スキルでござる
“ホーム”と言われるこの世界での我が家。
合成、売却、ガチャ、のない世界故にほとんどただの家と変わらないそこの最後のゲーム的機能。それはパーティ編成である。
現実の人物に対してパーティ編成って……と最初は思ったが、タップ&ブレイバーズのシステムを思いだす。そしてもしやと思い、誰とも知らないそこの道行く人を家に招こうとして、俺の推測は確信に変わった。
この家には三人目の人物、いや正確に言うなら俺を覗いた二人目が入れない構造になっていた。いや、スペース的には何の問題もなく入ることが出来る。むしろ二人で住むには広いともいえる家だ。
しかし、どうしても入れない。
『入りたくない』、という強い拒否感が現れるらしい。正確には、システム的に入れないということなのだろう。
タップ&ブレイバーズではそのダンジョンの攻略度に合わせてパーティに参加させられるキャラクターの数が増えていくという仕様だった。それは大体、ダンジョンを十種類クリアするごとに一人ずつ増えていき、最終的に五人までパーティに組み込めるようになるのだ。
ランク883なんてところまで到達し、ほぼすべてのダンジョンをクリアしていたため、俺にとってパーティは五人いるのが当然だった。だから、そんな初期のパーティ事情はすっかり忘れていた。そういえば俺にも、ニンゾー一人で戦っていた時期があったなと思い出す。ちょうど、今のように。
懐かしい話だ。
しかし、やはりボス戦を想定するならパーティ枠を増やすためにもダンジョンの攻略は必須だろうな。
「ふああ、おはよう主殿。朝食を食べに行くでござるよ」
「お前は作れないのか?」
「作れないが?」
「……そうか」
さも当然のように返されてしまった。いやまあ、俺にできないことをしろと言うのが無理な話だったか。
それにしても、と俺は隣の少女を見る。
「なあ、ニンゾーよ」
「なんでござるか?」
「お前は着替えるときくらい他の部屋に行ったらどうなんだ」
俺は言おうか言うまいか迷ったが、結局言うことにした。確かにこいつは服部忍三かもしれないが、れっきとした一人の女の子でもある。それがまあ、男の前でずいぶんと堂々と服を脱いでくれる。
……ぺったんこだな。
とその胸元を残念な気持ちで見ていると、棒手裏剣が飛んできた。俺はとっさにそれを指で挟んで受け止める。
「む」
「あぶねえだろ」
「いや、何やら主殿から失礼な気配を感じて」
「なら他の部屋で着替えればいいだろうが」
「拙者が着替えてる間に主殿が襲われでもしたら大変でござるゆえ」
「現にお前に手裏剣投げられてるよ」
忠誠心が高いのか低いのかわからん。いや、多分低いんだろうなあ。
そんなことまでわかってしまうのもまた悲しいが。まあ親密度的には悪くないだろうし、ちょうどいい距離感ともいえる。忍三に恭しくかしずかれても困るだけだろうし。
俺はそれからしばらく、服部忍三の生着替えを見せつけられる羽目になった。
まあ、別人だと思えば。
うーん。やはり胸が……。
俺はもう一度飛んできた棒手裏剣を受け止めながら、思考を再度パーティ編成のことへ移した。
俺達の現在の目標は複数存在するタップ&ブレイバーズのボスを倒すことである。それがいつ来るのか今のところわかってはいないが、あれはこのゲームの目玉。ほぼ間違いなくやって来るだろう。そしてだ。
それに挑戦するには、パーティに五人いなくてはならない。
タップ&ブレイバーズのボスは滅茶苦茶強い。それはもう、全員レベルマックスでも平気でゲームオーバーになってしまうほどに経験とデータを必要とする。熟練のプレイヤーが相手の動きを予測し、的確にキャラクターを動かし弱点を突く。いや、これがゲームの話であれば、四人以下でもクリアする方法がある。
それは英雄証という課金アイテムを買いまくり、コンティニューにコンティニューを重ねるという方法。もうこの方法を取ってしまえば、パーティの質なんて関係ない。金があるかどうか、ただそれだけ。
しかしそれはあくまでゲームでの話で、この世界ではその手法は使えないだろう。俺達にとってはゲームオーバー=現実世界への強制帰還だ。しかし、この世界のキャラクターはどうなる?
