水火乙女1
覚醒。
わずかな風の音でさえ、どうやら睡眠の邪魔なようだ。
最近は夜でも熱気がこもることが稀にあり、昨晩はつい障子を開け放して寝てしまった。
外を見れば、まだ若干の月明かりが町を優しく照らしている。
ここのところよく眠れないはずなのに、まだ陽がのぼらないうちに目が冴えてしまう。
こんな時間に目覚めるなんて、最近の八重にとっては珍しいことだった。
原因は当然のように心当たりがある。彼————守護役である深山のことだ。
初めて出会ったときから、ずっと気になっていた。
惚れた腫れた云々ではない。
彼と重ねる『深山』の面影は、やはりよく似ている。
他人の空似、と一蹴してしまえればよかったが、八重のなかの【なにか】が必死に叫んでいた。
その【なにか】の声をどんなに遮っても聴こえてきて、やがて八重のなかで確信に近い塊となる。
その塊が肥大して、心を圧迫して。否定したい気持ちは、もはや消え入りそうだ。
————「あなたが、あの『深山』なの?」
いますぐ訊いて確かめたい。
この景色の向こうに、どんな真実が隠されていたって構わない。
ほんとうのこと、知りたいの。
だけど。
————「深山……ってあんたと同じ名前の、戦巫女————知ってる?」
初めて出会った、或いは再会したあの日のこと。そう訊ねた八重に対して、彼はあからさまに冷たく言い放った。
————「————存じ上げません」
いまではその答えが嘘だったとしか思えない。
もちろん、確たる証拠は未だに見つかっていない。いまの段階では、八重の妄想に近い話に過ぎない。だが。
盗み聴いてしまった深山と吉野の会話が、再び脳裏に蘇る。
————「んじゃ、ずーっと片想いなん?しんどくね?」
————「たまにな。もう言っちゃいたい、って思うよ。『俺が“深山”なんだ』って」
面影が残るあなたの綺麗な横顔は、だけどあの頃とはどこか違う眼差し。
わたしが知らない、男の人の顔だ。
あなたが『深山』だったの?
こんなにも近くにいてくれたの?
どうして初めて会ったあのとき、あなたは否定したの?
いまでも隠す理由ってなに?
それとも————わたしとの約束のことなんか……もう忘れちゃったの?
訊きたいことがたくさんあって、でもあなたの嘘の理由が、わたしにはわからない。
嘘に隠された【ほんとうの気持ち】に、《あなた》だから触れてみたい。
わたしの気持ちは、まだ固まっていない。
あなたが『深山』だというのなら、《わたし》はどうしたらよかったのか。
『深山』があなただというのなら、《わたし》はどうしたいのか。
あの日の桜を忘れることができない。
薄らいでいくお母さまとの思い出よりも、あなたと過ごした桜の樹の下が、いまになってとても居心地よかったの。
怒って欲しくて、《わたし》を見て欲しくて、《ほんとうのあなた》が知りたくて。
どうでもいい我儘で振り回してみる。
ちょっとスカした表情よりも、不意に照れた表情がすき。
大人みたいな澄まし顔よりも、少年みたいに悪戯な瞳がすき。
もっと、もっと見たい。
幼かったあの日みたいに、隣で笑いたいから。
《ほんとうの深山》を、少しでも知りたいから。
嘘はあっても、偽りはない。
きっとそうだって、信じていたいから。
————ねぇ……
わたしは『あなた』のこと、どう想えばいいの?