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戦場乙女4

久しぶりに戦場を駆ける深山の元に、八重の祈りが届いたかのように。

深山は胸にこみ上げる熱を感じて、口の端で微笑を浮かべる。

たったそれだけのことで、僅かに感じていた不安も彼方遠くに消し飛んで行った。

瀬戸が立てた作戦は本来であれば、小田原藩でも生え抜きの複数人での実行を念頭に置いたもの。

単独での実行は想定されておらず、当然のごとく不可能としか考えられない。

しかし深山の発案を受けて綿密に組み直され、深山であれば出来るまでになった。

加賀藩本多陣営の陣地は、林立する木々に囲まれている山袖。

死角は腐るほどあり、『仕掛け』をするにはうってつけの場所だ。

陣地より少し離れた場所では兵がうろついているが、それより遠くは————望んでいた隙がある。

もちろん見つかる危険は十分にある距離だ。しかし。

『灯台下暗し』……その諺を彼方に刻みつけてやる為の、この作戦。

草木を利用して見えにくいよう縄や糸を張り巡らせ、かき集めてきた弓矢や暗器などを飛ばせるように仕掛ける。

仕掛け自体は子供でも作れる単純なものだが、重要なのは『敵は深山独り』だと悟らせないこと。

仕掛けの意味は足りない人員を誤魔化す為のはったりであり、大勢の敵を誘い込んで落とす為の穴でもある。

辺り一帯に隙間なく仕掛けを済ませたら、あとは深山の演技力と素早さ、そして運と体力勝負。

仕掛けを巡らせた一帯より、敵方の警戒域寄りに踏み込んだ。

大きく息を吸い込み、渾身の叫びをあげる。

「な、なんだ貴様はっ!?うっ……ぐあっ!!」

深山の悲鳴に気づいた見張りがふたり、同時に警戒域へと目を向けた。

しかしそこには当然、誰の姿もない。

「敵襲か?」

「おい、どうかしたのか!?」

思惑通りに彼らは深山の声を仲間の声だと思い込み、警戒域を進んで……とうとう通り越して罠を張り巡らせた一帯へ。

いない味方を捜して、不用心に踏み込んだその先。

ひとりの男の足に、仕掛けの縄が引っかかる。

さぁ————賽は投げられた。

発動した仕掛けは男たちに向けて矢を放ち、一本は木の幹に、もう一本は男の肩に突き刺さった。

「てっ……敵襲!!敵襲ーっ!!」

無傷の男が同じ見張りに向けて報せの叫びをあげると、聴きつけた兵が大勢の仲間を引き連れて集まってくる。

仕掛けは次々と発動し、弓矢が雨霰と敵兵を襲った。

ここまで弓を放てば、彼方も警戒して近寄らない。

彼らがどんなに見渡しても敵の姿はなく、此方の数を把握することは不可能だった。

木の上に潜んで敵の様子を窺っていた深山が、手にしていた糸を引くと。

敵兵たちに毒の粉が降り注いだ。

驚いた敵兵が見上げることで毒粉は目に入り、たったひと匙で彼らの視界を潰す。

馬銭という植物の種子から得た毒粉で、目潰しとして重宝されている。

目を潰されて動けない兵が混乱し、無闇矢鱈に武器を振り始めた。

振り回される武器が仲間を傷つけていくことを、残念ながら考えられないようだ。

「よせ!お前ら落ち着けっ!!」

