向日葵の約束
もしも、いつも一緒にいる人が突然居なくなったら。
あなたはどうしますか?
いつ、誰が死んで、誰が生まれるかわからない世界。
向日葵のように力強く、そして儚い君へ。
これはそんな君と過ごしたひと夏の切ない思い出。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「コラー! 輝っ!」
幼馴染の椎名葵に追っかけられながら大声で呼ばれたが、俺──遠山輝は葵に向かってベーっと舌を出した。誰が止まるか、誰が。
「来れるもんなら来てみやがれ!」
「もー怒った、今日こそブン殴る!」
俺と葵は顔を合わせれば喧嘩ばかり。
周囲にはそれで公認のカップルとか言われているんだから、たまったもんじゃない。
と、俺は床に置いてあった雑巾を踏みつけてしまい、勢いよくすっ転んだ。
「うおっ!?」
「ひっ、輝!?」
ズダーンッ。俺のデリケェトな後頭部様はいい音を立てながら床に打ち付けられた。
「よくやるわねーあんたら」
わざわざしゃがみ込んでまで呆れた声をかけてきたのは葵の親友・愛梨だ。
「……俺の心配しろよ」
俺は起き上がりつつ、打ち付けた後頭部をさすりながら言った。
「えーやだぁ。石頭なんでしょ?」
「……テメェブチ殺すぞ」
俺が凄むと、愛梨はくすくす笑った。
「やぁだ、怖〜い。──でもあんた達お互い楽しそうじゃない?」
愛梨が小首を傾げる。自慢のロングヘアが横にサラッと流れた。彼女は校内でも一、二を争う美少女だ。
「ふっざけんなよ。誰があんな生意気な女。大体、あいつが追いかけてくるだけだっつーの」
俺が軽く睨むと、
「あ・い・り・さ〜ん?」
葵がいつの間にか追いついてきていた。
「うぉ!? おま、早すぎ……」
「変な事吹き込まないでよ、愛梨」
ギロリと葵が愛梨を睨む。愛梨はきゃーっと騒いで何処かへ行ってしまった。そして葵はくるりと俺の方を向いて、
「……大丈夫?」
とぶつけた後頭部にそっと手を添えた。珍しい、こいつがこんな風に俺を心配するなんて。
「……残念ながら。俺の頭はデリケェトだが石頭でもあるので、こんな事じゃへたれない」
いつも通りの口調で言うと葵はくすっと笑い、
「心配して損したー。っていうかあんたの頭がデリケートだったらあたしの頭はもっとデリケートよ」
「や、お前は生粋の石頭だろ」
「何ですってぇ!?」
ギャーギャーとまた騒ぎ始める俺たちを教師や他の生徒達は遠巻きつつ注目している。
そんないつもの1日が終わり、放課後。
俺は部活が終わったので家に帰っていた。その途中で葵と病院の前でばったり会った。
「あれ、どしたお前」
俺がそう声をかけたのは、葵が薬袋を何個か持っていたからだ。
「ん、まぁちょっと風邪」
葵はしれっとそう言った。『ちょっと風邪』の割には薬の量が多い気がするのだが。
葵は俺のそんな怪訝も知らずに話し続けた。
「夏休みさ、向日葵の世話しなきゃだしね。今から体調整えとかないと」
「ふーん。でもやっぱ薬の量多くね?」
俺は心の中で思ってた怪訝を吐き出した。葵は少しきょとんとしていたが、やがてふふっと笑い、
「まぁね。でもしっかり薬飲めば元気になるし」
と言った。
「じゃあまた明日ね」
葵は俺にそう言って手を振り、俺の前を通り過ぎた。彼女から微かに香ったシトラスの香りと、遠ざかっていくお団子頭を見つめ、俺は一人呟いた。
「……何か変な感じだなぁ」
誰よりも一番近くにいたから気付いたのかもしれない。彼女の変化に。
そして夏休み。俺は部活、葵は向日葵の世話、と学校で顔を合わせる機会も多くなった。
当然、喧嘩の頻度も多くなる訳で……。
「バカ輝!」
「クソ葵!」
毎日のように喧嘩をしては、部活仲間や教師達に呆れられる毎日。
だが、そんな喧嘩と部活の毎日も長くは続かず……
「あれ、葵は?」
俺は近くにいた部活のマネージャーでもある愛梨に訊いた。
「さぁ? 連絡取れないし、何やってんのかしらね」
愛梨はサラッと答え、俺に向かってからかうように言った。
「なぁに、心配?」
顔がカッと赤くなった。
「ち、ちげーよ! ただアイツいつも学校来てたし!」
「だから気になるのかな〜? ん〜?」
愛梨は明らかにからかい口調だった。こういう時は黙るに限る。それは俺が愛梨と親しくなってから学んだことだった。
その日は部活が午前中で終わったので、帰りに葵の家に寄ってみることにした。
ピーンポーン。
だがチャイムを鳴らすと、本人ではなく葵の母親が出てきた。いつもは葵が出てくるのに。
「あら、輝君。どうしたの?」
「こんにちは、おばさん。葵は?」
少し不思議に思いながら聞いてみると、恐ろしいことを言われた。
「あぁ、葵? 今ちょーっと体調崩してて入院中」
サラリと恐ろしい単語が。入院?入院って言ってたよな今?何であいつが入院?
