異心乙女1
嘔吐を誘う、強い血臭————懐かしい臭いだ。
不吉な紅色をした月明かりのもと、見るも無惨に荒らされた屋敷。
俺の着物を身につけた姉、父上も母上も、小物たちも、皆。たくさん血を流して倒れていた。
幼い俺は姉の着物を纏って、長髪の鬘を被り、悪戯書きみたいに下手な化粧を施して、この景色をたったひとり眺めている。
壊された行灯から火が移り、屋敷をじわりじわりと包み込んでいく。
土足で踏み込んできた隠者たちが、俺を見つけて騒いでいた。
俺も殺されるのだろうかと、過ぎった予感。
だが、その死臭漂う運命すら、このときの俺には救いだと思えた。
————あねさまと、父上、母上と一緒に逝きたい。たった独りで生きていくなんて、僕には無理だ。
強く願った俺を、しかし運命は手酷く裏切った。
「おいで」
燃え盛る炎に照らされた橙色の室内は、熱くて息をするにも苦しい。
誘う声のままに振り向けば、死神にも似た黒装束の男が手招きをしている。
「おいで、深山」
蜘蛛の糸みたいに絡みつく声に、小さな俺は必死で抗った。
「違う……僕は『深山』じゃない……!」
しかし死神は、俺の声を容易く打ち消す。
「『深山』」
指を、手を、脚を。
死神の声はゆっくりと、しかし着実に俺を絡めて逃がさない。
俺の小さな頭を撫で回す手は氷よりも冷たくて、白いを通り越して青白かった。
まるで微かな希望の欠片さえも、残らず吸い尽くしてしまいそうな、死神の手。
死よりも恐ろしい『もの』を搔き集める手だった。
死神は面の奥でけたけたと嗤う。
「お前は私の庭で、狂ったように咲き誇るがいい」
きっと姉たちに顔向けできないと思ったから、死を逃れようとしたんだろう。
だって俺が『深山』にならなければ、生き残ったのは間違いなく姉なのだから。
あの世へ逝ったところで俺は、俺のせいで死んだ人たちに罪を告発される。そう恐れた。
死神の手を取らざるを得なかった俺は『高嶺』の名と生を捨て、暗澹たる道を選んだ。
家族がくれた愛を、すべて捨てた。
————自分の身可愛さゆえに、姉さんを忘れようとさえしたんだ。
夢は朧。
目を覚ました深山の目尻には、涙がたっぷり溜まっていた。
瞬きひとつの揺らぎだけで涙はひと筋、目尻から零れて頬を伝う。
その涙の熱に浮かされたように、布団に寝転がったまま、気怠い眼で開け放した襖の向こうを覗いた。
夜が明ける少し前のようで、空の一部がほんのり白ばんできている。
雀の鳴く声と、季節感溢れる爽やかな葉擦れが、どうしてこんなに憎たらしく感じるのだろう。
「どうして……今更、こんな夢……」
呟いた自分の声もどこか夢を見ているように、曖昧に揺らいで宙を漂っていた。
思い出して、情けないくらいに泣きじゃくる。
夢のなかの幼い自分が、いつまでもしつこく残っているみたいに。
予感めいた夢の意味を知るのは、そう遠くない時のことだった。