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服部忍三という女

ニンゾー視点です。

 敵のクランハウスの一室。血と小便のような匂いで一杯に満ちた気持ちの悪い部屋に拙者はつるされていた。

 つま先立ちのせいでくじいた左足首が悲鳴を上げる。

 両の手はきつく縛り上げられている。そのせいでそろそろ手首の方も痛んできた。早く解放されたいもんなんだがね、ま、きっと主殿が来てくれるだろう。何となく、そんな予感がした。

 根拠なんてありはしない。いわゆる直感という奴だ。


 あのアルカイとかいうデカブツは拙者には何の興味もないようで、この部屋に放り投げてからはどこかへ行った。これを縛ったのはあのロイドとかいう覇気のない男。縛り方も適当ならまだ自力での脱出も可能だったかもしれないが、どうも仕事はきちんとする性質らしい。それか以前、のぞみたちを逃がしたことの反動かもしれない。どちらにしてもこちらからしたらありがたくない。

 オフューカスはそもそも、こちらのクランハウスには戻ってこなかった。

 万が一、ブリキたちの方へ向かったのなら。今はその方が心配だった。


 瞳を閉じる。

 自分の心臓が鳴る音が聞こえる。自分のことならてんで静かなのに、ブリキやのぞみ、それと……放り捨てられてしまったがランバートなんかのことを考えるとわずかに不安定になる。

 それに、主殿のことも心配だ。

 交換した忍者刀は取り上げられてしまった。ついでに服の内側も探られて手裏剣の類も一切没収されてしまった。

 その時、ロイドやアルカイではなく、プレイヤーらしき男にさわられたが、わざと余計なところをまさぐるあの手つきには生理的に嫌な感じがした。目は半月型にゆがみ、鼻息は荒く、撫でるように……しかし“過ぎたこと”までしようとするところをロイドに指摘されて青い顔で手を止めていた。

 あれは何だったのか。

 主殿も気にかけていた奴らの親玉のことなのかもしれない。


 件のリーダーは未だに顔を出さない。

 連れてこられて半刻ほど過ぎただろうか。いまだにブリキたちが来ないということはそろそろ安心してもいい頃合いなのかもしれない。安心にわずかに気を緩めかけた時だった。


 部屋の扉が、きい、と音をたてて開いた。

 まさかブリキたちが捕まったのではと思ってそちらを注視したが、そうではなかった。


 開いたとの隙間から出てきたのは真っ黒いねじくれた角。


「……いい目だ。気の強そうで、まだ何かを信じていて、でもほんの少し不安な、とってもとっても、いい目だ」


 そして金色の、蛇みたいな双眸だった。


     *


 そいつの舌はだらしなく垂れ下がり、その先からは下品にもよだれが滴る。

 本能的な拒否感とはこういうのを言うのか。

 一つ勉強になった。

 拙者は笑って見せる。


「……リーダーと言う割には小柄でござるな。アルカイの半分ほどしかないではござらんか。腕も細く、胸板も薄い。まだうちの主殿の方がましでござるな」

「はは、言うねえ」


 ああ、駄目だ。

 何だろう、背骨が抜き取られたかのように、こいつと対面しているだけで体が、心が、くじける。

 怖い、こわい、コワい……。

 そいつはなんの警戒もなしにこちらへ近づいてくる。足は拘束されていない。不安定な足場からでもある程度ならやれる。そう思いその顔面に蹴りを放ってやろうかと思うが、しかし体が動かない。

 体が動かないのだ。

 生まれてこの方、思い通りに身体が動かなかったことはない。飢えたこともあった、病に伏した日もあった、だがここまで、ここまで自分の体と距離を感じたことはなかっただろう。

 足が動かない。脱力のせいか体重がかかり、手首の縄が食い込んだ。擦れたせいかわずかに切れ接触部に血がにじむのがわかった。

 角の男が頬を撫でる。


「その目、好きだよ。できるだけ女性には強くあってほしいと僕は思うのさ」


 そう言って男は襟元から服の中へと、その爪の長い手を滑り込ませる。

 鎖骨から脇の方へとするりと伸びて、そして横から胸を撫でる。


「アルカイはね、もっと女性的な体型の方が好きらしいんだけどさ。くだらないことにこだわるとは思わないかい? 僕は女性はやっぱり、強くて澄んだ心を持っていることが第一だと思うんだよね。それ以外のことなんて第二、第三。だから君がもしも自分の体型にコンプレックスを抱いているなら、僕の前ではさっさと捨ててしまえばいい」


