底なしの悪、底抜けのバカ
「唐沢!どういう状況だ?!これは?!」
全くもって俺が聞きたくらいだ。
日比谷は教卓にいるエヴィルを睨みつける。
そのせいか、隣にいる日南にはまるで気づいていない様子だった。
この状況でそうなってしまうのは仕方のないことだと思う。
しかし、それが余程気に食わなかったのか、日南は右手に持っている木刀の先を、日比谷の眼鏡スレスレにまで近づける。
「部外者は黙っててくれない?」
冷たい眼差しで日比谷を睨んだ。
そこでようやく日比谷は日南の存在に気づいた。
「なっ、こんなとこに女子がいては危ないじゃないか!そんなもの持って、何をするつもりだ?!早く逃げないと怪我をするぞ!」
その言葉が余計に彼女を苛立たせた。
「あなた、唐沢くんと話す時とえらく口調が違うじゃない。普段は内申のために猫でもかぶってるのかしら?」
「おい、そこのあんた。こんなことしてフィクサーの俺が黙ってると思うなよ。」
ワナワナと肩を震わせる日南。
俺としても何かフォローを入れてあげたかったのだが、生憎そんな緩んだ空気も余裕もない。
「ほう、あなたはフィクサーでしたか。にしても若すぎるような気もしなくもないですが、役不足ではないですか?」
明らかな挑発だった。
ここにきて、この男はなにを企んでる?
こんな挑発に何の意味がある?
そんなことを考えていたなか、不意に風が吹き抜けた。
「風閃っ!!」
日比谷が腕を振りかぶる。
それと同時に強風が周りの机や椅子を巻き込み、エヴィルの男へ襲いかかった。
ガシャーンッ!!!
けたたましい音が教室に轟く。
「その黒い影。知ってるよ、アンタ、エヴィルだろ?実力に若いも年も関係ないってことを教えてやる。」
ゲシッ。
「痛っ、てなんだ君、まだ居たのか?!僕が注意をそらしてるうちに早く逃げないと!」
盛大に格好つけていた日比谷の尻に蹴りをお見舞いしたのは、他でもない日南だった。
「逃げないと?フッ。教室の外の“壁”すら一人で壊せなかった人がよく言えたものだわ。
そもそもあなた、このクラスの人なんでしょう?こんな一大事によそのクラスで余裕ぶっこいてるようじゃ、私に指図する権利なんてないと思うけど。」
まくし立てるように嫌味を言う。
しかし、この状況でよくそこまで言えたものだ。感心すら覚える。
いや、感心してる場合じゃなかった。
「おいっ、喧嘩ふっかけるならあとにしろ!早く逃げるぞ!」
俺の言葉に二人は首を傾げる。
まるで言葉の通じない外人と喋ってるような顔をしていた。
「なぜ逃げるんだ?」
「なぜ逃げるの?」
口を揃えたように、そう言った。
俺は呆れて言葉も出なかったが、さすがに黙ってもいられない。
「ここで戦って教室ぶっ壊して、なんの意味があるんだよ!それにこんな事態だ、誰かがフィクサー社に連絡を入れてるはず。連中が到着するまで逃げるきれば俺たち三人とも無事で済むだろ?!誰も怪我をしないで済むんだろ?!第一あのエヴィル、お前ら二人同時に相手したって、」
「お喋りはもういいですか?」
ブォンッ!!
咄嗟のことで身構える暇もなかった。俺たち三人はそれぞれ散り散りに吹き飛ばされた。
「うぐっ!」
俺はまたも壁に打ちつけられる。
・・・そりゃ待つ義理もないよな、、、。
「なるほど。フィクサー社のあなた、風を操るんですね。なかなかいい能力じゃないですか、全くもって末恐ろしい。」
先ほどの日比谷の攻撃がまるで効いていない。これじゃあ本当に相手にならない。
「フム。フィクサー社の人間、か。なるほど、あながち嘘ではなさそうですねぇ。ならば・・・うーん、勿体無いのですが仕方ない。ここで潰しておきましょうか。」
この時、初めてエヴィルの男から純粋な殺意を感じた。
それは恐ろしく冷たい、気の暴力。
俺に向けられたものではないのに、足すら動かない。
どうする?どうこの場を切り抜ける?
