一方、その頃 2
弱肉強食が全ての食物連鎖の中で、強者に対して食べられない弱者がいたとする。
それは体内に毒があったり、群れを成して襲ってきたり、そういった理由で強者が和えて敵としない事例があるからである。
しかしながらそういったケースは稀ではなく、己の命の確保のために進化を遂げていった動物社会じゃよくある話だ。
体内に猛毒を持つヤドクガエルしかり、個々の力は微力だが、群れを成して敵から身を守るトムソンガゼルしかり。
ならば、例えばこと人間社会において、強者に一切襲われない弱者がいたとしよう。
ソレは体内に毒を持っているわけではなく、はたまた群れを成しているわけでもない。
ただ単純に強者が相手にしない存在がいたしよう。
何故?
どうしてソレは強者に対して襲われない?
答えは人間の本質的な恐怖、“わからない”奴だから。
人は死や幽霊など、到底理解できない物事に対して、理解しようと脳を活発に動かす。
それがわからなければ、わからないものほど恐怖となり、伝達される。
日比谷、そして日南は直感的に感じたのだ。自分たちが手も足も出なかった、あのエヴィル、御堂英二とはまた違う恐怖。
戦えば勝てるが、関わってはいけないと、身体のどこかで感じている。
ただひたすら“人間”である毒島という男に対して、イディオム二人がとった行動。
それは純粋な戦闘態勢だった。
「おいおい、えらく物騒だなぁ。」
特に驚く様子もなく、飄々と毒島は言う。
そもそも日南にしたって、日比谷にしたって、一般の人間に戦闘態勢をとることなど初めてのことだった。
故にこの判断が正しいのかそうでないか、わかるはずがない。
ただこの二人をもってして、戦闘態勢をとらせると言うこの状況こそがまずもって異常。そう二人は考えた。
「・・・あなた、何者です?」
いつの間にか、いつもの口調に戻る日比谷。
そんな、初対面の人間に対して、礼儀を忘れない彼よりも、
それよりも今は、目の前の男。
見たところ、年齢は二十半ばと言ったところか。
服装さえ真面であればいわゆる好青年と言っても間違いではない。
ただそれは、一般人が見た意見ということだが。
「だから言っただろ?中間業者だって。」
別にニヤリと笑うわけでもなく、かと言ってどこか含みがこもったわけでもない。
しかし、なぜかどうもきな臭い。
そもそも、何と何の中間業者なのか?
日比谷には見当もつかなかった。
「その中間業者であるあなたが、一体なんのようかしら?」
戦闘態勢を解いた日南が木刀を後ろに隠すようにして言った。
聞いても無駄よ、と
釘を刺しているかのような彼女の目線にやられ、
日比谷の方も自身の周りの風を落ち着かせる。
「いや、なに。こんな時間に声がしたもんだから。よく聞けば女性の声で、まさか暴漢にでもあってるんじゃないかと心配できてみたんだよ。
したらどうだい、来てみれば二人ともイディオムじゃないか。」
感激だよ、とニッコリ笑う。
そんな理由、当たり前のように二人は信じなかった。
しかし、だからと言ってそれについて追求したところでラチがあく話でもない。
「そう、ごめんなさいね。この人とは身内の話で盛り上がっちゃっただけなの。
だから事件でもなんでもないの。」
この場から毒島を遠ざけるためか、心なしか日南の口調がいつもより早口になる。
「なるほど、そう言うことだったんだ。うーん、しかし困ったなぁ・・・」
まるで二人の様子を伺うように、後の言葉を勿体ぶる。
日南は自分の意図が読まれているんじゃないかと、苛立ちを隠せない。
それを察したのか、日比谷が間に入り代わりに話した。
「どうしました?」
日比谷にとっても目の前の男とこれ以上話しているのは本意ではなかった。手短に話せと言わんばかりに催促する。
すると、毒島は申し訳なさそうに、小声でしゃべった。
「いやぁ、目の前でイディオムの人が口論しているのを初めて見たからさぁ。テンパっちゃって通報したんだよね。
フィクサー社に。」
ごめんごめん、と対して悪びれもせず謝る毒島。
ここで二人は少し安堵する。
それどころか、案外普通の対応をしていたので不思議に思ったくらいだった。
自分たちの思い過ごしだったのだろうか?
張り詰めていた緊張感で、目の前の男にありもしない未知の恐怖を見てしまったんじゃないか?
二人の思考は意図せず同じ方向へと進んでいく。
そしていつしか毒島に対する警戒心というものは、ほとんど無くなっていた。
「まぁ・・・そういうことなら僕がなんとかします。事情を説明して勘違いだったと言っておきましょう。」
日比谷の言葉に毒島は目を輝かす。
「え?!もしかして、フィクサー社の関係者かなんかなのかい?」
妙なところに食いつかれてしまい、罰が悪そうに日比谷は答えた。
「いや、関係者もなにも僕はフィクサー社の人間です。」
そして予想通りと言ったところか、毒島のリアクションは多大なるものだった。
「そうだったのか!感激だよ!いや、でも待てよ。フィクサー社の人間は確か、黒いコートを羽織ってなかったか?