 耳元で囁くようにそう言う。

 それがたまらなく不快で、舌打ちしたいが口にも力が入らない。

 そろそろこれが恐怖だけからくるものではないと察した。


「気付いた? うん、そうなんだ。これは僕のスキル。僕が認識したすべての相手の力を奪うものだ。はは、本当に僕好みのすばらしいスキルだよ、まったく! これのおかげで」


 男はべろお、と頬を舐めた。生暖かい唾液がべったりと張り付いた。


「……相手に最高の無力感を味わわせられる」


 男の手はそのまま、体を這うように進行していく。胸をひとしきり撫でまわした後、そのままへそへと下りて行きそこを指先で何度もつついた。それからもう一度上へあがり、肋骨の形でも確認するかのように指でなぞって脇をくすぐる。背中や首が強張る。わずかに身をよじると、余計に楽しそうに男は体を弄った。


「硬いものをへし折るとき、高く積み上げたものを崩すとき、その時の爽快感ってやつが、僕はたまらなく好きなんだ。僕が前……というかさっきまで“遊んでた”女の子がいたんだけどね、その子は弓の名手だった。最初に彼女を見た時はその弓を引く姿に見とれたね。とても、とても美しかったんだ。……だからその左手を切り落としてやった。あの時はたまらなかったね! もう二度と、弓を握れないと知った瞬間のあの悲鳴! ああ、彼女はもう二度と、あの美しい立ち姿で弓を引けないのだと思うと……あははっ! ほんとにほんとに、ほんっとーに! ……たまらなかった」


 意地でも、奴をにらむ視線は外さなかった。

 相手を余計に楽しませるだけだとはわかっている。この男はそれを楽しみたいのだ。

 だが絶対に、この目だけはやめない。それは自分にできる最後の抵抗。


 奴が手を動かすたびに、背中をぞわぞわと駆け抜ける不快感。


 そしてその手がとうとう、さらに下へと伸びる。

 足を閉じようにも力が入らない。

 力が緩んだせいで歯を食いしばることもままならない。

 後ろへ回り尻の肉をつかみ、一度太腿と撫でてから……


「あ、忘れてた」


 男は腕を服から引き抜いた。

 それから自分のポケットの中から小さな壺のようなものを取り出して、こちらがよく見えるように眼前に押し付けてきた。


「いいでしょ、これ。きらきらして。中にはね、とってもいい匂いのするお香が入ってるんだって。今から焚いてあげるね」


 男はそう言って背中側、部屋の隅の方へと行ってしまった。しばらくして、甘ったるい香りが漂ってきて体の周りをふわふわと包む。むせ返りそうになる。

 男が戻ってきた。


「このクランタウンに来た時、僕のプレイヤー、まあ下僕みたいなやつなんだけど、そいつがカップラーメンってのを食べてたんだよね。知ってる? お湯を注いで三分待てば……四分だったかな? まあしばらく待てばあったかい食事になるんだ。人間っておかしなものを考えるよね。だって待たなきゃいけないんだよ? でもそいつが言ってたんだ。その待ち時間があるからこそおいしいんだって。僕が怖いのか、ぶるぶる震えながら必死に説明してたよ」


 何が言いたいのか。

 その男はこちらの顔めがけて手であおいだ。甘ったるい空気が鼻に、口に飛び込んでくる。男は嬉しそうに笑った。


「だから僕も試すことにしたんだ。本当に、ちょっと我慢した方がおいしく食べられるのかどうか。お香を焚いて、そうだな……三時間? 待ってあげる。きみにいろいろするのはそれからさ。はは、でもあいつのことがちょっと理解できたかもしれない。僕いま、すごくわくわくしてるよ」


 男はそう言ってから離れていく。

 それをじっと、にらみつけるように見送る。

 しかし、心の中では笑っていた。くく、三時間か。その余裕が命取りにならなければいいがな。おそらく、奴には絶対の自信があるのだろう。だがこの世に絶対なんてものはありえんのだよ。

 男が部屋を出て行こうとする。まだ体に力は入らないが、こいつが離れればそれも薄まるだろう。今は少しでもお香をかがないように気を付け、なんとか自分なりに抜け出す手段でも探すとしよう。

 そう考え始めた時、男は何かを思い出したかのように戻ってきた。そして。


「でも先にちょっとだけ味見」


 思い切り顔を近づけ、そのまま唇を重ねた。

 信じられず、おもわず目を見開いた。

 奴の舌が口の中に入ってくる。気味の悪いことにそれは口の中を隅々まで這いずり、こちらの舌とも絡め、噛み切ってやろうとするものの力の入らない、そんな前歯の裏も舐めた。


