Larme
ベタな設定です(-_-;)
…冷たい風が、肌を刺す。
黒いコートに、綺麗な結晶の形をした雪は、よく目立つ。
冷えきった指先で触れようとした瞬間、スッと溶けて消えてしまう。
「…ごめん、遅くなって。」
もう、何も言わない『彼女』にかかった雪を払う。
半分以上雪に埋もれていた『彼女』は、僕の指先より冷たかった。
…今日は、クリスマス・イブ。
僕の小指には、あの日、あなたにあげた指輪が光っていた。
僕の生まれた街は、深く白い雪が美しい街だった。
僕は、ド田舎だけど、この街が好きだった。
大切な人達がいる街。
双子の姉、母、仲間に友達、
…そして
「宏暁?」
「…あずさ」
彼女。
高3の生温い風が吹く夜、僕は彼女を呼び出した。
…大好きな彼女に、別れを告げる為に。
何も知らない彼女は、いつもと変わらない無邪気な笑顔で、僕の元に駆け寄って来た。
あと、数分後には、彼女は、きっと泣いている。
…僕のせいで。
本当は、ずっと一緒に居られたらと思う。
でも、僕は知っていた。
彼女が国立大学を狙っていることも、それに見合う学力を持っていることも。
…僕が切り出すと、やっぱり、彼女の頬を涙が伝った。
本当は、別れたくなんかなかった。
…僕らは、進む道が違い過ぎたんだ。
“これが、2人にとって一番幸せなんだ”と、自分に言い聞かせた。
そうじゃなきゃ、やってられなかった。
でも、僕がそれを口にした途端、彼女は僕の頬を叩いた
あの時、彼女が叫んだ言葉が、今も僕の胸に刺さっている。
次の瞬間、僕は彼女をきつく抱きしめていた。
「…約束しよう」
…別れるつもりだったのに。
「…だから、、、」
―風が強くて、なかなかろうそくに火がつかない。
かじかんだ指では、ライターの火をつける事もろくに出来ない。
やっとついた火を、僕は手で覆った。
今にも消えそうな火は、それでも、ほのかに暖かかった。
…堪えていた涙が、溢れ出した。
クラスに進路が決まった人が出てきた頃、僕らの街に、冬がやって来た。
僕は東京の就職先が内定し、あずさは、有名大学の教育学部に特待生として、合格した。
互いに進路が決まった僕らは、12月、初めてクリスマスを2人で過ごした。
…2人で、北海道に旅行に行った。
最初で最後の旅行だった。
スキー場で滑った後、ホテルで遅くまでいろんな事を話した。
酔っているのか、あずさは泣いてばかりだった。
僕らは、どちらからともなく口唇を重ねた。
このまま、時間が止まればいいと思った。
…上京する事を、初めて迷った。
―白い息を手に吹きかけ、僕は、姿のない彼女を見つめる。
また、止むことのない雪が積もってきた。
…僕の思いのように。
雪の中で卒業式を終え、ついに、僕らが上京がする日がやって来た。
見送りには、沢山の友達が来てくれた。
…もうすぐ、電車が出る。
僕は電車に乗り込み、あずさに言った。
「必ず…」
ベルが鳴り、ドアが閉まる。
あずさは、涙を浮かべながらじっと僕を見ていた。
―必ず、迎えに行くから。
粉雪の中、電車はゆっくりと動き出した。
姉から餞別にもらったウォークマンを握り締め、ドアに寄りかかりながら、僕は堪え切れず、涙を流した。
―僕は、コートのポケットから、1枚のCDを取り出した。明日発売の、INNOCENCEのベストアルバムだ。
このアルバムを、一番に彼女に聴いてもらいたかった。
…でも、僕の声は、もう、彼女には届かない。
何万人もの人を前に、ステージでライトを浴びる。
夢にまで見た光景が、目の前に、現実としてある。
デビューしてもうすぐ3年。
INNOCENCEの名もそこそこ知れて来たし、ある程度安定した収入も得られるようになったけど、彼女を迎えに行くには、何か足りない気がしていた。
…INNOCENCEには、ヒット曲がなかった。
ヒット曲がないから、迎えに行けない。
ただの意地かも知れないけど、今の僕では、“あの日の約束”には不十分だと思っていた。
「あずさの事、書けばいいじゃん」
いつものように五線ノートを広げ、ギターを弾いていた僕に、哲明が言った。
「何 言ってんだよ」
半分笑いながら僕が言うと、
「喜ぶよ あずさ」
と、僕の言う事なんて、全く聞いていない。
最初は相手にしてなかった僕も、結局は、あずさに曲を書いていた。
ほとんど寝ないでペンを紙にぶつけた。
…離れていた8年分の思いを込めて。
やっと出来上がったその曲、『For Dear』は、シングルで売り出される事になった。
自分の持っているもの全てを注ぎ込んだ。
発売日から2日が過ぎた日、オリコンの1位の欄には、『For Dear』とあった。
2位との差は、凄かった。
INNOCENCEの名が、日本中に知れ渡った瞬間だった。
連日の耳を疑うようなニュースに、僕らは、まるで夢の中のような感覚で、テレビを眺めていた。
僕らには実感がなかった。
でも、ひとつだけ、確かな事がある。
これで、胸を張ってあずさに逢いに行ける。
気が付くと僕は、緑の窓口に駆け込んでいた。
―アルバムの封を切り、中から歌詞カードを取り出す。収録曲を指でなぞり、7番目…
『For Dear』
2つの意味で、僕の運命を変えた曲。
僕が、どんな思いでこの曲を歌ったのか、…あなたには伝わらなかったのかな?