俺はすでに服に袖を通し終えたニンゾーを見る。ニンゾーは、む? と首を傾げた。
たぶん、この少女は怪我もするし死んだからコンティニューなんてこともできないだろう。
軽々しくボスに挑戦するなんて言ったが、俺はそれが可能かを見極めなくちゃいけない。
「やっぱり、安定して勝てるように仲間を集めなくちゃな」
「仲間でござるか。それはやはり拙者と同じような者をでござるか?」
「まあそうなるんだが……そういうキャラクターはほとんど、ニンゾーにとっての俺みたいにすでにパートナーがいると思うんだ」
あの時呼ばれた百人はすべて、異なるキャラクターを使う最高ランクプレイヤーたちだった。そしてゲームでニンゾーを使っていた俺の元にニンゾーがパートナーとしてきた以上、他の奴等も同じようなことになっているだろう。それはつまり、少なくとも残り九十九のキャラクターがすでに特定のプレイヤーのパートナーとなっているということだ。
これがゲームなら問題ないのだ。他人が何を使おうと、自分も同じキャラクターをガチャで手に入れて使えばいいだけなのだから。ただこの世界では違う。すべてのキャラクターは一人しかおらず、そもそもガチャが存在しない。
俺は頭の中でどの攻略サイトにも乗っていた、いわゆるニンゾーをリーダーで使う際の“最強テンプレ”と呼ばれるサポートキャラクター構成を思いだす。
ニンゾーのサポートに適したキャラクターは、サポートに限らずリーダーとしても有能なキャラクターばかりだった。おそらく、そのほとんどのキャラクターがニンゾーにとっての俺のようにすでにパートナーがいるはずだ。
やはり、この世界でニンゾー最強テンプレを再現するのは難しいか。
それにニンゾーパーティ最大の問題点もあるしな。
「主殿が考えている仲間とは一体どんな人物なのでござるか?」
「うーん、俺も正直、イラスト……人相書きとでも言えばいいのか? それで知ってるだけだからなあ。性格までは知らん。ただ名前ならわかるぞ。『ヘイオス』と『リン・ハオユ』と『絶対無敵☆鉄壁ちゃん』だ」
「……明らかに異国の者二人に、一人よくわからない名前があるが……それにそれでは三人でござるよ? たしか拙者を除いて残り四人ではござらんだか?」
「ああ、あと一人はいいんだ。絶対にこの世界にはいないし、そこはとりあえず自由枠ってことで」
そいつがまあ、最強テンプレを再現できない最大の理由なんだけどね。
ニンゾーは頭の中で世界地図でも思い浮かべてるのか、低くうなった。
「ううむ……しかし異国となると……」
「この世界の構造がどうだかしらんが、すぐに会うのは難しいだろうな。だから今のところはお前の強化を優先したほうがいいだろう。しばらく仲間とボスはスルーの方向で計画を練り直すか」
「“ぼす”とやらが出てきても戦えないでござるか?」
「たぶん、顔を見に行くくらいならできるんじゃないか? ただ最終的には逃げ帰ることになりそうだがな」
「……むう、少し納得しかねるが、主殿が言うからにはそうなのでござろう」
「いや、俺が知ってるのってあくまでゲームの中だし、案外一人でも倒せるかもしれない。まあでもやっぱり、少なくとも今のままじゃ苦しいだろうな。ということは、だ」
「修行でござるか。うむ、では気合いを入れていくでござるよ」
うん、いい感じに理解してくれたみたいだ。
俺は腰に忍者刀を差し、ホームの外へ出る。しかし、さあ今日もがしがし修行しますかとダンジョンのポータルがある方へ向かおうとすると、くい、と服の端をつままれてつんのめる。思ったより力強くつままれていた。
「その前に朝食でござる」
ニンゾーのその細いお腹から、きゅうというかわいらしい音が鳴った。
*
朝の食事処は人が少ない。現代と違って、朝から外で食べる習慣のある人間がほとんどいないのだろう。
ニンゾーはそんな中、慣れた様子でたくあんをかじった。
「もし新しい仲間が来るとしたら料理ができる者がいいでござるな」
「まったくだ。目が覚めたら熱い味噌汁が待っていたらそりゃあ素晴らしい一日になるだろうさ」
「別に、主殿が覚えてもいいでござるよ?」
「馬鹿言え、なんで俺が。主殿なんて呼んでんだからちゃんと主として扱えよ」
