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見合いの席が退けたその日のうちに、仲人に承諾の意を伝えはしたけれど、相手からの回答を待つ間は何とも落ち着かなかった。
悶々とする日々。
室内をうろうろと、熊が歩き回るように行ったり来たりをする自分に、悟は苦笑する。
夢の中にまで道代が登場したりして、恋煩いを知らない彼にとって、これまた初めての感情の揺れを経験した。
水流添家から正式に話を受ける旨連絡を受けた時は、思わず「ばんざい」と言っていた。
年初にはひとりきりで死んでいくんだあ、なんて言ってたのに。
人生、何があるかわからないものだな、と思っていた時だった、仲人が折り入って話があると言ってきたのは。
「ご足労頂いて」
今後のこともあるしと、あいさつも兼ねて家まで出かけた悟を出迎えて、仲人はぱんと膝を叩いて切り出した。
「君に話してなかったことがあるんですよ」
「ほう、なんでしょう」
別に茶化すつもりはなかったけれど、悟の合いの手は人に安心感というか、気を抜かせる効果がある。相当張りつめていたらしい仲人は少し肩の力を抜いたようだった。
「先方は君に婿として入ってくれることを望んでいます、あちらは女ばかりの長子なので、跡取りとしてですね……」
「あ、いいですよ」
あっけらかんと悟は言った。
「僕は末子に近いですし。分家とか嫁取りとか言い出すと、実家ががたがた言いそうです。何と言いますか…家のことっていろいろと面倒ですよね。分家とか本家とかそういう煩わしいのに巻き込まれるのは嫌ですから」
彼女の悲壮感漂うほど固い雰囲気は、家を継ぐ重さを担っていたからなのだろうか。
かわいそうに。
「僕はどっちでもいいんです。養子に入れというなら喜んで。僕の実家の方はご心配なく。それに、釣書拝見した時点で、何となく想像つきましたから、大丈夫ですよ」
「あ、そうですか」
頭を捻りながら仲人はひとつ話しがすんだことに納得しようとしているようだった。
「お呼び頂いた理由はそれだけ?」
「いや、もうひとつ、お話ししてなかったことが」
今度は大変言いにくそうに難しい顔をして仲人は手を握ったり開いたりした。
これは。
あのことかな。
道代と図らずも出会うきっかけとなった『事故』のことを言おうとしてるのだろう。
知ってますよ、というのは簡単だけど、なぜ知ることになったのか。
今のところ悟が道代の一件を知っているのは道代以外知らない。
いちいち説明するのも面倒だし、ややこしくなりそうなので、悟は黙って先方の出方を待っていた。
時間にしてほんの数分の間だったけれど、先方には何とも長すぎる間だっただろう。
とても言いにくそうに、ぼつぼつと語り出した。
曰く、彼女は『傷物』である可能性があると。重く、不名誉なことが彼女の身の上に起きてしまって、男性全般への不信感がとても強いのだという。
「君は、解った上で受け止める覚悟がありますか」
と仲人は聞いた。
「もちろん」
寸暇も与えず悟は答えた。
あ、と仲人は気抜けしたように呆けた。
「傷付いたのは彼女のせいではないのでしょ。だったら不信感を拭うのは僕の役目です」
「けど、世間様はしばらくはそう見ないかもしれない」
家を継ぐというのだから、多分、地所はそのままで一所で暮らし続けることになるはずだ。ご近所の顔ぶれは変わらず、噂話は人の記憶に根を下ろして簡単に消えてはくれないだろう。
そのことを言っているのだとしたら。
「何とかなるでしょう」
何の裏付けもなく、悟はうん、と頷いた。
「人の目がうるさいようだったら、一時違うところで所帯を持ってもいいでしょうし。それは追々決めればいいことです、僕は」
それまでにこやかに話していた彼は顔を引き締める。
「もう決めましたから。道代さんと結婚します」
仲人が少し気圧された風で黙り込む。
あ、また恐い顔になっちゃったかな。
でも……自分でどんな顔してるかわからないから仕方ないよね、勝手に怖がらせておけばいいや。
「そんなわけで。よろしくお願いします」
相手にかまわず、悟は深々と畳に三つ指ついて、「遅くなりましたけど」と脇から出しそびれていた菓子折りをずずっと差し出しながらお辞儀した。