その原動力 3
俺は思う。
今までの日々の行いを省みたところで、果たして何人もの人間の心に、俺という人間が残っているだろうか。
力を得た代償に、自分の生きてきた証を失った今、ブラックヒーローではなく、俺という、唐沢鉄平という人間をどれだけの人が覚えていて、どのように覚えられているのだろう?
いや、勿論俺が助けた人間の記憶から、俺という人間が消えているのは分かっている。
ただ、力を得た後の俺の行い、つまり悪魔付きと呼ばれるようになってから、俺は誰かの記憶に残れたのだろうか。
それについて少し考えた。
考えた結果、考えるまでもなく、誰の記憶にも残ってなどいないという答えに行きついた。
そりゃそうだろう。
誰がどう見たって、もっと言うと俺が見たって、ありゃバケモノだ。
私情で動き、ただ自己満足に周りを巻き込み、強欲に囚われた、暴れまわるだけの悪魔の化身だ。
それを見た人間の記憶に、唐沢鉄平という人間は一ミリもいない。
いるわけがない。だからこそ、俺は何をやってきたのだろうと情けなくなり、虚しくなるのだ。
いや、分かっている。
全て自分の責任で誰のせいでもない。
こんな不満を思ってしまうことすら間違いなのだ。
ただ、それでも俺は考えずにはいられない。己の弱さか、人の性か。
万が一にでも、誰かの記憶に俺という人間が残っているのではないか、こんなどうしようもないバケモノを、唐沢鉄平として覚えてもらえてはないのだろうか、と。
一種の願望にも似た、ご都合主義の妄想かもしれないけれど、
誰でもいい。
誰かいてくれまいかと考えてしまうのだ。
もし、こんな俺を覚えている人間がいて、また助けが欲しいと言ってくれるのなら、いや言わなくてもいい、助けを必要としているのなら、今度は間違えない。
あぁ、声に出して誓ってもいい。
俺がどうなってもいい。
今度こそ守るんだ。
何があっても俺がなんとかする。
ーー“その力はお前を守るものであって、人を守るものなんだ。”
飛鳥さんの言葉が今になって身に沁みる。
自分ばかり守ってきた俺の、最後の使命。
人を守ること。
かつて宿命だと思っていた、“人助け”。
「・・・お前らのお陰で俺は、もう一度やり直せる。日南、日比谷。」
目の前には、病室を抜け出してきたであろう二人がいた。
服は着替えてあったが、傷の手当てがいたるところに施されていて、二人とも包帯だらけだった。
「こんな時間にどこ行くんだ?唐沢。まさかこの後に及んで不良にでもなろうってのか?」
笑えねぇぞと日比谷が笑う。
「そりゃこっちのセリフだ優等生。お前こそそんな壊れたメガネつけて、どこ行くって言うんだよ。」
決まってるわ、と凛とした声が響く。
「あなたを連れ戻しに来たのよ。」
静かにそして心無しか、怒気を含んだ口ぶりで日南が木刀を構えた。
「おいおい、なんの真似だよ。そりゃ確かに顔も出さずに出て行っちまったのは悪いと思うけど」
「そんなことではないわ。」
さらに怒っているように見えた。なんなんだ一体・・・。
「・・・なにも分かっていないようね。やっぱりあなたは死にたがりよ!」
ガキンッ!!!
