四天王最弱の男
――始まりは魔王の一言だった。
「……君、勇者対策係に決定したから」
「は?」
呆けた顔で聞いていたのは魔軍四天王が一角、ザコール。
魔王が率いる魔軍の中で最強の魔族である四人が選ばれる四天王、その中で最も弱いのが彼だ。
顔立ちは端正であるが魔族らしく青白い肌の色をしている。ただしその威圧感は半端ではない。
普通の人間が彼の前に立てば確実に卒倒するだろうと思われる程度の魔力を彼は持っていた。
それにその戦闘能力は四天王最弱とは言え、魔軍では魔王を除いて四指に入る腕前である。
侮るのは危険な男だった。
しかし、そんな彼も突発的な事態には弱い。
ある日突然、魔王に呼ばれ魔王城に出向き謁見をした結果、突然辞令を言い渡されたのだ。
――勇者対策係。
なんだそれは、と思ったのもつかの間、魔王から説明が入る。
「いや、最近なんか人間に前線のほうで頑張られちゃってるよね」
「ええ、そうですね」
「その旗印になってるやつが勇者とかいう奴らしいね」
「はぁ」
「君、部下使ってなんとかしてよ」
「私がですか?」
「いやそれがほかの三人にも頼んだんだけどさぁ」
そういって、魔王は周囲を見渡す。
そこには長い赤髪を垂らして長大な剣を持つ華奢で薄着の美女と、どう見ても十歳ほどにしか見えない大量にフリルのついた服を着ている上部に禍々しいしゃれこうべの配置されたワンドを持った少女、それに禍々しい漆黒の鎧を身に纏い死神の持つような鎌を肩にひっかけた鎧騎士が一人立っている。
見るからに怪しげで一癖も二癖もありそうな彼らは皆、四天王の一角にその身を並べる者である。
美女は人間から薔薇血姫ローザリンデと呼ばれ恐れられる剣を極めきった女であり、その戦闘能力は四天王随一とも言われている。ただその内実は何か物を斬っていないと心の平穏が保てない社会不適合者である。だから彼女に進んで近づく者は魔軍には一人もいない。けど強い。
骸骨のワンドを持つ少女の名はメルティと言った。見るからに可愛らしい乙女だが、その内実は少女の皮を被った背神の墓荒しと呼ばれる魔軍最強の実力を持つ死霊術師である。死した敵を片っ端から自らの支配下に置いていき、また墓所を荒してはかつて生きた英雄たちを従えていくその様は冒神の輩というにふさわしい所業であった。ただその本質は生きてる人間とまともに会話する能力を有しない低コミュ力の持ち主でしかない。彼女に話しかけると彼女の持ってる人形が彼女の代わりに話すので、こちらから話しかけにくいことこの上なく、しかも返ってくる返答は話がかみ合ってないことが少なくない。けど強い。
鎧騎士はそもそもその中の人が一体どういう存在なのかすら明らかではない。魔軍に属し、魔王に従っているのは確かなので気にする必要もないのかもしれないが、いざ全く分からないとなると気になるものである。名前すら明らかでなく、そのため持っている武器である鎌から死神騎士と名付けられ人間に恐れられている。しかしザコールだけは知っていた。彼はかつて何かの間違いで呪いの鎧を身に纏ってしまったことから生まれた土地にいられなくなったただの人間にすぎないということを。本当は今すぐ鎧を脱いで人間の国で引きこもれるだけ引きこもっていたいという筋金入りの引きこもりなのである。でも強い。
そんなわけで、彼らはその強さは別として、本当はただの社会不適合者にすぎない。
ただ、強さという観点からみると、ザコールとは比べ物にならない力を持つ者たちなのである。
もちろん、そんな彼らであるから、その様子はとてもやる気がありそうには見えない。
薔薇血姫ローザリンデは爪の手入れに一生懸命だし、死霊術師メルティは人形と会話している。
死神騎士は何かよくわからない言葉をぶつぶつと延々と一人で呟いていた。
魔王は小声で言う。
「(……こいつらじゃ、いろんな意味で無理じゃない?)」
ザコールは苦笑いを浮かべながら頷いた。
魔軍は実力主義だ。
強ければ上に上がれる。それ以外は全く問われないため、四天王のうち三人は人格破綻者なのである。
彼らは戦闘能力こそ高いが、軍団の指揮能力もデスクワーク能力も皆無である。できるのは、戦うことだけ。そしてそのことに無駄にプライドを持っている。強いだけで使えない。それが彼らなのだった。
つまり四天王でまともな常識を持ち合わせているのは、ザコールのみ。