考えに考え、俺は脳みそをフル回転させていた。
が、次の瞬間。
「え?」
殺気に囚われ周りが見えなくなっていた俺はその光景に目を疑った。
日南はいつの間にエヴィルの男の背後に回ったのだ?
「どいつもこいつも私の存在を蔑ろにして、痛い目見ても文句言えないわよ?」
ーーバキッ!!
目に見えないほど木刀をフルスイングさせ、エヴィルを叩いた。
しかし、寸でのところでガードされている。
なんつう反射神経してんだ、あの男。
「女の子が木刀なんて振り回したら危ないですよ?」
すかさず反撃の手をのばすエヴィル。
が、その攻撃は日南にかすりもしなかった。
「は、速い!」
思わず口から漏れた。
およそ人間の動きでないスピードでエヴィルから距離を取り、また攻撃。
教室を縦横無尽に動く彼女に、もはや目が付いていけない。
木刀の衝撃音、それだけが教室に何度も響く。
正直ここまで強いとは思いもしなかった。
にしても、あのエヴィルの男。
このスピードに対応して攻撃を防いでやがる。
これはただ反射神経がいいってレベルでもなさそうだ。
一体どんな能力を持ってやがる?!
「ちょっとマズイわね・・・。」
いつの間にか隣にいた日南。
その言葉の意味が俺にはすぐわかった。
何回加えたかわからないくらいの日南の攻撃。それをあの男は全て受けきり、あまつさえ無傷ときたもんだ。
それ故に、打つ手がまだ無い俺たちをエヴィルの男は逃がさなかった。
「休んでる暇はありませんよ?」
パチン、と指をはじく。
たったそれだけの仕草なのに、目に見えるほどの衝撃が波打つ。
そして、音をあげて俺たちに襲いかかる。
「風陣っ!!」
俺たちの目の前に風が吹き上がる。
それが壁となって衝撃波とぶつかった。
それでもなお俺たちは衝撃で後ずさる。
「くっ、なんて強さだ。」
日比谷の口からそんな言葉がこぼれた。
それを聞いて日南が日比谷を一瞥する。
また憎まれ口でも叩くんじゃないかとヒヤリとしたが、日南はしきりに厳しい顔をするだけだった。
それは何かを決断しようとしてるかのような表情で、普段が無表情なだけにその顔はとても苦しそうに見えた。
「唐沢くん、そこの眼鏡くんが壁を作ってる間に、後ろの出入り口から逃げなさい。」
言葉を失った。
この状況でなにを言ってるんだ?
と、俺が呆気にとられている間に、パチンッとまた音が聞こえる。
先ほどと同じく、衝撃波がうねりをあげてせまってきた。
「風陣、二層っ!!」
風の壁が二枚重なって吹き上がった。
先ほどより厚い風の壁のおかげで、俺たちにまで衝撃波は届かない。
「へぇ、なかなかやるじゃない。」
「君もな。」
戦いの中で友情が芽生えるというのはこういうことなのかと思いつつも、そんなこと考えてる場合じゃないことに気づく。
「なに和んでんだ、お前らも逃げるんだよ!わかっただろ?あいつとの力の差を!大人しくフィクサーが来るまで待とう、な?」
「いや、唐沢。お前は早く逃げろ。」
その表情には少しばかり疲れが見え初めていた。能力を酷使しているせいか、額には汗がにじみ出ている。
「日比谷、お前まで何を・・・、」
「フィクサーの到着時間はわからない。あのエヴィルが何を考えてるかもな。ここで俺たちが逃げてしまえば、外に避難している人間に被害が及ぶかもしれない。ということは、誰かがここで足止めをしなくちゃならないだろ?」
そう言って、日比谷は日南を見る。
「君が何者かわからないけど、君も唐沢と一緒に避難してもいいんだよ?」
「ふん。フィクサーなんかに気を使われたらお終いよ。それに、その芝居がかった喋り口調もやめて頂戴、寒気がするわ。」
