不憫でござる……
イベント二日目のクランタウンも相変わらずの盛況ぶりだった。
屋台の前には人だかりができ、なかなかスムーズに買い物をすることが出来ない。にもかかわらず二人がご機嫌なのは見事、第二十のダンジョンにリベンジすることが出来たからだろう。
「主殿、拙者あそこのチョコバナナが食べたいでござる!」
「私は隣の綿菓子いいですか?」
「おう、好きなだけ食え食え」
俺もついでにたこ焼きを買って、と。
今日の屋台めぐりは昼飯も兼ねている。たまにはこういうちょっとジャンクな感じもいいだろう。口の中へたこ焼きを放り込み、極端なソースの味を堪能する。噛めばトロッとあふれてきて、その中に発見できる小ぶりなたこが何とも屋台のたこ焼きらしい。そうこれこれ。うん、うまい。
しかしこうしてじっくり見て歩くと、昨日は気付かなかった屋台が多いことに驚く。
俺はその中で一際人気の店を覗いた。
漂ってくるのは甘い香り、これはカステラかな? いわゆる人形焼きってやつか。
なんて思いながらよくよくその形を見て、思わず苦笑が漏れた。
「どうしたんでござるか?」
「さすがニンゾー、かつての人気ナンバーワンは伊達じゃないな」
「?」
ニンゾーも店の様子を見て、げ、という顔をする。
その人形焼きの形は、明らかにデフォルメされたニンゾーだった。ああ、もう、あんなに立派な焼き型まで作っちゃってまあ……。
ぽこぽこと量産され、紙袋に詰められていく人形焼き。いや、これは言うなれば……
「……にんぞう焼き、か」
「言うと思ったでござる」
「お前もちょっと思っただろ」
「…………まあ」
ですよね。
しかし形はともかく、こういう素朴な甘さって好きなんだよな。
「一つ買ってみるか」
「拙者を食べるんでござるか?」
「気色の悪い言い方をするな。俺はカステラを食べるのだ。おいちゃん、一袋ちょうだい」
「十二個入りと二十個入りと四十個入り、どれがいい?」
「じゃあ十二……」
「二十で頼むでござる」
「あいよ」
ニンゾーは勝手に俺の財布から金を抜き取って払う。頼んだのだから当然だが、手渡されるのは中くらいの袋だ。俺はニンゾーを見る。
「拙者も食べるでござる」
「まあいいけど。それ、共食いって言うんじゃねえの?」
「気色の悪い言い方をしないでほしいでござる。拙者はカステラを食べるだけでござる」
「かわいいですねそれ。私も一つもらっていいですか?」
「いいでござるよ。ほら」
俺も一つつまむ。形はともかく、味の方はオーソドックスな人形焼きだ。あんこも何も入っていない、生地の甘さがほんのりと広がる。
うむ。やはり屋台とはいいものだ。俺達は再び歩き出す。
と、そこで前方に見えた三つの影に不穏な気配を感じ、俺はさっとニンゾーの顔を隠した。三人組は何やら夢中の様子で、こちらには気づくことなく先程のにんぞう焼きの屋台へと一直線に進む。
耳を澄ますと、興奮気味の声が聞こえてくる。
「おお! これが噂の忍三焼きでござるか」
「……愛でるだけでなく食べられるニンゾーたそとは、なかなか気が利いているでござるな……」
「ああ、よ、よだれが出てきたでござる……はぁ、はぁ……」
「兄ちゃんたち、買うのかい? 個数は?」
「「「四十個入りで頼むでござる」」」
「お、おう……ちょっと時間がかかるから待っててくれ……」
あいつら……。
