銭湯でござる
昨日遅れた分のダンジョン攻略をできるだけ取り戻そうと、今日は第二の水のダンジョンと第三の木のダンジョンをクリアした。今日は“瞬身”を使わなかったとはいえ、前回の倍の量の敵を倒したことになる。当然と言えば当然か、ニンゾーは疲れた様子だった。
しかし何の不幸か、日替わりの風呂の火起こし当番は今日、その疲れたニンゾーである。
「はあ……じゃあ今日は拙者が火を起こすゆえ、主殿が先に入るといいでござるよ」
「ちょっと待てニンゾーよ」
家の風呂場に行くニンゾーを呼び止める。
ニンゾーは、明らかに面倒くさそうな顔で振り返った。言外に“疲れているから会話をするのもおっくうでござる”と主張している。俺は本当に何気ない感じで、こう提案してみた。
「今日は銭湯に行かないか?」
*
疲れた時にはどうしてだか、でかい風呂で思い切り足を伸ばしたくなるものである。
前世の俺もそうであったが、一度生まれ変わり以前より大きな体を得たことでそれはより強く感じる。
風呂はいい。熱い湯をかぶり、ちゃぽんと体を沈めればそれこそ疲れが日々の汚れと一緒に洗い流されるようである。俺もなんだかんだ、武蔵丸との一件で疲れがたまっている。だったらまあ、銭湯に行ってもいいのではないかと思ったまでのことだ。
決して、ニンゾーが疲れてるから気を使ったわけではない。
断じて、疲れてるなら先に風呂に入れてやりたいが“火起こしを変わってやるから先に入れ”なんて言ったら図に乗るのが目に見えているので、その妥協案として銭湯を提案したわけではない。
いや、これ本当に。
「なんだかんだで主殿は優しいでござるな」
「まだ予定より遅れてるんだから明日もダンジョン二つ攻略だからな」
「その後はまた銭湯に連れて行ってくれるでござるか?」
ニンゾーが自前の桶を抱えたまま、肘で脇腹を小突いてくるのが腹立つ。
ちくしょう、わかってただろうに。服部忍三は甘やかしたら結局図に乗るって。
俺は話題を変えようと日の落ちた空を見上げる。
「明日は雨が降りそうだな」
「よくわかるでござるね」
「後で教えてやるから明日の天気くらい予想できるようにしとけ」
「めんどくさいでござるよ。主殿が調べて教えてくれたらよいでござる」
このナマケモノは。
「それにしても雨でござるか。そろそろ梅雨時でござるからな」
「そうか、今は六月だったな」
そもそも、あのトップランカーイベントがあったのが六月の上旬。そしてこちらの世界の全く同じ日に飛ばされたので、今も六月であるというわけだ。
つまり、テストプレイが終了して帰るのは来年の十二月ごろになる。
「しかし一年半とはまた中途半端でござるな」
ニンゾーも同じことを考えてたのか、そんなことを言う。
「俺がこの世界に飛ばされた日が大体、タップ&ブレイバーズのサービス開始から一年半くらいだったんだ。だから多分、この世界でタップ&ブレイバーズの一年半の歴史を振り返る、みたいな感じになるんだろ」
「ほう、では主殿はこの世界の未来がわかるでござるか?」
「ゲームに関係のあることをざっくりとならな。最初のボスは一カ月後くらいだろうな」
たしか最初のボスがイベントとしてやってきたのがサービス開始から一カ月だったはずだ。だとしたら、それに合わせて奴も出現するだろう。
「俺達はせいぜい、それまでに自らを鍛えて仲間を集めなきゃな」
「……主殿は最後に誰か連れて帰りたい者がおるでござるか?」
急に話が変わって一瞬何を言ってるのかわからなかったが、すぐに思い当たる。
