表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/10

***** *

祝言の日、道代は生家から花嫁衣装を着て式場へやってきた。


この日を限りに、それまで使ってきた名字と別れ、彼は水流添悟となる。


当面ふたりは、水流添家から歩いて通えるところではあるけれど離れに近い場所で所帯を持つことになっていた。


別に最初からいっしょに暮らしてもいいんですよ、と悟の方から言うくらいで、彼に婿に入ることへの抵抗はほとんど、まったくと言っていいほどなかった。


職場では入り婿だのなんだのと表や裏で揶揄する人もいたけれど、自分は新しい人間に生まれ変わるわけでもないし、昨日も今日も多分明日も変わらず悟のままだ。


周りがとやかく言うのは勝手に言わせておけばいい。


けれど水流添家の人たちがずいぶんと気を使ってくれたので、今回ばかりはお言葉に甘えることにした。


神社で迎えた道代は、事前に打掛を身に当てているところを見せてもらっていたけれど、とてもきれいだった。


学生の頃、苦手だった古文で習った、あまり好きではなかった源氏物語で、たしか輝く日の君という何気ない一言だけが心に残っていたけれど、その言葉がぴったりだと思った。


もちろん、見てくれだけで彼女を選んだわけではないけれど、身のうちから輝き出る光が、道代自身が持つ麗質、美質からなのだとしたら、自分が少しでも彼女に彩りを添えられているのだとしたらうれしいと思った。


挙式の後、当時は贅沢だった列車で数時間の観光地へ新婚旅行へ発った。一生に一度のことだからと周りを説得して。


「今日は疲れたでしょう」


流れる風景を写す車窓を見晴るかして、悟は道代に冷凍みかんを渡しながら声を掛けた。


いいえと言うように受け取りながら首を横に振る彼女は伏し目がちではあったけれど、時折交わす視線まっすぐに悟に向けられていて、瞳の奥に見える初々しさが愛しいと思った。


到着が遅くなるのがわかっていたし、今日はろくに食べてないだろうから、と誘った食堂車へ向かう途中のデッキで、すれ違った乗客の顔を見て、道代は立ちすくんだ。


どうしました、と聞くまでもなかった。


「道代……?」と声をかけた相手の顔に、悟も覚えがあったから。


いや、顔というより……尻というべきか?


悟と道代が出会うきっかけとなった事件のもうひとりの当事者、彼女をおそっていた当人だった。


世間は広いようで狭い、何だってこんな日に? 


おやまあ。背広を着ているところを見ると、全然板についてないけど会社員なんですかね、無事就職できたんですか、参ったね。世の中は人手不足なんだなあ。


悟は妙なところで感心した。


相手の男は、当惑というより、何やら笑みを浮かべて道代へ向かって手を伸ばす。


「久し振りだな、変わりない?」


明らかにおびえている彼女は二の句が継げない。


悟は咄嗟にふたりの間に入って道代を隠した。


相手の男の顔に訝しげな色が浮かぶ。


「何だ、お前は!」


前も同じことを同じ顔から聞いた気がする。それしか言えないんだろうか。


言えないんでしょうねえ。


「何だと言われても」


悟はいつものようにのほほんと返した。


「僕の家内にご用でも?」


「家内ぃ?」


相手の男は鼻白んだ。


「結婚したってのかよ」


言って、はははと大笑いした。


ここは笑うところじゃないでしょう、悟は少々ムッとする。


「旦那さんとやら」


「はい」


「あんた、知ってるか? この女は男だったら誰でもくわえ込む大したタマなんだぜ」


「ちが……う」道代は反論する。


「違わないだろう、いつも誘ってきたのはそっちじゃないか。俺だけじゃない、他にも何人かいるって話だ。あんただって……知ってるんだろ?」


……なんだ、僕が誰なのか解ってるんだ。短い時間だったけど、夕方の公園で、間に入って止めた相手なんだって。


本格的なバカじゃないみたいだけど、こいつ、やっぱりバカだ。


「僕が知ってることっていえば、うん、そうだなあ、君の顔よりお尻の方を覚えてるくらいかな、きたないお尻だったねえ」


「尻……」


ゆでだこみたいに真っ赤になった相手は激高寸前だ。


「口の利き方に気をつけた方がいいですよ」


悟は言い方は穏やかだけれど、剣呑な色を乗せて語る。


「僕のカミサンを愚弄するような言動は今後謹んで頂きましょうか。ただじゃおきません。君……○○商事の人でしょう」


背広の社員証へ目を走らせると相手は慌ててかくそうとしたが、もう遅い。


赤い顔がさっと青くなる。


たまたま知り合いがいた会社なもんだから、何人か名前を出し、「彼、元気?」と言ったらもっと慌ててた。


あはは。大当たりだったみたいだね、あのね、男はね、いいところに勤めるとそれなりに人脈は増えるしその裾野は広いもんなんだよ、世間知らずだなあ。


それに、胸を飾る社員章は、単なるお飾りじゃなくて会社を代表する印だ。その重みを知らない、大バカ者には相応しくない。


ここはもっと慌てさせましょうかね。


更なる効果を狙って、かけていた眼鏡を滑らせ、素顔を見せて。


眼鏡越しでも恐いと言われる表情は、眼鏡を外すと怖さ倍増するのだそうだ。


目付き顔つきが悪くて良かったよ。


こんな時に、変な特技に助けられてとほほと思いながら。こうも思った。


だって……ほら、相手の顔色が黄色に変わったもんね。怖がってるみたいだし。


別に取り殺そうというわけじゃないんだけど、せいぜい誤解したままでいてもらった方が楽だよねえ。


「出るところへ出て困るのはそちら様じゃありませんかね、僕を怒らせない方がいいですよ。表世界でも裏でも、君に勝ち目はありません、絶対」


かなり無理目な発言ではあるけれど、その気になったら何とでもなる。同じことを繰り返すと後悔するぞというメッセージを目線に込め、悟は根拠がなくはない脅し文句を吐いて、道代を促しその場を後にした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