他人の力、己の力
「あなた、死にたがりなの?」
俺を助けた少女、日南楓はまるで氷のような無表情で再びそう聞いてきた。
初対面、ではないがあまり面識のない人間に対してする質問ではない。
あまりにも失礼だろう。
だがさっきまでの一連を見ていれば、そう思われても仕方ないだろう。
俺だってそう言うかも知れない。
「いや、死にたがりといわけではない。まぁ実際死にかけてた奴が言っても説得力はないだろうけど、身体が動かなかったんだ。」
そう、あの時黒い影の人物との会話の際、俺は指先一つとして動かせなかった。
「なぁ、アイツはイディオムなんだろ?なんで俺を襲ってきたんだ?恨まれるようなことはしてないハズだぜ?」
あんな危ない奴の恨みを買うほど、俺は悪でも馬鹿でもない。
「あら、恨みは買ってなくとも心当たりはあるんじゃないかしら?見覚えあるでしょ?あの影に。」
「はぁ?なにを言って・・」
そこで言葉を遮られた。彼女の手に持っていた木刀によって。
今まで気づかなかったが、この女、なんちゅうもん持ってやがる。
無造作に俺の口元へと突き出された木刀に、俺の身体は仰け反って尻もちをつく。
「夕べといい今といい、なにを隠す必要があるの?臆病な人ね。」
・・・なにも言い返せなかった。
今俺にできるのは目の前の日南楓からめを背けることくらいだった。
「フィクサーのお前らにはわからねぇよ。」
やっと出てきた言葉がこの程度とは。
単なるひがみやっかみじゃねぇか。
情けねぇ。
「フン、フィクサー?あんな腰抜け連中と一緒にしないで頂戴。あなたイディオム皆が皆フィクサーに入るとでも思ってるの?」
迷惑な勘違いだわ、と無表情ながらに不機嫌そうな顔をする日南。
はぁ、と大きく溜息をつき再び木刀をグイッとこちらに向ける。
「悪魔付きだかなんだか知らないけど、ここまでヘタレとはね。冬月さんもヤキが回ったのかしら、こんな男をスカウトして来いだなんて。」
冬月?スカウト?何を言ってるんだコイツは?それにフィクサーじゃないなら、、、
「お前、何者なんだよ?」
「フッ、あなたに答える義理はないけど、まぁ、そうね。強いていうならフィクサーの連中が足蹴にした依頼を請け負う集団、とでも言っておこうかしら。」
答えてんじゃねぇーかよ・・・。
得意気に日南楓はそう言った。
頭が混乱するばかりだ。
フィクサーと対立してる集団ってことか?
ということは悪の集団?
いや、そうであれば俺を助けることもないだろう。
そもそも俺を襲ってきた奴はなんなんだ?
コイツらのいう集団でもない、フィクサーでもない、それでいてイディオム?
訳がわからない。
「さっきの男は、イディオムであって、イディオムじゃないの。まぁそうやって逃げてばかりいるあなたには関係のないことね。」
イディオムであってイディオムじゃない?
どこかで聞いたことがある気がした。
しかし、思い出せない。
ただ、あの男の黒い影、アレがイディオムを狂わせていることだけはわかる。
「それじゃあね、まぁせいぜい気をつけなさい。さっきみたいな連中、また執拗にあなたを狙いに来るわよ。」
ひらりと手のひら振り、その場から立ち去ろうとする彼女の手を俺は強引に引っ張った。
「・・・何?」
いかにも迷惑そんな目でこちらを睨みつけてくる。
そ、そんなもんで俺は怯まないぞ!
「お前、なんで悪魔付きのこと知ってんだ?」
本当はこのことが一番知りたかった。
悪魔付き、俺の“過去”に関すること。
それを何故この女は知っているのか?
それが一番疑問だった。
「あなた、質問しかできないの?本当呆れるわ。少しは自分で考えなさいよ。」
この女、下手に出てりゃあいい気になりやがって・・・!