「ああ、“好きなキャラクターを一人連れて帰る”ね。正直信じてないし、あんまり考えちゃいないかな。なんだ? お前もしかして行きたいのか?」
「……別に、そう言うわけではござらんが」
ニンゾーは前を向いたまま夜道を歩く。
うーむ、自分のことのはずなのに、よくわからん。
「まあ、向こうは人殺しとは縁遠い時代だからな。お前には向いてるんじゃないか? 武蔵丸なんかは絶対行かない方がいいと思うが」
「……そうでござるか。じゃあ、行ってみてもいいでござるな」
「なんだ? やっぱり行きたいのか?」
「あ、そろそろ銭湯が見えてくるでござるよ」
そう言うとニンゾーはたったと先行し、銭湯の暖簾をくぐる。
俺は少し離れてその外観を見て、ひっそりと郷愁に浸った。やはり、この街は俺がかつて住んでいた街をモデルに再現されているのだろう。その小ぢんまりとした銭湯は『わかばの湯』という看板を掲げ、今日も夜の街に控えめに主張していた。
たしか、師匠と出会ったのもこの銭湯だったか。
懐かしい話だ。
「主殿、そういえば拙者、銭をもってないでござる!」
「ああ、もう。金は俺が管理してるんだから当たり前だろうに。ちょっと待ってろ」
「早くでござる!」
俺はニンゾーにせかされつつ、『わかばの湯』の暖簾をくぐった。
*
さて、銭湯と言えば多くの現代人はどんなものを思い浮かべるだろう。
男湯女湯の間に座るおばあちゃんに小銭を渡して入るような小さな銭湯か、はたまた一日過ごせるようなレストランに漫画本完備のスーパー銭湯か。俺もかれこれ二十年、そういった様々な銭湯の乱立する現代で過ごしてきたので、感覚はすっかり現代人となっていた。
だから忘れていたのだ。
気づいたのは、脱衣所にニンゾーがいるのを目撃してから。
「どうしたでござるか? そんなところで立ち尽くして」
「……そうだった」
しわしわのおじいさんと孫だろうか? 元気な若い娘が同じ場所で服を脱ぐ。あちらも、こちらも、男女入り乱れながら手拭い片手にからからと浴場への扉を開いていく。
ニンゾーもまた、当然のように服を脱ぎ去り、白い肌で仁王立ちだ。
俺は思わず額に手を当てた。
「……この時代は混浴が普通だったか」
「? あんまり遅いなら先に入るでござるよ」
「ああ、そうしてくれ。俺もすぐ行く」
ニンゾーが堂々とした足取りで浴場の扉を引いた。
俺もいそいそと服を脱ぎ、その後に続く。
浴場には思ったよりも人はいなかった。俺とニンゾーを含めても十人ぽっちしかいない。全体を見渡していると、その端っこでニンゾーが大きく手を振っていたので滑らないように注意しながら向かった。
俺は椅子に腰をおろし、一度湯をかぶる。
「この銭湯も人がすっかり少なくなったでござる。多分、家に風呂を備え付けるところが多くなったからでござろうな。若い娘など、あまり肌をさらしたくない者もおるでござるゆえ」
「そういえば昔は裸目当てで来る男たちも多かったっけ」
「よく知ってるでござるな。まあ、お互い承知のうえでござったからな」
「そう言うお前は抵抗ないんだな」
「……皆、拙者の方はちらりとも見んでござる」
そう言って頭から湯をかぶるニンゾー。
俺はそれを見て、あることわざを思いだす。
「立て板に水、か……わぷ、つめてえ!」
「……主殿は失礼でござるね」
「真実だろうに」
冷水をかけられたので再び湯を浴びながらそう言うと、今度は返ってこなかった。
うん、自覚はあるんだな。
そういえばペロリストのニンゾーデータにも胸にコンプレックスありとあったっけ。
「……まだ成長期でござるからな」
「十八ってどうなんだ?」
「まだぎりぎり青い果実でござろう」
