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宿命乙女5

ちょっとした騒動もひと段落した、その瞬間。

わっ!

と戦場に大きく喝采が湧きあがった。戦局になにか重大な進展があったのだろう。

先刻と同じ伝令係の青年兵が、興奮した赤ら顔で本陣に転がり込んできた。

先ほどと同じように深山が茶を淹れて差し出すと、掠れ声で礼を述べて一気に干す。

伝令係が茶をひと息で飲み干し、荒れた呼吸が整うまでのあいだ、本陣にいる全員が固唾を飲んで見守っていた。

その間も続く喝采という喝采、或いは味方の頼もしい雄叫びは、本陣にいる面々の内心である確信の蕾を育て続ける。

その蕾は、ようやく息ついた伝令係の青年兵によって、ひと息に開花した。

「作戦成功!本多騎馬隊が……墜ちましたっ!!」

閑寂。

本陣に訪れた水を打ったような静けさを余所に、戦場は相変わらずの騒々しさを保っている。

ある者は目をぱちくりさせたり、またある者は口を金魚のようにぱくぱくさせたり。

瞬間————空気が爆発でも起こしたかのように。

誰の驚嘆とも知れぬ声を皮切りに、本陣全体が歓喜で大きく打ち震えた。

忠愨公からの指示を受けた鑓の鈴木隊と遊撃の石井隊が、あれだけ強敵だった本多騎馬隊を見事に打ち破ったのだ。

笑顔で拳を打ち合わせる者、男泣きする者、熱く抱擁を交わす者。

本陣にいた者の総てが、銘々にこの逆転劇を祝い始める。

雨過天晴とはこのことかと、思わないものはこの場にいないだろう。

まるで戦の完全勝利を祝うかのようなお祭り騒ぎに、しかし厳しく一喝が入った。

「えぇい、静まらんかっ!」

忠愨公の珍しく高圧的な声に、本陣の空気は春から冬へと一変したかのように萎れてしまった。

一同の高揚をひと息に鎮めて、注目を集めるなかで公は野太い咳払いをひとつ。

「これしきで馬鹿騒ぎしてどうする!」

思わぬ忠愨公からの叱責を受けて、本陣の空気は葬式のように沈みきってしまった。

だが。

す、とおもむろに公の指が伸ばした先は————遥かなる高み、天空。

雲ひとつない晴れ晴れとした広大極まる蒼天は、見上げるほどにその魂を吸い込まれそうになる。

「儂らの目指す先は————これの更に上ぞ」

加賀藩を————宿敵本多家を打ち負かすだけでは飽き足らぬ、遠大とも知れぬ野望。

それは《天下統一》。

武士として生まれた男子であれば、誰しもが憧れ夢見る大舞台。しかし決して華やかではなく並々ならぬ茨の道。

夢半ばにして打ち砕かれる者が大半を占める、修羅がごとき酷道を。

それでも目指すというなれば。

「最後までその涙、ちゃあんと残しておかんと困るぞ」

忠愨公の茶目っ気があり、尚且つ豪胆な太い笑みは、本陣の一帯に新たなる芽を生み出した。

その芽はひと筋の風を受けてすくすくと萌えいで、大樹のごとく根と枝葉を其処此処に拡げ続ける。

やがて。

その『希望』は新たな風を受けて波となって畝り、忠愨公のひと声を契機に爆発。

「勝ち鬨をあげよっっっ!!!!」

気持ちとともに獣のごとく一体化した咆哮が勢いを増し、武士たちの戦闘意欲を限界まで高めていった。

高揚し切ったその気勢の先には、大勢の敵方が立ちはだかっている。

《天下統一》という夢物語を果たす、その為には。

今日という日を足掛かりに、その手で、その脚で立ち向かわねばならない。

斃れるな、戦え。

明日を生き、明日を創る為に。

清き白刃をぶつけ合い、激しい火花を散らせるその向こう。

美しき花弁が咲き乱れる、遥かなる未来を見据えて。

大将によって大久保陣営全体の士気が大幅に上がった様子を見て、深山もほっとひと安心した。

「しかし、一体どうやって?」

深山が疑問としている点、言わんとしていることは、すぐ隣にいた剣豪瀬戸が聡く気づいている。

忠愨公の指示は、鑓の鈴木隊と遊撃の石井隊が手を組め、とだけ。

細かな作戦は暗黙の了解、といった雰囲気だった。

彼らがどういった作戦内容のもとで働き、これだけの喜ばしい結果に持ち込めたのか。

恥ずかしながら、深山にはわからなかった。

「簡単なことだ」

僅かに恥じ入る深山を貶めることなく、瀬戸は淡々と解説を始めた。

騎馬を容易に傷つけられる武器といえば、鑓である。刀よりも柄の長さがあることで、距離を置いて攻撃が届く。

