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戦場乙女2

夜が明けて、加賀藩との戦は早くも三日目に突入した。

小田原藩の一同も早朝から、本日の戦いに向けて手早く準備を整える……はずだった。

まだ陽が昇らないうちに、新たな火種が落とされるまでは。

「先手を取られたか」

大久保忠愨公は眼前に広がる惨状を眺め、渋い嘆息混じりに誰とも知れず呟いた。

昨日の日暮れ前に設えた野営物資の数々は破壊され、夜襲に対応しきれなかった兵の幾人もが無惨に首を掻き切られている。

まるで隠者のような手口の死体を目にして、深山の脳裏には一見人好きのする青年の笑みが浮かんだ。

それでも生存者がいるのではと希望を捨てきれず、真っ先に生き残り総出で確認作業に当たった。

しかし縋りついた希望も虚しく、倒れている兵のすべてが既に息を引き取っている。

ここで戦闘要員が削られたことはかなりの痛手であり、今日の戦局に支障を来すことは当然のこと。

戦闘要員の被害だけではない。

武器や兵糧などの物資も滅茶苦茶に破壊された為に、絶望的な状況に陥ってしまった。

生き残った兵たちは皆一様に大将の背中を縋るように見つめ、不安を拭いきれずに指揮を待つ。

起き抜けで兜を脱いでいた忠愨公の髪は、連戦の疲れと夜襲による絶望で乱れている。

彼らの不安を鋭敏に感じ取り、将としての重圧を改めて覚えた忠愨公。しかし枯れた声でどうにか、苦し紛れに近い指示を出した。

「……瀬戸を、呼んでくれ」

「呼ばれずとも来ている」

忠愨公の指示とほとんど同時。

若い兵たちに気取られない程度に項垂れていた忠愨公の隣に、剣豪瀬戸がいつもの頼もしげな足取りでやって来た。

竹馬の友であり全幅の信頼を置く参謀としての瀬戸の登場に、忠愨公はようやく顔を上げる。

だがその表情は、依然として厳しいものだった。

「時房……うぬの策をいま、使わせてくれんか?」

瀬戸が内々に仕込んでいた策略は、大将である忠愨公でさえ大筋しか知らない。

しかし未だ実行に移されていないとなると、危機に陥ったいまこそが実行するべき潮合なのではないか。

三日目にしてこの危機的、絶望的状況を持ち直す為の引き金としての価値は、十二分にあるはずだ。

「元よりその積もりだ。だが……」

ここに来て珍しく言い澱む煮え切らない瀬戸の表情を、長年の付き合いがある忠愨公は初めて見た。

「なんだ、なにか足りんのか?うぬが頼むものなら、なんだって掻き集めてみせようぞ」

藁にもすがる思いのいま。

瀬戸の作戦を実行する為に必要なものがあるというなら、多少の無理をしてでも整えてみせる。

そう意気込む大将に反して、瀬戸は頭痛を感じたような苦い表情で答えた。

「————敵本陣を叩くに値する、『圧倒的な機動力』が足りん」

「……っ!!」

忠愨公だけではなく、その場で聴いた者の全員が絶望という闇に染まってしまう。

瀬戸が作戦に絶対の自信があったこと、そして皆が彼の作戦を無条件に信じていたことが仇となってしまったのかもしれない。

そしてもっとも不幸なことは、夜襲を受けた隊に瀬戸が立てた作戦の要となる兵がいたという、その一点に絞られる。

彼方に作戦が漏れていたとは思えない。

瀬戸の作戦は忠愨公ですら詳細を知らされておらず、小田原藩内部でも超極秘裏に進められていたものだ。

純粋なる運で此方が負けたと考えてしまうのは、不自然なことではないかもしれない。

「昨晩の夜襲が痛かった。これは私の落ち度、すまぬ」

「今更うぬを責めても仕方あるまいて」

責任を強く感じて頭を抱える友人であり家臣でもある男の背中を、忠愨公は心底からの想いで支える。

だがそれで状況が変わることはなく、むしろ時間の経過とともに、苦境は最悪の展開を予期させた。

このままなにもしなければ————敗戦。

しかも考えうる限りで、もっとも屈辱的な形で。

であれば足掻くしか道はない。

「それよりその『機動力』、誰か代役はおらぬのか?」

ほとんど無理矢理に気を取り直して、瓦解寸前の作戦を立て直す術を模索するべく、忠愨公は立案者に尋ねる。

流石といったところか。瀬戸はすぐに明確な答えを表した。

「苦肉の策ではあるが私か、もしくは————」

瀬戸の視線の先をこの場にいる全員が追い、そして一身に注目を浴びたのは……。

「わ……私、ですか?」

《最上の戦巫女》の守護役として、今回は非戦闘員の扱いを受けていた若き小田原藩士————深山の姿を、全員が凝視していた。

突然の注目に素っ頓狂な声を上げて目を丸くしていた深山に、瀬戸は感心したような笑みを向ける。

「隠者時代で培ったその速さと身のこなし、代役どころではない。最初の構想では、ついお前を候補に考えたくらいだ」

守護役なのが実に惜しい、と嘆く瀬戸を他所に、今度は外野が騒つき始めた。

「しかし彼は守護役だぞ?」

「だが過日の……瀬戸殿との打ち合いを思い出せ」

「実質、小田原藩最強か」

なるほど、彼であれば……外野の意見も徐々に一致していく。

その時期を見計らって、忠愨公が深山と向き合った。

「深山、やれるか?」

落ち窪んでいた大将の瞳に再び熱き炎が灯り、滾る魂は気高く美しい輝きを取り戻す。

まだ……まだ諦める時ではないのだと、強く訴えるような瞳に。

「————はい!」

深山は迷うことなく応えた。

一も二もない。

俺はこの人に付いていくのだと、救われたあの日から決めたんだ。

この人の為なら俺は、なんだってやり遂げてみせる。例えどんなに絶望的で、誰もが諦めるような戦いだとしても。

深山の迷いのない返事で活気を取り戻した小田原藩本陣は、荒らされた陣地の片付けと遺体の収容、そして作戦の準備などで慌ただしく動き始めようとしていた。

しかしそこに、深山が一石を投じる声。

「作戦について、僭越ながら私よりひとつ提案が」

忠愨公と作戦の打ち合わせに入りかけていた瀬戸が、準備の手を止めることなく「なんだ」と問い返す。

「奇襲作戦のお返し、といきませんか?」

という声に、瀬戸だけではなく忠愨公も手を止めて、深山に目を向けた。

「どういうことだ?」

瀬戸の眼光に鋭さが増す。

なにか新たな策があるというなら、藁にも縋りたい崖っぷちの状況だ。無視するという選択肢は有り得ない。

再び多くの視線が集まった深山は、しかし重圧を感じているような素振りもなく。

余裕たっぷり、生来の艶に混じって悪戯っぽく微笑んだ。

「瀬戸殿の作戦————私ひとりに、総てをお任せくださいませんか?」

間、そして間。

これでもかと続いた間がようやく切り倒されたのは。

「…………はぁ?」

深山を除いた、一同の驚愕とも呆然とも知れぬ声だった。


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