「いや、伸びしろ的な意味で」
「……たぶん、おそらく大丈夫でござるよ」
……そうだな。
俺はそっとニンゾーから視線を外した。もしかしたらニンゾーを見ないという他の男たちもこういった気まずい気持ちになったのかもしれない。
もう一度水をかけられたのですぐさま湯をかぶり、冷たさを相殺する。
それにしても混浴か。
俺はそろっと気配を消してみる。
「お、やはり主殿も男の子でござるか」
俺はそんなニンゾーの発言を無視し、とりあえずまず、ニンゾーとは反対の隣に座る女性の方を覗きみる。
若い。俺とほとんど変わらないだろうか。泡に包まれた肌が何ともなまめかしい。それに、揺れる果実はたわわだ。俺は一瞬、先程のニンゾーと対比する。こちらの皿には料理が盛られてるのに、どうしてあちらは皿だけなんだろうな。
と、また水が頭からかかる。
「だからつめてえよ!」
「主殿は拙者に失礼なことを考えずにはいられないのでござるか?」
「なんも言ってないだろ」
「言わぬでも伝わることもあるでござるよ」
さすが忍者か。いや、女の勘と言った方が正しいのかもしれないが。
だが、そんなやり取りをしてしまったせいで隣の女性が顔を上げる。
「あれ? お客さんですか?」
「え?」
俺は裸で女性も裸。
その現代ではありえないシチュエーションに思考が少し遅れる。先に返事をしたのはニンゾーだった。
「おや、食事処のお姉さんではござらんか」
「あらあら、いつものお嬢ちゃん。銭湯でもお兄さんと一緒なのね」
そう、隣の豊満な女性、いつもの食事処の女店員さんだったのだ。
俺は思う。
き、気まずい……。
まさか料理うんぬんの例えのせいではあるまいが、こんなところで顔見知りの女性と鉢合わせるとは。ああ、はは、どうも、とかいう曖昧な返事しかできない。これが前世なら動じなかったんだろうが、いかんせん現代で過ごした時間が長すぎた。
なんて言っていいかわからん。
俺が黙っている間にも、頭の上でニンゾーと女店員さんの会話が続く。
聞く限り、魚の仕入れ先が増えたので料理の種類を増やせるとか新しく天ぷら定食を始めるだとか、そういったメニューに関する話題だ。
しばらくしてから、女店員さんは身体を洗い終えて立ち上がる。
ふるん、と揺れた。
「じゃあ、私は先に上がりますから。またお店をよろしくお願いしますね」
「おや、湯にはつからんでござるか?」
「実はもうつかってきたの。私、入る前と後、両方体を洗う人だから」
「そうでござったか。ではまた」
「はい、また。お兄さんも失礼します」
「ああ、また……」
手を振り、女店員さんはぺたぺたと浴場から出ていった。
俺はなんとか手を振り返しながら、やっと息をつくことができた。
しかし、明日からどんな顔で会えばいいものやら。
「主殿よ」
「なんだニンゾーよ」
「拙者が隣で寝ていても何の反応もしないから、もしや主殿は女子に興味のない同性愛者ではないかと思っておったのだが、いやはや健全な男子だったようで安心したでござるよ」
「いや反応するも何もお前の胸……ああいやすまんかったから冷水はもうやめろ。さすがに体が冷えてきた。ほら、さっさと体を洗って湯につかりに行くぞ」
「……しょうがないでござるな」
桶を振りかぶったニンゾーをすんでのところで止め、俺は石鹸で泡立てる。
明日、風邪ひかなきゃいいけどな。
俺達は隣り合った椅子の上で、全く同じタイミングで左の二の腕から体を洗い始めるのだった。
*
「拙者の長湯につきあえるとは主殿、なかなかやるでござるな」
「何を言う、金払ってるんだからふやけるくらいつかっとかなきゃ損だろ。家の風呂じゃ燃料なんかのこともあるから長湯なんてできんしな」