「…え? 嘘でしょ? …ねぇ、 麻梨さん!」
麻梨さんは、黙ったままで、僕と目を合わそうとしない。
「麻梨さん!」
だめだ。
…そうだ。
夏名!
僕は、見慣れた街を走った。
夏名が、…双子の姉が居るはずの我が家に向かって。
――数時間前。
僕は、8年ぶりに青森に帰って来た。
上京する時に、彼女と交した約束を守る為に。
彼女の家を尋ねたが、留守だったので、仕方なく哲明の姉、麻梨さんの喫茶店に行った。
…そこで僕が聞かされたのは、受け入れ難い運命だった。
信じられない、信じない、信じたくない。
「夏名っ!」
乱暴にドアを開け、僕は叫ぶ。
「夏名、嘘だよね? …ねぇ、夏名! 夏名ぁ!」
夏名は、何も言わず、下を向いていた。
僕は夏名にしがみつき、泣いた。
「何か言ってよ… 夏名!」
夏名の目からも、涙が流れていた。
…これが、現実なんだ。
僕は、病院に向かい走った。
個室のドアを開けると、そこには、まるで別人のような彼女がいた。
…僕とあなたは、あと、どれくらい一緒に居れるのかな?
―吹雪がおさまると、僕は、煙草をくわえ、火をつけた。
あの時、一緒に東京に行こうと言ったけれど、最後まで彼女は首を縦に振らなかった。
今でも、それがなぜなのか、僕にはわからない。
…また涙がにじんできた。
気付くと僕は、『For Dear』を口ずさんでいた。
「また、すぐ来るから」
僕は、果たせもしない約束をし、故郷を後にした。
東京に戻った僕は、毎日仕事に追われた。
テレビに出て、ラジオに出て、雑誌のインタビューに答え、レコーディングをし、ライヴの合間に曲を書いた。
…でも、時間なんて本気で作ろうと思えば、いつでも、いくらでも作れたはずなんだ。
結局、僕は彼女より仕事を選んだ。
彼女の元には戻らなかった。
『戻れなかった』んじゃない。
『戻らなかった』んだ。
そんなある日だった。
音楽番組の収録が終わり、携帯を見ると、夏名から電話が来ていた。
まさかと思い、慌ててかけなおすと、やっぱり内容は、『あずさが危ないからすぐに帰って来い』だった。
僕は、すぐにでも逢いに行きたかったけど、もう1人の僕が囁く。
“INNOCENCEのリーダー、として仕事を投げれない。
テレビやラジオに穴は開けれない。
ライヴツアーも入っている。
何より、ファンが待っている。”
僕は、夏名に怒鳴られても、帰るとは言わなかった。
心配じゃない訳じゃない。
心配じゃない筈がない。
でも、僕は、帰らなかった。
仕事中も、あずさの事が気になって仕方なかった。
でも、僕は、帰らなかった。
病に苦しむ彼女の元へ帰らなかった。
…あの時夏名は、電話の向こうで泣いていた。
―雪の中、こちらに向かう人影をみた。
僕は走り、木の陰に隠れる。
ガサガサと、なにかの音がする。
一体、誰だろ?
確かめようにも、顔は出せない。
…僕のファンは日本中にいるけれど、この街には、もういない。
「…宏暁?」
彼女が呟く。
それは、聞き憶えのある声。陰から覗いて見ると、彼女もまたINNOCENCEのベストを持っていた。
「…夏名?」
事務所のソファーで仮眠を取る僕を起こしたのは、マネージャーの怒鳴り声だった。
ドアを開くとそこには、うつ向く哲明、真っ赤な顔をしたマネージャー、哲明をかばう純一に、ソファーに座る尚人が居た。
「…いったい、何が」
僕が目をまるくしていると、純一が答えた。
「…哲明の、声が出なくなったんだ」
「は?」
僕は、しばらく話がのめかった。
哲明が喉を痛めた原因は、カラオケで飲みながら歌い続けたせいらしい。
でも、なぜ?