急に木刀で攻撃してきた。
しかしそれは、普段の日南を知っている俺からしてみれば、あまりにもひ弱な攻撃、イディオムではない、ただの年相応の女の子の攻撃だった。
「おい、やめろ。そもそもお前、動いていい身体じゃねぇだろう!」
そう言って木刀を受けた右腕を強く押し返す。
その反動でフラフラと彼女は後ずさる。
その光景はあまりにも俺の心をしめつけ、咄嗟に目をそらした。
さっきまでの姿勢も声も全部強がっていたのだ。
「・・・日比谷まさかお前も俺を?」
目線を合わせないまま、俺は日比谷に聞いた。
まるで、答えが分かっていて聞きたくないかのように、目を伏せる。
「あ、あぁ。一応、そのつもりだ。」
「なに煮え切らない態度とってんのよ!あなたも止めにきたんでしょっ!」
日南に喝を入れられ、日比谷は頭を掻く。
「お前ら・・・気持ちは嬉しいけどなぁ。」
これ以上、見るからに衰弱している日南を見ていられなかった。
俺は二人に背を向けた。
本当は病院まで運んでやりたいのだが、情けないことにそれをすると、決心が鈍ってしまいそうで怖かったのだ。
「悪いが無駄足だ。早く病院に」
「あなた、また同じ失敗を繰り返すの?」
その言葉に俺は口を閉じた。そして、日南を見る。
「同じ失敗・・・?」
はぁはぁと息切れしながら日南は、震える腕でまたも俺に木刀を構える。
「えぇそうよ。あの時とまるで同じ顔、自信に満ち溢れて、今なら何でも出来るって思ってるんでしょ?!」
そんなの大間違いなんだから!と再び木刀で殴りかかってくる。
「そんな、横暴な考えしてねぇよ。」
ガシッと木刀を掴んだ俺は、今度は優しく押し返した。
しかしフラフラなのに変わりはなく、日南はその勢いに任せて、壁にもたれかかった状態になった。
「日南、いい加減落ち着けよ」
「あなたは黙ってなさい!」
日比谷が一瞬、間に入ったものの、また一瞬で蹴散らされた。
日比谷の奴、本当に黙りやがって。
「・・・あの時、私には止められたのよ。イディオムである私には、その影の異変に気づいていたのよ。」
あの時、さっきからずっとその言葉が引っかかっていた。
なんだ?
こいつの言うあの時っていうのは。
そもそも、なんでこいつ、俺のことこんなにも知っているんだ?
まるで昔の俺と出会ってたみたいに・・・。俺は思考を整理させ、考える。思い出したくない過去を必死でほじくり返した。
そして、一つの仮説で辻褄が合った。
「・・・お前、あのストーカーの時の・・・」
そういうと、日南はなにも言わなくなった。
俺が警察に連れて行かれる少し前に、ストーカーから助けた少女。
俺と同じくらいの年齢で、帰り際に俺に人間かどうかを問いてきた女。
・・・なるほど、これでわかった。
あの時の女の子が日南だったのだ。
・・・覚えていてくれたのか。
「あの時、私はあなたを止めなかった。
所詮他人事だから。
自分には関係のないことだから、と。
それでも気になって、後を追った時には、私を助けたブラックヒーローはもういなかった。」
最後の方だけ言葉に力がなくなった。そして、俺から目を背ける。
「いたのはただのバケモノだったろ?」
自虐的に俺は笑いながらそう言った。
いや、元々言わんとしてることはわかっていた。
ストーカーから助けた少女が日南という事実を知った瞬間に、それは悟った。
そして、口ごもる日南はもう一度俺を見る。
「あの時のような失敗はもうしない。今度こそ全力で、止めてみせる!」
まるで、今の自分を見てるような気分だった。
それと同時に笑いが込み上がってくる。
なんだよ、こんなこと言われたの初めてじゃねぇか?
ははは、俺も捨てたもんじゃなかったのか・・・。
「・・・ありがたいけど、やめとけ。今のお前に何ができるんだ?」
自分の感情をグッと堪え、冷静に冷たくそう言う。
「ふんっ、その言葉、そっくりそのままお返しするわ。
あなたがこれから向かう場所はあなたじゃどうすることもできないのよ。あのエヴィルの男はね、御堂英二と言って」
「知ってるよ。あの男がどれだけ危険かなんて。冬月から聞いたよ。」
それに自分じゃ敵わないってことも。
「あなた、冬月さんに会ったの?!」
目を丸くして、そう言った。
珍しく驚きが表情に出ていて、じゃあなんでここにいるのよ!
と言わんばかりの、そんな顔をしていた。
「あぁ、会ったよ。今のお前みたいになってる俺を一発で見抜きやがったよ。」
人を守ることに躍起になっている俺をな。そう言うと、日南は少し黙りこむ。
俺はそこで畳み掛けるように口を開く。
「俺は行く。俺は過去の清算をしなくちゃならない。どこかでしなくちゃならなかったのに、俺は逃げてばっかでずっと先延ばしにしてたんだ。遅かれ早かれこうなっていた。」
そうだ、そのチャンスをくれたのが、そのチャンスをものにする後押しをしてくれたのが、お前らなんだよ。
そう思って、口にはしなかった。
口にすれば、きっとこいつらは責任を感じてしまう。
俺のせいで、こいつらが悩んだり、つまずいたりするなんてことは、あってはならないんだ。日南は暗夜行、日比谷はフィクサー。
俺なんかがどうにかしていい連中じゃない。才能に恵まれたイディオムなんだ。
自分しか守れない俺とは違って、これから何千人と人を助けていくんだ。
住む世界も次元も違いすぎる。
だから、これだけは言っておかなければ。
「日南。こうなってしまったのは全部俺の責任。お前のせいなんかじゃない。お前が気にすることなんて、何一つとして無いんだ。」
だからお前が辛い思いをする必要は無いんだ。
どこかで聞いたことのあるセリフを俺は口にした。頭の中で飛鳥さんが過る。
あの時、こうして言ってくれた飛鳥さんは、こんな気持ちだったのだろうか?