俺はその三人の顔をよく目に焼き付け、要警戒対象として記憶にとどめた。
「どうかしたでござるか?」
ニンゾーが顔を隠す俺の腕を押しのける。
さて、どうするか。やはり……知らぬが仏という奴か。
「なんでもない。ほら、行くぞ」
「うむ?」
後ろからはなおも気味の悪い声が聞こえてくる。俺はニンゾーの耳をふさぎ、ブリキを引き連れて素早くその場を後にした。
*
人ごみの中をゆっくりと歩く。
祭の人ごみは嫌いじゃない。誰もが楽しげで、ハレの雰囲気に満ちていて。
思わずこちらまで楽しくなってくる。しかし……。
……不覚だった。俺はその館を見上げる。
その建物は皆に、クランハウスと呼ばれている種類のもの。そしてほんの数週間前まで、“赤いクマさん”という名のクランが利用していた場所だった。
ただ人の流れに身を任せ、あっちへふらふらこっちへふらふら、そんな風にボケっとしていた俺が悪いのだが、このあまりいい思い出のない建物の近くを通ることになってしまった。
ブリキは意識的に、そちらの方を見ないようにしている。
ニンゾーは……逆にまっすぐそれを見上げていた。
俺もニンゾーと同じように、見上げる。こう見るとうち、“底辺連合”のクランハウスとよく似ている。前に小さな庭があるところも、二階建てなところも。違うところがあるとすれば、その門柱に浮かび上がる所属メンバーの数が、0/120となっているところか。
のぞみもランバートも、すでにこのクランを抜けている。
所属メンバーゼロ、つまり解散だ。
“赤いクマさん”という名のクランそのものが、この世界から消滅した。
それはわかっている。しかし、思い出さざるを得ない。
黒い角の真っ赤な悪魔、ベリオル。
結果的に勝てたのは運がよかったとしか言えない。本気でやりあっていたら俺はベリオルに負けていたのではないか、殺されていたのではないか、そう思うことがよくある。
本当に運がよかった。
運は、よかった。しかし。
結果が完璧によかったかと言えば、胸を張ってうなずくことは出来ないわけで……。
「あ、あそこでドネルケバブ売ってますよ!」
「けばぶ、とはなんでござるか?」
「えっと……説明するより見た方が早いですね。こっちです」
ブリキが気を使ってニンゾーを強引に連れて行く。
そうだ。もう終わったことじゃないか。掘り返しても、誰かが得するわけでもない。
俺も先に行く二人の跡を追うように、“赤いクマさん”のクランハウスに背を向けた。
……その時、ガチャリと扉の開く音が聞こえた。
俺は振り返る。自然と右手は刀を探していた。
誰だ。
あいつらは全滅したはずじゃ……。
クランハウスから出てきたのは見たことのない、おそらくプレイヤーであろう少年だった。キャラクターはおらず、一人だけ。
中学生、いや高校生くらいだろうか? 口元を押さえて、ずいぶん顔色が悪い。
力を抜く。俺は刀から手を放した。
「……うぷ、なんだよあの部屋……血まみれじゃないか……うええ……。はあ、警部が一緒に来てくれていたら、あいつは血が大丈夫だから捜査もはかどるのに……いや、いけない! この犯人は僕一人で捕まえるって決めたんじゃないか! ようし!」
何やら盛大な独り言を言って、再びクランハウスの中へと戻っていく。
俺はそれを見ながら、ただ突っ立っていることしかできなかった。なんだったんだあいつ、警部?