 男は顔を離した。つうっ、と糸を引く。

 それからにんまりと笑った。


「はは、はははははっ! 我慢できるかな、僕。今の君の顔! 隠そうとしても絶望が隠し切れないその表情! どうしよう、僕はその表情がたまらなく好きだよ!」


 男は結局、それだけを言い残して部屋を後にした。

 出て行ってすぐ、床に向かって唾を吐きだそうとした。自分では力いっぱい吐き出したつもりなのに、唾は飛ばず顎に垂れていってそのまま首を伝った。


     *


 想像以上に、奴が焚いたお香は危険だったのかもしれない。

 またあれから半刻ほど経っただろうか、体感時間なのであいまいだが、体の様子が明らかに先程までと違った。

 あついのだ。

 暑いのか、熱いのか。それも自分ではよくわからない。汗が体を垂れていくのが、どこかくすぐったいような、気持ちがいいような……

 気持ちがいい?

 なにを馬鹿な。


 息を止める。拙者は誰だ。そう自分に問いかける。

 答えは単純だ。伝説の忍者、“服部忍三”。

 その名を持つ“本物”のことはよく知っている。貧しい幼少時代を過ごし、忍者としての訓練を積み、そして平和を願う心優しき主君に仕えてその生涯を全うする。

 “本物”はさぞ、立派な人だったのだろう。

 拙者はある意味、すでに準備された英雄道をたどっているだけに過ぎない。スキルで底上げもされた、開花を約束された才能。しかしそれでも、それでも拙者は“服部忍三”なのだ。

 “偽者”でも、らしくふるまわなければならない。

 こんなところでおかしな香りに惑わされていてはいけないのだ。

 拙者は“服部忍三”なのだから。


 そう思うと、精神が研ぎ澄まされる。

 視界が開けて頭が回り始める。

 奇妙な体の感覚なぞ、思考のはるか外側へと追いやることが出来た。

 ここから脱出する手段を考えなければならない。


 手を縛る縄。先程切れた傷口はふさがり、もう血は出ていない。それを何とか抜けられないか確かめる。腕をひねり、精一杯力を込め、抜けるなり引きちぎるなりしようと試みるが、しかしそのことごとくは失敗に終わった。

 非力すぎた。

 ロイドたちと戦う時、“瞬身”を一度使ったせいもあるのかもしれない。全身を倦怠感が包む。

 だが、もう一度。


 ――“瞬身”

心の中でつぶやく。

 もう一度力を込める。先程よりは力がこもっている、と思われる。ぎし、と縄が音を上げた。まだだ、まだいける。さらに力を込めるとふさがっていた傷口が広がって再び血がにじんだ。しかし悪くない。これで滑りがよくなれば縄を抜けることも可能かもしれない。