「扱っておるでござろう。ほら、朝のはちょっとした忠誠の証でござる」
「ああ、てっきり洗濯板の押し売りかと思ったぜ、っておい、それ俺のたくあん!」
「主殿は、かりかり、少しばかり乙女心を学ぶべきでござろう」
「そしてさらっと梅干をこっちによこすな、俺も苦手なんだよ」
「遠慮は無用でござるよ。拙者、主殿をお慕いしているがゆえ」
「話を聞け」
そんなくだらないやり取りをしながら朝食を取り終える。それから二人でそろって昆布茶を飲み干し、楊枝を咥えながらのんびりとポータルへと歩いていった。
朝の街は徐々に賑わいを見せ始めすれ違う人も次第に増えていくが、それでも現代とは比べ物にならないほど静かだ。ちちちと小鳥がなく声ばかりが聞こえる。自動車や電車の音がないだけでこうも違うのかと、改めて思い知らされる。やはり朝は静かな方がいい。
俺は昔から早起きだ。それはつまり、こいつも同じと言うこと。
なんだかんだ生活リズムが同じというのはやりやすいもんだぜ。
「ん、ん、ん、っと。うむ、では腹ごなしにダンジョンに入るでござるか」
すでに戦闘モードに切り替えたらしいニンゾーは、ポータルを目の前に大きく伸びをして首を鳴らし、最後にくるくると足首を回した。朝一番に動くときの服部忍三の癖、俺達の後ろを行商のための車を引きながら通り過ぎる商人には、そろってまったく同じ準備体操をする二人組を見てさぞ不思議に思っただろう。
その商人はしかし、それ以外は特に気にならない様子で通り過ぎていく。
「やっぱり、無関係の人にはこのポータルとか見えてないんだな」
「拙者も主殿が来るまでこんなもの見たことがなかったでござる。おそらく、これは拙者たち専用の入り口なのでござろう」
昨日もゲリラから帰ってきた時ポータルの前でばったり狩人らしき男と出くわしたが、彼は突如目前に現れた俺達に驚くことはなかった。多分、意識に入らないような、もしくは自然に認識されるようなシステム的な処置がされているんじゃないだろうか。
ホームのことといい、摩訶不思議だ。
「して主殿よ、今日のダンジョンでなにか注意することはあるでござるか?」
「敵が火を中心に使ってくるぐらいで、他は特にないな。たぶんかすりもせずに突破できるだろう。俺は言ってた通り、後ろで見学させてもらうよ。ああそうだ、敵が落とした金を拾っておくからお前はどんどん進んでいいぞ」
「む、さぼりでござるか」
「なんだ? 一人じゃ自信ないのか?」
「後ろで胡坐でもかいていたらいいでござる」
「それじゃ置いてかれるだろ」
そんなことするぐらいならそもそもダンジョンに入らねえよ。
「これはお前の修行でもあるからな。冗談じゃなく万が一の時は助けに入ってやるから、いろいろ試しながら進んでみたらいいさ」
「……では服部忍三、参るでござるよ」
ニンゾーはそう言って、ダンジョンに飛び込んだ。
俺もそれの後に続く。
第一ダンジョン、“火花道”。
スタートだ。
*
“火花道”はゲーム内と同じように、赤褐色の土が目立つ洞窟だった。
階層は全部で三つ、出てくる敵も弱いモンスターばかり。
予想した通り、ニンゾーはそのすべてにかすりすらせず、サクサクと忍者刀で刺し貫き、また手裏剣で落としていった。地面にはデフォルメされたカエルだの蝙蝠だのが転がり、次の瞬間には光の粒となってコインが落ちる。
俺は拾ってるだけで済みそうだ。
「そういえばニンゾー」
「なんでござるか?」
「お前“スキル”って言われてわかるか?」
昨日から気になっていたので聞いてみる。
スキルとはそのまま、ゲーム内でキャラクターが使うことのできた固有の技のことだ。ある者なら必殺技のように強力な一撃を放つし、またある者なら自身の防御力をあげるなどのステータスアップの効果を持っていた。
だが当然、前世の俺はそんなスキル持っていない。それはあくまでゲームのために後付された個性である。
だからこの世界のニンゾーはどうなのかと思ったが、答えはわかるし使えるというものだった。
ニンゾーは頷く。
「“瞬身”のことでござろう。使えるでござるよ」
「よかったら見せてくれないか?」
「かまわないでござるが」
そう言うとニンゾーは一度立ち止まり、忍者刀を構えて息を止めた。