「ど……どこの病院っスか?」
俺は少し焦りながら聞いた。
「駅前の市立病院よ」
「病室は!?」
「503」
聞くや否や猛ダッシュで向かう。
教えられた病室に入ると葵がベッドの上で上半身を起こしながらけろっとした顔でこちらを見ていた。
「どーしたのそんなに慌てて」
「お……おま……入院したって言うから……」
俺は息切れをしながらそう言った。
「あぁーら、心配してきてくれたの?」
からかう色を帯びた、にやにや笑いの葵の言葉に思わず「んな訳ねーだろ」と返してしまう。
ああまたやってしまった、と後悔した。え? 何をって? ココロと言葉を裏腹にしてしまう事をだよ。
「まぁ、急いで来てくれたことには感謝するわよ」
輝の反撃もなかった事のように流す葵。
いつもならここでまず喧嘩なのに。
やっぱり何かおかしい。
「何かね、お腹に悪い腫瘍?があるんだってさー。だから手術しないと治んないんだって」
いつも通りのカラカラ笑いで言う葵と正反対に俺は慄いた。
「……サラッと恐ろしいこと言うなよ」
「だってホントだもん。でさー、悪いんだけど」
俺は思わず笑ってしまった。まさか葵から「悪いんだけど」の一言が出てくると思わなかったからだ。
案の定葵が怪訝な顔になる。
「……何よ」
「いや、お前が遠慮とか……似合わな過ぎて」
素直にそう言うと葵は肩をいからせた。そして、
「わーるかったわね! どーせあたしは遠慮も何も似合わない無礼者だわよ!」
そう言ってプイッとそっぽを向いた。
その拗ねた顔が新鮮で、俺はますます大爆笑。
「で? 何だよ。頼むもんがあんだろ?」
笑いを引っ込めつつ俺がそう言うと葵は仏頂面のまま「……向日葵」と言った。俺が怪訝な顔をすると葵は膨れっ面で説明を付け足した。
「向日葵の世話! 代わりにやってって言ってんの!」
ああ、とやっと合点がいった。
こいつは向日葵の世話を入院中の自分の代わりにやれ、と言っているんだ。
「枯らすかもしれねーぞ」
冗談口にそう言ってみる。すると葵は「それは駄目」と怖い顔と声で言った。
「枯らさないように気をつけてやってよね」
そう言うと葵は俺を追い出した。
締め出しをくらった俺は、ため息をつきつつ学校へ向かった。葵がしばらく世話をしていなかったため、花が萎れているかもしれないと思ったからだ。
「……よかった、大丈夫だ」
予想に反して向日葵は萎れてはいなかった。念のために向日葵に水をあげてから家へ帰った。
そしてまた日が過ぎる。
葵もたまに昔に戻ったみたいに喧嘩を吹っかけてきたりして何だかんだ楽しい日々だった。
──あの日まで。
愛梨と一緒に見舞いに行くこともあるし、俺一人のこともある。その日は俺一人で見舞いに来ていた。
その日、病院の外は雨が降っていて、どんよりとした空模様だった。
いつも俺からは部活であった事や向日葵の経過報告などを話していた。葵はそれを笑い転げながら、時に羨ましそうに聞いていた。
「あーあ……あたしも向日葵の事自分で世話したかったなぁ」
そう言いながら葵が窓の外を見つめる。
いつになくそんな弱音を吐いた葵に調子が狂い、
「お前が病気になるなんて信じらんねーけどな」
と言ってみた。葵の顔が少し強張る。俺は気付かない振りをして続けた。
「お前のその喧嘩っ早さは死ななきゃ治らねーだろ。
いい薬になったんじゃねーの?」
冗談のつもりだった。冗談でそう言うと葵はふるふると震え、「……で」と蚊の鳴くような声で言った。
俺が思わず顔を近づけると葵は俺をキッと睨み、
「もう来ないでッ!」
と思い切り枕を投げつけた。
俺は驚いて葵の顔を見た。葵は泣いているような、怒っているような。そんな表情だった。
「あんた、あたしの事何も分かってないじゃない!
