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「何故……助けてくれたんですか?」
「うん?」
「あの時……はじめて悟さんに会った日」
「ああー」
お茶を飲み干してから、かたんと、悟は湯飲みを茶托の上に乗せる。
「だって、助けて、って叫んだでしょ。誰だって気づきますよ」
「叫べなかったです」
「はい?」
「大声で助けを呼びたかったけど、私――、声、出せなかった。喉が強張って声が出なかった――」
道代も湯飲みをお盆に戻した。
「災難に遭ったら、誰彼かまわず助けを呼べるものだと思ったけど、できないものなんですって。うそでしょと思ったけど、本当なのね。その時に臨まないとわからない。でもね、一度は声を出せたのよ、人も来てくれたんだけど、あの人に追い払われてスゴスゴ引き下がっちゃって。その後、口を手で覆われたから、どうすることもできなかったの」
「ああ」
そうだ、思い出した。
男に組み敷かれていた道代の口元は確かに男の手が被さり、彼女はもがいていたのだ。
「でも、僕は確かに声を聞いたんです。二度、はっきりと。道代さんの声でしたよ」
道代はぽろぽろ涙をこぼす。
「あ、ど、どうしたんです?」
さっきあやした時と違って、悟は動揺した。
「私の心からの願いを、聞き取ってくれる人がこの世にいるなんて思ってもみなかった」
悟はしみじみ感動していた。
自分は、他の人との付き合いを、内心でうるさく煩わしく思っていた。
けれど、道代だけは違っていた。
助けたいと、守ってやりたいと、身内ですら滅多に持ったことのない優しい感情を、彼女になら持てる。
道代にだけだ。
出会いのきっかけは、不幸な、最低な出来事だったけれど。
「僕は、あなたの声ならどこにいてもわかります。道代さんが望むなら、何でも叶えてあげたい」
「悟さん」
「好きですよ。初めて会った時から」
道代は眉の間にたくさんしわをこしらえて、顔をゆがめる。
「あ、ごめんなさい、あなたにとってはとても辛い出来事だったのに。でも、僕、人を守りたいと思ったのは生まれて初めてかもしれないんです。その気持ちに嘘はありません」
「守って、くれてました」
道代は涙を含んだ瞳で悟を見上げた。読書灯だけが灯る薄暗がりの中でも、彼女のまなざしはわかった。
「お願いがあるんです」
「何でしょう」
「後ろ、向いてくれますか」
「あ、はいはい」
ごそごそと悟は回れ右をしてちょこなんと畳の上に正座する。
「これでいいですか?」
「はい」
つ、と背中に当たるのは、道代の指先だった。
冷え切った手の平が背に触れ、ぴたりと、そっとあてがわれる。
「あの時……本当はこうしたかった。すがりつきたかったんです」
ほうとため息をついて、道代は頬を寄せてきた。
「あったかいです」
「そうですか」
「広い背中のこの人なら、私を絶対助けてくれるんだって思った。でも……いけない、迷惑かと思って、動けなかったんです」
「――良かったんですよ? そうしても」
悟はぽつりと言った。
「あ、でも、これからはいつでも、寄り掛かってもいいんですからね、僕の背中は道代さんのものなんですから」
首を縦に振る気配が伝わってくる。
今では全身を預けてもたれかかる彼女の温もりが慕わしかった。