瞬身。名前だけならゲームでの服部忍三のスキルと同じである。はてさて効果のほどは。
なんてのんきに考えていたら、ニンゾーの姿が大きく“ぶれた”。
俺は瞬時に意識を切り替え、目をこらす。
特に技名を叫んだりはしないのか。
俺は胸の内でそっと、秒数を数え始めた。
ニンゾーは恐ろしい速度でダンジョンの中を駆け回る。この第二の体に生まれてからも動体視力はきっちり鍛えてある、はずなのだがそれでも気を抜くと置いて行かれそうになるので俺はその後をついていきながら本気でその動きを観察した。
ニンゾーはその明らかに先程までより素早い動き、ゲームの通りなら三倍の速度でモンスターを倒しながら進む。ニンゾーは多くの敵を相手してるのに対し、俺はただついていくだけなのでなんとか置いて行かれていないと言ったところだろうか。素直なかけっこならみるみるその背中が小さくなるに違いない。
ニンゾーはその紫の髪をなびかせながら、モンスターを屠り続ける。
斬り、突き、裂く。
おそらく余裕であることのアピールだろうが、カエルはきれいにその四肢を切り落とされ、蝙蝠はことごとく、的確にその羽を壁に縫いとめられていた。
すさまじい。
俺はしかしそう言った感想もそこそこに、冷静にその秒数を数え続ける。
そしてちょうど五分経過した時だった。
ニンゾーの動きがピタリと止んだ。
「……ふう、こんなところでござるよ」
「効果は五分間三倍の速度で動ける、で間違いないか?」
「違わないでござる。瞬身は“五分間の間、服部忍三の速度を三倍にする”というスキルでござる。そして再使用は最低でも発動から十分、つまり五分間の瞬身が解除されてからさらに五分間が必要でござる」
タップ&ブレイバーズはターン制だったため、このスキルテキストは“五ターンの間、服部忍三の攻撃回数を三倍にする”というものだったが、こうして現実になったことでその内容が少し書き換えられているようだ。
まあ、一ターン=一分、攻撃回数から全体的な速度となっただけだが。
それにしてもやはり、このスキルは強力だ。
ただでさえ攻撃力が高いキャラクターである服部忍三、その攻撃回数が増えるのだから、これが強力でないはずがない。そりゃ、一時代を築けるというものだ。
我ながら? なかなか誇らしい。
まあ実際の俺はそんなに速くはなかったが。結局は人間だしな。そこはゲーム補正という奴だ。
ニンゾーはふう、と再び大きくため息を吐きながら地面に座り込む。どうやらこの世界ではゲーム内ではなかったデメリットも存在するようだった。
「このスキル、確かに拙者との相性はいいと思うでござるが、いささか疲れすぎるでござるよ。五分間が解けた瞬間にこの有様でござる。理論上は五分後には再使用できるはずでござるが、正直やりたくはないでござるな」
「でもそのスキルのおかげでダンジョンもあとちょっとだぜ。ほら、もうひと踏ん張り」
「いやでござる疲れたでござるおんぶ」
「子供か」
そうつっこんでみるがそれでもニンゾーは立ち上がらない。
あれは本当に疲れてるんだろう。
はあ、しょうがない。
「……つかまってろよ」
「わーい主殿だいすき」
「なんだその棒読みは。もっと心を込めろ」
「わーい主殿だいすきでござる」
「なんなの? お前の心はござるの中に集約されてんの?」
俺はニンゾーの小さい体を背負い、洞窟の中を奥へと進んでいくのだった。
*
火花道をクリアした後。
その日も結局、昼飯を食ってゲリラダンジョンを周回し、その後は適当に街をぶらぶら散策するという昨日と全く変わらない過ごし方をすることになった。
「なんだか面白味がないでござるな」
「まあお互い、遊び方に心得があるわけでもないしな」
「拙者、酒が飲んでみたいでござる!」
「……やめとけ。親切心で言うが、本当にやめとけ」
俺、前世も今もめちゃくちゃ酒に弱いんだよ。
くい、きゅー、ばたん。もしくはくい、うぷ、おええ。
この擬音に尽きるせいか、あまりいい思い出がない。まあ今の体の方がまだましで、弱い酒を一杯くらいなら問題ないんだが。
友人と飲みに行くときもコーラばかり飲んでいた気がする。それでも友人がご機嫌で飲んでいて、さらにつまみがうまいので俺は十分楽しかった。だがこいつと行くとなると、ただの介護になってしまいかねない。
