異心乙女4
ふたりで協力して花火の後片付けをして、再開した祭りを楽しんだ。
大会で得た景品以外にも、薄桜のためにお土産をたくさん買い集めて、陽が傾いた頃にようやく帰宅。
「ただいまっ!」
斜陽の光がうっすらと照らす土間を通り抜け、茶の間へ上がって廊下に出る。
押入が並ぶ廊下を進むと、奥に控えめの部屋がふたつ並んでいる。深山と薄桜の自室だ。
深山の自室の隣に薄桜の自室があり、台所にいない時間は大抵その自室にいるはずだ。
薄桜に早くお土産を渡して、喜ぶ顔が見たい————その一心が勝り、八重は廊下を騒がしく走り出す。深山も早足で八重の後を追った。
————「これ、八重さま!廊下を走らない!」
いつもなら飛んでくる薄桜の諫言が、いつまでも聴こえてこないことを深山は不思議に感じた。
まだ帰宅していないのか、それとも昼寝でもしているのか。
そう思いたいのに、この胸騒ぎはなんなのだろう。
心なしか、屋敷の空気も薄ら寒く感じる。あの陽だまりに包まれていた憩いの縁側でさえ、深山には余所余所しく見えた。
左手が脈打ち、不愉快な熱を帯びる。
どうか勘違いであってくれと、痛いくらいに願いながら八重の後に付いていく。
八重の手が、薄桜の自室の障子を無遠慮に引いた。
「薄桜、お土産いっぱい買ってき————」
その瞬間を、深山の目は決して見逃さない。
八重に襲いかかる小刀。音もなく振り抜いた深山の愛刀が、しっかと受け止める。
かしゃん。
途切れた八重の声とともに、薄桜へのお土産として手に入れた桜の簪が八重の手から飛び、畳にその身を落とした。
深山の愛刀と鍔迫り合いの、小刀。その持ち主は————
「あら、流石は深山さま。わたくしの腕では、やはり敵いませんわね」
「どういうつもりですか、薄桜さん」
夕暮れに浮かび上がる顔は、深山が知っている薄桜の温かさが見られない。
仮面に貼り付けたような氷の笑顔を浮かべた薄桜に対し、深山はこれまでになく厳しい表情を彼女に向けた。
この状況が夢か冗談であってくれと、相変わらずに祈っている。
しかし愛刀と交わる薄桜の力の強さが、その祈りを無惨に打ち砕き始めた。
深山の腕に庇われている八重の顔は、先ほどまでの笑顔がすっかり消え失せている。この状況を読み込めず、むしろ蒼白気味に変わっていた。
深山と八重の混乱が余程に滑稽に映ったのか、薄桜は小馬鹿にしたようにくすくすと笑い始める。
「どうもこうも。最初から仕組まれていたことです」
交差する深山の刀と薄桜の小刀は、弾かれたように距離をとった。
同時に薄桜の方から、深山たちと距離を離してじりじりと後退する。夕暮れが薄桜に影を与え、その表情は曖昧になった。
それでもなお光る薄桜の冷めた瞳が、八重の揺れる瞳と交錯する。
八重の瞳は、薄桜の言葉を待っていた。
いつもの笑顔で、
————「なんて、冗談ですよ!うふふ」
なんて言うんじゃないかと、言って欲しいと祈っていた。
彼女がそんな趣味の悪い悪戯をするはずがない、と頭では理解している。一縷の望みをかけていたかった。
悪い冗談であってくれと、願うばかりの気持ちはしかしことごとく裏切られる。
明らかに八重へ向けて放たれた小刀の一撃。
それを深山の愛刀が受け流し、だが薄桜の手は容赦なく次の一撃を加える。
深山の攻撃を、薄桜は大道芸のような軽い身のこなしでひらりと躱した。
薄桜の腕力は見た目通りで、それほど強力なものではない。しかし深山の速さに対応できるだけの、実力があるのは確かだった。
一日やそこらの修練で手にできる力ではない。
彼女が八重を狙って送り込まれた、真の間者である事実を裏付けるほどの実力。
「残念ですわ、あなたをこの手で殺せなくて」
薄桜の冷たい声が、八重の耳に響いた。
あんなにも八重を愛おしげに包んでいた薄桜の優しい手はいま、殺戮の光を帯びる小刀を包んでいる。
八重を狙う薄桜の小刀、八重を守ろうとする深山の刀。
ふたつの刀が激しく接触し、次々と明るい火花を撒き散らす。
双方譲るつもりのない、厳しい打ち合い。しかし、そこに————