おそらく指揮官であろう兵が必死の形相で怒鳴りつけるも、混乱が止むことはない。

深山が更に糸を引くと、今度は刃に毒を塗った暗器が飛び、敵兵を襲う。

少しでも擦れば麻痺する鳥兜だ。致死量ではないが、避けられなかった兵が次々と倒れたことで、更なる混乱を煽った。

深山独りの働きによって敵陣は同士討ちを始め、その数を確実に削っていく。

騒ぎを聴きつけた増援もなにが起こったのか把握しきれず、仲間の混乱を鎮める手立てはない。

このような仕掛けを敵本陣の四辺で短時間のうちに繰り返すことで、此方側の兵数を誤認させるだけでなく、直接戦うことなく敵兵を減らす。

夜襲によって兵数が限られた現状の小田原藩には、うってつけの作戦だ。

————そろそろ、次の場所に移動しないと……。

成果の確認はもう十分だろう。時間を開けすぎると、作戦の意味が崩れてしまう。

茂みから移動を決めた、その刹那。

「っ!?」

禍々しい殺気を感じ取り、深山は横へ転がるように移動。深山が元いた地面をまるで菓子でも叩くかのように、金砕棒が割った。

「随分とでかい鼠だな」

大太鼓のように野太い声が嗤った。

深山が知っている金砕棒よりも随分と長く太い鉄製のものを、男は軽々と肩に担ぐ。

随分と大柄な男だ。深山の背丈を優に超えた、岩盤を想起させる立派な体格。手脚は丸太のように太く、比べた深山の手脚が枝のように感じられてしまう。

甲冑は見たこともない最低限の胸部分だけで、隙間なく筋骨隆々の肉体を惜しげもなく晒していた。

左腰に上等な大太刀を差しているが、柄に古い血痕がこびり付いており、あまり手入れをされた様子はない。

「ふん、こちゃこちゃと仕掛けなんぞしやがって……優男が」

男は深山の周囲に捨てられていた糸や縄を一瞥し、それだけで作戦を見透かしたらしい。

この男とまともにやり合うと危険だ、と深山は判断し、溜飲をさげる。

男の見た目からして力で勝てそうにないし、金砕棒と戦うにしても武器の性質上から刀との相性が悪い。真っ向勝負などにでもなれば、折れるのは深山。

なにより……深山を睥睨する男の瞳は、まともじゃない。

悪意で濁った瞳。

誇りと矜持を持って戦う『武士』ではなく、己が快楽のために暴力を振るう『人殺し』の目だ。

この場はどうにか隙を突いて、逃げよう。

そう決心した矢先————

金砕棒が再び深山に襲いかかり、脚をもつれさせながらも咄嗟に右へ転がることで回避。

しかし左肩を擦ったようで、甲冑の袖部分が脆くも破損した。痛みはないものの、衝撃が伝わって肩が痺れる。

男の金砕棒は深山の代わりに樹皮を抉り、獲物を逃したことで不満そうに退いた。

「反応だけはいいな……おもしれぇ」

相棒とは反対で男は機嫌良さそうに、鼻歌交じりでいかにも凶悪そうな笑みを浮かべる。

「顔だけはご勘弁を、なんか寒いこと言うなよ?色男さん」

そう言うが早いか。

男は金砕棒を振りかぶり、容赦なく追撃を開始。右へ左へ、更に横薙ぎ。

深山が避ける度に地面や樹木は無惨に抉れ、それでも足りないと金砕棒が唸りをあげる。

「なんだよ優男!逃げるのが趣味なのか?」

「くっ……!」

————このまま逃してはくれないだろう。戦うしか……!