一方で鉄炮も距離を置いて攻撃できる武器ではある。むしろ鑓の長さよりも射距離が長い分、攻撃の幅も広く感じられよう。

しかし人より早く動き回る騎馬に対して間違っても、装填から照準、発射まで時間のかかる鉄炮が有利とはならないはずだ。

鑓を使うにしても、鉄炮を利用するにしても、長所と短所は必ず鬩ぎ合う。

そこで。

鑓の鈴木隊が作戦の本命として本多騎馬隊を叩くと見せかけ、遊撃の石井隊が狙撃で片をつける……というのが今回の、見事に逆転した作戦の根幹だ。

「つまり……鈴木隊は囮?」

「彼処に見破られれば無論、返り討ちどころでは済まない損害が出るがな」

深山が導き出した結論に、瀬戸は竹馬の友へ向けてほんの少しの皮肉も込めた。

うっすら片目を瞑り、肩を竦める瀬戸の表情は、気持ちのいい陽の気が篭っている。

危急存亡の時に一か八かの勝負を仕掛け、それを見事な勝利で収めた主人の手腕、そして仲間である藩士たちの実力に。

脱帽、としか言いようのない感覚が、深山の全身を強く支配して駆け巡る。

「ははっ……本当に……」

心の臓に熱き血潮がこみ上げ、それは深山の顔に不思議と笑いを滲み出させた。

盛り上がる兵たちに囲まれて、豪快に破顔する主人の背中を目で追いかける。

忠愨公のその大きく広い背中は、どうしてか。

八重の背中と似ているような気がした。

————貴方は……あなたたちは、とんでもない御方だ。

先を見据えるその瞳、その背中。光はそれぞれ違えど。

野望を秘めた者は強さを追い求め、家族の温もりを求めた者は強さを手にする。

傷を抱えて生きる者たちは、何故こんなにも《強さ》ばかりを求められるのだろうか。

それは運命なのか、因果なのか。

どれだけ《強さ》を手にしても、彼らの心が本当の意味で満たされることはない。

人は彼らを強欲だ、と詰るかもしれない。

しかしそれは否定しよう。彼らはただ、ひたむきに生きているだけなのだ。

見えない傷を隠して生きる彼らの背中を、深山はいま一度見つめる。

暗闇から光を眺めるように……濁っていた心が、透き通っていくように。

あなたたちのように、なりたい————と。

深山は新たな願いを密かに灯し、主人を取り巻く輪のなかに溶け込んでいった。


伝令係から騎馬隊が墜ちたという報せを受けて、男————加賀藩年寄の本多政通公は苦虫を噛み潰したように嗤う。

憤怒と不満と憎悪が複雑に交ざりあい、手にしていた上級品の色鮮やかな煙管が不安定な軋みを上げた。

感情を誤魔化すように湯呑を口元に運ぶが、淹れたての温かい宇治茶でさえ、いまは不味い気がしてならなくて眉根を寄せる。

「ふん……流石の彼奴も、一筋縄ではないか」

誰にでもなく言い捨てた自分の声が、妙に空々しく聴こえたような気がした。

奴は、昔からこうだ。

普段はのうのうとしていながら、いざというときは此方が驚くほどの力を発揮する。

『大久保忠愨』という男の底知れなさは、政通も嫌というほど実感していた。

————まったく……食えない奴だ。

酒でも呷りたい気分だが、それは《勝利の美酒》としてとっておくべきだと、自分に強く言い聞かせることで事なきを得る。

代わりに宇治茶をひと息で干してやろうと、湯呑を傾けかけたときだった。

「ははっ」

政通のすぐ隣から、若い笑みが零れる。

「さしものお前も、やはり『大久保忠愨』という刃は簡単に折れないんだな」

この泥臭い戦場に似つかわしくない美青年が、女性であれば誰もが見惚れる美しい笑顔を政通に向けた。

現加賀藩藩主の長子で、次期加賀藩藩主の座が約束されている前田慶寧。

政通の私情がたっぷり挟まった今回の戦をお膳立ててくれたのは、他でもない彼だ。

《最上の戦巫女》を手に入れる機会を作る、と甘言しただけであっという間に軍備を整えてくれたのだから……様様である。

————よもやその《最上の戦巫女》を、掠め取られるとも知らずに、な。

政通は内心で、彼の浅はかさにほくそ笑んでいた。

慶寧は数えでまだ二十歳という若さの割に、剣の実力はまずまず。お世辞にも強い、とは言い難い中途半端な剣筋。

その上で正念場に弱く、その割には下心ばかりが伸び伸びと育ったような醜悪さを持っている。その端麗な顔立ちと『藩主の息子』という恵まれた地位を生かして、毎日のように肉欲に溺れていると、城内では専らの語り草となっていた。