そのことを魔王もよくわかっていた。
魔軍を実質的に率いているのは、ザコールなのだ。
だからこそ、ザコールは聞いた。
「いいんですか?」
「だって、ねぇ……」
魔王も気が進まなそうである。
しかしそもそもほかの四天王は魔王の指示をまともに聞いて遂行できるかどうかすら不安である。
実力主義である以上、その指示に従う事は間違いないのだが、それぞれがそれぞれの理由で失敗、脱線、ないしは忘却する可能性がある。
だから魔王としてはザコールに任せるしかない。
こういうときに頼れるのはザコールしかいないことを魔王はよく分かっていた。
そんな魔王の心情を深く理解したザコールは魔軍のことを心配しながらも、頷く。
「わかりました。とはいっても私がいないと軍は回りませんから……直接行くのは難しいですが」
「それは分かってるよ。適切な部下を差し向けてくれればそれでいいからさ」
そんなわけで、ザコールは少数の精鋭を差し向けて、勇者討伐に乗り出すことにした。
◆◇◆◇◆
そこからは、なんというかあっという間だった。
まず小手調べにと精鋭のうち比較的手練れの魔物を差し向けてみた。
最初のほうは中々いい戦いをしたというか、勇者相手に結構押していたらしい。
少し離れたところで観察していた魔物からの報告だった。
しかし、戦い始めてしばらくたち、勇者が完全に追い詰められてどうしようもなくなると、勇者は突然、強力な光とともにその身に宿った伝説的な力に目覚めた。
後に人間の教会より神力と名付けられ、勇者の力の代名詞となるその力は、まだ目覚めたばかりとはいえ魔物相手に強大な破壊力を発揮した。
おそらくは勝てるだろうと思っていたザコールの予想は外れ、精鋭の魔物は勇者の力の前に敗れ去ることになる。
のちにこのことを知ったザコールはもはやなりふり構ってられぬと本気で勇者を叩き潰すために幾人もの部下を刺客として送り込むも、勇者はそのたびに退け、強くなっていく。
――そうして、その日が来てしまった。
「私が行くしかないか……」
ザコールが直接、勇者に戦いを挑む日が。
もちろん、彼を慕う部下たちが彼を止めた。
なぜと言って、勇者の強さはもはやとどまるところを知らず、魔界にも届くほどのものになっていたからだ。
たとえ四天王とは言え、確実に勝てるとは言えなかった。
けれどザコールはいう。
「私は負けられない。お前たち部下がいるからな。必ず帰ってくる。信じて、待て」
その言葉を聞いた魔軍の部下たちは思った。
この人に一生ついて行こうと。
それくらい、ザコールは慕われてたのだ。
そうして、ザコールは勇者に戦いを挑んだ。
勇者は強かった。しかし、ザコールも負けてはいない。
幾度も剣戟を繰り返し、魔法を放った。
周囲はクレーターをいくつも作り、その戦いは後世に伝えられるほど激しいものになった。
しかしどんな戦いもいずれは終わる。
最後に放ったザコールの一撃は、勇者の腹を貫く。
「勇者様!?」
勇者についてきていた聖女が絶望したように呟いた。
ザコールの勝利だった。
とどめを刺そうと勇者のもとへ近づく。
しかしそのとき、聖女が何か呪文を唱えた、
すると、勇者と聖女の姿が徐々に薄くなっていく。
まずい、と思って魔法を放つが、彼らには当たらずに透過してしまった。
聖女が言う。
「今回は負けましたが……次は必ず、勇者様があなたを倒します。首を洗って待っていることです」
完全に捨て台詞だった。
のちに調べたところによれば、聖女が使ったのは転移魔法というやつだった。
神に仕える神職の中でも選ばれし者しか使えないそれは、聖女には使用可能だったのだろう。
ザコールはさっさととどめをささなかったことを悔やむが、もうこれは仕方がないとあきらめてその日は帰った。
それからだった。
勇者とザコールの因縁が始まったのは。
勇者は強かった。ザコールに負けてからは、さらに強くなっていた。
ザコールの部下ではもはや太刀打ちできぬほどに。
だから必然的にザコールが自ら倒しに出向かなければならなくなった。
魔軍の統括の仕事が疎かになるが、勇者を倒さなければ魔族に未来はない。
そのことをよくわかってくれる部下たちが、ザコールのいない魔軍を支えてくれていた。
幾度となく、勇者とザコールは剣を交えた。
不思議なもので、何度も戦っていると憎い敵同士だというのに理屈では説明できない連帯のようなものを感じ始めていた。