「主殿ー、これ、回ってるでござる! 回ってるでござる!」
「ああ、知ってるよ、ケバブだろ。ちょっと待ってろ」
よくわからんが、奴らが生き残っていたわけではないだろう。なんてったって所属メンバーは0とはっきり表示されているのだから。
どこか腑に落ちないが、あまり長居したい場所でもない。
俺はニンゾーに呼ばれるままに、ケバブの屋台を目指した。
*
「そういえば主殿、朝になにやら気にしていたものがあったが、あれはもういいんでござるか?」
ニンゾーが両手で大事そうにケバブの挟まったパンを持ちながら、そんなことを言う。
俺は思わず額に手を当てた。
「……そうだった。すっかり忘れてたわ」
“英雄証”だ。
ザコネに相談しに行こうと思ってたんだった。ダンジョンも攻略し終えたし、せっかくなので今日のうちに尋ねておこう。ついでに明日のプレイヤーの集まりのことも話しておくか。多分、あいつは行かないという気がするが……。
「じゃあなんか簡単に手土産でも持っていくか」
「タヌ吉ちゃんでも食べられるものってありますかね?」
「うーん、てかタヌキって何食うの? 雑食?」
「さあ……なんでも食べそうな気はしますが……」
タヌキとか飼ったことないしな。あんまりソースとか使ってる味が濃いのはやめた方がよさそうだが、となると……。
「……にんぞう焼きなら食うんじゃないか?」
「ああ、確かにそうですね。なんか食べてるところが想像できます」
ニンゾーはケバブを口いっぱいに入れながら、複雑な表情をしていた。てか食い方がきたねえよ。ほっぺたパンパンじゃねえか。リスかお前は。
「ふぁれをふぁっふぇいふんでふぉふぁるか?」
「ああもう、飲み込んでから話せ、行儀悪い」
んぐ、んぐ、んぐ、と蛇が獲物を丸呑みするみたいにケバブを飲み込む。
そしてこの満足げな顔ですよ。
「ふう……美味。で、ほんとにあれを買っていくんでござるか?」
「いいじゃねえか。あれならそのまま食べれそうだし」
「わざわざタヌ吉ちゃんのために味付けを変えてもらうのも、お店の人に悪いですからね」
「うーむ……まあ、仕方がないでござるな」
俺たちは再び人形焼きの屋台へ赴き、二十個入りを一つ購入。またザコネ用に焼きそばなんかも買い足してからクランタウンを後にした。
……しかしその日、行ってみたら第十六のダンジョンにザコネはいなかった。
いつもくつろいでいる洞窟前のひらけたところには誰もおらず、焚火でもしたのか、枝の燃え残りが少し転がっているばかり。その燃え跡を見る限り、どうも数日はホームに帰っていないようにも見える。
一応、家代わりにしている洞窟の奥に向かって声をかけたりもしてみたのだが……やはりいない。
俺は持って来た英雄証を取り出し広げてみる。相談したかったんだが今日は無理か。事前に約束していたわけでもないし、しょうがないと言えばしょうがないのだが。
少し心配にもなる。
まさか死んだりしてないよな? 雑草の食いすぎで腹壊してそのままとか……いや、クランタウンに行けるようになってから食事はまともなのをとってると言っていたが、しかし……。
頭の中であの妙に爽やかな声を思い起こす。ついでによくわからん笑顔も。
いや、あいつならちょっとやそっとで死んだりはせんだろう。
「主殿、これどうするでござるか?」
そう言ってニンゾーは手に抱える人形焼きもろもろを示す。
あれもこれもと買っているうちに土産は結構な量になっていた。
「食べれるか?」
「……割とお腹ぽんぽんでござる」
「私もこれ以上は無理ですね……」
「だよな」
俺も無理だ。それなら……
「……様子見がてら、食い物の差し入れでもしてみるか?」
ニンゾーとブリキは同時に首を傾げた。
*
手には屋台で購入した食べ物を抱え、森の中のわずかに左右に波打ちながら伸びる小道を進む。その先にあるのは、昨日も訪れたすり鉢状の芝生広場。
言うまでもなくここは“ボス”ダンジョンの中だ。
「あ、お兄さんなの!」
小菊ちゃんがこちらに気づいて走ってきた。俺はそれを抱き留め、抱え上げる。オキナが見たら嫉妬で顔面が大変なことになりそうだ。
「今日も来てたんだな。どうだ? ソーニャの様子は」
そう言うと楽しそうだった小菊ちゃんが、わずかに表情を曇らせる。
「姉上、ちょっぴり元気がないの」
小菊ちゃんを下ろし、その後に続く形で広場中央へと向かう。