「これ以上聞きたいなら、同じ土俵に上がってきなさい。それが嫌なら、その仮初めのあなたが愛する“普通”に身を置けばいいわ。まぁ心配しなくとも、あなたの身の安全は保証する。そう冬月さんに言われたからね。」
今度こそ、日南楓は身を翻し、スタスタと俺から離れていく。
何も言えず、俺はただ遠ざかっていく彼女を見てることしかできないでいた。
そして最後に彼女は俺にこう言った。
「私たちは“暗夜行”。あなたの嫌いな人助け集団よ。」
「はぁ・・・。」
春の快晴にまるで映えない大きな溜息をついく。
あの夜、日南楓と出会ったあと、モヤモヤとする気持ちのまま家に着くと、鬼の形相の飛鳥さんが立っていた。
言うまでもなく、そのままお説教タイムに入り、気づけば日が昇り始めていた。
そう、まるで寝てないのだ。
俺寝てないんだぜぇーアピールをするウザイ輩がしばしばいるが、この時ばかりはアイツらを尊敬するよ。
なんであんなハイテンションでいられるのか。
「おや?勉強熱心な唐沢くんは徹夜明けですか?」
これまたウザイ輩が朝っぱらから元気だ。
「うるせぇな。絡んでくるんじゃねぇよ。学校では他人のフリじゃなかったのか?」
ニヤニヤと俺を小馬鹿にしてくる奴は、他でもない。
優等生日比谷京介だ。
「何言ってんだよ、俺といるとお前の内申があがるんだぜ?感謝しろよ。」
フンッと得意気に俺の肩を叩く。
「おい、優等生。口調が戻ってるぞ。」
おっと、と慌てて口を抑える日比谷。
学校では“僕”で通してるみたいだが、気が緩むとどうやら素がでるらしい。
「お前ごときで内申が上がる俺ではない。お前の優等生っぷりを差し引いても、まだまだ俺のマイナスの方がでかいからな。」
言ってて悲しくなってきた。
「相変わらず自虐的な奴。そんなんだからいつまでたってもヘタレなんだよ、お前は。」
つまんねぇ。
とグチをこぼす。
寄ってたかってヘタレだのつまんねぇだの好き放題言いやがって。
普通で何が悪いんだ。
俺がお前らにいつ迷惑かけた?
もう、放っておいてくれ。
「そんなお前に朗報だ。俺が、あのフィクサー社に口を聞いてやる。コネってやつだ。お前のあの“力”があれば誰も文句は言うまい。だから、俺と一緒に・・」
その先を俺は遮った。それ以上言うなと、日比谷に目で訴える。
「お前、俺の力に関して、いや過去に関して誰かに話したか?」
いつにもまして真面目に話す俺が珍しかったのか、日比谷は「いや、」と一言だけ言ってそれ以上は話さなくなった。
俺も、「そうか」と一言だけいい、その後はお互い沈黙が続く。
それに耐えきれなくなり、俺の方が先に口を開いた。
「・・・お前の言う通り、俺はつまんない奴だ。そんな俺はオンボロコンビニの店長が一番お似合いなんだよ。」
そうさ。
なんの心配もいらない。
普通に過ごしていけば痛い目を見ることもない。
仮に昨日のあの変な輩が現れたとしても、これまた変な連中、暗夜行だっけ?
そいつらが守ってくれるって言ってたじゃないか。
今さら誰に失望されようと何を思うこともない。
「・・・唐沢、いい加減」
「ホラ、お前の仲間が呼んでるぞ?知らなかったのか?俺と一緒にいると内申下がるんだぜ?」
俺は今どんな顔をしてるんだろうか?
少なくとも、日比谷には笑顔に見えたとは思う。
それが、見るに耐えない笑顔だとしても。
何か言いた気な表情のまま、日比谷は俺から離れていった。
これでいい。もう、周りからの説教は懲り懲りだ。
「結局逃げてるだけじゃないの。」
バッと後ろを振り返った。
昨日の今日で忘れるはずもない、聞き覚えのある声。
「おはよう、ヘタレさん。」
日南楓だった。
出会い頭に俺を罵ってくるあたり、昨日が特別機嫌が悪かった訳ではなさそうだ。
常時コイツはこんななのか?
「しばらくの間目立った行動は避けてそのまま家に帰って頂戴ね。フツーに。」
嫌味もここまでくれば最早感心せざるを得ない。
呼吸をするように悪口が出てくるようだ。
「・・・わかってるよ。」
そうとしか言いようがなかった。
「あら、迷惑をかけてる自覚はあるようね。全く冬月さんもよくこんなこと依頼してくれたもんだわ。悪魔付きを守れだなんて。どれだけ暗夜行に欲しいのよ。」
本人は入る気サラサラないのにねぇ?
と冷たい無表情のままコチラを覗き込む。
「わかってるなら、確認するんじゃねぇよ。」
俺は足早に自分の教室へと急いだ。
別に後ろからは誰も追ってきてはいないのに、何かに追われるように、それから逃げるように俺は足を早めた。
席に着くなりドカッと机の上に突っ伏した。何も考えたくはなかった。
まるで過去のツケが今全てのしかかってきたかのような重圧だ。
重い、苦しい、辛い、
「そうか、これが逃げてる証拠か。」
何だか眠いな。
そうだ、昨日は寝てないんだった。
どうりで眠いわけだ。
少し寝て、それからまた考えよう。
目を開けた時には、冴えた頭が俺をまた普通へと戻してくれるだろう。
俺は重い瞼を閉じた。
ーードーーンッ!!!!
爆発音にも似たその音で閉じかかっていた瞼がこじ開けられる。
地震のような地響きにクラスの皆が慌てふためき、机の下にもぐりこんだ。
間違いなく地震なんかじゃない。
「なんだ?!何が起こって、」
そこでようやく気付いた。
教卓の前。
いつものヤクザじみた担任がいるハズの場所に、担任はいない。
が人がいる。
この錯乱した状況の中、俺だけを一点に見据え、微笑んでいる。
そして、その人物の周りを覆うようにユラユラと黒い影が揺れていた。
「どうも、コンニチハ。悪者です。」