あの背中に輪っかが書かれているやつ。」
そう言って首を傾げている。
はぁー、と大きく溜息をついて、日比谷は眼鏡を上げ目頭を強く抑えた。
「その輪っかはウロボロスです。
それにあの服は隊長、副隊長、ないしはそれと同格かそれ以上の人しか着れないんですよ。
僕のような下っ端が着るのは軍服のようなダサい武装。
棒はそれが嫌で私服でいつも行動しているだけです。」
日比谷の口調は重々しく、まるで言いたくないことのようにも思えた。
あぁなるほどと、毒島はわざとらしく柏手を打つ。
そのやり取りを至極つまらなさそうに日南は傍観していた。
「だからこの場から離れて下さい。後は俺がなんとかしますから。」
念を押すように日比谷は眼鏡を元の位置にもどしながら言った。
「わかった。ありがとう!あぁ、後もう一つだけ謝らなくちゃいけないことがあるんだけど・・・」
もういい加減にしてほしいという感情が、日南から目に見えて溢れ出ていた。
それが爆発し彼女の口から発せられる前に、毒島の言葉が先に出た。
「僕間違えて違う場所にフィクサーを呼んじゃったんだよねぇ。
なんで間違えたかなぁ。
この先の河川敷なんかと。」
「「?!」」
何を言っているのか、理解できなかった。
なぜ河川敷にフィクサー社を呼んだのか、本当にただ間違えただけなのか。
それにしてもこんな偶然あるわけがない。
どうなってるのか収集がつかない混乱の中、日比谷の声がこだました。
「日南!鉄平のところへ行け!」
一瞬、思考が止まっていた彼女がハッとする。
「お前も見ただろ?!鉄平のポケットに入っていた紙を!
お前が伝えたいこと伝えれば、あいつは足を止めるかもしれない!
河川敷だ、急げ!」
最後まで、日比谷の言葉を聞き終わる前に彼女は猛然と走り出す。
急激な事態の悪化、だが。
こんな、状況でも日比谷は冷静でいた。
あの日南だ。
女狐に輪をかけて演技があざとい。
上手くやってくれるだろう。
そう思っていたからこそ彼は日南を行かせたのだ。
だが、最悪の事態には変わりはない。
日比谷は、今のフィクサー社を唐沢に見せるわけには、いけなかった。
絶対に。
「くそっ・・・何番隊が行ってるだ?せめて、三番と五番以外であれば・・・。」
考えれば考えるほど不安がよぎる。
日比谷は自分の不甲斐なさを心底恨んだ。
「あれ?なんだか僕、不味いことしたかな?」
事態が飲み込めていないのか、それともワザとか。
ハットをとり頭をかく。
「今更とぼけんなよ。小賢しい。」
静かな闘志を毒島にぶつける。
それを見て、彼はケラケラと無邪気に笑った。
「おいおい、優等生くんキャラはどこいったんだよ。
そんなに睨まれると、自慢のスーツに穴が空くだろ?」
ハナから信じちゃいなかったが、やはりこの男は普通ではなかった。
そう日比谷は確信しつつ、もう一つの疑問を投げかける。
「お前、一体どこまで知ってるんだ?」
「え?全部。」
最早即答だった。
日比谷にとってはその答えが馬鹿にされているようにしか思えず、ここに来て初めて冷静さを欠く。
「・・・なめてんのか。」
ゴォォ、と荒れ狂う風が日比谷の元に集まる。
眼鏡を外し、今にも飛びかかっていきそうな勢いだ。
「ちょっと、大丈夫かよ。君、真面な身体じゃないんだろ?」
これだけの敵意にあてられていながら、なおもヘラヘラしている毒島の姿が、余計に日比谷を苛立たせる。
しかしながら、本心ではなぜ身体の怪我のことまで知っているのか、全くもって不気味に思っていた。
「お前、ただの一般人じゃねぇーだろ。」
思いの他、日比谷が冷静なことに、毒島はどうも面白くない様子だった。
次に発せられた言葉があきらかに不機嫌そうだったからだ。
「さっきも言っただろ?僕はただの中間業者だよ。」
ーーただし、闇の、ね。
その声は毒島でも日比谷でもなかった。
カランコロンと時代にそぐわぬ下駄の音とともに、その男の姿が街頭に照らされていく。
「闇ブローカー、毒島与一くんだよね。」
夜に映える白スーツが毒島なら、その男は白銀の髪で夜の街に映えていた。
「これはこれは、意外な大物の登場だ。」
意外にも毒島は渋い顔でその男を迎える。
その表情は予想外の出来事を嫌っているようにも見えた。
半ば置いてけぼりを食らっている日比谷は、敵か味方かわからない男を前にただ身構えるしか出来なかった。
そして、この瞬間からこの張り詰めた状況は一変する。
暗夜行団長、冬月玄士の介入によって。