第7話 死にそうな二人
怖い――といえば怖い。
でもそれはレオが、ではなかった。未知のことへの乙女の恐怖心であって。でもそんなことを口にするのすらはしたなく思え、セレスは口ごもった。
「――そうか。手荒なことをするつもりはない。今夜はゆっくり休んでくれ」
カタン。
レオは立ち上がる。そして縮こまったまま動けないセレスを置いて、そのまま出ていってしまった。
「あ――」
呼びとめることすらできないほど、セレスの声はかすれていた。
(どうしよう。どうしよう、私)
初夜の床を拒否するだなんて、そんなつもりはなかった。あまりにカチコチのセレスにあきれ、レオは嫌になってしまったのだろうか。
そうだ、いつもリュシアンにも罵倒されていた。「真面目で硬くておもしろくない女だ」と。レオにも同じように思われて――?
「や……いやよ、そんな」
細くもれた言葉は悲鳴のようだった。
セレスは失敗したのだ。リュシアンからの押しつけにもめげずに結婚してくれたレオのことを拒んでしまった。レオはきっと今ごろ後悔しているだろう。もっと楽しい女を選べばよかったと。
妹ミレイユの嘲笑が聞こえる気がした。「そんなだからお姉さまは捨てられるんだわ、本当にかわいそう」――と。
絶望したまま椅子にへたり込んでいたセレスは、しばらくの後にのろのろと独りぼっちの寝台へもぐり込んだ。
死にそうな気分だった。
一方自室に戻ったレオは悶々と頭を抱えていた。
(セレスティーヌ……あんな無防備な姿を見せられて引き返すとは、俺はなんと情けないっ)
寝台に飛び込んでも寝られそうにない。とりあえず棚から酒の瓶を取り出すと備えつけのコップに少し注いだ。ひと口あおる。
「ふぅ……」
ほんの少し落ち着いたが、後悔は消えなかった。ぐしゃ、と髪をかきまわす。負け犬になった気がした。初夜に妻から逃げる夫とはいったい。
だってセレスは見るからに緊張していた。いっぱいいっぱいの状態で椅子に座っているのが伝わり――そんな新妻に体を開かせるなんて極悪非道なことができなくなった。レオはセレスを大事に大事にしたいのだ。
何年片想いをしていたか数えてはいないが、これでも筋金入りのセレス推しだ。妻に迎えるなんて幸運に見舞われたものの、それだけにコトを始めたら自分に歯止めが効くかどうか自信がない。
……そして逆に体力には自信があった。最悪だ。ひと晩めでその気持ちをぶつけ過ぎ、おびえて混乱するセレスに嫌われたら――。
「死ねる」
レオは小さくうめいた。
抱き潰したりしたら、翌朝セレスから恐怖と軽蔑の視線をくれられること間違いなし。あんなに貞淑で楚々とした女性なのだから。
正常な夫婦関係というものはどうしたら構築できるのだろう。
レオはセレスの体が欲しいのではなかった。いや、それも欲しいが真実手に入れたいのは――彼女の心だ。
✻ ✻ ✻
それぞれ悩み抜いた夜が明け、夫婦は別々に起き出した。
朝食のため身支度をととのえるセレスを手伝いながら、侍女のコラリーは寝台が乱れていないことに気づいたが何も言わなかった。
一方のレオは無表情に出仕の支度をし、食堂に姿をあらわす。入り口で待っていたセレスは、名ばかりの夫へ悲しげに微笑んだ。
「おはようございます」
「おはよう」
初めて交わす朝の挨拶はぎこちない。だがそのぎこちなさが照れや甘さからではないと、その場にいた使用人たちはピンときた。執事のダニエルが素知らぬ顔で確認する。
「レオさま、本日は王宮にご出仕でしたか」
「そうだ。この格好を見ればわかるだろう」
ブスっとした声が返ってきた。ダニエルは内心でため息をつく。これは何かがうまくいっていないようだ。
「今日ぐらい、休暇をいただいても罰は当たらなかったのでは? 昨日結婚したばかりの奥さまを放ったらかすのですか」
「……いいんです」
セレスは遠慮がちに口を出した。
「騎士団の皆さまにご迷惑をおかけするのは気が引けますから」
「まあまあ、奥さまは控えめでいらして。ささ、お二人ともお席に」
アネットも新婚夫婦に引っかかりを感じているらしい。使用人たちは意味深な目配せを交わした。家の中で起こることなら、彼らの目はごまかせない。
だが彼らは主人に忠実だ。セレスとレオ、二人を応援する気まんまんなのだった。
✻ ✻ ✻
朝食後、レオはキリリと出かけていった。
セレスに見送られ、かすかに嬉しげだったのをダニエルは見逃さない。喧嘩して険悪になっているわけではなさそうだった。だがセレスが力なく悲しげなのが気になる。
セレスの方は一日のんびりする予定だった。今は侍女のコラリーと自室で読書でもしているはず。
昨日は結婚式という特別な日だったのだから、休養するのも当然だ。しかも新郎と初めての夜を越えた花嫁。となれば朝食に出て来られなくても対応しようと家政婦長アネットは心づもりしていた――のだが。
二階の主寝室を整頓して階下に降りてきたダニエルは、アネットの視線に首を横に振った。
「レオさまの部屋に、形跡はありませんでしたね」
「まあそちらも? 奥さまのお部屋もですよ」
こそこそ報告しあったダニエルとアネットは、顔を見合わせてため息をついた。どちらの寝台にも使用した跡が慎ましくひとり分ずつ。ということは夜をともに過ごさなかったのか、あの新婚夫婦は。
「ですが、レオさまがひとりで酒を飲んだ痕跡はあって」
「はあ? 何してるんです旦那さまは」
「ヤケ酒でしょうな」
ううむ。二人でがっくりうなだれてしまう。
ダニエルとアネットは、レオを幼いころから見守ってきている。正義感が強く誠実な男性に育ったのは嬉しいが、もしや女性に関してはからっきしなのだろうか。
「旦那さま、そんなにウブだったんですか」
「いやあ……まったく知らないなんてことはないでしょう。騎士団だってね、ゴホン、連れ立って悪所ぐらい行くものですよ」
「でも奥さまに手出しできなかったんですよねえ」
アネットは容赦ない。女性の立場からすると、初夜に放っておかれたセレスが傷ついていないか心配になってしまうのだった。ダニエルは苦笑してなだめた。
「まだ一晩です。奥さまがお疲れだったから労わっただけかもしれませんし、様子をみましょう」
夫婦で互いに気を遣いあう雰囲気はあるのだ。大問題ではあるまい、と結論づけて二人は仕事に戻った。




