「お前が好みそうな青い男だな」
瀬戸の皮肉を込めたひと言は、しかし忠愨公にはどこ吹く風。
「儂はあ奴を……深山を心底信用しておる。深山もまた、儂の期待に応えようとする」
出会ったばかりの頃、一度だけ彼を叱りつけた記憶が忠愨公の脳裏に甦る。
愛刀を大切にしないことと同じように、彼は自分自身をも大切にできないような子供だった。自分自身のことを大切に思えないから、誰かを想う気持ちにも迷いが生じる。
しかしいま、こうして。
彼は自分自身を大切にし、そして同時に誰かを大切に想える実直な青年に成長を遂げた。
想いを想いで返してくれる。
「それが面白くて、の」
「だがその実直さが……奴にとっていつか、命取りにならんといいがな」
瀬戸の言も、もっともだろう。
下手な優しさや思い遣りは、時に身を滅ぼす。
特に戦のような策略と策略がぶつかり合うような世界においては、それが顕著なものとして、冷酷にならねば生きていけない。
瀬戸のこうした厳しさを『優しさ』と知る忠愨公は、しかし青年と少女の力を強く信じて笑い飛ばした。
「心配なかろう。なにせうぬの若い頃にそっくりだからの、川丸」
「幼名で呼ぶな、若松」
背中を合わせて戦った嘗ての青年たちは大人になり、互いに大切なものを見つけた。
その宝物のような気持ちを、若者に伝え続けたい……彼らは強く願い、見守り続ける。
空を見渡せばいつの間にか夕暮れを迎えて、穏やかな橙色に広く染まっていた。
ますますもって苛烈を極めた戦も三日目を終わりとし、来たる四日目へ向けての英気を養う時間となる。
簡易な兵糧だがひと時の夕餉を楽しむべく、準備を始めようとした————その矢先。
深山の背筋に悪寒が走る。
悪意……というよりも明確な殺意を察知した。だが、どこから?
次に気づいたのは、殺意が向けられた先は大将の忠愨公でも、深山自身でもなく。
「八重っっ!!」
気づいて心臓が跳ね上がったときには、もう遅かった。
投擲された太くて長い針のような暗器は、八重に向けて真っ直ぐ襲いかかる。
重傷を負った深山は普段と同じように左手で抜刀するが、肋骨の鋭い痛みが邪魔をした。
間に合わない……八重を失う最悪の絶望が垣間見えた、そのとき。
八重と暗器のあいだに割って入る、細い影が現れた。
暗器はその影の胸が、しっかりと受け止める。暗器が突き刺さった彼女の胸元は、ゆっくり血を滲ませた。
丁寧に梳られた黒髪が揺れる。一種の覚悟を湛えたその微笑みは、八重を優しく見つめていた。
「薄桜っ!!」




