愚か者の言い分
恐れる事が間違いだと言うのなら、私は間違いさえも誇ろう。
間違う事が恥だと言うのなら、私は恥さえも愛そう。
恥入る事が愚かだと言うのなら、私は愚か者でいよう。
流れ行く時の中で、
人は何度も選択し、何度も扉を開けた。
その内何度、「正解」を選んできたのだろう。
その分何度、「不正解」を選んできたのだろう。
答えを決めたのは、私だ。
それが「正解」かどうかを決めるのは、誰だ?
他の誰でもない、私だ。
開けた扉の先。
そこに野獣がいたとしても。
人々に指差し笑われても。
泥に足を取られても。
それを「不正解」だとは思わない。
その先で野獣は味方になるかもしれない。
人々は涙を隠しているだけかもしれない。
花畑とオアシスの前触れかもしれない。
他人が決める「正解」「不正解」は関係ない。
私が選ぶ扉が、私にとっての「正解」なのだ。
迷い、悩み、手を伸ばしかけては引っ込め。
そうして選んだものに、失敗はない。
それを失敗とするかは自分次第。
未来を恐れ、最善と信じる道を私は選ぶ。
最善の今を選ぶなら、
「恐れる未来」は「望む未来」に変わるだろう。
恐れる事が間違いだと言うのなら、私は間違いさえも誇ろう。
間違う事が恥だと言うのなら、私は恥さえも愛そう。
恥入る事が愚かだと言うのなら、私は愚か者でいよう。