彼女なりのここにいるという答えだったのだろう。日比谷は少し苦笑いをし、日南から目を逸らした。
「正直助かるぜ。」
話がまとまりそうになっているところで、俺は一人納得できないでいた。
「あんなやつ相手に何考えてんだよ?戦う以外に他に手はないのか?別に逃げたって、」
日比谷は俺に最後まで喋らせてくれなかった。
「目の前の悪が自分より強いからって、逃げていい理由にならないだろ?」
まるで俺に向けて言った言葉かのように、突き刺さった。自分の存在が小さくなっていく感覚が押し寄せ、何も言葉が出なかった。
「ここは優等生に任せとけ、劣等生!」
二カッといい笑顔を、無理やり作る。
「足手まといは眼鏡くんで充分よ。早く逃げて、唐沢くん。」
背中を出入り口の方へと押し込まれた。
その反動で俺は、出入り口に手をかける。
後ろは振り返らなかった。
そのままガラガラッと勢いよく開け、教室の外に出た。
背中越しに日比谷の声が聞こえる。
「誰が足手まといだと?」
と日南のさっきの毒舌に言い返してるようだ。俺は耳を塞いだ。
そして、そのまま全力で廊下を駆け走った。何も考えず、何も聞かず、ただひたすら何かから逃げるように、廊下を走った。
もう、どこへ向かって走ってるのかも、自分が何をしたかったのかもわからなくなっていた。
そういば、あの頃から俺の人生は逃げてばかりだった。
戦うことを、助け合うことを放棄して、いろんなことを見過ごして来た。
このままでいいのか?
なんて思っていたのは初めだけで、この頃はそれすら思わなくなってしまってる。
俺はこういう人間だから、そういう風に生きていくしかないんだから、そんな言い訳じみた言葉いくらでも出てきた。
けど、肝心なところは何も考えないようにして、自分をただただ守った。
そうだ、俺は自分が一番可愛いかったんだ。そう思うと吐き気がしてくる。
なんで俺は変わろうと思わないのか、前に進もうとしないのか。
今まで散々逃げてきて、何かいいことはあったか?何もなかっただろ?!
逃げる自分が死ぬほど嫌いなクセに、俺はいつまでも何を情けないことしてんだよ?!
「はぁ、はぁ、」
不意に足を止めた。
窓の外が視界に映る。
わずかに、ガヤガヤと騒がしく喋る人の声が聞こえる。俺は窓の下を覗き込んだ。
「フィクサー・・・」
グラウンドに集まってる生徒をまとめているフィクサー社の部隊が目に飛び込んできた。
よかった!
思っていたより早かった!
俺は来た道をまた全力で走り、
戻った。
「これならあいつらも大丈夫だ!」
俺も戦う。戦うんだ!
足手まといでもなんでもいい。
バカにされたっていい。
俺もあいつらと一緒に戦って時間稼ぎできれば、みんな無事で済む。
息を切らして、それでもなお俺は走った。逃げていた時より心無しか疲れが薄く感じる。現金な奴だと日南は罵るだろうか?
戦いの邪魔だと日比谷は邪険にするだろうか?
ーー構わない。
みんな無事で済むならそれに越したことはない。
俺はもう、自分のせいで誰かが傷つくのなんて、もう嫌だ。
もう見たくない!
あっという間に教室についた。
俺は息を整えることも忘れ、出入り口に飛び込む。
「日南!日比谷!あと少しだ・・・え?」
目の前に広がる光景が信じられなかった。
信じたくなかった。
そこは、さっきまでいた教室とは、まるで別世界のように見えた。
「いやぁ、まさか帰ってきてくれるとは。探す手間が省けましたよ。」
俺は自分が底抜けのバカだと自覚し、自分の浅はかさを悔やんだ。
血まみれの日南と日比谷が転がった教室で、ただ一人立っているエヴィル。
例えるならそこは、
地獄だった。