いくら哲明でも、そこまでバカではないはずだ。
そんな事をしたらどうなるかなんて、簡単に予想がつく。
…まさか、
「全く、カラオケになんか行かなくても、毎日いやと言う程歌っているだろ」
マネージャーの嫌味に、哲明は、下を向いて黙っていた。
「…一週間休みだ」
不満そうにマネージャーが言う。
尚人は立ち上がり、僕の肩を叩いた。
「行くぞ」
尚人は、バイクを出し、僕は後ろに乗った。
東京駅に向かう高速道路で、尚人は僕に言った。
「…バカだよなぁ 哲明も 他にいくらでも方法はあるのに」
「…あぁ」
僕の目には、うっすら涙がにじんでいた。
駅に着くと、勇平が切符を持って待っていた。
「行って来い」
…尚人と勇平が僕を見送る。
僕は、涙を必死に堪えていた。
いつだってそう。
僕は、INNOCENCEに、…みんなに守られていた。
新幹線の窓に額をくっつけ、僕は静かに泣いていた。
― 「…やっぱりこれ、宏暁だったんだ」
夏名は僕が持って来たアルバムを指してそう言った。
僕は、黙って首を縦に振る。
「…大変だったんだからね あの後」
夏名は、笑顔を作りながら、涙を浮かべていた。
「…INNOCENCE 誰も来ないんだもん」
「…ごめん」「私に謝ったって、仕方ないじゃないっ! …もう、」
夏名の目からは涙が溢れ、肩は震えていた。
「もう、どうにもならないんだから…」
僕が青森に着いたのは、その日の夕方だった。
それでもよかった。
日付さえ変わらなければ。
11月14日
きっと、哲明は、この日を狙っていたんだ。…今日は、あずさの誕生日だから。
東京を出る時に、とても急いでいたけれど、それでも、財布の他にもう一つ、大事に握りしめて来た物がある。
病院に着いた僕は、それをあずさの掌に乗せ、きつく手を握った。
「…結婚しよう」
僕は手を離し、あずさは、ゆっくりと握った手を広げる。
あずさは、それを見つめ、涙を流した。
僕は、あずさの手を取り、それを薬指にはめる。
今にも滑り落ちそうなそれを、あずさは大事そうに握りしめた。
指輪のついた左手で僕の手を握りながら、あずさは、ゆっくりと目を閉じ、そのまま目を覚ます事はなかった。
面会時間も夕食の時間も過ぎて静まる病院に、ナースコールが虚しく響き渡るのを感じた。
僕らの約束は、果たされぬまま…
僕は、溢れる涙を止める事が出来なかった。
ちょうど、『あの日』のあなたのように。
窓の外には、この冬最初の粉雪が舞い始めた。
あずさは、雪が好きだった。
深く白い雪が。
この街の、美しい雪が…
僕は、何かに取り憑かれたように、麻梨さんの喫茶店に向かって走っていた。
―あずさと夏名に背を向けた僕は、誰にも気付かれないように、街の外れに向かった。
…街が一望出来る、あの場所へ。
僕はあずさの葬式にも出ず、東京へ戻った。
あずさが死んだ日、麻梨さんの喫茶店で書き上げた楽譜をメンバーに渡し、新幹線で考えてた歌詞を哲明に渡して言った。
「哲明の喉が治り次第、レコーディングだ」僕はそう言うと、尚人と曲のアレンジをはじめた。
みんな、ただひたすら、それぞれの楽器を鳴らした。
誰も、何も言わなかった。
誰も、何も聞かなかった。
夏名も麻梨さんもわかってくれなかった僕の気持ちを、みんなは分かってくれていた。
その曲、『Larme』は、クリスマスに出すベストアルバムのボーナストラックとして、初回プレスのみに付けた。
…これが最後だった。
INNOCENCEのHIROAKIは、もうすぐ居なくなる。
もう、曲は書けない。
もう、ギターは弾けない。
もう、どうにもならない。
―雪が止んだ丘の上で、僕は街を見渡した。
僕が生まれ、育った街。
僕と彼女が出逢った街。
INNOCENCEが生まれた街。
…そして、彼女が眠る街。
さまざまな思い出が溢れるこの街は、今の僕には辛すぎる。
2人で過ごした日々も、今となっては、思い出でしかない。…失くして初めてその大切さに気付いた僕を、あずさは許してくれているのだろうか?
あずさは、どんな思いで過ごしていたのだろうか?
…僕の耳の中で、“あの日の約束”がこだまする。
『絶対、有名になる 有名になって、帰ってくる 日本中に僕達の事を知らない人がいないくらい有名になって、迎えに行く …だから、その時は一緒に暮らそう』
…約束したのに。
どこまでも続く空の下、僕は何も見えなくなっていた。
読んでいただき、ありがとうございますm(u_u)m
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