金砕棒を直接狙うのではなく、使い手を狙えばいい。相手の利き手に武器を振るえないほどの傷を負わせてしまえば、まだ勝機はある。

右腰の愛刀に手が伸びた、が。

横に薙いだ金砕棒が、深山の横腹を打撃。甲冑越しでも十二分に届くその強烈な衝撃の余波で、硬い樹木に背中を強打。

「ぐ、あっ……!?」

横腹と背中の強烈な痛みに悲鳴をあげ、喀血すると共に苦悶の表情を浮かべる深山の姿を、男は嗤った。

「ははっ、肋イッたか?」

深山は樹木に背中を預け、痛みを誤魔化すように左の横腹を押さえつける。

甲冑の横腹部分は見事に破壊されており、下に着ている鎧直垂の感触が左手に伝わった。

男の言う通り、肋を折っているようだ。

幸いにして骨が内臓を傷つけているような感覚はなく、当然のこと脚も無事だから動くことはできる。

樹木にもたれたまま立ち上がるときの呼吸で、折れた肋骨が痛覚を主張した。

たった一往復の呼吸でも苦しい。

口中は血の苦味がいっぱいに拡がり、痛みで朦朧とし始めた意識のなかで。

久しぶりの激しい痛みは、皮肉にも深山に殺し合いの厳しさと己の背負う罪を、まざまざと思い出させてくれる。

無辜の民を殺して金品を奪う、野良犬のような生活……そして隠者として多くの命を奪った、無為な時間。

霞む視界のなかで、男が近づいてくることだけは理解できた。

死刑執行を待つ罪人のような気持ちで、深山は自身に向けて嗤う。

「はは……因果応報、か」

命を奪った罪は、なにをしても拭いきれない。

ましてや誰の為でもなく、自分自身の為に手を汚してきた自分はきっと……まともに彼岸なんか行けやしないんだと、ずっと覚悟してきたことだ。

————なのに、なんでだろうな……。

いますぐ八重の元へ帰りたいと、願う気持ちは卑怯かもしれない。

龍笛の調べが聴こえた。

箏の爪弾き、神楽笛の誘い。笙と篳篥が色を添え、榊の葉擦れが空を優しく撫でる。

敵の本陣から聴こえるものかと思ったが、どうも違う。それは深山の瞳に映された情景。

龍を誘う音色に合わせて、ふたりの乙女が舞い踊っていた。

紅、金、朱色。純白の絹。

花にも負けず劣らず、煌びやかな衣装に包まれたふたりの乙女。

柔らかな栗色の長い髪と、深山と————高嶺と同じ宝石のような黒髪が揺れている。

黒髪の乙女が不意に振り向いた。

乙女はなにも口にしない代わりに微笑みを残し、高嶺の頭を優しく撫でる。

その感触は懐かしくて……そしてひと匙の力を深山に与えた。

男の左手が深山の首を握り、軽々と持ち上げる。くびり殺してやろうと哄笑し、手に力を込めていった。

深山は肋骨の痛みで力の出ない左手を、必死で上げる。

「なんだ、足掻くのか?小田原藩士は潔さが足りないなぁ!」

男は分厚い唇を歪めて更に力を込めるが、易々と即死させる気はないようだ。

気道が圧迫されて意識が遠のきそうになるが、それでも左手を懐に伸ばす。忍ばせていた小瓶の蓋を外し、その中身を男の顔にぶち撒けた。

「ぐわっ!?」

予想外の展開に男は取り乱し、深山の首は無事に解放される。

唐突に地面へ投げ出された衝撃で折れた肋骨に響き、痛みで僅かに呻きながら男の様子を窺った。

灰色の粉末が男の目や鼻などの粘膜に付着し、視界や呼吸を邪魔している。

仕掛けに使った目潰しの毒粉の余りを、御守り代わりに忍ばせていたのは幸いだった。

これで男の視界はもう効かない。

いまのうちに撤退しよう————深山が肋骨の痛みを必死で無視して立ち上がった、その瞬間。

深山でさえ持ち上げるのにひと苦労するであろう重量の金砕棒が、彼の足元を狙って小石のように投げつけられた。

金砕棒が飛んできた先へ注意を向けると。

「この……糞野郎っ!!」

男は毒粉で潰された右目を押さえ、怒りに血走った左目で深山を射殺さん勢いで睨め付けている。