その芝生広場には小菊ちゃんとソーニャ、それと俺達以外“誰もいない”。
「姉上、お客さんが……」
「挑戦者かっ!?」
「いや、戦うつもりはないけど」
即座に否定する。するとソーニャはへなへなと芝の上にうずくまった。
抱えた膝の間からはしくしくと泣き声が聞こえてくる。
「……うう、あれ以来誰も挑戦しに来てくれないの……ボスなのに朝からずっと待ってるだけなの……人が来すぎた時のために整理券とか作ってみたのに……もういいの……ソーニャのことなんて誰も相手にしてくれないの……」
「あ、姉上! 泣かないで!」
やっぱりか、と俺は口の中で小さくつぶやく。
地面の芝を指先でいじりながら、そんなことを言う茨のソーニャ。それを小菊ちゃんが一生懸命なぐさめる。
ブリキはそんな二人を困ったように見比べる。
「あの、昨日とはずいぶん様子が違いますけど……」
「えっとね。姉上、昨日は張り切って台詞とかも考えてたから……こっちがいつもの姉上なの」
「あの方がボスっぽいかなって思ったの……でも誰も来てくれないからもういいの……どうせソーニャなんてボス失格なの……」
なんか、かわいそうになってきたよ。
まあでも、挑戦者がいないという事態は少し予想していた。
実はタップ&ブレイバーズで初めてボス、“妖精姫 茨のソーニャ”が実装されたときにも、これに近い現象が起こった。
サービス開始から一カ月ほど、誰もキャラクターの育成が間に合っていない段階で現れた強大すぎる敵。
ハッキリ言って、挑むのが馬鹿らしかったのだ。
負けるのが目に見えている戦い。課金して“英雄証”を山のように買い、コンティニューにコンティニューを重ねれば最終的には勝てたが、逆に言えばその方法でしか勝てない。基本プレイは無料のゲームだし当然、挑戦者の数は限られてくる。
まあ、その強大さがプレイヤーたちの“いつか勝ってやる”という気持ちに火をつけた、という面もあるんだけどな。
さすがにコンティニューの使えないこの世界で今すぐソーニャと戦うのは無謀すぎる。みんな、そう思ったのだろう。
「……不憫でござるな」
「……言ってやるな。あ、そうだ小菊ちゃん。これ、屋台で買ったもんなんだが」
「わあ、ありがとうなの! あれ、これってニンちゃん?」
「それについては、あまり触れないでほしいでござる」
「ほら、姉上、おいしそうだよ?」
小菊ちゃんがにんぞう焼きを一つ、ソーニャの口元に差し出す。
ぱくり。ソーニャはひざを抱えたままそれを食べた。
そして数度咀嚼してから、飲み込む。
「……甘くておいしいの……」
「ほら、こっちの焼きそばもあるよ?」
「……うん、食べる……」
完全に姉妹が逆転してるな。
小菊ちゃんは食べ物を与えながら、うずくまったままのソーニャの背中を優しく撫でる。
「いまみんなが来ないのは、たぶん姉上が強すぎてびっくりしちゃってるからなの。だからあんまり気にしないで」
「……でもプレイヤー倒さないとボス失格なの」
「そんなことないの。みんなに強いって思われることも、ボスの大事なことなの」
「……そうかなあ」
「そうなの。姉上はとっても頑張ってるの。ちゃんとボスやれてるの」
「……うん」
「だからあんまり落ち込まない方がいいの」
「……うん、ソーニャ頑張る」
小菊ちゃんからあふれ出る母性。
そういえばいつだったか、オキナがこんなことを言っていた。
『わしの最終目標は……小菊ちゃんに赤ちゃんプレイをしてもらうことじゃから……』
まさかあの時すでに、この幼女の持つ母性に気づいていたというのか。
もしかしたら俺はもう一段階、奴の評価を下げなければいけないのかもしれない。
あれは真性の変態だ。
今のうちに元の世界へ送り返すべきか。
ソーニャは次第に元気を取り戻す。
そして渡された焼きそばをかきこむように食べきった後、すっと立ち上がった。
その表情はすでに、昨日の“ボス”のものに戻っている。
「ありがとう小菊。お姉ちゃん、もうちょっと“ボス”頑張ってみるよ」
「その意気なの!」
「さあというわけで手始めにそこのお前!」
ソーニャが俺を指さす。そしてもう片方の手で激しく鞭を鳴らす。
「今からアタシと勝負しな!」
「絶対嫌だけど」
ソーニャは再びうずくまった。
「もうちょっとやさしく断ってほしかったの」、と後で小菊ちゃんに少しだけ怒られたのは、言うまでもない。