そんなことを思って、俺は日南の頭に手を乗せた。
「バカにしないで!」
頭に乗せていた手を力強く払われる。
「あなた本当にわかってるの?!こんなの結果は目に見えてるわ!あなたはまた暴走する!その時一番傷つくのはあなたじゃない!」
あのエヴィルに付き合ってなんの得があるのよ!
とうとう、尻もちをつき、力なく壁に身を預けた日南。
日比谷は相変わらず黙ってそれを見ていた。
「こんなのまた同じことの繰り返しよ・・・。下手をすればあなた」
と言ったところで日南の目の色が変わる。
俺をまるでおぞましいものを見るような目で見て、静かに口を開く。
「あなた、まさか・・・」
俺の返答を待っているのか、それ以上は口にしなかった。
そして、俺は何も言わず、歩き出す。
「だ、ダメよ・・・そんなの絶対に」
再び立ち上がろうとする日南に気を取られ、いつの間にか背後にいた日比谷に気づかなかった。
咄嗟にくるっと反転し、日比谷と向かい合う形になる。
そうだった。こいつも俺を止めに来てたんだったな・・・。
真剣な表情を崩さないまま、何も言わず俺の前に立ちはだかる日比谷。
俺は少し後ずさり、拳を握りしめた。
その時、日比谷はニカッといつもの優等生の笑顔を見せる。
「唐沢、行け。」
瞬間、時間が止まったかのように、
日南と俺は固まった。
「な、何を言ってるの?!あなたいま自分が言ったことわかってるの?!」
後ろで日南の声がする。
日比谷は視線をずらし、日南を見る。
「あぁ、わかってる。もう潮時だ。」
そう言って彼女の方へと歩いていく。腕を掴んで持ち上げようとする日比谷の手を、日南は強引に振り払った。
「ふざけないで!何もわかってないわよ!いえ、あなたには何もわからないわっ!私はあの時と同じ後悔をしたくないのよ!」
「わかってないのはお前だ。日南。」
日比谷は静かに、そう言った。
「あの時と同じじゃねぇ。あの時なんかとはまるで違う。」
その言葉はおれに向けて言っているのだと、ようやく気づいた。
「人に裏切られ、自分を嫌い、塞ぎ込んで、逃げて、そうやって回り道をしてきたお前を見てきたからこそ、今になって自ら進んで何かをすることの“重み”が、俺にはわかる。」
ーーずっと一緒にいたんだから。
そう言った日比谷は泣いていた。
顔を見てなくともわかる。
声が震えていたのだから。
あぁ、俺にもわかるよ、日比谷。
エヴィルに対抗出来ない身体になって俺を見送るのは、お前にとってどれほど悔しいことか。
俺の考えがわかっていて、自分が何も出来ないとわかっていて、俺を行かせてしまうことが、お前にとってどれほど哀しいことか。俺には、俺だからこそわかるよ、日比谷。
ーーずっと一緒にいたんだもんなぁ。
「昔っから考えすぎちゃうタイプだったからなぁ、お前は。
飛鳥さんの苦労が目に浮かぶぜ。
けどまぁ、あんだけ心配してたのに自分一人で納得しやがって。
そういうところは変わんねぇよなぁ。」
ズビッと鼻をすする音が聞こえた。
そして、へへっと笑い、壊れたメガネをクイッと上げる。
「・・・待ってたぜ。ブラックヒーロー、いや、唐沢鉄平!」
ドクンと胸が熱くなるのがわかる。
そのせいか、俺は何も口にすることができなかった。
「お前のことだ、またゴチャゴチャ考えてんだろう?こういう時くらいシンプルに行こうぜ!昔バカやってた時みたいにさぁ!」
そう言って、ビシッとグーサインを左手で作り、横に突き出す。
「自分が思った道に進め!全部終わらしてこい!今のお前は何も間違ってねぇ!行け!」
ーーそれで、また会おう。
横目で俺を見て、日比谷は笑う。
「日比谷・・・お前・・・」
声をかけようとして、俺はやめた。
形を掴もうとした手を引っ込めて、全力で走った。
後ろから聞こえてくる声を無視して、全ての思いをかなぐり捨てて、俺は夜の帳を走った。
「日比谷、日南、ありがとな。」
最後にこの言葉を言えたことがなによりの救いだった。もう、思い残すことは何もない。
目的地に着くのはあっという間だった。
そこは静かな河川敷で人一人として誰もいなかった。
まるで、世界で俺一人だけのような気がして、身震いするほどの静けさ。
あの男は今日、本当に来るのだろうか?
