世界の真実を知った先に―宿屋の少年と繰り返される日常―
この世界には、決められた流れがある。
誰も、それを疑わない。
一人の少年を除いて。
そして。
その少年に関わった者たちも、やがて気づく。
この世界は、どこかおかしいと。
―宿屋の少年と繰り返される日常―
俺はニック。
宿屋の手伝いをしている。
「いらっしゃいませ。ご宿泊ですか?」
気づけば、口が勝手に動いていた。
何度も繰り返してきた言葉。
同じ声、同じ言葉で。
——退屈な毎日だ。
そんなある日。
扉が開いた瞬間、
いつもと違う感覚がした。
入ってきたのは、ただの客のはずだった。
でも——
どこかで見たことがある。
いや、違う。
“忘れてはいけない何か”を、
思い出しそうになる感覚だった。
そのせいで、仕事に集中できなかった。
皿を落としそうになり、
主人に睨まれる。
それでも、頭から離れない。
——あいつは、誰だ?
仕事が終わると、俺はすぐに外へ出た。
まだ、あの男はいた。
「なあ」
声をかける。
男はゆっくり振り返った。
「どこかで、会ったことあるか?」
自分でも、おかしな質問だと思った。
男は少しだけ考えて、首を振る。
「いや、初めてだ」
——当たり前だ。
今日、初めて会ったばかりなんだから。
でも。
それでも、何かが引っかかっていた。
男はしばらく俺を見たあと、興味を失ったように背を向けた。
「……じゃあな」
そう言って、歩き出す。
——その瞬間だった。
視界がぶれた。
頭の奥で、何かが“引っ張られる”。
「いらっしゃいませ。ご宿泊ですか?」
気づけば、俺はそう言っていた。
さっきと同じ言葉。
同じ声。
同じ——状況。
「……は?」
目の前には、さっきの男。
扉を開けて、今まさに中に入ってきたところだった。
ありえない。
ついさっき、外で話していたはずだ。
なのに。
男は何事もなかったように、カウンターの前に立つ。
「一泊だ」
同じだ。
声も、動きも、表情も。
——全部、同じ。
心臓が、嫌な音を立てる。
逃げようとした。
でも、足が動かない。
腕が、勝手に動く。
鍵を取り、差し出していた。
「二階、右奥の部屋になります」
言いたくなんてないのに。
止めたいのに。
体は、まるで決められた通りに動いていく。
男は鍵を受け取ると、何も言わずに階段へ向かった。
——さっきと同じだ。
完全に、同じ。
「……なんだよ、これ」
声が震える。
頭がおかしくなったわけじゃない。
ちゃんと覚えてる。
さっき外で話したことも、
その時の空気も。
なのに、今の出来事は——
“なかったこと”にされている。
いや、違う。
最初から、やり直されている。
「……まさか」
喉が、ひどく乾く。
この世界は、一体なんなんだ。
俺は一体何者なんだ。
どうして同じことを繰り返しているんだ。
自分に疑問をぶつけ続けた。
また次の日、彼はやってきた。
その男が、また“同じ動き”を繰り返している間、
俺は観察することにした。
カウンター越しに、じっと見る。
男は同じタイミングで扉を開け、
同じ足取りで歩き、
同じ言葉を口にする。
「一泊だ」
やっぱり、変わらない。
一度、わざと声をかけるタイミングをずらしてみた。
それでも——
俺の口は、勝手に動いた。
「いらっしゃいませ。ご宿泊ですか?」
決められたように。
逃げ場なんて、なかった。
……なら、せめて覚えるしかない。
男の仕草。
目線。
声のわずかな癖。
全部、頭に叩き込む。
最初のうちは、不審がられた。
「……なんだ?」
睨まれることもあった。
でも。
何日も繰り返すうちに、
少しずつ変化が出てきた。
「……またお前か」
男が、ぼそっと呟く。
——違う。
今のは、いつもと違う。
わずかに、反応した。
心臓が強く鳴る。
「……ああ。まただ」
できるだけ自然に答える。
男は少しだけ笑って、鍵を受け取った。
「変なやつだな」
それだけ言って、階段を上がっていく。
——今のは、初めての反応だった。
ほんの少しだけ、
この繰り返しに“ズレ”が生まれた。
「……なんでだ?」
思考が一気に回り始める。
今までと違ったこと。
俺がやったこと。
声をかけるタイミング。
視線。
言葉の選び方。
——全部、いつもと違う。
そこで、気づく。
「……まさか」
喉が鳴る。
「俺が……変えたのか?」
この世界の流れを。
決められていたはずの動きを。
俺が、外れたから——
だから、“ズレた”。
心臓が強く脈打つ。
もし、そうだとしたら。
この世界は——
決められていることだけじゃない。
俺が、変えられるかもしれない――