「!?」
深山の腕を振りほどき、八重が立ち塞がる。
八重の後頭部には深山の刀が、額には薄桜の小刀が真っ直ぐに控えていた。
ひとつ間違えれば、ほんの刹那で死んでしまうような捨て身。
「八重!?なにやってんだ、どけ————」
「嘘だったの?」
深山の怒鳴り声を無視して、八重は薄桜に問いかける。
その声は恐ろしいくらいに静かで、どことなく震えていた。
八重の手には自然と力がこもり、小さな拳は紅くなったり白くなったりを繰り返す。
「あの笑顔も……」
八重に嬉しいことがあると、薄桜はいつも本人よりも楽しそうに笑ってくれた。
悲しいことがあっても、「笑顔を忘れないように」という薄桜の言いつけを守っていたことで、前向きでいられたことが多い。
「あの言葉も……」
————「この薄桜、この思い出を……八重さまのお言葉を!一生の宝物にいたしますね!」
八重が思わず漏らした本音に、満面の笑顔でそう答えて抱きしめてくれた。
薄桜に抱きしめられると、心も体も温かくなる。
家族がいない淋しさも、友人がいない虚しさも、薄桜が側にいてくれるだけでどこかへ吹き飛んだ。
「与えてくれた温もりも!?ぜんぶ、ぜんぶ嘘だったの!?」
ひとを愛する喜びを与えてくれたのは、薄桜だった。
ひとに愛してもらえる喜びを教えてくれたのは、薄桜だった。
八重の悲嘆を耳にして、先に耐え切れなくなったのは深山の方だ。
打ち震える八重の背中から目を逸らさなければ、この場で薄桜を斬ってしまいたい衝動を止められなかっただろう。
八重の悲しみを、しかし薄桜は残酷にも一笑した。
「お目出度い頭ですわね、《最上の戦巫女》」
薄桜が小刀を一時的に退くも、深山の刀を握る手は怒りで震えている。
彼女も深山の怒りに気づいているようで、あえてその怒りを増長させるように、瞳で挑発していた。
「えぇ、すべては主人があなたを手に入れるための情報収集と、計画を実行に移す時間稼ぎのため。あなたのことなど、一度も————」
鋭い一迅の風が、八重の頬を掠めた。数瞬遅れてから、白い頬に一筋の血が流れる。
「愛したことはございません」
薄桜の一言が、痛い。
熱を帯びた頬よりも、祭りで歩き倒した脚よりも。
目の前が真っ暗になったり、真っ白になったりを激しく繰り返す。
陽の光はもうすっかり消えていて、屋敷は薄闇に包まれて始めた。五月の風が余所余所しく吹き渡り、やけに冷たい。
その風にすべてを奪われたかのように八重の体から力が抜けて、その場で崩れ落ちた。
それを良しとしたのか、薄桜は構えていた小刀をあっさりと退いて踵を返す。
「さようなら、八重さま」
薄桜の冷え切った声は、現実味のない響きとして八重の耳に入った。
淡々とした足取りで屋敷を離れていく薄桜の背中が、どんどん小さくなって消えていく。
後を追えるだけの力は、八重の脚にも心にもない。
「どうして……」
言葉がうまく出てこない。
代わりに支離滅裂な感情が、次々に溢れては滅茶苦茶な言葉として溢れる。
もう、あのご飯が食べたいとか、あのお菓子が欲しいとか、お湯がぬるいとか我儘はなんにも言わないから。
一生ここに縛り付けられたっていい。
喉から手が出るほど望んでいた自由など、棄てても構わない。
なんにも欲しがらないと、誓うから。
「どうしてわたしの大切な人……みんな……」
握ったままの拳が、とうとう虚しく力を失った。
愛情なんかかけなくてもいい、嫌われてたって構わない。なにもかもが嘘にまみれていたって、構わない。
————わたしが欲しかったのは、ただひとつ……。
「あなたが側にいてくれるだけで……それだけでよかったのに!!」
しかし八重の叫びは、誰にも届くことはない。
一番星が輝き始めた空に、八重の祈りは空々しく響いては、消えた。
ねぇ、神さま。
《大切にしたい誰かが、側にいてくれる》
たったそれだけの、些細で小さな幸せさえも……わたしには、許されないことだったのでしょうか。
気持ちよく晴れた五月の夜が、こんなにも淋しいなんて————わたしは久し振りに感じた。