俺は全てを終わらせることが出来るのだろうか?
辺りが静かであれば静かなほど、頭が働く。余計なことを思ってしまう。
俺に今必要なのはそんな考えじゃない。
覚悟だ。
もう十分逃げた。
言い訳もした。
誰かのせいにもしたし、嫉妬もした。もういいだろ?
醜態という醜態をさらしてきて、今更何を思うことがある?
いや、もう何もない。
覚悟は決まってる。
最後に、誰かに覚えてもらっていたという事実が俺にとっては最高のご褒美だった。
とても心地いい気分で満たされ、こんな俺でも生きていて良かったんだと思わせてくれた。俺には勿体無いくらいの感覚だ。
「そうか、俺は淋しかったのか。」
ははは、なんだそれ。
あんだけ悩んで結局それかよ。
胸のつっかえがすーっとなくなっていく感じがした。
なんとも最後まで情けない、女々しい男だ。
俺は。
けどまぁ、なんだかんだ、悪くなかったけどな。
と、その時、静けさを破る声が響く。
「唐沢くん!」
幻聴かと思った。
振り返ると、幻でも見てるかのような気分になった。
「日南っ!なんで・・・」
そこには木刀をつっかえにし、ヨタヨタと歩いてくる日南の姿があった。
今にも倒れそうな彼女は息を切らしてこちらに向かってくる。
しばらく俺は硬直して、自体を把握出来ずにいた。
そして、すぐさま正気に戻る。
大丈夫だ。
幻覚でも幻でもなんでもない。あれは確かに日南だ。そう確信したところで急に怒りが湧いてくる。
日比谷は何やってんだ・・・!
あいつの方が怪我の具合はマシだったよな?ということは、負けたのか?
あのボロボロの日南に?
いや、それは考えにくい。
となれば・・・
「あの野郎、折れたな。」
まぁ、その気持ちはわからなくもないが。
ともかく俺も日南の元へ歩みを進めた。
この場にこいつが来るのは危なすぎる。
いつ、あのエヴィルの男が現れるかわかったもんじゃないっていうのに・・・!
「早く帰れ!ここは危なすぎる!」
俺の声が届いてないのか、まだこちらに向かって彼女はフラフラ歩いてくる。
そして、お互いの姿がようやくハッキリとわかるくらいの距離になったところで、俺は気づく。
日南は荒れた呼吸のなか、必死でなにかを伝えようとしていた。
そして、その姿に、その言葉に俺は胸が苦しくなる。
「唐沢くん!私、まだあなたに何もしてあげれてない!お礼も言えてない!」
かすれた声で彼女はそう叫んでいた。
そんなことを言うためにわざわざここまで・・・。
一歩、二歩と足取りが速くなるのがわかった。
出来ることなら、このまま走って彼女の身体を支えてやりたい。
ボロボロになった、その華奢な身体を抱きしめてやりたい。
しかし、それをしてしまえば俺は、また彼女を巻き込んでしまう。
それだけはダメだ。絶対にダメなんだ。
「ひ、日南、俺はーー!」
ーーこんな甘ったるい青春、あなたには必要ありませんよねぇ、唐沢くん?
戦慄が走った。
その声はひどく冷たく、低い声で、すぐに誰かわかった。
いや、声を聞かずとも、俺にはすぐ気づけたはずだったのだ。
エヴィルの男、御堂英二は日南のすぐ後ろにいたのだから。