第8話 もどかしい夫婦
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セレスは何もすることがなく自室にいた。この部屋でくつろぐ時間は初めてだ。慣れない館ということもあるのか、ぼんやりしてしまった。
思えばこんなに暇な時間、これまでの人生であまりなかった。王太子の婚約者だった頃はたくさんの勉強に追われ、そのうえ茶会など社交をこなさなければならなかったから。
婚約を破棄されてからも、すぐにレオとの婚約、そして結婚準備。むしろ忙しさが増した。
それが一段落したのが昨日なのだった。嵐のような日々を駆け抜けた、と奇妙な感慨にふけってしまった。
「奥さま、座っているなら髪をさわってもいいですか」
遠慮がちに申し出たのは、セレスの専属侍女となったコラリーだった。
コラリーは、セレスの身の回りをととのえ話し相手になるのが仕事。五歳ほど年上で商家の出身だとか。世間の流行などにも詳しくて、よく気がつき明るい人物だと採用された。
「髪の癖を知らないと、きちんと結えないので。奥さまの身だしなみは私の腕の見せどころなんです。練習したいなと思ったんですけど」
「そうね。街ではどんな髪型が流行っているのか、やってみてちょうだいな」
セレスはいつも、こめかみ部分を垂らして後ろはふんわり低く結っている。でも社交の場に出るのなら、こった髪形にするのも悪くはなかった。
どうせ座っているだけならば、コラリーと理解を深めあう時間にするのもいいだろう。セレスはそっと仮面の紐をほどいた。
だが外したのは、髪の上にかかっている紐だけだ。仮面そのものはそっと手で押さえている。傷跡は誰にも見せたくなかった。
そういうものかと思いつつ、コラリーは少し踏み込んだ。
「奥さまのその仮面、レースがすごく綺麗です」
「ありがとう……でも皆、驚いたでしょう?」
そっと髪を梳かすコラリーはエヘヘと笑ってうなずく。
「それはまあ最初は。右のお顔は隠していると事前に訊いておりましたけど。お会いして、そういうオシャレな隠し方なの、て目が丸くなりましたよ」
「おしゃれ?」
「ええとほら、黒い眼帯とかだと、ちょっと悪人ぽく見えますでしょ? そうじゃなくて安心したんです」
「悪人なんて! それではレオさまに捕まってしまうわね、騎士団員ですもの」
セレスが軽口を言い、コラリーはホッとした。朝からふさぎ込んでいる女主人のことが心配だったのだ。それほどセレスは悲しげだった。
もちろんコラリーも、セレスが王妃になりそこねたいきさつはサラッと聞いている。不幸な成り行きの末にレオと結婚させられたのだから、悲しいのも仕方ないのだろうか。
「奥さまは華やかなのとしっとり落ち着いたのと、どちらが好きですか」
できれば心地よく過ごしてもらいたい。コラリーはセレスに寄りそう方向性を探った。
「派手なのは好きではないわ……でもレオさまはどうかしら」
「旦那さまの好み、ですか」
「せっかくならお気に召す妻でいたいと思うのは――難しいかしらね」
「とんでもないですよ! 私も旦那さまのことはまだよくわからないてすけど、アネットさんにも訊いてみます!」
セレスが気づかいにあふれた女性なのはコラリーに伝わった。できればセレスが笑っていられるように協力したいとコラリーは考える。
だってできれば、職場環境は良好にしておきたい。セレスが幸せに過ごせるに越したことはないのだった
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だが数日しても、セレスとレオのギクシャク感は変わらなかった。つまり――同衾せずにいる、ということ。
二人とも、相手が物言いたげなのはわかっていた。セレスは妻のつとめを果たさねばと焦っているし、レオはセレスに愛を伝えたいのだった。なのに双方どうすればいいのかわからない。
一度逃してしまった機会をたぐり寄せる手管などレオにはなかった。どれだけ不器用なのかと自嘲してしまうレオだが、それだけ真っ直ぐな男だともいえる。
さっさと二晩めに寝室を訪れればよかったのだろう。しかしそこでまた、セレスが恐怖だか緊張だかで口もきけなくなったら――と考えてしまったのだ。
盗賊や敵兵が相手なら、戦いの場に置かれてもおののくことなく冷静なレオ。だがここにきて自分の弱点を発見し落ち込む。
セレスに嫌われるのが、こんなに怖いとは。
あまりに不甲斐ない新婚夫婦にしびれを切らし、動いたのは執事のダニエルだった。仕事から帰宅したレオが夕食前に着替えるところを狙い、男同士の話を持ち出す。
「――レオさま、子どもじゃないんですよ」
白状された「セレスティーヌに怖がられるのが怖い」との内容に、ダニエルはあきれ顔で盛大なため息をついた。レオは憮然として黙る。
「そういう場面で奥さまが緊張なさるのは当たり前です。王妃になろうかという深窓のご令嬢だったんですから」
「……知っている」
「レオさまも家柄や血筋でいえば指折りのご令息なんですが……ダンスはお上手でもご歓談は苦手でしたね、昔から」
「だから嫌みを言うな」
口説き文句のひとつも言えないヘタレと暗に罵倒され、レオは渋い顔だった。
セレスが毎晩、レオに申し訳なさそうにしているのがいたたまれなかった。女性から誘うなんてこと、清楚なセレスにはできないのもわかる。
「だけど俺は、妻の義務として子を産めとか、そんなことは思っていないぞ」
「はあ。公爵家の方はマティアス様が継がれていらっしゃるので別にかまわないとは思いますが」
「だからセレスティーヌに無理はさせたくない。それだけを求めて妻にしたわけじゃないからな」
キリッ。理解ある男として言ってみせたレオをダニエルは冷たい目で見た。
「でも奥さまは、とても真面目な方だとお見受けしますよ?」
「う、うん?」
「妻の義務も果たせない自分など……とか思い詰めるタイプかと」
「ぐっ……そうだな」
「ちゃんと言わなければ悩ませるだけです。レオさまのことを愛せないなら白い結婚でかまわないのだ、とお伝えするのがよろしいのでは」
「愛……せない、なら」
その言葉でレオは勝手にダメージを受けた。だってセレスから愛して欲しいと思っているし。
目を伏せるレオにダニエルはこんこんと言い聞かせた。
「奥さまを大切に思うのなら、ちゃんと仲を深めましょう。徐々に距離を詰めるんです。怖がられないよう、少しずつ」
「……しかし、どうやって」
煮えきらないレオに苛立つのをダニエルは必死に抑えた。なんだかもう、公爵家は教育を間違えたかもしれないとまで思う。
「まず物理的なところからいきなさい! 手を握るとか、髪をなでるとか、そっと背に手を添えてエスコートするとか、そういうのを!」
「お、おう……」
ダニエルから漏れるイライラに気おされ、レオは不得要領なままうなずいた。




