暗躍乙女4
晴れた夜半はいつも、月明かりを頼りに物を書く。
見えづらいのもまた一興、と月を眺めてしみじみ感じるこの時間が好きだ。
今宵も愛用の文机に向かい、筆をとって、必要な書類をつらつらと書き記していた。
文字を綴る手を止めることなく、しかし男はぶつぶつと独り言を呟いては、数多の記憶を探っている。
「『深山』……みやま、ミヤマ……」
先日の報告で聴いた名だ。
あの日からずっと、頭の隅に引っかかって離れない。気持ち悪いので早く思い出したいところだった。
綴った文が杉原紙三枚目に至ったところで、
「あぁ、思い出した」
もう十五年も昔のことだったもので、すっかり記憶が錆びついていたようだ。
しかしいまでも鮮明に思い出すのは、満開の桜のように美しい少年。
姉の真似事をして生き延びた、稀有な戦巫女だった。
「そうか、あのときの童……なるほど」
彼が狂い咲き誇る日を強く楽しみにしていたのだが、残念なことに逃げられてしまった。
獲物に逃げられたのは、初めてのことだ。
男の唇が歪む。
歓喜、狂喜、悦楽、愉悦。
まるで彼のなかに、ひと息で春が訪れたかのような幸福感が溢れた。
「益々……面白くなりそうだ」
私の庭がまた一段と、美しくなりそうだ。
ほくそ笑んでまた、書き物に集中する。しかし集中は桜吹雪のような狂喜によって乱され、仕方なしに茶を淹れてひと休み極めることにした。
新茶の味わい深い薫りと心地の良い渋みに舌鼓を打ち、だが浮かぶのはあの少年の姿。
宝石のように煌めく深い翠緑の髪と、同じ色味の瞳。
溢れんばかりの桜吹雪に溺れて、淫らに腐って堕ちていく。
そんな予感めいた風が、一筋吹いた。