「そうでござるな。ふう、しっかりあったまった後の夜風がまた心地いいでござる」
たしかに。
俺も襟元を緩め、まだ涼しい六月の夜風をふんだんに取り入れる。
「帰ったら今日もショーギでござるよ」
「そう焦るなって。もう少し散歩でもしてから帰ろう」
俺はそう言い、家とは違う方向を目指して足を進める。
ニンゾーは右隣で同じように襟元をつまんでぱたぱたと風を取り込んでいるようだった。
夜の街はまだにぎやかで、そこらの居酒屋からは賑やかな騒ぎ声が聞こえる。今の俺達は帯刀していないが、そこらには大げさな刀を差している若きサムライが闊歩していた。しかし、彼らから武蔵丸のような気迫は感じない。
おっといかんいかん。
こういう時はのんびりと周りなんて気にせずに歩くに限る。
昨日の一件で少し昔の癖が出てしまったのだろう。俺は隣のニンゾーからも似た気配を感じたので、まだ少し濡れている髪の毛をぽんぽんと叩いてやった。
「なんでござるか」
「いや、ちっちゃいなあと」
「また胸の話でござるか」
「それは被害妄想だ」
しばらく歩いていると、懐かしい音が聞こえてきて足を止める。
ちょうど、橋に差し掛かったところだった。音の正体を探そうと欄干にもたれると、河川敷の辺りで三味線を担ぐ笠をかぶった女がいた。
ツレテンツレテン。
三味線の音が川の流れと一緒にこちらへと流れてくる。
よ、とニンゾーが欄干に飛び乗り、すとんと腰を下ろす。
今の俺は体がでかいので同じことをしたらさぞバランスが悪いだろうと思い、欄干にもたれたままの体勢でその三味線の音色に耳を傾けた。
ツレテンツレテン、テレテン。
三味線の音色はほんの数分だけで止んでしまい、また橋の方までは居酒屋の雑踏も聞こえず、とても静かに風が吹くばかりとなった。
「明日は雨でござるか。どうやらその通りみたいでござるな」
「だな」
見下ろす川面には流れる雲ばかりが映り、また見上げても月の光は見えてこない。
あ、とニンゾーが声をあげた。
「そういえば主殿の傘がないでござるな」
「お前のはあるんだろ? 相合傘じゃいかんのか?」
「えー、主殿とでござるか?」
「なんだ、めちゃくちゃ嫌そうだな」
「まあ、嫌じゃないとしても、主殿の高さに合わせたら拙者はずぶぬれになってしまうでござるよ」
「それもそうか。ちっちゃいもんな」
「あ、今のは背じゃなくて胸を見ながら言ったでござるな! また雨にぬれても立て板に水とか思ったでござるな!」
「いや思ってない思ってない。ホントダヨー」
「……帰ったらショーギでコテンパンにしてやるでござるよ」
「やれるもんならやってみろ……お?」
俺は顔を上げる。
ほんの一筋だけ、雲が途切れて月がわずかに顔を覗かせる。どうやら今日は満月であったらしい。川面が一瞬光り、何やら魚が跳ねたような気がした。
「じゃ、そろそろ帰るとするか」
「そうでござるね」
くるりと大道芸のような動きで欄干から飛び降りる。身軽なもんだ。俺もできるけど。
俺達は曇り空の下を引き返し、家についたのは夜の十時を目前に控えたころだった。そんな時間になるともうニンゾーはおねむらしく、結局ショーギは明日へお預けとなった。
せっかくコテンパンにしてやろうと思ったのに、とお互い言いながら床に就く。
「明日の朝、食事処でお姉さんに会った時に主殿がどんな顔をするのか楽しみでござるよ」
「うるせい」
少し離れた布団で眼をこすりながらからかうように笑うニンゾー。その額に一度でこピンをしてから俺は部屋の明かりを消すのだった。