絵空事な私の世界。
古臭い懐中時計はカチコチと鳴っている。
何故かは知らないが、私の頭の中にその音はリピートしたカセットテープのように繰り返される。
けれども、十年来の友人であるその懐中時計は時折、カチンと止まる。
ふと気付けば何事も無く動いていて、一秒のズレも無い懐中時計の針に私は気の所為だと思考を放る。
この違和感にもっと早く気付いていれば良かったのに。
ーーカチン。
鳥は止まり、雲は塞き止められ、人が固まる。
世界が止まった。
そんな景色に気付いてみれば、またカチコチと懐中時計は動いて喧騒が蘇る。
目を疑う前に、私は気付いた。
世界はこんなにも美しいものだったのか、と。
カチンと止まる時間が私は好きになった。
モノクロな世界を、私は少しだけ好きになった。
カチコチと鳴る時間がまるで世界が変わったように、好きになれた気がした。
誰にも侵されない唯一にして自分だけの世界。
自分を中心に地球が回らなくとも、自分を中心に止まる世界が好きだった。
愉悦でも満足でも優越でも無い。
解放された世界。
私だけのモノクロな世界。
ある日私は夜遅くにコンビニに出かけて、通り魔に刺された。
ーーカチン。
一瞬の空白の後、私の背中にナイフが刺さった。
ーーカチン。
即座に振り向いた私は通り魔の姿を見れずに横腹を刺された。
ーーカチン。
即座に逃げ出した私に通り魔があっさりと追いつきナイフを背中に刺した。
ーーカチン。
私は通り魔に振り向き、再び腹部を刺された。
ーーカチン。
うふふと笑いながら私は振り向いて、後ろの通り魔に笑みを浮かべた。
切れかけの電灯が照らした蒼白な顔。
私に驚愕した通り魔は、逃げ出した。
五秒。
私は五秒戻り、通り魔から生き延びた。
私は時を戻せるらしい。
けれど、興味が無かった。
私が欲しいのは止まった世界であって、戻る事では無いのだ。
そんな私を欲深いと責めるように、その日の夜は腹部や背中の幻痛で眠れなかった。
今朝方のニュースで通り魔が自首したらしい。
何度も女子高生を刺した。
けれども、刺して無かった。
そんな意味不明な証言をしたらしい。
どうでも良かった。
私は時が戻るのと、時が止まる違いを考えた。
一本の線を引き、考えた。
一秒戻る時間。
一秒も進まない時間。
零秒と一秒にもっとも近い時間に戻り続ける。
そんなところまで考えて、漸く気が付いた。
自分から時を戻すにはどうすれば良いのか分からない事に。
懐中時計の音に耳を澄ます時間が増え、私は止まる世界を求めて鉛筆とスケッチブックを携えた。
絵という世界はスケッチブックという時の中に止まっている。
カチコチという懐中時計の音に胸を高鳴らせ、森や海や空を書いた。
そうして漸く気付いた。
私は絵が好きだったのだと。
それから後に、私の友人は一度足りとも止まってくれやしなかった。
古臭い懐中時計はカチコチと鳴り続けている。