左目がかろうじて生きていたらしい。毒粉に邪魔されている呼吸は浅く、太い肩が大きく上下している。

楽に死ねると思うなよ、などと悪態を吐きながら男は右手を伸ばし、左腰に据えられた大太刀の柄を握った。荒々しく鯉口を切ると、古い血で錆びた刀身が姿を現わす。

大太刀の刀身は脂や血糊による錆だらけで、刃こぼれもそのまま。長い間手入れなどされていないと、一目でわかる有様だった。

なんて悲しそうな刀だ、と深山は直感する。

武士は往々にして、刀を一生の相棒として愛す。武士にとって、愛刀は自分の心を映す鏡のようなものだ。

錆を防ぐ為に毎日の手入れは欠かさず、少しでも刃こぼれを起こせば刀匠に研ぎを依頼する。

深山の愛刀は元々、とある旅の侍から奪ったものだ。

旅人を襲う為に手に入れたもので、手入れなんてせず刃こぼれもし放題。

やがて流れ者の隠者として暗殺に明け暮れた日々を過ごし、愛刀を使う日も少なくなっていった。

しかし忠愨公に拾われ、再び刀を相棒とする日が訪れる。

だが当然のように手入れはおろか鞘から抜くこともなかった刀は、打ち直すしか道はないほどに弱っていた。

そんな状態の刀を見かねた忠愨公が、深山を厳しく叱りつけた。

————「うぬはなにかを大切にすることを覚えよ」

忠愨公に叱られたのは、その日の一度きり。

それからというもの、深山が愛刀の手入れを欠かした日は一度としてない。

男の刀を目にした途端、深山の心は不思議と奮い立った。

血が滲む口の端が持ち上がり、左手が愛刀の柄に触れる。滑らかに鯉口を切れば、美しい白刃が光を浴びた。

互いに視線を譲らず、真っ直ぐに見据える。

風の小さな揺らぎさえも両者の神経を逆撫で、周囲の空気をひと息で熱した。

まだ続いていた戦場の喧騒が、波が引くように遠のいていく。

ひとつ、ふたつ。

みっつ数えたと同時に、深山も男も前へ踏み出し、全力で刀を打ち合わせる。

激しい火花が周囲を照らし、刀が互いの重みを伝え合った。

軋む刀身は無謀な相撲を続ける。深山と男では明らかに違いすぎる重みに、やはり深山は苦しめられた。

男もまたその有利性を存分に発揮させようと、意識的に重心を傾ける。だが。

その重心移動さえも、深山は逆手にとって利用した。

男の重心が前に傾くままに任せ、深山は自ら後ろへ倒れるように身を引く。毒粉によって男の死角となった右側へ逸らし、刀から力を抜くと。

男の体は狙った通りに均衡を崩し、そのまま地面へ倒れ込んだ。

無様にも地面に手をついた男は、

「くそっ」

悪態を吐き、体勢を立て直している間にも。

深山の愛刀が容赦なく、男の首を掻き切った。

派手な血飛沫をあげてはいるが、男の首はまだ繋がっている。しかし出血の量からして、放っておけば絶命するだろう。

こんなにも無様に一太刀を浴びたのは、男にとって経験のないこと。

しかも『目潰し』などという……“姑息な”手段を使う武士に出会ったことがない。

「なんなんだ……なんなんだ、お前は……!?」

絶え行く運命を受けた荒ぶる吐息で、男は問うた。

肋骨の痛みに耐えかねて片膝をつくも、瞳の色が褪せることは決してなく。

血を浴びた横顔はなおも美しさの輝きを増し、大切に想うその名を風に刻みつけた。

「小田原藩が誇る《最上の戦巫女》八重の、守護役だ……っ!」

男には聞き覚えがあった。

嘗て数多の戦場を駆け抜けたという、美しい死神の名は。

「《万緑の美姫》————」

その名に恥じぬ宝石色の髪と瞳は……手にした白刃は、陽光を透かして万緑をも打ち負かす光を生んだ。

初めて受けた一太刀の貴さと重みを十二分に感じ、男は絶命。

深山は痛みに顔を歪めながらもどうにか立ち上がり、八重が待っている本陣へと向かっていった。


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