性格に難ありの……所謂『馬鹿坊ちゃん』。

小田原藩内外で噂になっている《万緑の美姫》とは同い年のはずだが、彼と比較してしまうと月と鼈、雲泥の差。

政通に言わせれば『藩主の器ではない』。間違っても《我が庭》の一花にはしたくない。

「いえいえ、ほんの籠手試しですよ……若君さま」

などと和やかに返事をして、なに食わぬ顔で茶のお代わりを要求しているが、こうして隣にいるだけでも反吐が出るくらいだ。

将来この男に仕えることになるのかと思うと、いまから憂鬱で仕方ない。

女————薄桜が淹れた新しい茶を含み、口中に忌々しく広がる苦味を掻き消そうと懸命に足掻く。

しかし、と湯呑から薫る茶葉の青い匂いに鼻を潜らせながら、人知れず考えを改める。

この馬鹿を利用しない手はない。

この若造自身に実力らしいものはない上に、他人の思惑を見抜く慧眼すら持たない。

うまく言い包めてしまえば、清々しいほどに此方の思う通り。

父親もなにを考えてこの馬鹿を次期当主に据えたのか、政通には甚だ疑問しかない。

しかしそんなうつけ者親子のお陰で、この舞台が整ったのだから、素直に感謝せねばなるまい。

いまは現状に甘んじよう。

彼が藩主となった暁にはこの私が糸を引き、加賀藩を手に入れてしまえばいい。その為には。

————私の傀儡人形と成り果てて戴きましょう……若君さま。

政通の仄暗い笑みには気づくことなく、慶寧は呑気に茶の渋みを嗜んでいた。

その間抜けな姿はこれからの未来を想像すると、ある種の愛おしさすら感じるのだから、実に不思議なものだ。

獲物に這い寄る蛇のごとく目を光らせ、その機が熟すのを待つ時間は楽しいもの。

おや、と湯呑に目を向けた。

この茶、先ほどとは違う茶葉なのかと錯覚するほどに、痺れる旨味を感じた。

————それはさて置いて。

空になった湯呑を女に押し付ける手はそのまま、年の割に手入れの行き届いた鋭角の顎に添えられる。

暇な左手で何気なく手遊びしながら、現在の戦況を訥々と振り返った。

向こうの騎馬隊は、序盤に呆気なく潰えた。ご自慢の足軽隊も、些か手間取っているようだ。

いくら此方の騎馬隊が潰えようとも、彼方が瓦解するのは。

「時間の問題だろう、な」

猛禽類を思わせる双眸が、鋭い光を宿した。

戦局は未だ、此方側が有利な運びであると判断できよう。彼奴らがここから盤上を大きくひっくり返すには、更なる奇抜な策を要するはずだ。

しかし油断は禁物……あの男を舐めてかかると、痛い目に見るのは間違いない。政通の経験が声高にそう叫んでいる。

であれば此方も……念には念を入れて、彼奴らに釘を刺しておかねばなるまいよ。

重い腰をようやく上げるかのように、政通はゆっくりと立ち上がった。

「さて」

政通の振り返った先には、紺色の衣装に身を包んだ隠者の姿。

「随分と待たせたな、【青い燕】よ。いよいよお前の出番が回ってきた」

大仰な声音で微笑む政通に、隠者は「大袈裟っスね」などと苦笑いで返す。

政通の合図で女が差し出した茶を有り難く受け取り、【青い燕】は隠者の習性として、匂いを嗅いで毒の有無を確認してからひと口啜った。

「やーっぱシュミ悪いっスね、ご主人」

【青い燕】は湯呑にしては派手な色柄を眺めながら言うが、しかし言葉はそれを指しているわけではなく。

尋ね返すことはなく、政通は代わりに少し目を眇めて呆れ声を漏らした。

「素直に『賢い』とは言えぬのか」

「やー、オレはいつでも素直ですヨ?————ま、冗談はお互い、ココまでにしときましょ」

【青い燕】はからからと冗談めかして笑い転がし、すぐに顔を引き締め、いつものおちゃらけた空気は一瞬にして消える。

政通の顔もまた彼に同調して引き締まり、その瞳は遠く離れた敵陣を見据えた。

「……そうだな」

獲物を狙う主人の虎視眈々とした背中を、女————薄桜は密かに睥睨している。

「……」

なにか発言することもなく、しかしなにかを言いたげに唇を引き締め。

やがて静かに、敵本陣のある方角へ目を向けた。

その視線は切なさに揺れ、決して『敵』を見るような色ではない。

ただただ『愛おしさ』と『申し訳なさ』の篭もった、そんな色を浮かべていた。

彼女のその表情を、【青い燕】————吉野が横目で観察している。

まったく馬鹿馬鹿しい感情だ、まるで理解できない、とばかりに短く嘆息。

空を見上げれば茜色から青藍へと染まりつつあり、一番星のささやかな煌めきと、銀月が空々しい光を放ち始めていた。

二日目の夜も、こうして慌ただしく耽けていく。

それぞれの思惑が交錯する戦場は血の臭いを漂わせ、武士たちを誘いこむ死神のように広がっていた。

加賀藩本多陣営は闇にまぎれ、大胆な手段に打って出る。


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