戦うのが、楽しいというのか……同じ気持ちを勇者が感じていることを、戦っているときの表情から理解した。
二人は幾度となく戦ううちに、お互いの立場を理解し始めていた。
勇者は、魔軍と呼ばれるその集団が、人間から生まれた異形を持つ者たちの集まりにすぎないということを。
ザコールは、勇者がその仕える王に偽りの情報を与えられて動かされている駒にすぎないということを。
しかし、そんなことを知っても、二人には大きな流れというものはどうすることもできなかった。
いくら強くても一人の魔族、一人の人間にすぎない彼らにはできることとできないことがあった。
ただ、理想は同じくしている。そんな気持ちが、二人の戦いを何か高尚なものへと昇華させているのだった。
しかし、ザコールと勇者が行っているのは殺し合いである。
いつかはどちらかの死で決着がつくものだ。
そしてその時はやってきた。
人間勢力が強くなり、魔軍もザコールの指示を失って瓦解し始めたころだった。
ザコールと勇者は最後の戦闘を行った。
二人の力は拮抗し、どちらが勝つかはわからない。
二人の仲間も、二人のあまりの強さに戦いに加わることができず見ていることしかできなかったほどだ。
そしてその戦いも、ザコールの一瞬の隙を見逃さずに剣を突き出した勇者の一撃で決着がつく。
倒れ伏すザコールを泣き出しそうな目で見る勇者。
ザコールは言った。
「止めを、刺せ……お前はよくやった」
「……俺には、できない……」
「何を言う。お前は勇者だろう……私を倒すことは、お前の役目だ……」
「俺はお前に会って、知った。王の伝えることは偽りだと。魔族も、人間も、その心に変わるところはない……平和を求め、戦っている。それは同じなのだ……」
「……では、私の最後の願いを、聞いてくれるか……?」
「なんだ?」
「お前が本当に“勇者”だというのなら、救ってくれ」
「何をだ?」
「すべてを……私たちも、そしてお前たちもだ。それができてこそ……勇者だろう……」
「お前は……」
「私にも、仲間がいる……魔軍の奴らも、異形だが、悪い奴らではない……私以外の四天王も、社会不適合者だが……うまく居場所を見つけられないだけだ……だから……頼む。勇者よ。お前が勇者なら……」
吐き出すようにそう言ったザコールの手を、勇者が掴んだ。
ザコールの息は荒くなり、そして、生命の息吹は、ザコールの体から完全に抜け切った。
勇者は、躯となったザコールに、一言つぶやく。
「誰かを救い、道筋を指し示す者を勇者と呼ぶとするならば、俺にとっての勇者はお前だ。四天王・ザコール。俺は、お前の願いをかなえる」
そうして、勇者はザコールのために墓を作り、丁重に弔うと、魔王城へと向かった。
敵を倒すためではなく、分かりあうために。
◆◇◆◇◆
魔王城にて。
一人の魔軍兵士が伝令に走る。
向かう先は、魔王のいる謁見の間だ。
息も絶え絶えに扉を開くと、そこには魔王と、ザコール以外の四天王が立っていた。
兵士はいう。
「ザコール様が……ザコール様が討ち死になされました!」
その顔には悲壮感が漂っている。おそらく彼もザコールを敬愛する一人だったのだろう。
魔王は力の限りここまで走り抜け、伝令を務めた彼をねぎらい、下がらせる。
そして残りの四天王たちに目をやった。
四天王たちは、ザコールの死を聞き、笑う。
「ザコールが、やられたか……」
「勇者にやられちゃうなんて、よわっちいのー」
「……ザコールは我々魔軍四天王のうち、最弱の四天王に過ぎない。奴がやられたとて、何の被害もないも同然だわ」
そんなことを言っている。
魔王は、ため息をついた。
「(……ザコール一人でどれだけの仕事をやってたと思ってるんだろうね、こいつらは。本当に……ザコール。君は頑張った……僕は君にどう報いたらいいのだろうか……)」
そんなことを考えていた。
数日後、残りの四天王を蹴散らした――倒しただけで殺してはいない――勇者が謁見の間に表れて和平を申し出る。
ザコールの願いだから、と言った彼に、魔王は共感を感じ、話し合いはスムーズに進んだ。
それから数年の月日をかけ、魔族と人間はお互いの正確な理解のためにいったん、停戦することになる。
数十年がたち、魔族と人間の垣根は完全に取り払われることになるのだが、その陰に一人の最弱の四天王の尽力があったことを知る者は少ない。