何が『いい薬』よ! ふざけないで!」
葵はそう叫んで俺に背を向けた。肩が震えているのは怒りのためか泣いていたのか。
「早く出てって! あんたの顔なんて見たくないッ!」
葵はそう言って俺を叩き出した。
俺はあの言葉の何があいつの癇に触ったのか分からない。俺はただあいつの元気を取り戻してやりたかっただけなのに。
その日から俺はパタリと葵の見舞いに行くのをやめた。その代わりに部活の練習と向日葵の世話に精を出した。
「よくやるわね、あんた」
俺が部活終わりに向日葵の世話をしている時。ため息混じりにそう声をかけてきたのは愛梨だった。
俺が葵の見舞いに行かなくなってからも彼女は葵のもとに顔を出していたらしい。葵の容体などを毎日、細々と教えてくれた。
「葵、日に日に容体悪くなってるみたいよ。昨日個室にも入ったし、そろそろ面会謝絶かもって」
愛梨は今日仕入れてきたばかりらしい情報を俺に教えてくれた。俺はそれに対してへえ、と気のない返事だけする。
「俺には関係ねーよ。あいつにもう来んなって言われたし」
水道の蛇口を捻り、ジョウロに水をためながら話す。
「ふぅん。それであんなに部活の時荒れてたんだ?」
愛梨に心に刺さることをサクッと言われて俺は水の入ったジョウロを取り落とした。水がそこら中に飛び散る。夏の水道なのに、水はやたらと冷たい。
「あ、荒れてたって……」
「あら、荒れてたでしょ、あんた。まぁ、何となく葵と何かあったんだろうなとは思ってたけどね」
こいつ……察しよすぎだろ。俺はそう思い、はぁー、とため息をついた。そして愛梨に葵とのやり取りを話してみる。
話し終えた後、愛梨はうーんと眉間に皺を寄せた。
「……ホントならあんたが悪いんだけど……」
「……何でだよ」
「あの子が病気の事でどんだけ悩んだと思ってんの、あんた」
とビシッと愛梨は俺に向かって指をさした。
「そこにあんたのその言葉。能天気もいいとこよ。いくら知らなかったとはいえ」
俺はうっと言葉に詰まった。
いつもならそこで喧嘩の始まる間合いだったのに、彼女は本気で怒った。もしかしたら、俺は知らず知らずの内に彼女を傷付けていたのかもしれない。そんな想いが胸に渦巻いた。
謝りに行こう。そう考えた時。
──ピルルルルルッ。ピルルルルルッ。
携帯の着信音が鳴った。携帯の液晶を見ると、『葵』と出ている。
何か用があるのか?昨日の今日なので少し気まずかったのだが、一応電話には出る。
「はいもしもし、葵?」
なるべくいつも通りに。そう心がけていたが、少し動揺が声に出た。
『あー……輝君?』
そう答えたのは葵の母だ。どうやら娘の携帯で電話してきたらしい。
「おばさん? こんちわ。どうしたんすか? わざわざ葵の携帯なんかで」
『輝君……。あ……葵が……』
彼女はそれきり声を詰まらせてしまい、電話は自動的に切れた。
ツーッ、ツーッ、ツー。
電話の切れた虚しい音だけが響く。
「ひ、輝? どうし──」
俺は愛梨の言葉もロクに聞かずバッと走り出した。
「悪りぃ、俺帰る!」
「輝!? 」
愛梨がそう言うのにも関わらず俺はダッシュで病院へ行った。途中で家へ寄ってあるものを取りにいく。
受付で葵の病室を訊いた。看護師は微妙に目を伏せながら部屋番号だけ言った。何で──? その謎は病室に入った途端解けた。
「葵ッ!」
俺は叫びながら病室へ飛び込んだ。
だが、いつも元気に迎えてくれる葵は居らず、横たわる葵の顔には────
──白く四角い布がかぶせてあった。
「あ……お、い?」
呼び掛けるが答えはない。
葵の横では彼女の母が静かに泣いていた。
その母親が俺に気付き、黙って近くの丸椅子を勧める。俺は重力に引っ張られるように座った。
「葵はね……お腹の病気だったの。あの子から聞いているでしょう?」
俺は俯きながらこくりと頷いた。
「きっと貴方はすぐに治るだろうと思っていたのでしょう? でもね……この子の病気は気づいたときにはもう遅かったのよ。かなり進行していてどの道助からなかったの」
そこで彼女はすすり泣く。声が少し治まったところでまた話し始めた。
「でも、あの子ったら……もう助からないのならあと少しだけ時間をくれって言うのよ」
おかしいでしょう? と俺に向かって言った。
俺はなにも答えない。
「どうしてもやりたい事がまだあるんだって。だから……って。だから入院させて治療してもらって……」
でも間に合わなかったみたい。葵の母は呟いた。