やはり酒は飲まない方がいいな。
「むう……では結局することがないでござるな」
「金稼ぎが簡単すぎるというのも考え物だな。かといってもう一度ダンジョンに潜るというのは……」
「……さすがにちょっとしんどいでござるよ」
そうなんだよなあ。
タップ&ブレイバーズはソシャゲの定番、時間で回復するスタミナでプレイするゲームだったが、あながちあれは間違いでもないのかもしれない。あの頃はすぐスタミナなくなって暇だとぼやいていたが、実際自分がやると大層疲れるのだ、これが。
俺は道すがら、立ち並ぶ店の中を覗いていく。
そしてその一か所であるものを見つけ、立ち止まった。
「なあニンゾーよ」
「なんでござるか?」
「お前“ショーギ”、できるよな」
「……ほう、出来るでござるよ。それになかなかの腕だと自負しているでござる」
「そうか、実は俺もそうなんだ」
「ふ、まあ主殿ではまだまだ拙者には敵わないでござろうな」
ふふふ、とニンゾーは不敵に笑う。
俺はそんなやつのことを見ながらこっそり胸中でほくそ笑み、そしてショーギ盤を購入するために店主に声をかけるのだった。
*
「ぐ、ぐぬぬぬぬ……」
「また“待った”か? おお? 待ってやろうか? 一手戻してやろうか? はっはっは」
「やかましいでござるよ! ちょっと集中するでござる。ぐぬぬぬ……」
ニンゾーは本当にショーギに自信があったのだろう。
それはもう、悔しそうに盤面をにらみながら足を何度も組みなおす。正座、胡坐、片膝を立てるなど、ころころと体勢の変わる対面の相手を俺は清々しい気持ちで眺めた。
はっはっは、無駄なのだよ、ニンゾー。
貴様の得意とする戦術の五歩先を俺は歩いている。
いや、というか実際にニンゾーの使うコマの動かし方は現代で使えば時代遅れと言われるような、対処法がすでに確立されたものだった。やはり、知識において未来人にも等しく、なおかつ昔の自分自身の戦術を知る俺には敵うはずもない。
ふははは、愉快愉快。
どうしたニンゾーよ、指先が震えているぜ?
「勝負の前に言ったこと、覚えてるよな?」
「……主殿が勝てば明日はダンジョン二つ攻略、拙者が勝てばゲリラ含めダンジョンは免除……」
「いやあ、明日はずいぶん有意義な日になりそうじゃないか。はっはっは」
「うう、嫌でござる。今日は瞬身を使ってしまったゆえ、明日はきっと恐ろしい筋肉痛でござる……ゆっくり銭湯にでもつかって羽を伸ばすでござる……ぐぎぎぎ……」
「ほう、銭湯か。じゃあお前がダンジョン攻略してる間に俺はちょっくらつかってくるかな」
「それはおかしいでござる! 拙者と主殿は運命共同体でござろう!?」
「はっはっは」
「その笑いはなんでござるか!?」
ぐぬぬぬぬ。と再びニンゾーが考え出した時。
とんとんと玄関の扉が叩かれて俺はそちらを見た。見ると、引き戸に封筒が挟まれている。
「何だありゃ」
俺は立ち上がり、ちょいちょいとつま先立ちで土間に降り、手紙を回収してから足を払って戻ってくる。いちいち履き替えるのが面倒だと、ついこういったことをしてしまう。
俺は差出人不明の封筒を見ながらショーギ盤の前へ戻る。
「ん?」
が、明らかにおかしい。
ニンゾーを見ると、ぷいと顔を逸らすばかりで何も言わない。というかさ。
これ明らかに盤がひっくり返ってるよね。お前の陣地がこっちに来てるよね。
仕方ない。俺はひっくり返ってこちらを向いている兵のコマを取る。
「はい、王将取った」
「あ、それは主殿の王将でござるよ」
「うるせえ、こんな明らかなイカサマばれるに決まってんだろ。向き違ってもこっちがお前の王将だよ、負けを認めろ」
うう、とニンゾーがうなだれる。
まったく。俺は口ではそう言いながら、順調にダンジョンを攻略できそうで内心喜ぶ。おっと、そういえば手紙だったな。
俺は封筒を開き、中の文章に目を走らせる。
……これは。
「うう、どうか、どうか情けを……って主殿、どうかしたでござるか?」
ニンゾーが首を傾げるが、俺は何と答えたものかと言葉を発せなかった。
運営より、と書かれた飾り気のない手紙。
そこには、この世界にいるプレイヤーがすでに九十人を切ったという、ひどく事務的な内容が記されていた。