 引っ張る。

 力いっぱい、抜けようともがく。ひねり、ねじり、もう一度全身の体重をかけて引く。


 ……しかし結局、何もかわらなかった。


 血がにじんだだけ、五分が経過しスキルの使用で更なる倦怠感が全身を襲う。

 力を込めたせいか身体が空気を欲し、そしてお香を余計に吸い込んでしまう。

 再び思考は、もやがかかったかのように鈍くなる。


 主殿なら、もしかしたら自力で抜け出せるのではないか。

 突然、なんの脈略もなくそんな考えが浮かんで、思わず笑いそうになった。


「……主殿」


 ぽつりとつぶやく。

 しかしあのからかうような声は返って来ない。

 体の周りを包む甘い香りは晴れない。


     *


 さらに半刻ほど過ぎた。

 おそらく。

 もうよくわからない。

 駄目だ。

 頭が回らない。

 先程から口が開きっぱなしになっている。

 舌を伸ばし、犬のように息をする。

 口に鉄の味が広がった。

 何かと思えば、鼻血が出ていた。

 そのまま口まで垂れてきて入ったのだ。

 手を縛られているせいで満足にぬぐうこともできない。

 気持ちが悪い。

 ああ、それにしても体が熱い。

 熱い、熱い、熱い。

 感覚も鋭敏になっている。

 床につけたつま先が、ひりひりと痛む。

 頭が痛い。

 わけがわからない。


 あとまた半刻ほどしたら奴が帰ってくる。

 その時、奴は……。


 ぽっかりと、心に穴が開いたような喪失感。

 そして思い出される、ぬるぬると口の中を這いずり回る感触。

 馬鹿な、拙者は、どうして……。

 鼻の奥がつんとした。

 目の端に、涙が浮かぶ。


 ……嫌だった。

 ……奴と唇を重ねるのが、たまらなく、嫌だった。


 拙者が“本物”の服部忍三なら。男なら。

 でも“偽者”だから、女だから。


「……申し訳ないでござる、本物の服部忍三殿。本当に、こんな、情けない……拙者は、弱い……」


 言葉に出すと余計に悲しくなった。

 どうすればいい。どうもできない。

 悲壮感の波を止めることが出来ない。あふれてくる。全身を飲み込んでしまう。


「……ハトリ」


 もっとも信頼する男の名を、もう一度つぶやく。

 その時、部屋の扉がきい、と開いた。

 顔を上げる。

 日が落ちたせいで部屋の中は暗い。だが、まだ奴の言っていた時間ではないはずだ。

 暗闇の中、目を凝らそうとするが頭がくらくらして難しい。


 ぱちん、と部屋の明かりが点いた。

 そこにいたのは――


「……ごめんね、我慢できなかったよ」


 ――黒い角の、下卑た笑いを浮かべた男だった。


     *


「僕だって頑張ったんだよ、でもね、でも結局無理だった。二時間が過ぎたところまでは時計で確認したんだ、だけどね! ……あと一時間なんて考えると抑えが利かなかったんだ。許しておくれよ」


 男は近づいてきて、目じりの辺りを指でなぞった。


「……涙の跡だ。かわいいなあ」


 拙者は唾を吐きだした。

 今度こそそれは前にとんだ。鼻血の混ざった赤い粘液が奴の顔面に炸裂する。

 にやりと、必死に笑って見せた。

 頬にたらっと赤い唾液を垂らしながら、男は眼を見開いた。


「……たまらない。たまらない、たまらない、たまらないたまらないたまらないぃぃぃぃい! いいよ、すごくいいッ! そうでなくちゃいけない、そうでなくちゃ壊しがいがない! すばらしいぃッ!」

「……救いようのない、糞野郎でござるな」


 男はこちらの言葉をまるで気にする様子がない。嬉しそうな顔で、腕を伸ばし帯をつかんだ。そしてしゅるりと着物の前面をはだけさせる。

 バサッと帯は投げ捨てられた。

 こちらは一切、抵抗できない。


「肌、白くてきれいだね」


 抵抗できないまま、下着も抜き取られた。

 なさけない。

 ……なさけ、ない。


「ああ、まだだよ。泣くのはもう少ししてからだ。ほら、ね?」


 そう言って男はまた、ぐっと顔を近づけてきた。

 まただ。

 男が目を細める。必死に顔を逸らそうとするが、頬を挟み込まれ顔を固定され、最後の抵抗すら止められた。


「……くそ」


 もう抵抗ですらない、ただの悪態。

 男の顔がどんどん近づいてくる。明かりを遮り顔には影が落ちる。顔の表面で奴の息遣いを感じる。

 ……やめろ、やめてくれ。

 頼むから。


……その時だった。

 部屋の中をひゅるりと、風が通り抜けた。

 一瞬、眼前に迫る男の顔を忘れ、懐かしいと思った。そう、これは夜の風。

 それに煽られ体の周囲にまとわりついていた甘い香りは流れていく。


 角の男が何かに気づき、すばやく後ろへ飛び退いた。そこを小さな刃が二つ通り過ぎる。


 手裏剣だった。


 かかっ、と外れた手裏剣はそのまま壁に突き刺さる。


「触覚の生えた気色の悪い顔を近づけてんじゃねえよ、ゴキブリ野郎」


 窓の方から、聞き覚えのある声。

 ぶつん、と腕をつるしていた縄が切れる。

 踏ん張りがきかず、そのまま自然落下していく身体を、黒い影が優しく抱きとめた。

 熱さのせいで汗まみれになっていた体を夜の風が冷やし、それをまた、人の温かさが包み込んでくれる。


「ずいぶん色っぽい格好じゃねえか、ニンゾー」

「……そういう主殿は、まるで忍者でござるな」


 いつもの掛け合い。

 でも声が震えた。

 涙が出そうになる。

 主殿は拙者を担ぎ、そのまま部屋の端へ移動して静かに下ろした。


「尻が痛いかもしれんが、ちょっとだけ待っててくれよ」


 全身、夜のように真っ黒な忍者装束。

 主殿は拙者よりもずっと鮮やかに、忍者刀『柳』を構えた。

 その背中は、まるで憧れる“本物”の……


「……今からあいつ、“殺す”から」



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