「あ、そうだわ。あの子が『輝が来たら渡してくれ』って言って間際に渡してくれたの。良かったら読んであげて」
そう言われて渡された小さなミニレター。
スッと葵の母が席を外す。
ドアがパタンと閉じた音を聞いてから俺は葵の頬に触れた。温かく柔らかいあの感触はなく、冷たくカチカチだった。葵の亡骸をそっと抱きしめる。俺の好きだったあのシトラスの香りも消えていた。
俺はカクンと膝から崩れ落ち、そして、葵のベッドに顔を押し付けて泣いた。
泣いて泣いて泣いて。本当に死ぬんじゃないか、というくらい泣いた。
俺の足元には葵の好きな向日葵の花束が置いてあった──
その日の夜。葵の通夜がしめやかに行われた。
友人知人、親戚一同や家族など、色んな人が泣いた。俺は昼間に泣き過ぎて逆に涙が枯れていた。ぼんやりとしたままだった。……まだ、信じられなくて。
「皆さん、今日は有難うございました。最後に、娘が残したビデオメッセージを放映したいと思います」
放映されたビデオメッセージは、親友の愛梨やクラスの仲間達に向けたものだった。
クラスの仲間も愛梨もみんな泣いていた。
あいつはものすごく愛されていたんだな、と改めて実感した。
俺は1人葵の家を離れて夜の星空を見上げていた。 空には夏の星座が散りばめられている。
『輝っ!』
葵の声が耳にこだまする。
思えば喧嘩ばかりでロクに仲直りもしてなかった。それでも次の日にはけろっと忘れてたから、あいつも 俺もいつも笑っていられた。
あんな事、言うんじゃなかった……。
後悔は俺の胸に苦い傷として一生残るだろう。
ふとポケットに手を入れると、カサリ、と乾いた音がした。
「……あ、これ……」
葵の母から貰った俺宛のミニレター。葵が俺に向けて書いたとか。
今更見ても何が変わるのか分からないけれど。
俺はゆっくりと手紙を開いた。
それにはこんな事が書かれていた。
『輝へ
あんたがこれを読んでいる時、あたしは死んじゃってるかもしれないなぁ。でも生きてる内に言いたい事あったから言うね。
まず、あの雨の日の事。ごめんね。あたし、あんたが事情知らないの分かってたのにカッとなってついあんなこと言っちゃった。でもあたしもう怒ってないよ。
むしろ、毎日来てくれていたあんたが来なくなったのが寂しい。でも、何だかあの後スッキリしたの(笑)ありがとね。
ねぇ、向日葵の花言葉って知ってる?
『憧れ』なんだって。
あたしさぁ、あんたに憧れてたよ?
いつも明るくて元気で、たまにバカだけど。
そんなあんたがあたしは一等好きだったよ。
いつも喧嘩ばかりであんたを傷付けてたかもしれないけど、愛梨よりも誰よりもあたしが一等大切にしたいのは輝だよ。忘れないでね。
今までホントにありがとう。そしてごめんね。
……バイバイ 葵』
俺は自然と涙が出た。
葵はこんなに俺の事を想ってくれていたのだ。
俺はそんな彼女に何を返してやれていただろうか?
俺だって……ホントは葵を一等好きだったのに。
俺が素直になれないせいで1番ひどいことを言って傷付けて。それでもこんなに想ってくれていた葵はなんて優しかったんだろう。
ごめん、ごめん葵。
──ありがとう。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
数年後。
「ひーかるっ」
「おー愛梨。おせーよお前」
「ごめんごめん。この花探すのに手間取ってさ」
そう言いながら愛梨が出したのは、──黄色い大きな花束。
「……ああ。あいつこの花好きだったからな」
俺の表情も自然と緩む。
その花束をみて、ふと気付いた。
「あれ、これ……」
ふふっと愛梨が笑う。
「気付いた?」
この花束には向日葵の他にも──もう1種類。
「アイビーって言うんだって。花言葉は『永遠の愛』らしいわよ。あんた達にピッタリなんじゃない?」
そう言って笑う愛梨に俺もフッと息を漏らした。
「……だな。サンキュ愛梨」
そう言って俺は1つの墓石の前にその花束を置いた。
墓石には『椎名家代々之墓』と彫られている。
ここに葵は眠っているのだ。
俺と愛梨は墓石に向かって手を合わせた。
生まれ変わっても俺はお前を見つけるよ。今度はきっとお前を幸せにする。
俺は心でそう誓った。
「じゃあな、また来年来るよ」
そう言って墓石に手を振ったとき。
『二度とくんな、バーカ!』
──え?
『──嘘、またね』
葵の声が聞こえた気がした。
ーENDー